Episode13-9:長い夜のはじまり
PM8:00。
本日のメインイベントであるダンスパーティーの時間がやってきた。
会場スタッフ達は各々料理の並んだテーブルを下げ、広場の中央にスペースを作っていく。
来賓達は自分の出番が回ってくるまでその周辺を囲み、最初に踊る四組のカップルの登場を待っている。
やがて準備が整うと、既にポジションについたオーケストラのチームが演奏の姿勢に入った。
それに伴い、ミリィとウルガノも手を取り合って決まった位置につき、いよいよかと身構えた。
大勢の注目が集まる中、筆頭を務める四組のペアは、特にシャノンと縁の深い面々となっている。
メインは、今夜の主役であるシャノンと、そのパートナー、クレオのペア。
それから、シャノンの両親であるナルシス、グウェンドリンのバシュレー夫妻だ。
加えて、プリムローズと交流のあるシャンポリオンの長、ジルベール・シャンポリオンと、その妻シルヴィア。
最後に、シャノンの親友であるミリィと、パートナーのウルガノもステージに並んでいる。
彼らが一足先に踊ってみせることで、控えていた他の来賓達も続々と後に続いていくというわけだ。
「───緊張するか?」
「え?……ああ、そうですね。
一応経験はありますが、こういうのはどうにも慣れなくて…。
ミリィは器用な人ですから、なんでもそつなくこなしてしまうのでしょうね。
私はとにかく、貴方の足を引っ張らないように…」
「そんなに肩肘張らなくていい、ウルガノ。オレも、君と一緒で緊張してるから」
「え……」
そんな中、いつになく緊張した様子のウルガノは、目のやり場に困って自分の足元ばかりを見ていた。
ミリィと共に筆頭役を務めることは随分前から決まっていたのだが、いざその時になってみると不安が込み上げてきたようだ。
珍しく上擦った調子で、気持ちを落ち着かせようと深呼吸を繰り返している。
その顔は、少し前まで戦場を駆けていた傭兵だったとは思えないほど、初な表情をしていた。
「ほら、始まるぞ。リラックスして。
なにも考えず、オレに委ねてくれればいい」
ミリィは、浮わついた彼女の耳元でそっと囁くと、彼女の強張った腰に手を添えて微笑んだ。
間もなく始まった演奏は、穏やかなワルツだった。
どこか躊躇った様子のウルガノを積極的にリードし、こうするんだよと教えるように彼女の目を見詰めたミリィは、ゆっくりとステップを踏んでいった。
すると、ミリィの動きに合わせて少しずつ感覚を掴んできたのか、ウルガノの表情も段々と和らいでいった。
足つきはまだぎこちないものの、慣れないなりにこの時を楽しみ始めたようだ。
「綺麗だよ、ウルガノ。
こうしていると、つい自分の本分を忘れてしまいそうになる」
ミリィは、ワルツのリズムに合わせてウルガノの腰を引き寄せ、一瞬抱き上げると、その場で一回転して再び彼女の手を取った。
「私もです、ミリィ。
こんなに楽しい夜は、生まれて初めてです」
いつしか二人は、笑いながら楽しげに舞っていた。
周囲からの注目など全く気にならなくなるほどに。
途中、シャノンとクレオのペアに接触しそうになると、ミリィとシャノンは互いにアイコンタクトをして、ギリギリのところで身を翻した。
慣れた様子でそれぞれのパートナーを誘導してみせる様は、まるで振り付けの一部であるように自然で、来賓達からは歓声と共に短い拍手が湧いた。
ーーーーーーーー
「さあ、そろそろ俺達の出番だ。用意はいいかい?お嬢さん」
「勿論。いつでもオーケーだよ紳士様」
開始から数分が経過した頃には、控えていた来賓達も続々とダンスに参戦していった。
中でも一際華やかなアンリとキオラのペアは、臆することなくステージに合流していった。
二人のダンスの相性は、まさに息ぴったりだった。
次に相手がどう出るか、互いに先の先まで読んでいるようで、動きに一切の無駄がない。
言葉にせずとも、キオラはアンリの意図を、アンリはキオラの調子を完璧に汲み取っていた。
アンリが軽く指を離せば、それを合図にキオラはくるくると回転して応えてみせた。
これぞ以心伝心。
立場上、二人はダンスの経験も豊富で、機会がある度にこうして手を取り合ってきた。
故にこそ、アンリはキオラが、キオラはアンリが相手の時に限り、こうして阿吽の呼吸を発揮することができるのである。
「さすがはアンリの弟君、って感じだね。
英才教育を受けてきたアンリと遜色ないくらい、彼もエスコートが上手だ」
「妬けるな。俺のリードでは不服かい?」
「まさか。社交界でアンリの右に出る紳士はいないよ。
少なくとも私の知る限りでは、ね!」
傍目に映るミリィとウルガノのペアを一瞥して、キオラは楽しそうに笑った。
それにアンリは芝居がかった口調で返し、弟に負けてはいられないと、キオラの腰を抱いてふわりと宙に浮かせた。
"楽しい"
"この時が永遠に続いてくれたなら、どんなに良いだろう"
これまでの苦悩や困難がまるで幻だったかのように思えるほど、アンリは今この瞬間がとても幸福だった。
ただ、想い人と共に過ごす一時を余さず記憶し、胸に刻んでいく。
時折視界の端に映る、無表情でこちらを見詰めるヴィクトールのことは、あえて無視をして。
「なに?そんなに見詰めて。
あんまり楽しいから、私変な顔になってるかな?」
この先、自分達の身にはなにが起きるかわからないから。
こうして君と笑い合える日が、今夜で最後にならないとは限らないから。
ならばいっそ、この機会にすべてを、と。
喉元まで込み上げてくる言葉と、躊躇いと、プライド。
「……そんなことないよ。
ただずっと、こうしていられたらと、思っただけ」
今こそ、絶好のチャンスだというのに。
頭では理解しているのに、それでもアンリは、またしても自分の気持ちをキオラに伝えることができなかった。




