Episode02-5:我が友に栄光あれ
ウルガノの身仕度が済むまで再び外に出た三人は、しばらくしてメリアに呼び戻された。
メリアの手によって元通りとなった部屋のベッドには、パジャマに着替えたウルガノが腰掛けていた。
「少しは落ち着いたみたいだね。気分はどうだい?」
「……ええ。先よりは随分冷静になりました。取り乱してしまって、すみません」
「いや、気にするな。君の立場上、とっさにああいう反応になってしまうのも無理はない」
先程までと比べてすっかり大人しくなったウルガノは、丁寧な敬語で三人に謝罪し、深々と頭を下げた。
「貴女も……。私のせいで、怖い思いをさせてしまいましたね。お怪我はありませんでしたか?」
続いてウルガノはメリアに対しても謝罪をし、彼女の安否を尋ねた。
「私なら大丈夫です。こちらこそ、配慮に欠けておりました。お許しください」
「いいえそんな、悪いのは私で……。本当に、申し訳なかった」
心底反省した様子のウルガノに、メリアもまた心苦しそうに微笑んだ。
「ともあれ、皆様に大事がなくて良かったです。
……積もる話もございましょうから、私は先に、シャノン様へご報告に行って参りますね」
「ああ、悪いね。よろしく伝えといてくれ」
「はい。失礼致します」
空気を読んだメリアは、ウルガノに対して後ろ髪を引かれる思いながらも、そそくさと一人部屋を出て行った。
「直に飯の時間になるはずだから……。それまでの間に、出来るだけの話をしておこう」
残された四人は、今の内にウルガノの話を聞けるだけ聞いておこうと、それぞれ落ち着ける体勢をとった。
ヴァンとトーリは立ったまま壁に背を預け、ミリィはウルガノの前に椅子を持ってきて着席した。
「さてと。まずは君の素性についてだけど……。大体のことは、もう調べさせてもらったよ。
少なくとも、秘匿にされていない情報はオレ達も把握してる」
「そうですか……」
「で、だ。例の船から飛び降りたこと…。いや。そもそもどうして、あの船に乗せられることになったのか。なんのためにブラックモアまで向かっていたのか。
立て続けで悪いんだが、思い出せる範囲でいい。話してくれ。
それを聞いてからでないと、こちらも説明が難しいんだ」
荷物から例のファイルを取り出したミリィは、ウルガノに関する資料を本人に手渡した。
何故ここまで詳しく自分のことを知っているのか。
自分が船から飛び降りて、脱走を謀ったことまで把握されているのか。
ミリィ達に対する不審感は僅かに残しつつも、ウルガノは目を伏せて思考を巡らせた。
「大体のことは知っている……、と先程は仰っていましたが」
「うん」
「でしたら、私が現役の傭兵であることも、既にご存知なのですね?」
「もちろん。お噂はかねがね」
ウルガノは浅く息を吐いて語り始めた。
「それで、なんですが。先日、珍しいオファーがあったんです。期間限定で、要人の私兵をやらないかと」
「私兵?権力者のボディーガードってことか?」
「まあ、そのようなものです。
ブラックモアに向かっていたのは、そこで依頼主と落ち合う予定だからと説明されて───」
依頼主の名は、マックス・リシャベール。
ブラックモアに拠点を置いているという自称実業家で、戦闘もこなせる秘書を長らく募集していた富豪の男だった。
後に風の便りでウルガノの存在を知ったリシャベールは、是非ウルガノを自分の傘下に加えたいとオファーした。
しかし彼女はリシャベールが思っていた以上の売れっ子だったため、正式に私兵として雇うことは不可能だった。
それでもリシャベールは諦めず、ならば自分が中東に赴く三ヶ月の間だけでもいいと食い下がった。
結果、期間限定という条件付きで、ウルガノも交渉に応じることを良しとしたのだった。
「丁度そのころ休暇をとっていたので、一応予定に空きはあったんです。
それでも……。正直な話、最初はあまり気乗りしなかったのですが。リシャベール氏の熱意に負けて、最後には条件付きでオファーを引き受けることにしました。
たまには戦地を離れてみるのもいいかなと、前向きに考えて」
詳しいプランは直接会って話すこととなり、リシャベールはウルガノの元へ数人の部下を派遣させた。
彼の部下達に連れられたウルガノは、フィグリムニクス・ブラックモア州行きのフェリーに乗船し、自宅のあるロシアを発った。
船は関係者のみの貸し切りだったそうで、道中は主賓としてVIPさながらの持て成しを受けたという。
ところが。
順調な船旅が続いていた、と思われた最中。
ウルガノはある異変に気付いてしまった。
「部下達のいる部屋から、妙な話し声が聞こえてきたんです」
「妙な話?」
「ええ。まだ正午を過ぎて間もない頃でした」
部下達の怪しげな会話の中で、度々出てきた"被験体"というキーワード。
意味深なその単語が気になったウルガノは、彼らに気取られぬよう壁越しに耳をそばだて、内密のやり取りを盗み聞きした。
「聞き慣れない単語が飛び交っていた中で、被験体という不審なワードを何度か耳にしました」
「被験体……」
「聞き慣れない単語っていうのは、多分暗号だろうね。
間違いなく人に知られちゃまずい話をしてたんだろうけど、目的の彼女に疑惑を持たれたら、暗号化も無意味だ」
トーリが後ろから会話に混ざると、ミリィは確かにと頷いた。
「あちらさんが間抜けだったおかげで、オレ達は助かるけどな。
他にはないか?被験体……の他に、なにか引っ掛かったキーワードは?」
「そうですね……。他に暗号化されていなかったのは……。
母体、とか、遺伝子───、とかもあった気がします」
「母体、遺伝子……」
内容の殆どが暗号化されていた以上、どれだけ長く聞き耳を立てても、話の全貌は見えてこなかった。
それでもウルガノは、自らの置かれた状況を漠然と理解した。
彼らの言う被験体とは恐らく自分のことを指していて、ボディーガードとして雇いたいというオファーも実は建て前なのではないか。
水面下に潜む陰謀の渦に、自分は巻き込まれかけているのではないかということを。
「思えば、あのVIP待遇もなんだか怪しかった。
こちらが頼みを聞く側だからとしても、ただの傭兵にあそこまで金をかける必要はなかったと思います。
私一人のために船を貸し切ったり……」
「確かにな。話を聞く前から不穏な空気は感じてたってことか」
「はい。なので、厄介事に巻き込まれる前に逃げることにしたんです」
「……どうやって?」
「必要最低限の荷物だけ持って、海に飛び込みました」
「やっぱり……」
なんでもないことのようにさらっと言うウルガノに、ミリィとトーリは声を合わせて項垂れた。
どうやら彼女は、本当に海を泳いで来たらしい。
その割に体力はまだまだ余っている感じで、先の一件でウルガノが参った様子は微塵も感じられなかった。
ウルガノの底無しのエネルギーを目の当たりにした三人は、つくづく彼女が敵に回らなくて良かったと痛感した。
ここで改めて一連を纏めてみる。
ウルガノが海に飛び込んだのは、やはりプリムローズの付近で間違いなかった。
本人の話によると、着水地点から陸までは距離にしておよそ15km。
人通りの多い港を避け、静かな浜辺に泳ぎ着いて以降は、辺りで関係者が張っていないか警戒しつつ、こっそり街に入ったという。
それから暫く宛てどなく歩いた先に、丘の上の教会を見付けた。
見たところ、頻繁に人が出入りしている気配はない。
せめて身に着けている衣服が乾くまでの間なら、誰にも見付からずに此処でやり過ごせるだろう。
他に隠れられそうな場所も見当たらなかったため、ウルガノは教会の中で一休みさせてもらうことにした。
そんな矢先に、なにかを嗅ぎ付けたミリィ達と偶然遭遇。
結果としてヴァンとやり合う流れに発展してしまった。
ここまでが、現在に至るまでの大まかな経緯である。
「───なんつーか……。すっげえな。
けど分かった。おかげで何となくは理解したよ」
「驚かないんですね。密告しないんですか?」
「驚いてるよ。オレ達が思っていた以上に、君はすごい人だ。
だが密告はしない。言ったろ?オレ達は君の味方だって。
ほとぼりが冷めるまでの間、ここでゆっくり体を休めるといいよ」
「それは……。私としてはとても有り難い、のですが……」
もしかしたら身柄を差し出されるかもしれない。
そう身構えていた手前、存外に受け入れる姿勢を見せられて、ウルガノはやや拍子抜けした。
「それからもう一つ」
「え?」
「船の中で……、じゃなくてもいいけど。事前に体の検査をされなかったか?
血を抜かれたり、なんらかのテストを受けさせられたり」
ヴァンの時は逮捕された当日にだったが、ウルガノは犯罪者ではない。
いくら名が知れているとはいえ、定めるには確信がいるし、確信を得る為には証拠が必要だろう。
とどのつまり、ウルガノが本当に噂通りの優秀な人材であるかどうか。
それを見極めるためにも、彼女もヴァンと同様のテストを受けさせられたはずだ。
「勿論、日頃からある程度のメディカルチェックは行います。
持病があるかどうか、戦場に赴いた時まともに戦えるか…。他にも、敵勢力から毒物をもらっていないか検査する場合もあります」
「なるほど……。じゃあ、今回のオファーが来る前には?いつもと変わったことはなかったか?」
「言われてみれば、最後の検査はいつもより念入りだったような……。全身くまなく調べられましたね。
流石に要人のボディーガードともなると、細かいところも厳密にやる必要があるんでしょう」
「そうか……。わかったよ、ありがとう」
やっぱりな、と心の中で呟き、ミリィはトーリに目配せをした。
一方ヴァンは、つい先日までのことを密かに思い返していた。
罪人のヴァンと違い、ウルガノは島に送られるまでもなかったが、それも段階を一つ省略しているというだけで末路は変わらない。
ルートが別なだけで、互いに金持ちの玩具にされかけていたのだから。
それぞれが複雑な思いを抱き、三人の顔に意味合いの異なる陰が落ちていく。
そんな中ウルガノだけは、要人の身辺を警護する立場とあれば必ず通る道なのだろうと、少し誤解をしていた。
ただのメディカルチェック。
皆それを当たり前にやっていて、自分だけが特例なわけではない。
そう考えているウルガノだけが、一人不思議そうにミリィ達を見ていた。




