Episode13-7:長い夜のはじまり
PM7:17。
開演のスピーチを皮切りに、一層の盛り上がりを見せる広場。
そんな中、一人満足そうな笑みを浮かべたミリィは、自分の皿に取り分けたテリーヌを食べていた。
「───シャノンさん、すごく嬉しそうだったね。
途中目がウルっときてたから、あのまま泣き出すんじゃないかと思ったよ」
「ハハ。確かにそんな感じだったな。アイツ感激屋だから。
……ちゃんと紹介できて良かったよ、ほんと。
母さんが死んだ時、誰よりオレを心配してくれたのは、シュイだったから」
「そっか。本当に、親友なんだね。二人は」
先程、ナルシスへの挨拶を済ませたミリィが、ようやくシャノンにアンリを紹介した時。
シャノンは、初めて見えるアンリと固い握手を交わしながら、熱の入った声でこう言っていた。
"どうかこれからも、ミリィの家族として、彼の側にいてあげてください"。
そんなシャノンに対し、アンリもまた誠心誠意に応え、ミリィの兄として頭を下げたのだった。
「あの光景を、オレは一生忘れることはないだろうな」
そうミリィが感慨深げに語ると、トーリは少しだけ寂しそうに目を細めた。
「───おーい。ミリィ、トーリ」
「お、ヴァン!なんだよオマエ、今までどこ行ってた?
ちょっと目を離した隙にいなくなりやがって」
「悪い。美味そうなケーキがたくさん並んでいたから、マナと一緒に食べに行ってたんだ」
「へー。いつの間に仲良くなったんだか」
広場の隅で休んでいたミリィ達の元に、しばらく姿を消していたヴァンが戻ってきた。
本人曰く、つい先程までマナと一緒にいたとのこと。
アンリやミリィが社会人としての務めを果たしている間、手持ち無沙汰だったヴァンは一人ぼんやりとしていた。
そこへ、同じく手持ち無沙汰だったマナがやって来て、声をかけてきたのだという。
"大人の人達は挨拶回りとかで色々忙しいだろうから、ボク達は邪魔にならないようにどこかで時間を潰していよう"と。
そうして二人は静かなスペースへと避難し、人混みが落ち着く頃合いを見計らっていたというわけだ。
無論これはマナの優しさによるものなのだが、どうやら彼女の中でヴァンは大人としてカウントされていないようだ。
そのことに気付いたミリィは、ヴァンに気付かれないよう顔を背けて吹き出した。
「ま、トラブルがないなら、なんでもいいけどさ。
アンリ達が一息つくには、もうしばらくかかりそうだな」
これで、ミリィの元にはトーリとヴァンが再び合流したが、他のメンバーは今や散り散りとなっている。
アンリやシャノンは、立場上呑気に料理をつまんでいる暇はない。
ジャックとシャオは、スピーチの後それぞれどこかへ消えてしまったため、今はどこでなにをしているのかわからない。
ウルガノ、キオラ、クレオの綺麗どころは、なにやら三人で談笑している。
ただ、ミリィ達からは離れた場所にいるので、盛り上がっている会話の内容は不明だ。
「セレブって一度はみんな憧れるもんだけど、現実のこういう面倒臭い感じを見ちゃうと、ちょっと考え変わるよな」
一歩進む毎に、次から次へと湧いて出る紳士淑女達に囲まれて、延々とその対応に追われているシャノンとアンリ。
その姿を遠くで眺めながら、ミリィは溜め息混じりに呟いた。
「で、例の彼の様子はどう?」
改めてトーリがミリィの耳元で尋ねると、ミリィは食事の手を止めずに、視線だけである人物の方を示した。
「今のところ、不自然な様子は全くなし。
つーか、もともと完璧超人って言われてるような奴だし、もしなにか隠し持ってるとしても、こんなところで都合よくボロ出しちゃくれないだろうよ」
「確かに。
けど、改めて見ても、あの人がこの国の新しい王様だなんて、やっぱり信じられないよ。
実物を見るのは初めてだけど、一国を率いるにはさすがに若過ぎる気がする」
ミリィ達の視線の先にいるのは、大勢の来賓達に囲まれた疑惑の人物、ヴィクトール・ライシガー。
さすがに首都の主席ともなれば、フェイゼンドの国民ではないトーリですらその存在を知っていたほどだが、実物を目にするのは三人とも初めてのことだった。
あれが、兄の幼馴染みであり、宿敵でもある男。
なまじ情報がある分、つい偏った目でヴィクトールを見てしまうミリィだが、その割に彼からは悪い印象を受けなかった。
少なくとも、事情を知らない多くの者らにとっては、ヴィクトールはこの世の悪事とは全く無縁の人間のように見えるだろう。
「そうか?俺にはそうは見えないが」
しかし、隣にいるヴァンには違うものが見えているようだった。
怪訝な表情を浮かべる彼からは、珍しく警戒心が滲んでいる。
「というと?お前は彼をどう見るんだよ」
「どうというか、これはただの直感なんだが……。
少なくともあれは、純真な心を持ってる人間の顔じゃない。
愛想よく笑ってはいるが、その感じが妙に胡散臭く見える。
あの男がどういう人間かを俺は知らないが、あの顔は間違いなく、嘘つきの顔だと俺は思う。
ただの若僧と思って甘く見ない方がいい。ああいうのは敵にすると、一番厄介なタイプだ」
「ふーん……」
ミリィの言及に対し、ヴァンは饒舌に語った。
あの無口なヴァンがここまで言うのは滅多にないこと。
とどのつまり、伝説の殺し屋に厄介だといわしめる分には、手強い相手であるのは間違いないというわけだ。
興味深げにヴァンの言葉を飲み込んだミリィは、改めて広場を見渡した。
「まあ、気になる存在はヴィクトールだけじゃないしな。
シグリムの主席がこんなに集まる機会ってのは、マジでそうそうお目にかかれるもんじゃねえ。
やっぱすげーわ、オレの親友」
そう言って、ミリィは次にある男の方へ視線を向けた。
ミリィにつられて、トーリとヴァンの視線も自然とそちらへ向く。
「ほら。さっき屋敷入る前に、シュイのあだ名の話したろ?
あいつが一部のファンの間で、東のサフィールって呼ばれてるってやつ。
んで、あそこにいる黒髪の色男が、西のディアマン。
シュイと同じフランス系で、今はシャンポリオンの主席やってる人だよ」
彼の人の名は、ジルベール・シャンポリオン。
シャンポリオン州初代主席、リュスィオール・シャンポリオンの息子の一人で、5人兄弟の末子にあたる人物である。
年齢は今年で39歳。
二児の父ながら、爽やかな黒髪に甘いマスク、整えられた顎髭が印象的な好漢だ。
ヴィクトールやシャノンといった有名どころと比べるとやや影の薄い印象だが、フランス出身の国民らの間ではシャノンに引けを取らない程の知名度を持つとされる。
「ディアマンさまー!一緒にお写真いいですかー?」
「あ、次私も!」
「いいよー、順番ね。
どういうポーズがいいとか希望はあるかい?」
「出来れば、このプティフールを手に持って、かじってるところを撮らせてもらいたいです!」
「あはは。店のポスターと同じポーズをしろってことだね?了解」
シャンポリオンの街は、初代リュスィオールが著名な菓子職人であったことから、スイーツ関連の店が充実していることで知られている。
今や、シャンポリオンに訪れる観光客の八割が、それを目当てとした甘党である程だ。
そんなリュスィオールの息子達も各々料理の世界へと進み、父の名に恥じない功績を残している。
中でも特に優れた才能を発揮したと言われるのが、末弟のジルベールだった。
ジルベールの本職はショコラティエで、経営する専門店はミシュランガイドで一つ星を獲得している。
聞くところによると、彼の作るチョコレートを目当てに、わざわざ外国から訪ねてくるファンも多いという。
ショコラティエとしての技量のみならず、純粋に人柄も慕われる彼は、全主席の中でも上位の好感度を誇る人気者なのである。
「やーやー楽しそうだね~。ボクも一緒に写っていいかい?」
「えっ、サフィール様!?」
「おっと。本日の主役がお出ましだ。他のテーブルはもう回ったのかい?」
「まだ途中ですよ。
ただその前に、ちょっと友人のところで小休止させてもらおうと思いまして」
「それはそれは。小休止どころか揉みくちゃにされるのが目に浮かばなかったかい?」
「ジルさんのファンはマナーの良い方ばかりなので、少しくらい揉みくちゃにされても平気ですよ」
するとそこへ、ファンの女性陣に囲まれたジルベールの元に、シャノンが声をかけに行った。
東のサフィール、西のディアマンの2ショットに、周囲からは待ってましたと黄色い歓声が上がった。
「───そんで、あっちの地味なコンビが、ロードナイトとスラクシンの主席。
向かって右にいるのがロードナイトのミカで、左がスラクシンのライナス。
二人ともこういう賑やかな雰囲気は苦手そうだし、人見知り同士、案外馬が合うのかもな」
次にミリィが示したのは、ロードナイト州三代目主席、ミカ・ロードナイトと、スラクシン州六代目主席、ライナス・ゼイルストラだった。
「───あー。ニンゲンがいっぱいすぎて今にも昼食のマッケンチーズが鼻から出そうだ。
どうして年増ってのはキツいコロンの香りで加齢臭を紛らわそうとするのかなあ。
却って不快さが増すだけだって誰か教えてやればいいのに」
ミカ・ロードナイトは現在27歳で、過去には国内知能レベル検査でNo.1を取ったこともあるほどの秀才である。
彼の勉学の才は、無論本人のたゆまぬ努力あってこそ実を結んだものだが、その前に大きな土台があったことを忘れてはならない。
少なくとも半分は、彼の祖父であり、ロードナイト州初代主席であったクインシーの天才遺伝子が受け継がれた影響と見ていいだろう。
クインシー同様に複数の博士号を持つ彼は多忙の身であり、しょっちゅう講演等のために海外を飛び回っているとのこと。
先代の主席は彼の実の父だが、その父から役目を受け継いだ後も放浪癖は治らず、我が子の神出鬼没ぶりには祖父も父も頭を悩ませているという。
加えて、本人の人柄が酷く偏屈ときている。
今日だって、せっかくのパーティーだというのに全く普段着のような格好をしているのだ。
寝癖そのままのようなボサボサとした茶髪に、飾り気ゼロな地味な服装、瓶底並にぶ厚い眼鏡。
一見すると苦学生にしか見えないその出で立ちは、とても一国を治める長の雰囲気ではない。
単に本人が人目を気にしない性格だからなのか。
それとも、あえて適当な格好をすることで、他者とのコミュニケーションを無言で拒絶しているのかは、誰にもわからない。
たった今彼の話し相手となっている、数少ない友人のライナスを除いて。
「ハア。これだからパーティーってやつは嫌いだよ。
なあ、ライナスもそう思うだろ?」
スラクシン州六代目主席、ライナス・ゼイルストラは、働き盛りの34歳である。
初代主席のクジマ・スラクシンは、ロシア海軍出身の元軍人だった。
そのことから、スラクシンは初代の意向により、軍人を養成する機関を多く有している。
今やシグリムの防衛を担う立場にもあるこの街では、住人のおよそ7割が軍属経験のある者で占められ、新しい永住希望者も男女問わず肉体派の人間が歓迎されているという。
かくいうライナスも現役の軍人で、国家に忠誠を捧げている。
ただ、彼がスラクシンの主席となったのはつい最近のことである。
「別に、俺には耐えられないほどじゃない。
コロンの混じった香りより、男共の汗の臭いの方がよほどだからな。
試しに、お前も一度うちの訓練所に来てみるか?」
「遠慮するよ。二度と鼻が利かなくなりそうだ」
"人の上に立つ者は、常にみずみずしい思考と、偏りない思想を均衡に保つことが必要である"。
これは、初代クジマが遺した言葉で、今なお街の指標となっているモットーの一つ。
以来、スラクシンがシグリム一主席の入れ代わりが多い街となったのも、このモットーが理由なのである。




