Episode12-3:お前は誰だ
後にキルシュネライト邸を離れた一行は、しばらく様子を見るため、現地のホテルに身を寄せることとなった。
「説明した通り、この連続殺人の被害者は、研究所の極秘チームに籍を置く構成員で占められている。
その中で、今のところまだ無事でいたのは三人だけだった。
……内の一人が、キルシュネライトに住んでいるという情報を掴むまではな」
次のターゲットが彼であると確定したわけではないが、例のチームに名を連ねている以上、いずれは命を狙われる立場にある。
その順番が次になるか、次の次になるかは犯人次第だが、結局は時間の問題に過ぎない。
遅かれ早かれ、犯人は必ず残りの三人全員と接触するはずなのだから。
となると、この場合犯人に先回りして彼の人物にコンタクトを取るのが目下の優先事項となる。
だが、まだシャオとの合流には時間があり、エヒトからの連絡もいつ来るか分からない。
この状況下での団体行動は、先行きを考えて控えた方が懸命と言えるだろう。
そこでアンリは、宿屋にマナ達を残し、単身モーリスの自宅を訪ねることにしたのだった。
一人での行動を選んだ理由としては、その方が都合が良いと判断したため。
見知らぬ人間が突然大所帯で押しかけるよりは、一人で訪ねた方が言い訳が立つと考えたためである。
なにせアンリは、かつての上司の一人息子に当たるのだ。
フェリックスの直属の部下であった人物なら、唯一の子息を無下にするような真似はまず出来ないだろう。
それに、シャオと落ち合うにせよエヒトからの連絡を受けるにせよ、誰かが担当してそれに対応する必要がある。
どのみち、何人かは拠点となるホテルに留まっていなければならなかったのである。
「変装用のハットを被り、それらしい訪問の理由も用意して、タイミングも人通りの少ない合間を選んだ。
本人には俺だと分かってもらう必要があったが、周囲の一般市民に気付かれると面倒だからな。
なまじ面が割れている分、接近には細心の注意を払ったよ」
存命の三人の内、今回アンリが接触を図ったのは、チームの中でも一際目を引く容姿を持った人物。
名前を、モーリス・アイゼンシュミット。
ドイツ系の独身男性で、年齢は50代前半。
ポマードで横に分けられた金髪と、学者という割にがっちりとした体格が印象に強い、齢よりは幾分若く見える風貌の紳士である。
その私生活については、多忙故職場に寝泊まりすることが多く、自分の家で休む日は殆どないとのことだった。
つまり、アポイントなしの訪問は、在宅か否かを確認する術がない以上半分が賭けのようなものだった。
だが、連絡先を知らない上、気軽に職場に赴くことも出来ない立場のアンリにとっては、唯一判明している自宅に伺う他なかったのである。
「一度目の訪問は午後の4時。
明るい内からの方が怪しまれないだろうと思い、日が落ちる前にモーリスの屋敷を訪ねに行った。だが、その時は留守だったようで、応答がなかった。
それからしばらく時間を置いて、今度は夜の8時頃に再訪したんだが、それも不発に終わった。
……そこで俺は、一旦引き返すべきか悩んだ末に、この日は本人との接触を断念しようと決めた。
偶然不在のタイミングが重なったというより、そもそも家に帰らない日に当たってしまった可能性が考えられたからな。
だからせめて、本当にここでモーリスが暮らしているのかどうかだけでも確かめておこうと、日付を跨いだ一時過ぎに駄目押しで屋敷の様子を見に行ったんだ。
今夜はこれで最後にするつもりでな」
モーリスが住んでいるという屋敷はあまりに閑散としていて、いつ見ても人の気配が感じられなかった。
困ったアンリは、せめてここが使われているのかだけでも確かめておこうと考え直し、アプローチの仕方を変更した。
家主すら全く寄り付かない家であるなら、日を改めてもここでモーリスに会うのは難しいと判断したためだ。
とはいえ、夜中の零時以降に他人の家を訪ねるなどという失礼もできない。
最後にもう一度だけ屋敷に向かったアンリは、ただ外から確認するだけのつもりで周辺の様子を探ったのだった。
そして、三度目のアタックにしてようやく、今までにはなかった変化を見付けることができた。
敷地内に一台、黒の高級車が駐車されているのを発見したのだ。
その見るからに上等な車は、恐らくモーリス本人のマイカーだった。
状況から推察するに、彼はアンリが目を離していた4時間の間にこの車を運転し、自宅まで帰ってきた可能性が高かった。
帰宅後すぐに就寝したのか、それとも外からは見えない部屋で過ごしているのか。
残念ながら屋内の明かりは付けられていなかったが、いずれにせよ屋敷がモーリスの住処であることは間違いなさそうだった。
であれば、夜更けの今は無理でも、翌朝に再び出向けば今度こそここでモーリスに会えるはずだ。
無事に目的を果たしたアンリは踵を返し、マナ達の待つホテルに戻ろうとした。
その時だった。
屋敷に背を向けた瞬間、戦慄のような嫌な気配がアンリを襲った。
「見渡せば、そこは閑静な住宅地。
近隣の者達は既に寝静まっていて、辺りには通りすがりの人っ子一人いなかった。
だが、あの時急に、背筋がぞわっと来たんだ。毛並みを逆立てた野生の獣が、すぐ側を横切ったような気配だった。
俺は、とっさに嫌な感じがした方へ走り、塀の外からモーリスの屋敷を見てまわった。
……その先で、あいつを見たんだ」
モーリスの屋敷は角地に建っていたため、アンリは車道側を沿って移動しながら、屋敷を半周した。
しかし、どれだけ目を光らせても、屋敷に異変は見当たらなかった。
塀の外からくまなく周囲を観察してみても、これといった不自然は確認できなかった。
では、先程の戦慄の正体は一体。
不審に思いつつアンリが正門の裏側へ回ると、突然空から見知らぬ青年が降ってきたのだった。
モーリス邸の2階の窓から飛び降りたらしいその青年は、慌てることなくアンリの目の前に着地した。
二人の間には3メートル程の距離があったが、アンリがとっさに立ち止まらなければ接触していたかもしれないほど、青年の出現は一瞬の出来事だった。
狼狽えるアンリを前にゆっくり立ち上がった青年は、素早くアンリの方を振り返ると、その場で一時停止した。
カーキのモッズコートを羽織り、目深にフードを被った鋭い目は、真っ直ぐにアンリのことを見据えていた。
「闇に紛れていたから、はっきりとは見て取れなかったが…。
金色の目に、グレーの髪をした若い男、だったと思う。
歳は18歳前後ほどで、身長は目測165~170cm。
体格は細身で、なんというか…。身なりは綺麗な感じだったが、雰囲気はまるで浮浪児のようだった」
何故青年は、モーリスの屋敷から逃げるように出てきたのか。
何故、その一部始終を目撃した自分に対して、なんのアクションも起こす気配がないのか。
思考は纏まらず、疑問は声にならなかった。
ただ、静寂に包まれた住宅地に、冷たい夜風だけが吹いていた。
時間にしてみると本当に一瞬の事だったが、アンリにはあの場面がとても長いものに感じられた。
目の前にいる青年の一挙一動がスローモーションに見えたほどに。
やがて、青年がコートを翻し、アンリに背を向けた時。
去り際にニヤリと口角を上げた顔が、妙なほどアンリの目に焼き付いた。
「なにも告げずに去っていく彼に、俺はなにも出来なかった。
夢か幻でも見ている気分で、俺の足は地面に縫い付けられたように、ぴくりとも動かなかった。
……あの時、捕まえるまでには至らずとも、なにかしらのアクションを起こしていれば、次のヒントに繋がったかもしれないのに。
自分の愚鈍ぶりが不甲斐なくて、未だに腹が立つよ」
「……てことは、やっぱりその餓鬼ってのが、例の」
「ああ。思い返せば、彼の白い頬には微かに、血のような赤黒い跡が残っていた。間違いないよ。
俄かに信じがたいが、あの少年が、事件の犯人だ」
その後、少年の姿が見えなくなってからようやく我に返ったアンリは、真っ先に屋敷の正門まで急いだ。
これから少年の後を追っても、きっと間に合わない。
ならば、今はモーリスの安否を確認することが最優先だと。
法外の手段であることを承知の上、施錠されている門を飛び越えて敷地内に侵入すると、屋敷の扉は既に開放されていた。
恐らく、あの青年が開けっぱなしにしていったのだろう。
そのまま一目散に二階まで駆けていくと、暗い廊下の先で半開きにされた状態のドアが目に入った。
時折窓からの風に揺れていたそれは、こっちに来いとアンリを誘っているかのようだった。
アンリは思わず竦みそうになる足をゆっくり動かして、揺れるドアの取っ手に指先をかけた。
そして、意を決してドアを開くと、中には一人の男の変わり果てた姿があった。
原型は殆ど残っていなかったが、骨格と髪の色を見る限り、その無惨な死体はモーリス・アイゼンシュミット本人で間違いなさそうだった。
切断された四肢は、傍らに落ちていた血濡れの鋸によって分かたれたのだろう。
丁寧にくり抜かれた目玉は床に散乱し、首と繋がった胴体には、大きな十字架の絵が皮膚を裂いて描かれていた。
しかし、服も靴も身につけていない全裸姿で、何故か首から下げたロザリオだけは血に濡れていなかった。
状況を鑑みるに、それはクリスチャンであったらしいモーリスに対して、犯人が意図的に行った儀式のようなものと思われた。
罪を犯した自分自身に対する戒めなのか、死した後もモーリスを辱めてやろうという意味なのか。
メッセージの真意は残した犯人にしかわからない。
だが、モーリスの血まみれ死体と汚れなきロザリオ、胸板に刻まれた十字架を見て、アンリは当時の犯人の気持ちを悟った。
"いくら神仏に祈りを捧げたところで、呪われた運命から逃れることは決して叶わない"
そう、彼は言いたかったのかもしれないと。
「俺が目を離していた間に起きたことであるなら、長く見ても、犯人は4時間で仕事を済ませたことになる。
あんな細腕で、大柄なモーリスを拷問して殺すとなれば、相当な骨だ。
犯人はそういう意味で、特殊な訓練を受けた人間である可能性が高い」
「……殺害のやり口だけは聞いてたから、てっきり筋骨隆々のマッチョ野郎の仕業だと思ってたけど。
まさか普通の青年だったとはね。どんな魔法を使ったんだか」
「それで、アンリさんはその後どうされたんですか?通報してその場を離れた?」
「いや、警察には連絡しなかった。
通報したところで無意味だし、俺が第一発見者であるとお上に知られる方がまずい」
「ああ、噂の掃除人ってやつか。
確かに、そいつらが警察とグルになって動いてんだとしたら、通報した方がヤバそうかも」
「じゃあ、わかったのは犯人の風貌だけですか?それ以外にはなにも?」
「いや。犯人の外見的特徴の他にも、一応収穫はある」
ミリィとトーリからの質問に交互に答えながら、アンリは先程並べた封筒に手を伸ばした。
その内の一つを開封すると、中から一枚の白い紙を取り出し、今度は周囲の皆にも見えるようにテーブルに広げた。
「これらは全て、過去の遺体発見現場から押収されたものだ。
それぞれが発見しにくい場所に隠されてあって、事件が隠蔽された後も回収されずに残っていたことから、犯人と掃除人の間に協力関係はないことが窺える」
ミリィ、ウルガノ、シャオも同様に他の封を解き、テーブルの上に中身を並べていった。
計四枚の紙には、全て同じ筆跡で、同一のキーワードが綴られていた。
「───これ、血文字だよな?
指先で擦るように書かれてっけど…。被害者の血で、被害者の指を使ったってことか?
お、……オルクス?どういう意味?何語?」
「"ORKUS"(オルクス)。
ドイツ語で、冥府。死者の国、という意味だ」
示されたメッセージの内容は、半分ドイツ系の血を引いているアンリだけが一目で理解できた。
『He knows the truth of the matter. 』




