Episode02-4:迷い子よ、私の声が聴こえるか
電話から十数分が経過した頃。
シャノンの専属運転手であるという中年の男性が内密に車を手配し、一行を目的地まで送り届けてくれた。
「いつもすまないね、アクセル」
そうミリィが声をかけると、
「シャノン様のご友人は、私めの友でもありますから」
と、アクセルと呼ばれた彼は穏やかに微笑んだ。
ミリィはシャノン本人とだけでなく、彼の身の回りの世話をする使用人達とも顔見知りなのである。
「────でかい家だなぁ。見るからに金持ちが住んでいそうだ」
「さっき別宅って言ってたよね?じゃあ本邸は此処とは別にあるの?」
ウルガノを横に抱えたヴァンと、彼女の荷物を持ったトーリは、聳え立つ大きな屋敷を前に感嘆の溜め息を漏らした。
「そうだよ~。此処もかなりスゲエけど、本邸はマジで城だからな。
お伽話の王子様が住んでるような……。っていうか、実際に王子みたいなやつが住んでんだけどさ」
バシュレー家の別宅であるというこの屋敷は、普段は使用人達の住み家として特別に提供されている。
そのため、なにか特別な用向きがない限り、当主が此処を訪れることは滅多にないという。
ただしシャノンだけは例外で、都会の喧騒に疲れてしまった時などには、お忍びで遊びに来ることがあるらしい。
故に彼の友人のミリィにとっても隠れ家的な場所となっており、今回の緊急避難先として選んでも拒否されなかったというわけだ。
「ただ今お連れ致しました」
アクセルが門の前でチャイムを鳴らすと、屋敷の中からパタパタと駆ける足音が聞こえてきた。
やがて豪快に扉が開かれると、ミリィの言った通り王子様のような出で立ちをした美しい青年が現れた。
「ミリィ!会えて嬉しいよ!」
「シュイ!オレも会いたかったぜ!」
門が開かれると同時に笑顔で駆け寄っていったシャノンは、勢いよくミリィに抱き付いた。
ミリィも彼に熱い抱擁を返すと、二人は少女のようにキャッキャと花を咲かせて久方の再会を喜んだ。
「こんなに長い間会えなかったのは初めてだから、寂しくて泣いてしまいそうだったよ」
「ははは。オレもだよ」
艶やかなブロンドの髪に、透き通ったアメジストの瞳。
スラリと伸びた手足に、ジャボをあしらえた上物のブラウス、アクアマリンの耳飾り。
その姿はどこをとっても非の打ち所のない美青年だが、当人がこれを鼻に掛ける雰囲気は全くなかった。
心からミリィの来訪を喜んでいるようで、シャノンは満開の笑顔を惜し気もなく晒していた。
「やー、にしても悪いな。突然押しかけちゃって。タイミングは大丈夫?」
「平気さ!それに君はいつだって突然だろう?もう慣れっこだよ」
「ハッハ、それもそうだな。すまん。
……で、さっき電話でも話したんだけどさ。今回はちょっと事情のある連れがいるんだ。せめてほとぼりが冷めるまでの間、ここで厄介になってもいいか?」
ミリィが少し言い辛そうに切り出すと、シャノンは無邪気にミリィの肩を叩いた。
「なんだよ水臭い。君とボクの仲じゃないか。
ミリィならいつだって大歓迎だし、ミリィのお友達も勿論大歓迎だよ。
ほとぼりが冷めるまでと言わず、ここを自分の家だと思って、ゆっくりしていってくれ」
そのまま上機嫌な態度を崩すことなく、シャノンは一行を屋敷の中へと誘った。
「助かるよ、シュイ。世話になる」
「「お世話になりま~す」」
ヴァンとトーリは声を揃えて挨拶した。
ミリィは先を行くシャノンの背中を静かに見詰め、言葉にならない感謝を胸の内で告げた。
というのも、押しかけたのは自分一人じゃない上に、連れてきた三人とシャノンの間に面識はないのだ。
見知らぬ男が二人と、何故か眠ったまま運ばれている女が一人。
彼からしてみれば、いくら友人の連れとはいえ、そんな怪しい連中を事情も分からぬまま家に引き入れることになる。
本当はたくさん疑問があるだろうし、色々と口も出したいはずだ。
それでも彼はなにも言わず、嫌な顔一つせずにミリィの我が儘を受け入れてくれている。
自分から言い出したこととはいえ、ミリィは申し訳なく思うと同時に、聡明で懐の深いシャノンに改めて頭が上がらない気持ちだった。
「───とりあえず、まずはそこの彼女をベッドに寝かせてあげよう。ゲストルームまで案内するよ」
「いや、案内はいい。いつもの部屋借りてもいいか?」
「ん、オーケー。じゃあ鍵を渡しておくよ。
ボクはディナーの準備で厨房にいるから、なにかあれば声をかけてね」
シャノンはパンツのポケットから一個の鍵を取り出すと、ミリィに向かって放り投げた。
慣れた様子でそれを受け取ったミリィは、お手玉のように二回宙に浮かせて弄んだ。
「はいよ。いつもありがとな」
この鍵はとあるゲストルーム専用のもので、ミリィが此処を訪れた際には、いつもその部屋を使わせてもらっているのである。
「どういたしまして。……メリア」
「はい、シャノン様」
シャノンがどこへともなく呼び掛けると、リビングの方から小柄な人影が現れた。
癖のかかった黒髪を後ろで一纏めにし、昔ながらのメイド服に身を包んだ若い黒人女性だ。
彼女は名をメリアといい、バシュレー家に奉公する小間使いの一人である。
「レディの着替えを用意してあげて。濡れているようだし、このままでは風邪をひいてしまう」
「畏まりました」
メリアにウルガノの介抱を頼んだシャノンは、夜食の準備のため一人厨房へと向かっていった。
普段の食事は使用人達に任せているのだが、ミリィが訪ねて来た時だけは、特別に彼自身が腕を振るう決まりなのだ。
「ではミレイシャ様、お連れの皆様方。例の部屋にてお待ちください。
直ちにそちら様の着替えを持って参りますので」
「ああ。ありがとうメリア。
……そういえば髪、伸ばしてるのかい?」
「髪ですか?いいえ、特にそのようなことはございませんが……」
「そう?でも君の髪は綺麗だし、ロングもなかなかいいね。似合ってるよ」
メイドのメリアとも顔馴染みであるミリィは、久しぶりに会った彼女の新しいヘアスタイルを褒めた。
メリアのように見知った女性と顔を合わせる時には、挨拶代わりに必ず相手の何がしかを褒めてやる。
それが、フェミニストのミリィにとっては常識なのである。
「まあ、ありがとうございます。相変わらずお優しいんですのね」
嬉しそうにはにかみながら、メリアは持ち場に引き返していった。
ミリィはヴァン達を引き連れて階段を上り始めた。
「ほんと、君ってすごいよね」
二歩前を行くミリィの背中を見上げながら、トーリは独り言のように呟いた。
ミリィは一瞬だけ後ろを見遣ると、何てことはなさそうに返事をした。
「なにが?」
「あんな風にさらっと女性を褒めたり。僕には到底出来ないよ……」
「出来ないことはないさ。人それぞれ、そういうのに慣れているか、いないかってだけ。
女は世界共通の宝だ。大事にしてやるのは当然のことだし、美しい人を見れば自然と言葉が湧いてくるもの。
トーリもそのうち、いつの間にか出来るようになってるよ。がんば」
女性がどうというより、単純に人とのコミュニケーションが苦手なトーリにとって、ミリィの社交的で明るいキャラクターは時に羨ましいものであった。
頭でっかちで生真面目な自分にも、ミリィのような柔軟さがもう少しでもあればと。
密かにコンプレックスに沈むトーリの後ろでは、ヴァンが人知れず屋敷の広さに感動していた。
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ヴァンが部屋のベッドにウルガノを寝かせると、すぐにメリアが必要の物を持ってやって来た。
清潔なタオルを数枚と、客人用の黒いパジャマを一式。
それらを纏めてサイドテーブルに置き、横たわるウルガノの首に触れたメリアは、起こさないよう彼女の体温を測った。
「さほど冷えてはいませんね。入浴はお目覚めになられてからでいいでしょう。
では、今から私めが、こちら様の着衣を整えさせて頂きますので。それが済むまで、殿方の皆様は暫くご退室願えますか?」
仕事に取り掛かろうとメリアが腕捲りをすると、ミリィがニヤついた顔で剽軽に挙手をした。
「一人で大丈夫?あ、オレも手伝おっか!」
「いけません。ここより先は男子禁制です。
さあさあ!後のことは私に任せて!」
ミリィのおふざけをぴしゃりと却下したメリアは、ぐいぐいと背中を押しやる形で男性陣を部屋から閉め出してしまった。
仕方なく外で待つことにした男性陣は、まるで粗相をした学生のように廊下に立ち並んだ。
「ふ。こうしてると、悪餓鬼だった当時を思い出すな。
女の人に怒られんのは、幾つになっても良いもんだ」
叱られた直後であるにも関わらず、ミリィだけは何故か嬉しそうな顔をしていた。
そんなミリィの横顔を、隣に並ぶトーリは不思議そうに見詰めた。
「なんていうか、君に会ってからは驚きの連続だよ。ずっと」
「ん?なにが?」
「君自身にもよくハッとさせられるけど、さっきの彼についてもそうだ。
二人が幼馴染みだって聞かされた時から、なんとなく分かっていたこととはいえ。にしても、あんなに若いとは思わなかった。
いくつなの?彼」
「ああ、シュイのことか。確かに若いよな。
今は20歳だよ。あと二月で21になる」
「えっ……。ミリィより年下なの?」
「おう。落ち着いた雰囲気だから、もっと上に見られることのが多いらしいけど。
プリムローズの主席になったのだって、つい最近の───」
トーリの質問に答えながら、ミリィがシャノンの経歴について説明しようとした時だった。
二人の会話を遮るようにして、部屋の中から突然大きな物音とメリアの叫び声が聞こえてきた。
はっと口を閉ざしたミリィとトーリは、一瞬顔を見合わせてから、入室の許可を得るまでもなく急いで扉を開けた。
そこには、腰を抜かして地べたに座り込んだメリアと、部屋の隅からじっとこちらを睨み付けるウルガノの姿があった。
ウルガノの手には花を活けるための大きな鋏が握られており、青白い月明かりが刃に映し出されている。
この短い間に何があったのかは分からないが、すっかり覚醒したらしいウルガノからは警戒心が漏れ出ていた。
暗がりに潜む彼女の瞳は、瞬きすら許さないほどの獰猛な光を湛えている。
しかし警戒している割には落ち着いた様子で、ウルガノ自ら攻撃してくる気配は感じられなかった。
へたり込むメリアをよく見てみると、彼女もまた酷く怯えているようだったが、手をかけられた形跡は認められなかった。
幸い、怪我人はゼロ。
ウルガノの目覚めが思いの外早かったことで予定は狂ってしまったが、こんな展開も想定の範囲内だった。
「はじめまして。オレの名前はミレイシャ・コールマン。
こちらの彼女はメリア。この屋敷の、ただのメイドだ」
ミリィはゆっくり両手を挙げて敵意がないことを示すと、冷静なトーンでウルガノに語りかけた。
「君の言いたいことは分かる。何故ここにいて、自分の身になにが起きたのか。ちゃんと説明するよ。
……だから、その前にそれ。下ろしてくれないかな。
オレ達は君の敵じゃない。君を保護して、この屋敷まで運んだ。君の味方だ。
信じられないというなら、今からそれを証明する。
オレの話、聞いてくれるか?」
ウルガノはミリィの全身を見遣って少し考えてから、静かに頷いて鋏を手放した。
張り詰めていた空気がようやく和らぎ、ミリィとメリアはほっと安堵の溜め息をついた。
「終わったかい……?」
外で大人しくしていたヴァンとトーリは、騒ぎが収まったのを見計らって恐る恐る室内に顔を出した。
ミリィは短く天井を仰ぐと、微かに上擦った声で一言返した。
「今日一日で大分寿命が縮まった気がするよ」
ミレイシャ・コールマン。22歳。
彼はいつも飄々としていて、一見脳天気そうに見える男だが、ここぞという時には必ず決めてみせる。
見掛けの割に肝の据わった青年なのである。
そんなミリィの姿を見て、ウルガノは密かにこう思った。
彼は自分と似たものを秘めている気がする、と。
『A lost child.』




