第7話 家族
明けて翌日の午後、学校から帰宅したあかりが、だらしなくソファーで寝転んでいた。
「あー、もう! 疲れたぁ! て、言うか噂広まるの早すぎ! もう、何で皆こう言うの好きなのかなー!」
どうやら、昨日の事を学校の誰かに見られていたのだろうか。登校してすぐ、学友や延いては教師に至るまで、事の真実を問おうと押し寄せてきたらしい。お陰で、授業以外の自由時間を奪われ、休む暇も無く、やっとの思いで帰宅したそうだ。
まぁ、あれだけ騒ぎになれば、知り合いに知られたりするのは訳ないのだろうが、しかし、この国の人間は、こと事件や騒動に対して、どうも興味意欲が強すぎる気がする。
ともあれ、安息の地に戻って来れた安心感か、彼女は服装の乱れも気にせず、仰向けで横になっている。
しかし、隣で本を読む俺の事も考えてほしいものだ。正直目のやり場に困る。
「あ、そうだ。お母さん、お父さんって、何時に帰ってくるって?」
あかりは、台所で夕食の支度をする明日美さんに問う。
そう言えば、昨日の事件の事ですっかり忘れていたが、あかりの父である樹希さんが今日、仕事から帰って来るのだった。
明日美さんは「そうねー」と、一旦手を止め、壁に掛けられた時計を見た後、笑顔でこう答えた。
「分からないわー」
おいおい。俺は思わず心中でそうツッコんだ。
「でも、今日の晩には帰ってくるのは確かよ。あの人、何時も適当だけど、決めた事はちゃんとする人だから」
さて、と、明日美さんは一言区切り、器用に手にしたお玉を回した後、俺達に向けて言った。
「あなた達、だらけてないで、お父さんを迎える準備を手伝いなさい」
こうして俺とあかりは、父、樹希さんの帰宅を祝うべく、準備に取り掛かるのだった。
俺は風呂場の掃除を頼まれ、あかりは居間の飾り付けを担当。装飾品は昨日、百貨店で購入した物で、その他にも様々なパーティーグッズが揃えられていた。
彼女は鼻歌交じりに作業に取り掛かり、俺も与えられた装備を身に着け、浴室へと向かった。
勇者はゴムの手袋・ゴムの長靴・マスク・スポンジ・風呂場用洗剤を装備した。
「いざ! 参る!」
俺は気合いを入れ、手にした武器を手に、敵へと立ち向かった。
「あんた、バカ?」
飾り付けが終わったのか、様子を見に来たあかりは、俺が未だ取れない汚れを懸命に磨いている所を見てそう言い放つ。
掃除の進捗状況は、目に見えて終わっていなかった。
「バカとは何だ! この汚れがなかなか落ちないんだよ!」
浴場のタイルを指さし反論するが、彼女が腕時計を見せて無言で問う。
時計の針は、開始した時間から一時間以上も進んでいた。
「浴槽はある程度終わってるんでしょ? じゃあ、洗剤落とすからそこどいて」
あかりはシャワーを手に取り、思いっきりレバーを捻る。咄嗟の事に、俺は飛び出したお湯を避ける事が出来ず、全身に浴びる事となった。
お陰で服はびしょ濡れになり、このまま身体を冷やして風邪を引くのも嫌なので、まだ見ぬ樹希さんには悪いが、一番風呂を浴びる事になった。
暫くして、明日美さんの支度も終わり、後は夫の帰りを待つまでとなった……が、何時まで経っても帰って来る気配がしない。
「遅いわねー」
明日美さんは首を傾げてそう呟く。時刻は夜の八時を優に過ぎて九時に差し掛かろうとしていた。既に夕食時ではない。
食卓には、腕に縒りを掛けたのか、色鮮やかな料理が並んでいた。
俺とあかりは、押し寄せる空腹感を我慢するが、そろそろ限界が近い。
明日美さんは「仕方ないわね」と、冷めた料理を温め直そうと立ち上がった。その時――
「ただいまー! お父さん、今帰ったよー!」
玄関が開き、男性の声が響き渡る。
「ごめんごめん。車が混んでて帰りが遅くなったよ」
電話越しで聞いた声だ。
俺は居間に差し掛かる人物を見て、改めて感じた事を思う。とても柔和な方だと。
「ただいま。明日美さん、あかり」
目の前には、眼鏡をかけた痩身の男性が、笑顔で妻や娘に帰宅を喜ばれて、抱き締められる姿がそこにあった。
ふと、俺の存在に気付き、彼は言った。
「初めまして、ライト君。君の事は妻から聞いてるよ」
それが、樹希さんとの初めての出会いだった。
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樹希さんが帰宅し、藤林家は遅めの夕食とる。
あかりは父の帰りが余程嬉しいのか、終始べったりだ。明日美さんも嬉しそうに、夫の話す土産話に笑顔が絶えない。
とても賑やかな夕食だ。
(家族……か)
俺は、そんなあかり達を見て、不意に羨ましくなった。
もし、勇者として生を受けず、普通の家庭に生まれていたら、こんな暖かな生活をする事が出来たのだろうかと考えてしまったのだ。
そう考えると、急に寂しくなった。
暫くして食事も終わり、俺は後片付けの手伝いをしていると、樹希さんに声を掛けられた。
奥で話がしたいという事だそうで、彼の案内で書斎へと向かう。
彼は適当に座ってと促し、俺は近くにあった椅子に腰掛けた。
「話は明日美さんから伺ってるよ」
神妙な雰囲気が辺りを漂う。彼が真っすぐ俺を見詰める。
明日美さんから、どの程度話を聞かされているのかは分からないが、突然我が家に謎の居候と聞かされれば、当然この様な事態になるだろうと俺も想定していた。
だが、その重苦しい空気は見事に霧散する。
「君、異世界人なんだってね!」
樹希さんは喜々とした笑顔へと変え、俺の手を取ってぶんぶんと振る。彼の豹変ぶりに思わず思考が停止する。
「いやぁ、生まれてこの方世界の神秘を追い求めたが、まさか目の前にその体現者が現れるとは! あぁ、君はどういった世界に住んでいて、どんな生活をしていたのか詳しく教えてほしい!」
どうやら、以前の電話の際に、明日美さんから包み隠さず聞かされたそうで、俺の事に凄く興味を持ったらしい。
因みに彼、藤林樹希は、考古学者を生業としている様で、こういった非科学分野にも興味を示す異端児として、結構有名だったりするそうだ。(本人談)
そう言った事から、こうした摩訶不思議な話には目が無いそうで、明日美さんから聞いた時、是非とも会いたいと息巻いていたそうだ。
「く、詳しく話すと長くなりますが……」
「構わないよ! 寧ろどんと来いだ!」
興奮してか、鼻息が荒く目が怖い。
ともあれ、俺は彼の様々な質問に答える形で、自分が居た世界の事や、自身がこの世界に来た経緯等を話した。
「成程成程! 実に興味深い話を聞けたよ!」
「それは、良かったです」
俺は苦笑いを浮かべ、やっとの事で終わった質問攻めに、安堵のため息を吐く。
「ヴァーリ・スーアだっけ? その世界にとても興味をそそられるよ。中でも特に驚いたのは、実演してくれた魔力という技術!」
そう言えば、手っ取り早く自分が異世界人という証明として、手に魔力を込めて放ち、座っていた椅子を破砕したっけ。一応許可は取ったので実演したが、こうも関心に触れるとは思わなかった。
他に何が出来る? 原理は? と聞かれ、その話題だけでも小一時間は掛かった。
「しかし惜しいな。君の世界だからこそ出来る技術か。あ、でもそのマナを摂取する食品を食べれば――」
「高熱出してぶっ倒れるので止めといた方が良いです」
俺はバッサリと却下した。それはあかりで実証済みである。
樹希さんは酷く残念そうに落ち込むが、第二の被害者が出るのは避けたいので、此処はちゃんと断っておく。
そして、彼はある程度知りたい内容が聞けたのか、話の最中に取っていたメモを閉じ、満足そうに頷いた後、姿勢を改め真剣な面持ちで俺を見据える。
「さて、話が変わるのだけど、今後君はどうするつもりだい?」
やはり、その話題が来るか。
一番気にしていた事だけに、何時か問われるのだろうと覚悟していた。
俺は苦い顔を浮かべ、「わからない」と答えた。
あれから元の世界に帰る方法を調べてみたがその成果は得られず、このまま藤林家でお世話になるのも申し訳ないので、独りで生きる為の知識として、この世界の事を学んでみたが……その結果は酷く残酷なものだった。
「だろうね。僕からしても、君が独りこの世界で生きていくのは難しい。特にこの国は色々と厳しいからね。君みたいな身元不明者なら尚更だ」
この世界、特に日本において、自身の所在や身分を証明する物が無いと、多大な不利益が生じるそうだ。
詳しい事は割愛するが、簡単に言えばあらゆる手続きに必要だったり生活の諸々に影響を及ぼしたりするのだ。俺はそのどちらも有していない。中にはそういう人間も居る訳だが、このまま独りで生きるとすれば、何時か限界が訪れるのは目に見えていた。だが、だからと言ってこのまま居続ける訳にもいかない。何れは出ていかなければいけないのだ。
しかし、樹希さんはと言うと……
「いいよ? このまま此処に住んでも」
と、軽い感じで滞在を許す。
非常にありがたい事だが、流石に軽すぎる。
「妻は君の事をまるで息子の様に思ってるみたいだし、娘は君に心を許してるようだしね。それに、君はとても素直でいい子だ。なら、断る理由なんて無いよ」
それでも、と、俺は言葉を紡ごうとしたが、樹希さんは手で発言を制し、「そこで僕からの提案なんだけど」と、微笑を浮かべこう言った。
「君さえ良ければ、僕達の家族にならないか?」