第15話 彼女を追って……(2)
不意に、私はある事に気付く。
「あれ? 一年前って言ってましたけど、ライトが地球に来たのは三ヵ月程前ですよ?」
そうだ、ガルオゥムの言では一年前と言うが、私が初めてライトと出会ったのは三ヵ月前、去年の十月中頃だった。半年以上の開きがあるのはどういう事だろうか?
「ふむ。どうやら門の……否、世界の繋がりが不安定なのじゃろうな。そのせいか、時間軸にもズレが生じたのじゃろう」
成程、と私は頷き納得する。
彼は「あくまで仮説じゃがな」と口角を上げ、再び私の頭を撫でた。
「あの、その……」
彼に頭を撫でられ、私は赤面する。
まるで子供扱いだ。まぁ、彼からすれば確かに子供だが、流石にこの歳では恥ずかしい。
「おっと、すまんすまん。つい癖での」
彼は手を引っ込め、申し訳ないと苦笑を浮かべる。
「昔から村で、子供達に勉学を教えておったからのう。旅を終えてからは、色々と事態の収拾で忙しかったが……、どうも未だに抜けんわい。そうそう、ライトも昔はこうしてやってたなぁ」
「ライトも?」
「そりゃあもう、あ奴が乳飲み子の頃から面倒を見ておったからのう。昔から良く頭を撫でてたわい。今じゃと、恥ずかしいから止めろと、嫌がるじゃろうがな」
何となく、ライトが頭を撫でられる姿を想像して、私は思わず吹き出した。
彼には申し訳ないが、ちょっと可愛いと思ってしまった。
かっかっかと、何とも楽しそうに大口を開ける彼に、私はふつふつと湧き上がる好奇心に押される形で、ライトの過去話を訊ねてみた。
彼は二つ返事で応え、幼い頃の話や過去の失敗談等、様々な事柄を話してくれた。
村に住む幼馴染にちょっかいをしたら、顔が腫れ上がる程のビンタを貰って泣いた事や、彼が大事にしている薬品に手を出し、割ってしまった話等を語った。
時には、旅先での辛い話が出たりと、様々な話題を聞かせて貰い、彼の人となりが、また一つ知れて嬉しくなった。
そして、今彼が何処で何をしているのかが心配になった。
彼はこの世界で一人だ。無論、私やお母さんが居なければ、今の今まで満足して過ごせなかっただろう。
この世界に来て、どう思っただろうか? そればかりは、三ヵ月前と変わらず私を悩ませた。
そして、どう言う訳か、彼は私達から姿を消した。
理由は分からない。だからこそ、心配で仕方がない。
「せっかく、ガルオゥムさんが来てくれてるのに、あいつは何処ほっつき歩いてんのよ!」
未だ行方の知らない彼に対し、私は怒に任せて天に吠えた。
その時だった。
「嬢ちゃん! 伏せるんじゃ!」
唐突に、ガルオゥムが私を押し倒し、身を伏せる。
伏せたと同時に、何かが頭上を掠めた。
彼のかぶる三角帽が、ズタズタに切り裂かれ宙を舞う。
一瞬の出来事に理解が追い付かなかった。
ただ、視界の端に、何か黒い物体が通り過ぎるのを捉える。
獣の様な、それでいて人の様な……
「グゥ……ガァ……」
ズンと重く唸る様な声が響く。
私は視線だけを声の方へ向けた。
そこには、私を襲った怪物が、魔族が……目の前に居た。
「ガァアアアアアアアアアアアアア!」
けたたましい程の叫びを上げ、全身からは得体のしれない何かが噴き出している。
初めて見た時の印象もそうだったが、それよりも更に恐ろしく思えた。
身を屈める動作をする魔族は、次には一瞬で此方へと飛び掛かってきている。
すかさずガルオゥムは飛び起き、杖を翳して地面へと叩き付けた。光の奔流が吹き出し、周囲を囲む。
乱暴に振るわれた爪は、私達を包む光に阻まれ弾かれた。
不意に、またしても脳裏にノイズめいた何かが浮かぶ。
(あれ? 前にも同じ様な物を見た気がする……)
そう言えば、魔族に襲われた時も、見覚えがあった。
今見てる光景や、魔族に殺されかけた時も、決まってノイズまみれの映像が頭に思い浮かんだのだ。
(一体これは……)
降って湧いた疑問に困惑するが、今はそれ所ではない。
私は意識を前方へと向けた。
「ぬかったわい。長話が過ぎたのう」
ガルオゥムは額に汗を滲ませ、衝撃に耐える。
魔族の攻撃は尚も続く。
「嘘!? 逃げ切った筈じゃ?」
「恐らく転移先の魔力、その残滓を感知されたのじゃろう。迂闊じゃったわい。魔力を切らしておると踏んでおったが、逆に奴の感度を上げてしまっておったか!」
ごうごうと、黒く靄の様な煙が立ち上る。
一体あれは何なのだろうか? 最初に襲われた時には、あの様なものは出ていなかった筈だが……
「成程のう、限界が近いか。これは参った。嬢ちゃん、儂から離れるんでないぞ?」
「う、うん。それより、あの黒いのは何?」
「アレは瘴気じゃ。魔族の体組織を構成する一部じゃ」
瘴気と言われた煙は、霧の様に辺りに広がり拡大していき、私達を守る障壁を包む。
接触し、触れた箇所が激しく光る。
「ぬお!? こりゃいかん!?」
バリバリバリと、激しい音を立て、障壁を蝕んでいく。
剥げ落ちる様に、光が徐々に薄くなっていく。
「ええい! 嬢ちゃん、掴まれぃ!」
言われるままに私は彼の手を取る。次の瞬間、障壁が弾け飛んだ。
立ち込める瘴気が、衝撃によって押し出される。しかし晴れる事はない。押し返しただけだ。だが、僅かながら隙間は開いた。
ガルオゥムが私を抱え、その隙間を縫う様に跳ぶ。
「きゃぁああああああああああ!?」
突然の加速に耐えられず、悲鳴を上げる。
一体時速何キロだろうか。下手なジェットコースターより怖い。
だが、魔族は私達を逃がさないつもりだ。
発達した足が膨張し、地面を抉る程の勢いで自身の巨体を押し上げる。砲弾の如く、真っすぐに此方へと突進してくる。
「ふんっ!」
気合い一閃。
ガルオゥムは杖を構え、虚空へと縦一文字に振るう。
杖の先は淡く光り、振るわれた軌跡から、光の刃が飛び出した。
ザンッ! と、魔族へと直撃したのは放たれてすぐだった。
光刃を受け、勢いを失った魔族は、そのまま地表へと叩き付けられる。
だが、
「浅かったか……」
魔族の体には掠り傷程度しか付いていない。
どうやら、魔族から溢れる瘴気が鎧となって、彼の斬撃を防いだようだ。
「暴走しとる瘴気が、偶然にも障壁の役割を成したか。こりゃまずいのう」
「暴走!? どう言う事!?」
「魔族は魔力をもって体内の瘴気を制御しておる。じゃが、その魔力が枯渇して、内包しておる瘴気を維持できなくなっておるのじゃろう」
魔族は此方を睨みつつ、もう一度飛び掛かろうと身構える。
ガルオゥムは、そのままの速度を維持しつつ、上空を旋回する。
「何だか、苦しそう……」
魔族が時折呻く姿を見て、私はそう思った。
時には辺りに爪を振り被り、爪痕を刻んでいく姿が、何とも痛々しく思えた。
「それもそうじゃろう。魔族にとって瘴気は体の一部じゃが、毒でもあるからのう。それを抑えていた魔力が喪失しておるのじゃ。いわば、せき止めていた川が溢れた状態じゃ。相当な苦痛を感じておろう」
だが、と彼は一言区切り、「アレが一番危険なのじゃ」と語る。
不意に、一瞬の浮遊感を覚えた。
「しまった!?」
彼がそう言葉を発した時には、私達は地面へと向かって急降下する。
墜落の寸前に、彼は光刃を放った時と同様に、淡い光を地面へと放ち、衝撃を和らげる。しかし、勢いは殺しきれず、私達は放り出される様にゴロゴロと転がった。
「ぬう、大丈夫か?」
「私は平気……。でも……急にどうして?」
特に何かをされた訳ではない。魔族は未だその場から動いていない。
では一体どうしてと、摩訶不思議な状況に困惑の色を示す。
「瘴気の特性でのう。瘴気は魔力を奪う。恐らく飛行魔法に干渉され、術が消されたようじゃ」
「それじゃ……うっ、ごほっごほっ」
不意に、気分が悪くなる。呼吸もし辛い。胸が重い。
「いかん、瘴気を吸うでない! ええい!」
ガルオゥムは咄嗟に、何層もの光の幕を周囲に張り巡らせる。
瘴気は阻まれ、それ以上の侵攻を防ぐ。だが、先程の障壁同様、瘴気は光の幕を蝕み、その効力を消していく。
苦しみ身悶える魔族は、忌々しそうに此方を睨む。そして、足取り重く私達の下へと歩み出す。
巨体に連なる腕を振り上げ、今すぐにでも私達の首を刈り取ろうと、鋭く研ぎ澄まされた爪が、月夜に照らされ輝く。
万事休す。
もう助からない。私はそう思った。
「ごめん、ライト……」
頭に思い描かれるイメージが、私の心中を黒く塗り潰していく。
絶望。ただその一言が私を押し殺してくる。
終わった。もうお終いだ。死ぬんだ。
だからせめて一言だけでも、彼に言いたい。
「さよなら……」
別れの言葉。
何処か浮世離れした……それでいて、笑うと可愛らしい表情を浮かべる彼に。
「あかりぃいいいいいいいいいいいいいいいい!」
そして、聞こえた――
此処まで読んで下さり感謝感激です!
矢鳴です!
特に何かを書くつもりはありません。とにかく続きを書きたい。
と言う訳で、次の更新は3月12日を予定しております♪