第14話 彼女を追って……(1)
明け方の時刻とはいえ、町は未だ眠り明けぬ常闇の空の下。
静けさが支配し、アスファルトの大地には人の影は無い。
その中を、俺はひた走っていた。
知りうるこの町の広さは、それほど大きくはないし、都会と言える程、ごちゃごちゃとした建物は少ない。コンビニ等片手で数える程度で、田舎……とまで言わないが、目立つ様な物など無い、ありふれた街並みしかない。唯一目立つ物と言えば、町を上下に割く様に敷かれた、高架上の線路位か。
俺が追い掛ける魔族は、この町から離れていない。
前を走るゴローの鼻は、尚も魔族の匂いを捉えている。
幸い、魔族はこの町から離れていない。そこを中心に、四方八方と移動しているようだ。
だが、未だ俺は魔族と遭遇できていない。
相手は、恐ろしく早い速度で移動しているようだ。
何かを追い掛けているような感じさえ見受ける、と言うのがゴローの言だ。俺もそう思う。
手に握りしめた、彼女が好んで羽織るコートの切れ端を見て、焦る気持ちをぐっと堪えた。
瓦礫の山には彼女の姿は無かった。
血の跡も無く、あるのは魔族の爪痕と手に握る布切れだけ。
恐らく彼女は生きていると、ゴローは周辺を嗅いで知らせる。また、妙な匂いの痕跡も感じたとも。
彼の見解は、第三者による介入によって、難を逃れたのではないか、と語る。
生きている。
俺は少しだけ安堵した。だが半面、焦りも生まれた。
今現在の魔族の動きは、第三者の介入も相まって、標的が其方に向いたのではないかと考える。
魔力の枯渇の影響で、理性の殆どを失ってる可能性が高い。
負わせた傷により、駆り立てられた生存本能も重なり、非常に危うい状態だろう。そんな状態で目の前に、彼女……あかりという獲物が現れ、逃げたとなれば、追って仕留めに掛かるだろう。まさに飢えた獣の如く。
「問題はどうやって奴を見付けるか……だな」
あまり広くはない町とはいえ、人間一人が走り回るには、十分過酷な広さがある。
大通りを挟んで、四方の道は割と入り組んでおり複雑だ。幾らこの土地に慣れたとはいえ、完全には把握しきれていない。
この世界に来てから、散策等続けていたが、朝と夜との違いだけでも、その様相は大きく変わって見えた。
実際何事も無く、一人で歩いていたら、間違いなく迷う自信はある。
『先回りをしようにも、速さが違いすぎる。今の我々では追い付く事も難しい』
「おまけに行動の予測も出来ない。まるで迷子の猫でも探している気分だ」
『ならば、我らは犬のお巡りさんといった所か』
思わず俺はギョッとした。
振った自分も自分だが、まさか彼が、自身を掛けたジョークで返すとは思いもよらなかった。
「あんた、良いセンスしてんな」
『それほどでもない。ふざけてる場合ではないがな』
「それもそうだな」
確かに、今は一刻を争う。
だが、これと言って良い案が浮かばない。
どうしたものかと考える中、彼は口を開き、『ならば、魔族ではなく、その貴殿の〝家族〟とやらを追うのが得策か』と漏らす。
それは妙案だった。
よくよく考えれば、魔族の狙いは少なくともあかりだ。第三者とも考えられるが、一番狙いやすいという存在で言えば、間違いなく彼女だろう。
今も魔族が駆け回っている所を見れば、まだ彼女が生きている事が伺える。ならば、先に彼女の下へ行けば、自ずと遭遇する事が出来るだろう。
「OK、それで行こう」
俺は彼の提案に乗り、早速彼女を探しに再び夜の町を駆けた。
だが、まさかの誤算が起きた。
あかりを探しに向かう俺達の前に、奴は居た。
路地へと入り、駆け抜ける最中、上空から奴は降りて来た。
降りて、地上に着地した後、周りを見渡して何かを探る。
あかりか、はたまた第三者を追ってか、手当たり次第に探しているのだろう。そして、俺達に気付く。
奴も奴で、此方の事は降りてくるまで気付いていなかった様子だ。
グルルと唸り声を漏らし、血走った眼が俺達を睨みつける。
誤算と言えば誤算だが、正直な話嬉しい誤算だ。
魔族。俺が探していた標的が、目の前に居る。
俺は臨戦態勢を取り、相手の出方を伺った。
魔族は此方を睨んだまま動かない。いや、少し様子が変だった。
魔族の瞳は、焦点が定まっていないのか、忙しなくぶれている。また、時折頭を抱え、身悶える姿さえ見せる。
恐らく魔力を失い、自制が利かなくなったのだろう。
これなら、すぐにでも片が付きそうだ。そう思い、俺は拳に意識を集中させた。だが……
(やべぇ!? そう言えば俺も魔力が無ぇ!?)
魔族を追っている最中、己の魔力切れの事は、あかりの事で頭がいっぱいになり、今の今まで忘れてしまっていた。
この瞬間に思い出したのは正直痛い。しかし、相手も同様だ。何かしらやり様がある筈だ。
俺は辺りを見渡し、何か武器になる物はと探す。だが、周りには武器になるような物はない。
周囲を見渡せば、立ち並ぶ民家や駐車場を囲う壁位で、そう都合良く何かが落ちている事はなかった。
そうこうしている内に、魔族が動きだす。
魔族の体から、黒い靄のような煙が立ち上った。
まるで狼煙の様に揺れるそれを見て、俺は一歩後退る。
ゴローに至っては、地面に擦りつける様に顔を伏せ、前足で鼻を押さえる。
瘴気。それは魔族が魔族足らしめる物。
広大なマナの恵みに包まれた大地から、澱みとして生まれる異物。そこから生まれ出でた存在は、同じくその異物に寄って構成される。
一言で言うなら、毒。この一言が妥当だろう。
彼等魔族は、瘴気によって生まれた存在と言える。それが、奴の体から噴き出していた。
危険だ。俺はそう判断し身構える。
手持ちの武器は、最初に相対した時に失った。魔力も無い。では逃げるべきか。いや、それも危険だ。背後は見せられない。見せた瞬間に殺される。
額に嫌な汗が伝う。
だが、次の瞬間、魔族は意外な行動に出た。
「なっ!?」
驚きで不覚にも、身動きが遅れてしまった。
何故なら……
魔族は此方に背を向け、走り去っていく。
一瞬の唖然の後、俺は我に返り追い掛ける。しかし、その一瞬で、魔族の姿は豆粒程の大きさに見える位まで離れていく。
しまった。そう悔み、俺は再びの逃走を許してしまった。