第10話 対話
俺は目の前で、魔王と名乗る少女を見上げていた。
正直見たくも無いパンツの柄を見せられる気分を分かって欲しい。
俺はそんな興味や趣味は無い。と言うか嬉しくない。
しかし当の本人は、そんな事にも気付かず、腰まである長い紫の髪をかき上げ、踏ん反り返っている。
ツッコミたい。しかしそれはそれで色々危ない。いやいや、そもそも何故この様な事態になっているのか知りたい。
目の前の、色白の肌をした、大体十から十二歳位かの眼鏡をかけた幼女に、俺は何て質問をすれば良いのだろうか?
しかし、当の本人はと言うと……
「ふふふのふ~。どうやら驚きの余り声も出せぬか~」
今の状況をある意味で理解していない様子だ。
これはこれで反応に困るシチュエーションだ。
しかし魔王だって? 冗談にしては出来過ぎた内容だった。
「魔王? 俺が胸を刺し貫いた奴が、こんな小さい奴、と言うか、女だったとは思わなかった」
等と冗談めかしく言うものの、少女はやれやれと肩をすくめて笑みを浮かべる。
「確かにあれは痛かった。乙女に無作法にも太いアレで貫かれるなぞと。もう、お嫁には行けないのう」
「色々と誤解を招く言い方は止めろ!」
何と言うか、凄くやり辛い。
彼女が頬を赤らめて言う姿が、余計に腹立たしく感じた。
「すまぬな。流石に悪戯が過ぎたか。ともあれ、お互いこの世界でも苦労しているようじゃのう」
彼女はその場に座り直し、傍に置いていた湯呑に手を伸ばし、ずずずと啜りだした。
何とも緊張感の無い雰囲気に、俺は呆れて何も言えなくなった。
少女はクスクスと笑みを浮かべ、手にした湯呑を盆の上に置く。
「しかし、大分手酷くやられたようじゃな。大方虚を突かれ、反撃を貰った挙句に逃げられた……て所じゃろうな」
「随分詳しいな。見てたのか?」
「貴様の怪我の具合や、顔や衣服の血の付き方を見れば、容易に推測できる」
「そうかよ。で、これは一体どういう事だ? それに此処は何処だ? そもそもお前が魔王だと? 仮にそうなら、何故生きてやがる?」
「そう答えを急かすな。それに傷に響くぞ」
彼女が身を乗り出し、俺の腹部へと手を置くと、そのまま体重を加えてきた。
激痛が奔り、俺は呻き声を上げてもがく。
「ほらのぅ」
「ほら、じゃねぇ! 退きやがれ!」
俺は無理やり少女を押し退ける。
彼女は「きゃっ」と、わざとらしい声を上げ、ズレた眼鏡を直しつつ悪戯っぽく笑う。
「その様子じゃと、体力はある程度回復したみたいじゃな」
押し退けた勢いで起き上がった俺は、多少の痛みがあるものの、身体が動く事を理解する。
また、自身を良く見ると、上半身裸の上、身体中には包帯が巻かれていた。
「問一の答えは、助けたのは我ではない。この家の主じゃ。わしは成り行き上、貴様の様子を見ていただけじゃ」
「そうかよ。じゃあお前に礼をする必要は無いな」
「そうじゃな。貴様に言われたら、鳥肌が立ちそうじゃ」
俺はガリガリと頭を掻き毟り腰を下ろす。
幾つかの疑問を投げかけ、少女はケラケラと笑い声を上げながら答える。
「そうじゃな。我もあの時、確かに死んだと思ったのじゃが……どうやらしぶとく生き延びたようじゃ。それにほれ見ろ。貴様に斬られた腕の傷! 治ったから良いものの、跡が残ってしまったではないか」
少女は右腕を見せ、「どうしてくれる?」とわざとらしく問い詰める。
腕には、俺が斬り付けたであろう傷痕が、確りと刻まれていた。
「一生消えぬ傷を付けられては、もう責任を取って貰うしかないのう」
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
俺は思わず怒声を上げる。
まともに取り合う気が無いのか、煙に巻く態度に苛立ちが募る。
少女は、少々遊びが過ぎたという反応を見せ、一つ溜め息吐いた後、口を開く。
「貴様と境遇は似たり寄ったりじゃろう。死闘を演じ、魔王城が崩壊した後、我もあの闇に飲まれてな。気付けばこの世界に放り出され、今はこの家の主に拾われた身じゃ」
淡々と語り出した彼女の表情は、先程とは打って変わった、真剣な面持ちだった。
「これが二つ目の解答じゃ」
「そうなると、俺はお前を仕留め切れなかった訳か。皮肉にもお互いこの日本で再会するなんて、冗談みたいな話だ」
俺は苦笑を浮かべ頭を抱える。
倒した筈の魔王が生きていて、しかもそいつに介抱されるとは、冗談にしても最悪だ。
しかも、まさか魔王が女だったと? 悪夢かこれは。
信じがたい事柄が、余計俺を混乱させる。
「随分大きな声が聞こえたが、どうやら目覚めたようだね」
不意に声が聞こえ、襖が開く。
そこには初老の男性が、お盆を持って入って来た。
ふと彼が、少女の存在に気付く。
「これ、理恵ちゃん? 何をやっているんだい? 彼は私が看ておくから早く寝なさいと言ったじゃろ?」
「ごめんなさい、お祖父ちゃん」
(おじいちゃん? いや、確かにおじいさんだな)
「ん? どうかしたかな? あぁ、そうそう。自己紹介がまだだったね。初めまして。私は佐藤創と申します。そして、この子は私の孫娘の……」
「佐藤理恵と言います。よろしくね、お兄ちゃん」
思考が真っ白になった。
(魔王が孫? パードゥン? ワンモアプリーズ!?)
ただでさえ、今の状況に付いて行くのがやっとなのに、更に難解な事態が俺に圧し掛かる。
「お祖父ちゃん、何だかお兄ちゃんの様子が変だよ?」
「そりゃぁ、知らない人の家で目覚めたら、誰だって混乱するじゃろう」
等と、二人してあれやこれやと話合っている最中、俺はまるで、狐か狸に化かされた様な気分を抱き、そのまま布団へと身を預けたのだった。
「さて、ライト君。具合はどうかの?」
「え? あ……その、まぁ、多少痛む位で、それ以外は大丈夫ですが……」
創さんは、お盆に乗せた湯呑と急須を取り出しお茶を注ぐ。それを俺に手渡し飲むように促す。
「それは良かった。ささ、今日は冷えるからな。お茶でも飲んで温まりなさい」
俺は一言お礼を言うと、湯呑に口を付けた。
いいお茶なのだろう。凄く美味い。そして和む。
「しかし、家の前で君が倒れていたのには驚いた。うちのゴローが騒いで無ければ、今頃寒空の下だったろうな」
「ゴロー?」
「私が飼っている犬の名前じゃ。ゴローが珍しく吠えるもんじゃから、何事かと思って様子を見に外へ出て見れば、君が怪我をして倒れているのを見つけてな」
そして俺は、彼に介抱されたと言う事か。
だが、血だらけ(返り血)の俺を、特に怪しむ素振りも無く助けようなぞと、良く思ったものだ。
(見た感じ、普通の人なんだよな……。となると、まさか、魔王が暗示を?)
俺は、理恵と呼ばれた少女に視線を向ける。
彼女はと言うと、自分の湯呑に新しくお茶を注ぎ、呑気にも啜っていた。
少女は此方の視線に気付いたのか、一度ゆっくりと目を閉じ語る。
『安心せい。彼はただの一般人じゃ。我々とは無関係じゃし暗示も使っておらん。貴様を助けたのも、純粋な親切心じゃろう』
直接頭に響く声。これは概念通話魔法だ。
『お前、魔力が使えるのか? いや、それでもどうして?』
『さぁ? 生憎我も驚いておる。しかし、まさか家の前でぶっ倒れる勇者とは、ぷくく……ウケるのぅ』
頭の中で、人を馬鹿にする様な笑い声が響く。
無性に腹が立ったので、俺はわざとらしく身体を仰け反らせ、正座して座る彼女の足の裏に、握り拳を押し当てた。
以前テレビで、足ツボマッサージを受ける芸能人が痛がっているのを見た覚えがある。まさに、それと同じ反応を、彼女は見事に再現した。
ぎゃぁああああ! と、少女らしからぬ叫びを上げ、足を抱えてゴロゴロと畳の上を転がる。
「何をするだぁー貴様ぁ!」
「あ、ごめーん。気付かなかったなー」
俺はニヤリと笑みを浮かべ、憤慨する彼女を見やる。
創さんは、今にも飛び掛かろうとする彼女を止め、俺の傍から引き離す。
「普段は大人しい子なのじゃが、今日ははやけに元気じゃのう」
今のやり取りに気付かず、創さんは朗らかに笑う。
彼に抑えられ、ジタバタともがく彼女の姿が実に滑稽だった。
「さて、腹は減ってるかね? 良かったら何か作ってやろうかの」
「いや、そんな悪いですよ。介抱してくれた上に食事ま――」
突如、ぐぅぅうう! と盛大な音が俺の言葉を掻き消す。
誰もが音の鳴った方へと視線を向ける。
また一つ、大きな音が響いた。
「あ、えっと……お願いします」
俺は顔を赤くさせて俯く。
視線が集まった先は、まさにその発生源である俺のお腹だった。
その後すぐ、二人が盛大に笑ったのは言うまでも無かった。
食事を食べ終え、俺は食後のお茶をすする。
創さんは、食器を片付けに部屋を出ている。
魔王と名乗る少女、理恵はと言うと、未だ俺の近くで座っていた。
と、言うのも、食事中、彼女と概念通話をしながら、お互いの情報を交換し合っていたからだ。
「さて、お互い今の状況を整理すると、些か腑に落ちん事が多いのう」
創さんがこの場に居なくなったので、やっと喋れると、身体を解す様に伸びをする。
この世界で魔法を使用するのは負担が大きいらしく、結構な集中力を要するようで、彼女の額には、薄っすらと汗が滲み出ていた。
彼女から得た情報は、俺よりも一月前にこの世界に来た事と、魔力を失い、気付けば少女の姿になっていた事。また、自分以外に、魔族がこの世界に来ていた事は知らず、俺が戦った奴とは無関係だと言う。
因みに、何故この家で孫として過ごしているのかと訊くと、非常に困った仕草を見せ、「まぁ、色々あったのじゃ」と誤魔化された。
魔法が仕える様になったのは、俺同様に謎の小包が切っ掛けだった事だと語る。
突然彼女から、概念通話を送られた時は、何かしらの回復手段を持っていたのだろうと睨んでいたが、その答えが俺と同じ方法だったとは、驚かずにはいられなかった。
しかし、一体誰がどうして、魔王にまで魔力の回復手段を届けたのだろうか? そもそも、何の目的があって、この様な回りくどいやり方を取ったのだろうか?
「そもそも、これって俺達の動向を見られてるって事じゃないのか? こうして俺達が出会う事すら、そいつの仕組んだ事だとすれば辻褄が合う」
「つまり、貴様が相手した魔族はそいつの刺客だと? 貴様に手傷を負わせ、我の下まで誘導したと? 流石にそれは考え過ぎじゃろう」
理恵は俺の仮説をバッサリと切り捨てる。
「そもそも奴は、魔力の枯渇で理性が危うい状態だったのじゃろう? そこまで計画的な行動は取れぬと思うが……。そうで無ければ、奴が魔力を追う筈が無かろう」
「そうなのか? って、魔力?」
寝耳に水だった。
俺は同じ言葉を訊き返す。
「貴様、気付いて無かったのか? 貴様が戦ってる最中、此処より少し北東へ進んだ所で、魔力が発せられた事を」
知らなかった。むしろ、戦ってる最中で、そこまで意識する余裕も無かったのだが。
「つまりアレか? 別の所で魔力を感じたから、俺を無視してそっちに行ったって事か?」
理恵は呆れた様な目を向け、その通りだと頷く。
「そう考えてみて間違い無いじゃろう。魔族にとって魔力は、言わば極上の餌じゃからな。飢えていれば尚更追い求めるじゃろうな」
「成程な……って、あれ? そう言えば、お前も、少し前迄は、魔力が無かったんだよな?」
「そうじゃが?」
「だったら、お前も相当飢えてたんだよな? どうやって凌いでたんだよ?」
俺は、ふと湧いた疑問を投げ掛ける。
だが、理恵はどう返答して良いのかと、頭を捻らせ、なかなか答えてくれない。
「黙秘かよ」
「そうではない。ただ……」
彼女はそれ以上、口を開く事は無かった。
俺は立ち上がり、襖へと手を掛ける。
「待て! 何処へ行くつもりじゃ?」
「決まってるだろ? 奴を探しにだ」
創さんの介抱のお陰で、万全ではないものの、体力は回復した。
少々面倒だが、家に戻り、マナを補給すればまた戦える。
「魔力を感じたとはいえ、あれから何時間経っていると思う?」
そう言われてみれば、今の時刻は午前の三時を過ぎ、大体でも二~三時間は経過している。
「そのまま無計画に探した所で見付からぬ。取れる行動なぞ限られておるぞ?」
「だったらどうしろと? 大人しく指を加えて待てだって? 出来るかよ! それに、魔族は野放しには出来ない。無論、お前も例外じゃ無い」
俺は、敵意を込めた眼差しで理恵を睨む。
彼女は深く溜め息吐き、勝手にしろと部屋から出て行こうとする。
「まぁ……あれだ。助かった。この借りは何れ返す」
すれ違い様に呟いた言葉に、恵美はクスリと笑みを浮かべ、ただ一言「それは楽しみだ」と返した。