7話 天才、現る
図書室という部屋はいつだって不思議な香りが漂っている。それは、本や紙独特の匂いであったりもするが何より、長く存在していた時間の香りがすることが理久は大好きだった。どんなに楽しい場所よりも、本がある部屋に一番興味を示していた子供は少ないと思う。
本来の目的を忘れ、早速本棚へと近づく理久を止めながら茜はカウンター席に座る図書委員に声をかける。
「すみません、松野くんいますか?」
一応図書室での常識は心がけているらしく、囁くような声で発する。眼鏡をかけた真面目そうな男子生徒は少し見回した後、図書室の一番端の窓際席を指差した。そこの列に座っていたのは一人だけだ。
「多分、あの人だと思うよ」
「ありがとうございます」
浅く頭を下げると何の迷いもなく歩き出す。
本棚を物色出来ない理久は再び、不貞腐れた表情をしながらも茜の後ろをついて行った。
◇◆◇
「松野、くん?」
頭上からかけられた名前に顔を上げる。
目に飛び込んできた赤毛に不良か何かかと警戒するが、話しかけた茜はそんな言葉とは無縁のような人懐っこい笑顔を浮かべた。
だが、それでも警戒心を緩めずに少年、松野悠介は若干不審そうな視線を向けながら、口を開く。
「……そうだけど、誰?」
「俺、二組の出雲。後ろにいるのは同じクラスの琴平ね」
目線を向けられ、一応紹介された身として軽く頭を下げるが、明らかに不審者を見るような視線を受け、冷や汗を流す。
名前を聞いてピンとくるものがあったのか、松野は思い出したような表情を見せた。
「……で?」
「学校のヒーローさんが俺に何か用?」
皮肉としか聞こえないその言葉に茜は後ろから殺気を感じるが、知らないふりで苦笑いながら「実はさ」と紡ぎ出した。
「俺たち、文芸部創ろうと思ってるんだ」
ピクリと松野の肩が動く。
その僅かな仕草を見逃さずに茜は続ける。
「松野くん、文章書くのすごくうまいんだってね。俺が聞いた人たち、皆そう言ってた。だから、無理にとは言わないけど、もし入部してくれたら嬉しいなってーー」
「嫌だ」
バッサリという効果音が聞こえたくらいに、切り上げられた話題と共に静寂が流れる。
あまりにも即答すぎる答えに、理久は思わず口を挟んだ。「ちょ、ちょっと」
「もう少し考えてみないのか? 文章書くのうまいんだろ?」
「書くのは嫌いなんだ」
睨みを利かせながら言われ、うっと言葉が喉につまる。そんな様子を眺めた後、松野は椅子から腰を上げ、帰ろうと本を後ろの棚に戻した。だが、
「ーー噂通りだね」
呟かれた一言に動作が止まる。
頭を横に動かし「……何だよ」と声だけを振り向かせた。
「噂通りって、どういうことなんだ」
「無愛想で冷たい態度、聞いてはいたけど本当にそういう性格なんだね」
珍しく挑発的な攻撃をする茜に驚きながら理久は目線を向け、事の様子を見守る。
「……何とでも言えよ」
吐き捨てるように松野は言うと出口へ向かうために茜の隣を通り過ぎる。
引き止めようとした理久を制したのは、茜の言葉だった。
「おまけに、嘘つきときたか」
まるで、この瞬間を待っていたかのように妖し気な笑みを浮かべ、松野の背中に語りかける。
「ねぇーー水無月悠くん?」
◇◆◇
水無月悠。
ネットの小説サイトに投稿された作品が爆発的な人気を誇り、今ではプロとして出版をしている作家界期待の新星だ。
主に高校生を中心として売れる作品が多く、男女共に人気も高い。
自身のブログでもネット公開のみの小説を執筆するなど、いわば最先端の作家としても名を売っている。作家歴、年齢、性別などは一切知られておらず、詳細は不明のまま。
だが、著作のあとがきでの一人称は「僕」であるため性別は男性なのでは、と予想しているファンが多い。
物語だけでなく、正体不明な作者自身にミステリアスさがあっていいという感想もある。
これらのことから、一部のファンに呼ばれているあだ名は、
「……ミステリーライター」
謎の作家。
先日インターネットで見かけた記事が理久の頭を駆け巡る。
こぼれ落ちたそのあだ名に反応するかのように、松野はゆっくり振り向いた。何か裏があると察したのか先程よりも警戒心は強めにしているようだ。様々な感情が入り混じったような低い声で紡ぎ出す。「……何で」
「何で俺のこと、知ってるんだ」
「風の噂ってやつかな。少なくともストーカーとかじゃないから、安心して」
へラリと笑った茜の態度が気に食わないのか、松野は苛立ちを露わにする表情で舌打ちをした。そのまま二人に背を向けると、振り向かずに淡々と言葉だけを吐き出す。
「……先に言っておくけど、俺は入部しないからな」
それだけ言い残すと足早に図書室を出て行く。廊下に消えた姿を見送ると、急に沈黙が訪れた窓際で、茜は苦笑いを浮かべながら「あぁーあ」と声を発した。
「現役高校生作家は入部したくないみたいだね。どうしますかーー理久さん?」
いつも通りのふざけた口調で問いかける。
返ってくる答えはもう分かっているのか、茜の口元は若干ニヤけていた。
「諦める?」
「……そんな勿体無いことはしない」
出て行った扉を睨みつけながら、理久は力強く言う。
正体不明の作家。
まさか自分の近くにいたなんて、微塵も思わなかった。
湧き上がる嬉しさからか、全身が震える。
「絶対にーー入部させてみせる」
脳裏に刻み込むように呟く。
隣の茜も嬉しそうに口角を上げた。
「そうこなくっちゃ」




