5話 合図、鳴り響いた
暮れていく空を眺めていた。
昇降口の前に座る男女は何を話す訳でもなく、ただそこに腰を下ろしているだけだ。
遠くから五時を知らせるチャイムが鳴り響き、夕空の中をカラスが飛んでいた。
右側に座っていた女子、理久はこの微妙な空気を不信に思い改めて疑問に感じる。
ーー……なぜこうなった!?
もとは今日の出来事について職員室で話していたのだが、終わった後廊下で待ち伏せされていた茜に理久は捕まり「少し話がある」と半ば強引に連れてこられ、今に至る。
だが、連れてきたわりには何も話さずにさっきから座っているだけだ。
ーー何がしたいんだ?
沈黙に耐え兼ね口を開こうとしたのと同時に茜は立ち上がり、理久の前に立った。
「……琴平」
つい数時間前に叫ばれた声とは全く違う、真剣な響きに顔を上げる。
「……何ですか」
「やっぱり文芸部、創ろうよ」
ピタリと時間が止まったように感じた。
それくらい耳を疑う言葉に聞こえたのだ。
三週間も学校に来ていなかったはずなのに、まだ覚えていたのかと驚きながらも理久はあくまで淡々と紡ぎ出す。
「出雲くんはさ、学校来てなかったから知らないだろうけど、うちのクラス皆入部終わったんだ。それは他のクラスも一緒で……だから部員なんて集まらないーー」
「集まるよ」
「……そういう未来が視えるのかよ」
皮肉めいたような自分の言い方に嫌気が差すが、吐き出される言葉は止まることを知らない。
「視えるから、確信があるのか?」
「……俺はそんな風に視れないんだ」
浮かべた寂しげな笑顔に胸が痛んだ。
「視たい未来を視ることは出来ない。俺は駄目人間だから」
でもね、と茜は続ける。
「今日の事は予想出来たから学校に来たんだけど……琴平が未来を変えた」
「ーーえ?」
「俺は視えたから事務室に行ってマットを借りた。でも、向かった頃にはもう遅くて間に合わないと思ったんだ」
真っ直ぐに理久を見つめる茜の瞳は優しい色をしていた。吹き抜ける風が、夕焼けをバックに輝く赤毛をなびかせる。
「けど、そこに琴平が来た」
「……意味分からん」
「要は、未来が変わったんだ」
あっさりと言われたその一言に目を見開く。
「死ぬはずだったあの先輩は、死ななかった」
初めてだよ、こんなこと。
苦笑いをしながらそう言った茜を、見上げる理久の表情は驚愕で溢れている。
他人事のように聞こえるこの話は自分の物なのだと、到底思えない。
黙り込んでしまった理久の前で茜は一つ、小さく深呼吸をすると「琴平」と声を発した。
「ーー俺と未来を変えてみない?」
もうすぐ終わりを迎える春風に乗った言葉が耳に届き、胸が高鳴った。
表しようのない高揚感が全身を駆け巡るような、久しぶりのワクワクした思いでいっぱいになる。
こいつとなら出来るんじゃないかって。
視えない未来すら、変えられるんじゃないかって。
どこか期待していたのかもしれない。
ゆっくりと理久は立ち上がると、顔を俯けたまま言葉を吐き出す。
「……出雲くん」
「何?」
「部員になってくれるっていう話、まだ有効?」
茜は一瞬驚いたような表情を見せた後、クスリと笑いながら「もちろん」と答えた。
「未来人に二言はないからね」
「それ武士だろ」
思わず顔を上げた理久と、微笑む茜の視線が混ざり合う。
やがて、どちらからでもなく吹き出すと笑い声がオレンジ色に染まる校舎の前で響き渡った。最初までの真面目な空気はどこへ消えたのか不思議なくらい自然に頬が緩む。
ひとしきり笑った後、理久の目の前にグーの形で握られた手が差し出された。
「よろしくねーー理久」
呟かれた言葉が頭の中で木霊する。
ゆっくり、その木霊を体に染み渡せるように噛み締め自分の右拳を軽く合わせた。
コツリと心地よい小さな音が生み出される。
「よろしく、茜」
未来を切り開く合図が今、鳴り響いた。