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拝啓、未来より  作者: 真野/休止中
3年生編
55/68

53話 青い空、赤い鴇

 授業の終わりを告げるチャイムで茜は目を覚ました。途端、ドッと溢れ出す喧騒や足音に廊下が満ちていく。騒がしい部室の外の音を聞きながら、またサボってしまったと溜め息を吐く。昼休みに少しだけ眠るつもりが、大幅に時間は過ぎていたらしい。

 気だるい体を起こして部室を出たーーそのときだ。

 瞳の裏側に映像が流れる。未来を視るのは久しぶりで少し気圧された。しかしそんな茜にお構いなしで、映画のワンシーンのような風景は止まらない。

 屋上、青空、流れる雲、風が吹く、髪の長い女の子、制服、スーツ姿の男、右手で銃の真似事。

 心臓がドクリと嫌な音を立てた。

 注意深く視るまでもなく、茜は走り出した。下校しようとする生徒の間を全力で縫う。冷や汗が止まらない。走っているのに行きたい場所はどんどん離れていくようだ。

 ひと気のない屋上への階段を駆け上がる。扉を開けた先には理久とスーツ姿の青年がいて、それはさっき視たばかりの映像とまったく同じで。


 ーーダメだ、変えなきゃ俺が、未来を


 吹きつけた風が不安を増幅させる。恐怖ですくみそうな体を無理やり動かした。人差し指を立てて、銃に見立てる霞が悲しげな視線を向けてくる。その口が何事か呟くが気にしている余裕などなかった。

 彼女をーー理久を守らなければと必死で足を運ぶ。


 ーーねぇ理久、君が教えてくれたんだ


 庇うように彼女の体を抱きしめる。


 ーー未来は、いくらでも変えることができるって


 もうこれが、最後になるのかな。

 耳に囁いた声は震えていた。


「ーーさようなら、ごめんね」


 涙が一筋、頬を伝う。

 君が悲しむ姿なんて視たくない。だから、もう俺のことは忘れて。

 巨大な弾丸に貫かれる感覚とともに、茜は理久から離れた。


 ◇◆◇


 目を開けるとそこは自分の部屋だった。傷と不明な文字に数式だらけの壁、いらない物で溢れかえるの床、こちらを見る霞と千歳。

 その真ん中に立つ父親。

 鉄格子を模した窓の向こうには今日も空なんてなくて、静かな街並みと光だけが広がっていた。

 背後を振り返る。機械の扉が所々から煙や電流を出しながらも、まだ確かに存在していることをアピールする。だがそんな考えを否定するかのように、


「機械はもう限界です。そして坊ちゃん、あなたも」


 深い緑を羽織る千歳が珍しく表情を歪ませた。


「過度なタイムスリップに対して、拒否反応が出ているのではないでしょうか」


 何も言えなくなる。思わぬところで近頃の異常なまでの頭痛の正体に気づき、奥歯を噛み締めた。

 そのまま父親を睨みつける。


「俺は過去を改変した、いわば犯罪者だ。処刑するなり好きにしてくれ」


 茜の言葉で部屋に沈黙が訪れる。霞と千歳も緊張した顔つきで、この国の最高権力者である男の判決を待つ。

 出された答えはーー


「……永久追放だ」


 三人が驚愕を隠せない表情を露わにする。一番驚いている茜は、やっとの思いで口を開いた。


「本気で、言ってるのか。永久追放なんて……そうしたら俺はまたタイムスリップでも何でもして」

「私に茜を引き留める資格なんてものはない」


 振り向いた父親は自嘲気味に笑う。


「妻を見殺しにした男なんだ、私は」


 茜から母親を取り上げてしまった張本人だと、父は言う。


「助けようと思ったら、いくらでも助けられたはずなんだ。なのに、私にはそれができなかった。いや、しなかったのだ、自分が臆病者だと知っていた」

「旦那様もうやめてください」


 今にも泣きそうな千歳を霞が抱き寄せる。父はごめんな、とこの場にいる全員に対して告げた。


「じきに隣国が攻めてくる。この国はもう終わりだーー会いたい人がいるんだろう茜、早く行きなさい」


 そう言い残して父は部屋を出て行った。


 ◇◆◇


 冷たく暗い廊下を歩いていると、いつの間にか足音が増えていることに気がついた。背後にいたのは霞と千歳だ。

 茜の父親ーー出雲いずもそらは二人に微笑んだ。


「二人にも迷惑をかけた。だがそれも今日で終わりだ。茜と一緒に過去へ逃げーー」

「僕らは残ります」


 揺るぎない決意を滲ませる声。空は驚きに目を見開いた。


「この世界が消えようと、僕らはどこへも行かない。あなたに助けられたこの命が尽きる、そのときまで」


 霞と千歳はそう言って空を見つめた。今さら何を言っても聞く耳を持たないだろう。空は諦めて、好きにしなさい、とだけ返す。自分には勿体無いほどの優秀な部下を持った。そう嬉しく思った。

 ひとりでさらに廊下を進み、突き当たりの部屋の鍵を開ける。薄暗いそこには巨大な水槽のようなものがあり、中にはたくさんの管で繋がれた女性が死んだように眠っていた。

 否、すでに女性ーー出雲いずもときは死んでいた。

 水槽の前に立ち、空は遠い記憶に想いを馳せる。

 初めて彼女に出会った、あの日を。


 ◇◆◇


 その国には『空』というものはなかった。頭上に広がるのは真っ白な何かで、しかし人々はそれを特に気にすることなく暮らしていた。

 ただひとりの少年を除いては。

 少年、空は研究者の親の影響か、幼いころから好奇心旺盛で分からないことがあればすぐに書物を読み漁り、実験を繰り返し、結果をノートに書き留めた。ある日、空は自分の同じ名前の何かが大昔、頭上にあったことを知る。親に聞いても答えは返ってこない。知らないのだ、皆、かつて無限に広がっていた『空』の存在を。

 その日から空は研究を始めた。『空』を蘇らせる研究だ。しかし文献も少なく、やっと青年と呼ばれる年齢になったころには研究をやめてしまおうかと考えた。

 そのときだ、ひとりの女の子が現れた。


「何をしているの?」


 いつものように数少ない文献を読んでいた顔を上げると、そこには鮮やかな赤色の髪をなびかせる少女がいた。空は思わず息を飲んだ。長い赤髪が風に流れるさまは見ているだけで惚れ惚れするほどだった。


「ねぇ、これはなあに?」


 顔を近づけて訊ねられると無気にもできず、空は少女の髪のように赤くなりそうな頬を隠しつつ答えた。


「文献だ。『空』に関する」

「そらってなあに?」

「知らない」

「知らないのに読んでどうするの?」

「知らないから読んで、分かろうと研究するんだ」


 少女はしばらくポカンとしていたが、やがて花が咲いたかのように笑った。


「私も手伝う!」


 それが永明ようめい鴇ーーのちの出雲鴇との出会いだった。

 明くる日も文献との睨めっこに無駄な実験を繰り返す空に、鴇は飽きることなく毎日付き合ってくれた。何年そんな日々が続いただろう、一緒にいることが当たり前になった二人は自然と惹かれ合い、恋に落ちーー結婚の約束をした。二人が十八歳になったときだ。お金に余裕がない空は造花で作った指輪と、薄い桃色のワンピースを鴇にプレゼントした。


「俺と、結婚してください」


 真っ赤な顔で震える空に鴇は抱きついた。


「はいーー喜んで」


 輝くダイヤの指輪も、真っ白なウェディングドレスも、用意してあげることができなかった。けれど、彼女は誰よりも幸せそうに笑ってくれた。

 このままずっと一緒にいられると、そう信じて疑わなかった。

 鴇に異変が現れた、あの日までは。


「その実験はやめた方がいい、爆発するわ、ドカーンって」


 鴇は度々、そんなことを口にするようになった。しかも、忠告を聞かないで物事を進めると、彼女の言った通りのことが起きた。

 まるで未来が視えているような口ぶりに空は一抹の不安を覚える。


「鴇、そういうことを言うのは俺の前だけにしろ」

「どうして? だって目の奥に視えるんだもの、言わなきゃ危ないことが起きるかもしれないのに」

「いいからーー約束してくれ」


 誰にもその力は秘密だ、と。

 しかしその約束は呆気なく破られてしまう。

 鴇は国でもトップクラスの家柄に生まれた、いわばお嬢様だった。ある日、他国からやって来た偉い人と自分の父が話しているのを見て、思わず言ってしまったのだ。


「その人、パパのことを騙そうとしている」


 のちに鴇は不審がる父親に告げた。パパが泣いて、この国がボロボロになる映像が頭に流れたのだ、と。

 鴇は空に会いに来なくなった。

 代わりに街には奇妙な噂が流れ始める。


「神に愛されし子が目覚めた、未来を予言する子だ」


 異能、と呼ばれるそれを開花させた鴇は家に閉じ込められてしまうようになった。会えない時間が何日も、何週間も、何ヶ月も、何年も続く。

 やっとの思いで顔を合わせることができたころ、二人はすっかり大人になっていて、ささやかながらも小さな家で一緒に暮らすことができるようになった。やがて子供が生まれ、時間は流れ、可愛い一人息子ーー茜が七歳になったころ鴇は言った。


「お願い空、茜を守って。私はきっともうすぐ死ぬ」


 突然そんなことを言われたら誰だって反対するだろう。空もそのひとりだった。


「何言ってんだ! 茜の母親は鴇しかいないんだぞ!」

「異能の実験が始まる未来が視えるの。そこで私は実験台にされる。未来予知の異能を活用しようとする人たちが、もうすぐ現れるわ」


 目の前が真っ暗になった。

 愛する人を見殺しにしろ、と言われたも同然だった。


「ーー逃げよう」


 空は鴇の手を掴んだ。


「遠い場所へ、誰も俺たちを知らないところへ逃げよう。大丈夫だ、俺たちならきっと、きっとーー」

「空」


 けれど鴇は、自らその手を離した。

 その行為が示す答えに空は涙を溢れさせる。心配そうにこちらを眺める茜を鴇が抱きしめた。

 次の日、鴇は家を出て行った。残されたメモには『二人も早くこの家を出て行くように』とだけ書かれていた。その言葉の意味する真意を空は悟った。

 茜だ。鴇は空だけでなく茜を守るためにも自ら政府へと向かったのだ。未来予知ができる女性の子どもーーそんな存在が明らかになったら、鴇だけでなく茜も連れ去られてしまう。それを配慮した上での決断だった。

 愛する人か、愛する人との間に生まれた命か。

 後者を選択した空はただただ泣くことしかできなかった。

 母親を連れていかれた茜はある日、一目会いたくて研究所に浸入した。しかしそこにいたのは死ぬ寸前の母だった。


「大好きよ。見えなくても、いつだってあなたのそばにいる。約束よ。茜ーー生まれてきてくれて、ありがとう」


 大切な桃色のワンピースは血に汚れ、造花の指輪は粉々に砕け散っていた。

 夜中、いなくなった茜を見つけ出した空は、暗い表情の息子が家に着いた途端泣き出したので、その小さな体を抱きしめた。


「お母さん、消えちゃった」


 泣きながらそう訴える茜を強く強く抱きしめた。

 風の噂で、実験が失敗したことを耳にする。


「神の子は死んだ」


 皆が口を揃える中、空は悟った。この国はもうとっくに壊れてしまったのだ、と。

 未来予知という最強の矛と盾を失った政府は廃れ、街の人々も次々に国を出て行った。残されたのは親のいない子どもに歩けない老人。

 それに、空と茜。

 もう誰も管理しなくなってしまった研究所で空はひとり、複数の液体を混ぜた巨大な水槽に死体を沈めた。みるみるうちに肉体や眼球、美しい真っ赤な髪の毛が再生されていくのを眺めながら、心のどこかがパキリと割れる音を聞いた気がした。

 脳も体も空虚で、鴇を蘇らせることができたら、この国に復讐することができたら、この虚しさは満たされるのではないかと思った。

 バカなことだと分かっている。それでも、何かせずにこのまま死んでいくのは許せなかった。

 念のために異能を受け継いだかもしれない茜を安全な部屋に、ほぼ監禁状態で閉じ込め、街に残された子どもたちを掻き集めーー


 新たな王様が統べる国は作られた。


 ◇◆◇


 誰もいなくなってしまった部屋の中、茜は機械扉を眺めた。母が唯一、遺していった発明『タイムマシン』だ。

 なぜ作り上げたのか、誰のためなのか、何を目的としていたのか、発明者本人が死んだ今となっては答えなんて分からない。

 けれどひとつだけ、茜はこのタイムマシンから母の思いを感じ取っていた。

 出たかったのだ、きっと、この世界から。

 狭い檻に生きることを拒み、生まれたのがこの機械。扉の形を模しているところにも、そんな思いが表れているような気がしてならない。


『早く行きなさい』


 父の言葉が頭をよぎる。

 この国が、世界が滅びてしまうのは恐らく本当だ。だけど、だからといってーー


「……お母さん」


 呼びかけても、もちろん返事はない。


「俺も、出たかったよ。この部屋から。だから、お母さんのタイムマシン、勝手に直して、勝手に使った」


 おかげで理久たちに出会えた。最高に楽しくて、幸せな時間を過ごせた。

 けれど、本当に望んだものはそれじゃない。


「でもね、俺はひとりで出て行きたいわけじゃないんだ。できることなら、みんなでーー」


 父と母と過ごした記憶はほとんど覚えていない。それでも確かに幸せだったと言える。

 一緒に笑った、泣いた、喜んだ、悲しんだ、愛してもらった、守ってもらった。

 今度は自分が大切なものを守る番だ。

 タイムマシンが起動した。壊れる寸前のはずなのに、必死に稼動してくれる。

 頑張れ、と背を押してくれるように。


「行ってくるねーーお母さん」


 いってらっしゃい。

 聞こえるはずのない母の声に少し驚いて、やがて微笑む。

 ガチャリ、と扉が閉じた。


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