46話 三角式の、答え方
「理久、好きだ」
驚きのあまり一瞬、頭が真っ白になる。
「俺と付き合おう」
耳を疑った。どれほどそうしていたか、紗也が腕の中から理久を解放したのをきっかけに、改めて幼馴染みを見た。向けられる眼差しは真剣で、冗談ではないことが伺える。
これがいわゆる『告白』というものなのだと、頭の片隅で理解する。
冬の訪れを感じる冷たい風が通り抜けた。
振り絞った声は紗也に届かせるのがやっとだった。
「……ごめん」
真っ直ぐに見つめ返す。
「私はーー茜が、好きなんだ」
改めて言葉にすると体が熱くなるほど恥ずかしかった。
しかし、だからこそ分かった。たとえ茜から恋愛対象として見られていないとしても、簡単に諦めきれない。
この想いは、そんなに軽いものではない。
同時に悲しく歪んだ紗也の表情を見て胸が痛くなる。それでも伝えなければならない。紗也に、自分の正直な気持ちを。
黙り込む紗也に理久は続ける。「でも!」
「紗也のこと私は大好きだよ! それは、親友としての好きだけど、誰よりも信頼してる」
大切な幼馴染み、いつも一緒にいてくれた、助けてくれた、頼ってくれた、信じてくれた。
紗也になら、無防備な背中を預けられた。
「だから、そのーー」
「理久」
ふいに遮られる。向き直った紗也の顔は、夕陽によく映えるような優しい笑みを浮かべていた。
「……やっと、自分の気持ちに気づいたんだな」
小声で言われたそれを理久は聞き返そうとしたのだが、
「ごめん、さっきの告白、嘘」
「ーーは?」
次の瞬間、目を丸くした。
事態が飲み込めずに固まる理久へ、紗也は余裕の笑みを露わにした。
「理久が出雲を本当に好きなのかどうか、確かめさせてもらっただけ。さっき俺とアイツが話してたの聞いてたんだろ?」
静かに頷く。やっぱりな、なんか様子おかしかったから、と紗也は言う。
「出雲はあぁ言ったけど、理久には十分、自分の気持ちを伝える場面があるよ。だから諦めんな。まぁ理久のことだから、簡単に諦めるわけないけど」
図星を突かれてギクリとする。本当に何でもお見通しなんだね。そんなことを言ったら、紗也は胸を張って、
「当たり前だろ、何年一緒にいると思ってんだ」
いつの間にか理久の家の近くまで歩いてきていたらしい。外で遊んでいた海斗が「りくネェ!」と手を振ってきた。
「……紗也」
「なに?」
「その、さっきのこッ……こ、告、白なんだけど、嘘って」
「理久」
呼ばれて振り返る。真剣な表情の幼馴染みがそこにはいた。
「俺も、理久のこと親友として大好きだから」
面食らう理久に構わず、紗也は続けた。
「誰よりも信頼してるし、背中を預けられる」
俺史上最高の親友だと思ってる。
それだけ言うと紗也は「じゃあな」と背を向けてしまう。短時間でいろんなことがありすぎて混乱していた理久だったが、このときはすぐに口から言葉が出た。「紗也!」
「ありがとう!!」
その一言にどれだけの意味が込められていたのか、理久本人ですら分からない。
しかしこれだけは伝えたかった。届けたかった。
遠くなって行く紗也は聞こえたよ、と返事をするように、片手を軽く振ってみせた。
◇◆◇
しばらく歩いた路地の角では、慎吾が外壁に寄りかかっていた。まさかこんな近くにいるとは予想していなかったため少しギクリとする。
睨みつけてくる慎吾に、引きつる笑みを見せた。
「……親友としてじゃないだろ。お前の好きは」
覚悟していたが、第一声は説教らしい。しかしこちらとてそれ相応の返答を考えてきた。
隣に立ちながら、夕暮れ空を見上げた。
「気づいたんだよ、俺が一番に望むのは理久の幸せなんだって」
今回の告白はそういった意味でも賭けだった。
すでに自分に向いているベクトルと、まったく相手にしてくれない自分のベクトル先。理久がどちらを選ぶかによって、紗也の腹は決まっていた。
「じゃあもし、りっちゃんが紗也と付き合うって言ったらどうしたんだよ」
「だとしたらそれは間違いだ。理久は出雲に会って初めて恋愛としての『好き』を知った。それが今さら俺に向くとは思えない」
だからもしも、理久が自分を選んでくれたとしても、それは間違いだと諭しただろう。
慎吾が呟く。「んだよ……それ」
「結局どっちにしても、紗也に勝ち目はなかったってことかよ」
そうだな、と紗也は返す。
きっと理久が茜と出会ったあの日から、理久は自分の手の届かない場所へ行ってしまったのだろう。
「お前、なんでそんなに冷静なんだよ。フラれたんだぞ」
慎吾から指摘されてハタと気づく。しかし紗也は力なく笑った。「あー……なんかさ」
「理久が恋をしてくれて嬉しいんだよな。もちろん、相手が俺じゃないことに未練がないって言うと嘘になるけど」
理久に恋をして、すべてが変わった。
他の男子と話しているのを見ると腹が立ったし、笑顔を露わにされると嫉妬のあまり相手に怒りすら覚えた。指先が触れ合うような、内緒話をするような些細なことで嬉しくなったし、もっともっとと欲を主張するくせに、一緒にいるだけで幸せだった。
これから先、きっと理久は自分と同じような体験をするのだろう。もちろんそれは辛いときも、苦しくて泣きそうになるときもある。
それでも『好き』という気持ちを手離したくない。
これが恋なのだ。
「叶うといいなって心から願うよ」
どうか、君の初恋が輝きますように。
俺がそれを、見届けることができますように。
祈るのはただ『君の幸せ』。それだけなんだ。
眉を下げて黙り込んだ慎吾に紗也は呟いた。
「まぁでも、いざってときは俺も容赦しねーけどな」
「え、それってつまり……」
「親友としてはもちろん、恋愛としても理久のことは好きだから」
ちゃんと言うのは無理だったけど、と笑う紗也は中学のときとは違う。眩しそうに見つめてから慎吾も表情を和らげた。
「脱ヘタレってことでいいのか」
「おう、これからは俺様で行くからな」
「いや無理だろ。ハードル上げ過ぎ」
「なッ!? そこは応援しろよ!」
理久、ありがとう。
俺に恋を教えてくれて、ありがとう。
今度は君の初恋を見守りつつ、隙あらば君を迎えに行く王子様になりたいなーーなんてね。
◇◆◇
海斗と家に帰る。母親と今日のことを話して、祥子とも他愛ない話をする。
風呂や夕食がまだできそうにないということなので、必要になったら呼んでくれと理久は自室に入った。
扉を閉めて、そのままへたり込む。急に力が抜けた。脳内再生されるのはさっきの出来事。
『私はーー茜が、好きなんだ』
体全身から火が出そうになる。
なに言ってんだなに言ってんだ自分! 好きってつまり、その、友達としてじゃなくて、恋愛的なことなんだよな……?
それこそ、付き合いたいとかそういうタイプのーー
「あぁもう……無理」
情けなく赤い顔を腕で隠す自分。
自覚してしまった以上、向き合わなければならない。初めてのことばかりで右も左も分からないが。
「……明日からどんな顔で会えばいいんだ」
不安に満ちた声が浮かんでは、空気に消えていった。




