45話 三角式の、成り立ち方
錆び付いた門をくぐり抜けると、そこには大勢の楽しそうな人々ときらびやかなアトラクションがーーなかった。
正確にはアトラクションだけがあり、人気はほとんど皆無だ。そのアトラクションでさえ、古びた外見から稼働するかどうかも怪しい。
しばらく唖然とする理久たちとは打って変わって、茜と真城は目を輝かせて叫んだ。
「遊園地!」
「いよいよ来ましたね!」
「いや、これは……動くのか?」
「神楽先輩、観覧車! 観覧車行きましょ!」
真城に手を引かれ、嬉しそうに走る神楽。理久は後ろにいる慎吾に問いただした。
「慎吾これ……」
「大丈夫、アトラクション自体は動くみたいだから」
「そういう問題でもない気がする」
事故とか起きないよな……? 疑いながら歩き始める。隣にいる茜が「俺、遊園地初めて」と言った。
……初めて?
「え、来たことないの? 一回も?」
「うん。ない」
驚いた。やはりこういう小さな遊園地は次々閉園してしまうご時世だが、一度も来たことがない人がいたとは。
理久は茜に笑いかける。
「じゃあ今日は楽しまないとね」
いろいろ教えてあげるよ、というと茜は表情を華やかせて、アトラクションを指差しては理久を質問攻めに遭わせた。まるで小さな子どものような様子に胸があったかくなる。
園内地図を眺めながら思案していたら、ふいに茜が指をさした。「あ、これ行きたい」
「理久、お化け屋敷って面白い?」
理久が固まる。額から冷や汗が一筋流れた。
「……いや、やめておいた方がいいんじゃ」
「行こう。お化け屋敷」
「紗也!」
いつの間にか背後に立っていた紗也が言う。
「三人なら多少は怖くないだろ。それにここの遊園地は子ども用だから、そこまでクオリティも高くなかったはずだ」
「で、でも」
「大丈夫だって。せっかく出雲も行きたがってるんだし」
な? と眉を下げつつ頼まれると断れない。理久は渋々承諾した。お礼を言う茜を前に紗也はひとり、絶好のチャンスを掴み取ったとガッツポーズしていた。
簡易なものとはいえ怖いものが苦手な理久を思うと罪悪感に苛まれるが、これほど素晴らしいシチュエーションは他にない。幸い茜はお化け屋敷を知らないようだ。
ーーかっこいいところを見せて、返り討ちに遭わせてやる……!
かくして、やる気に燃える紗也と何も知らない二人はお化け屋敷へ入ることになった。
◇◆◇
お金を払ってから「それでは恐怖の館へご案内」というお決まりのセリフを女性スタッフから受けたのち、三人は歩き出した。先頭に茜、真ん中は理久、最後尾が紗也という一列で暗い道を進んでいく。
壁には微妙に血を表現しきれていない赤い文字やら手形やらがあり、やっぱり子ども騙しだなと思う紗也とは反対に理久は十分怖がっていた。……かわいそうだが、ちょっと可愛い。一方、茜は平気な顔をしていた。もしかして怖いものに耐性があるタイプなのだろうか。
そうこうしているうちに、
「ウガェ!!」
奇妙な声を出すゾンビが現れた。無意識に少し冷めた目で見てしまう。俺、昔はこんなやつを怖がってたのか。
「ひッ!」という声を上げたのは理久で、慌ててフォローに入ろうとしたのだが、理久は咄嗟に目の前の服にしがみついた。茜が振り向く。
「理久、俺に捕まったままでいなよ。その方が安心でしょ」
「う、ん……」
「なるべく早く出るようにするから」
茜にしがみつく理久。紗也は驚愕のあまり雷に打たれたかのような感覚を覚える。迂闊だった、どうして自分は最前線に行かなかったのだろう。今すぐそこ代われ出雲! しかも悪いことは重なるもので、どうやら茜はお化け屋敷に怖さを感じない人間らしい。紗也の殺気オーラに気づくことなく、一行はお化けに遭遇しつつも足を進める。
半分ころまで来ただろうか。突然、分かれ道に差し掛かり、アナウンスが入った。雰囲気に似つかない可愛らしいアニメ声だ。
『団体様特別タイム! 二グループに分かれて、ゴールを目指そう! さぁどっちが先に到着できるかな?』
ポカンとしているうちにもアナウンスは繰り返し流される。こんなサービスがあったなんて知らなかった。
理久が泣きそうな顔で「は、早く出たい……」と呟く。もうメンタルは崩壊寸前らしい。こんな状態の理久を放っておくわけにも行かず、紗也は茜に向き直る。
「俺と理久はこっちに行く。出雲はそっちに行ってくれ」
「分かった」
意外にもアッサリと食い下がった茜に驚きつつ、紗也は理久を後ろに歩き出した。今度は服の裾を掴まれる権利を得たが、あまりお化け屋敷が出ずに終了してしまったためガッカリする。
明るい陽の下に出る。安息の地に戻ってきた理久は引きつった笑みで「も、もう絶対行かない……」と呟いた。そんな彼女がやがてはたと出口を振り返る。
「あれ……茜は?」
「まだ出てきてないみたいだな」
迷っているのか、はたまたビビって進めなくなったのか。後者は考え難いな、と紗也は思う。そのうちふらっと戻ってくるだろう。
しかし理久はそう考えられなかったようで、
「……わ、私ちょっと見てくる」
「はぁ!? 大丈夫だって、もう来るだろ! あれだけ怖がってたのに何言ってんだ」
「でも、困ってて出られないのかもしれないし」
不安そうな瞳を向けられては何も言い返せなくなる。紗也は頭を悩ませたのち「分かった、スタッフの人に聞こう」と言うつもりだったのだが、理久は言葉の半分を聞いたころには既に建物の中へと姿を消していた。
「あッおい理久!」
扉代わりの暗幕がむなしく揺れる。
紗也の声も届かない場所へ、自ら進んで飛び込んだ。
同じ部活の友人、ただそれだけのために。
焦燥感はやがて苛立ちに変わり、抑え込むために俯いた。
『付き合ってるの、理久と茜くん』
どうしてあのとき、あんな言い方をしてしまったのだろう。あれじゃ理久は否定するに決まっていたのだ。
それならば何が正解だったのか。自分はもう知っている。
ーーねぇ理久、教えてよ
きっとこれが答えだ。
ーー出雲のことが、好きなの?
◇◆◇
その昔、紗也率いる三人は毎日のように遊びまわった。普通に公園ではしゃぐ日もあったが、今でもなお理久が覚えているのは、近所で幽霊屋敷と評判の古い洋館へ探検に行ったことだ。当時、怖いものに耐性があった理久にトラウマを植え付けた日でもある。
夕方、三人で入ったはいいものの、いつの間にか理久だけがはぐれてしまったのだ。小さな体に洋館はあまりに広すぎた。窓から射し込む西日も少しずつ消えていく。怖くてしゃがみ込んでいたところに現れたのは、大好きなヒーローではなく、
『りく!!』
当時、誰よりも怖がりなくせに強がる、紗也だった。
「あ、あかねー……? いたら返事してー?」
薄暗い廊下に再び舞い戻る。暖かい陽が懐かしい。今さらながらに帰りたくなった。けれど、幼いころの思い出を辿るとただ待っていることはできなかった。
茜だって怖いものは平気だとしても、何か困っていて戻れないのかもしれない。
……しかしそれにしても、
「どこまで行ったんだよもう……」
一向に茜らしき人物が見えない暗闇をフラフラ。
あまりにも何も起きないので、なんとなしに近くの壁に手をかける。すると体が傾く。
え、何これ、隠し扉ーー?
恐る恐る中を見る。浮かび上がった人影に理久は悲鳴を上げかけたのだが、
「あ、理久だ」
現れたのはお化けとは似ても似つかない、赤毛の少年だった。
「あ……茜」
「これすごいんだよ。なんか忍者みたいなことできる! かっこいいね!」
無言の理久に茜は首を傾げる。
「理久? どうしーー」
「何してんだ! 心配したんだからな!!」
キーンと耳を貫く叫び声に圧倒される。驚いたが逆に頭が冷えた。よく考えたら、理久がここにいるのはおかしい。きっと一度外へ出て、また迎えに来てくれたのだ。
今にも泣きそうな顔の理久に、茜は眉を下げて「ごめんね」と謝った。
素直に反省する。悪いことをしてしまった。
機嫌損ねたかな、と理久を見るより先に、服の裾に違和感を覚える。控えめに手で掴まれていた。
「……許すから、出口まで連れてって」
ボソリと告げられた言葉に、茜は小さく笑った。
「りょーかい」
◇◆◇
やっとの思いでお化け屋敷から解放された三人は、ベンチに座って一休みしていた。
優しい太陽の光が降り注ぐ。ほぉっと息を吐いていたら、遠くから理久の名前を呼ぶ声がした。神楽と真城だ。
「せんぱーい、アイス食べましょー!」
「今行くー!」
返事をしつつ、茜と紗也を振り返る。
「二人は? 何か買ってこようか?」
「俺はいいよ、大丈夫」
「気遣わなくていいから、行ってこい」
「そっか。じゃあまた戻ってくるね」
そうして理久は店の中に入ってしまった。
瞬間、明るい陽の下とは思えないほどの冷たい空気が茜と紗也を取り囲んだ。主に冷気の発生源は紗也で、微細ながら黒く滲んでいる。
「……単刀直入に聞くけど」
言いながら紗也は隣の茜を見ようともしない。
「理久のこと、好きなの?」
このとき紗也は何を言われても、自分はそれを受け入れようと決意した。
どれほど沈黙に包まれただろうか。時間が経てば経つほど緊張感が増してくる紗也に、茜はしばらく考え込んだあと言った。
「理久のことは好きだよ。けど、それに恋愛感情はない」
何があっても受け入れる、つもりだった。だからだろうか。そう答えられて余計に驚いた。
つまり、理久のことは友達として好きーーってことか?
あれだけ見つめておいて、無防備な笑顔を晒しておいて。結局それは友達止まりだというのか。
とてもじゃないが、信じられなかった。
「それが本心で、いいんだな」
「……俺と理久じゃ釣り合わないでしょ」
答えになっているようで、なっていない言葉。
紗也は自分の心が奇妙な動きをしていることに気づいた。
茜は理久を恋愛対象として見ていない。ならば自分が有利なのだ。長年拗らせてきた初恋が実るかもしれない。嬉しいはずなのに、ちっとも嬉しくない。
なんだ、これは。
脳裏をよぎるのは理久の笑顔。俺は、俺はーー。
冷たい風が吹き抜けた。
◇◆◇
三つ買ったモナカアイスを抱えて歩く。何もいらないと言われたが、もうすぐおやつの時間なのだから、これくらいの差し入れなら大丈夫だろう。
もうすぐでベンチが見えるーーそんなときだった。耳を通るのは茜の声。
「理久のことは好きだよ。けど、それに恋愛感情はない」
風が、体の中まで吹き込んでくるようだった。
頭が真っ白になって体も思うように動かない。心臓の鳴り方がおかしい。どうしてだろう。なんで自分はこんなに動揺しているのだろう。
茜のことは自分だって、友達として好きなのに。
ーー本当に?
心の中で誰かが唱える。きっとそれはずっと無視してきた、自分の中に住む何かの正体で。
ーーこの『好き』はもっと深くて、愛しくて、大切な
あぁ、きっとこれは、恋なんだ。
明菜にヤキモチを焼くのも、茜の笑顔に胸が苦しくなるのも。
全部全部、理久が茜に恋をしているから。
好きだから、こんなにも気になって仕方なくなる。
しかし自分の想いに気づいたのもつかの間、茜のさっきの言葉が蘇る。
『恋愛感情はない』
これってつまり、フラれたってことなのか。
理久は建物の陰で立ち尽くす。空には綿あめを千切ったような雲が浮かんでいた。
◇◆◇
楽しい時間というものはあっという間で、日が暮れたころに一同は解散した。
途中まで一緒だった慎吾がいなくなると急に静かになり、しばらく無言のまま歩く。紗也は理久の様子がどことなくおかしいことに気づいていた。聞くべきかどうか考えていると、ふいに理久が立ち止まる。
「理久、どうしーー」
言いかけて言葉を失った。
ポロポロと涙を流す理久がいたからだ。
本人も無意識だったらしく「あ、あれ」と言いながら涙を拭う。しかしそれは止まることを知らず、やがて表情も悲しげに歪んでしまう。
目の前で突然泣き始めた幼馴染み。どうしていいか分からず紗也はとりあえず、
「どうした理久、どっか痛い? 苦しいのか?」
手当たり次第聞いても首を横に振られるばかり。困り果てたとき、涙声が答えてくれた。「ご、ごめんね」
「なんでもない。ちょっと茜のことで」
その名前に、心がざわめく。
気がついたら紗也は理久を抱きしめていた。
腕の中で固まる幼馴染みを、力いっぱい抱き寄せる。
君が泣く姿を見たくない。アイツのことで泣くなら、俺が君をーー。
「理久、好きだ」
俺なら君を泣かせはしない。悲しませたりしない。だから、
「俺と付き合おう」




