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拝啓、未来より  作者: 真野/休止中
2年生編
45/68

43話 初恋、君と僕

 雲ひとつない秋晴れの午後。

 パンッという破裂音とともに、色とりどりの紙吹雪が辺りを舞う。


「紗也、退院おめでとう!」


 病院を出た途端、理久と慎吾のクラッカーに出迎えられて思わず固まる。やったー! 大成功! という嬉しそうな声に頭がついていかない。


「え、な、なに……?」

「なにって紗也の退院祝いだけど。ほら、理久」

「分かってるよ。紗也、はいこれ」


 渡されたのは缶バッチだった。イニシャルの「S」がデザインされている。


「三人で揃えたんだよ」


 そう言って笑う理久と慎吾のカバンにも、同じデザインの缶バッチがついている。しばし沈黙していた紗也だったが、やがて微笑を浮かべ「ありがとう」と言った。

 長い間世話になった病院を後にして三人は歩き出した。

 同じペースで、歩幅で、笑いながら歩いていると、今までの空白の期間が嘘のようだった。中学生のころと何も変わらない。紗也は胸が嬉しさで締めつけられた。

 談笑の末、これから紗也の家で集まろうという話になり、途中で慎吾が菓子やら飲み物やらの調達のためコンビニに立ち寄ることになった。理久がついて行こうとしたのだが慎吾はそれを断り、紗也に目配せしてきた。余計なお節介だ、そう言い返すより先に二人きりになってしまった。

 幼いころから積もりに積もった恋心は、時折二人の間を通り抜ける秋風に飛ばされることなく、それどころか胸に深く響く。

 理久は空を眺めていた。変わらない横顔に紗也は口を開きかけたが、電子音に制される。理久のスマートフォンだ。


「あ、電話。ちょっとごめんね」

「うん」


 電話をし始めた理久の横顔は自分の知らない色を帯びているような気がした。今まで見てきたものとは何か違う。部活の人たちかな、と予想する。

 変わっていない、と思いたい。今までも、これからも、自分のこの変化を恐れる弱い心は消えない。しかし、周りの変化を怖がるくらいなら、自分も変化して追いつけばいいのではないか。

 もう後悔はしたくない。これから先も、理久の隣にいたいのならーー


「ごめんね。紗也?」


 聞き慣れた声で現実に引き戻される。不思議そうに顔を覗き込まれたので首を振って返す。「いや、大丈夫」それよりも今ちょっと距離が近かったような。相変わらずの警戒心のなさに焦る。


「部活の人?」

「うん。前に紗也もチラッと見たんじゃないかな、ほら赤い髪の」


 瞬時に理久の手を取って笑う少年が脳裏に蘇る。少しーーいやかなり嫉妬の念が湧き上がった。電話の相手が男で、しかもあの少年だというのだから複雑な心情を抱くのも無理ない。せめて隣にいた真面目そうな少年ならまだしも……やっぱりダメだ。

 心が狭いというか、女々しいというか。慎吾からして見ればヘタレ同然なのだろうが。


「でね、茜がこの前……紗也?」

「えーーあ、ごめん、聞いてる」

「本当? まだ本調子じゃないだろうから、何かあったら言ってね」

「あぁ」


 いつの間にか赤い髪の少年ーー茜というらしいーーの話を始めた理久。楽しそうなその表情に癒されるのも一瞬で、紗也の脳内にある疑問が浮かぶ。


 理久は、茜が好きなのか?


 一度意識し始めた途端、それは怪しげな色を放つ。

 なぜもっと早く気づけなかったのだろう。まず理久が特定の男子について話すこと自体、昔ならーー恐らく今もあり得ないことなのだ。本にしか目を向けない彼女が、今自分の前で、幼馴染みでもない同じ部活の男子について、楽しそうに語っている。

 傷つく、というよりは多大なるショックを受ける。ほとんど聞き流していた状態の理久の言葉からも、情の深さが滲み出ていたような気がする。

 言葉にしなければ伝わらない、それは分かっているつもりだった。けれどこんなにも早く失恋が訪れるとは。

 初恋だからといっていつまで行動を起こさない自分も悪いのだが、やはり信じたくない気持ちがあってーー。


「……すごい、仲良いんだな。その、茜くんと理久」

「まぁ一年生からクラス一緒だし」


 二年間も同じクラス!?


「文芸部も、茜と立ち上げたものだから」


 部活もかよ!

 立ち向かうつもりが前線で深手を負う。心が痛い……別の理由で今すぐ入院したい。しかしここで引き下がるわけにも行かず、


「……一緒に帰ったりするの?」

「するよ」

「放課後、どこか寄ったりは」

「二人のときもあるけど、文芸部皆でいる方が多い」

「土日とか」

「それは部員全員ならあるよ」


 首を傾げる理久。これは質問されて嬉しいけど意図が分かっていない顔だ。あぁもうこれは確実だな、逆に何もないって言われてもこっちが信じられない。

 溜め息を飲み込んで、ショックのあまり、慎吾早く帰ってこないかなーと助けを求めるが、菓子を吟味しているその背中は一向にこちらを見ようとしない。

 自暴自棄になりかけて、思わず、


「…………付き合ってるの、理久と茜くん」


 ーー聞いて、しまった。

 どうしようなに聞いてんだ俺バカじゃねぇの墓穴掘ってるっていうかホントにそこが墓場になりそう!! もうダメだ慎吾助けて!!

 しかし問いただした以上は腹をくくるしかない。勇気を振り絞って幼馴染みの顔を見る。

 キョトンとした表情がそこにはあった。

 え、その反応はーー


「付き合って、ないけど……?」


 どうしたの? という理久の言葉に紗也は顔を手で隠しながら答える。「何でもないよ、大丈夫」

 ドッと疲れが押し寄せてきたような気がするが知らない。今はただこの喜びを噛み締めたい。さっきまで否定されても信じられない心地だったが、理久の表情を見る限り嘘をついているようには見えなかった。

 仲が良い部活仲間、同じクラスの男子、しかし危険対象の茜くん。よく覚えておこう。

 数分の間にこんな恐ろしい思いをしたのは初めてだ。これだから初恋は。


「……first love is blind」

「ん? 何か言った?」

「いいや別に」


 どうやら俺は、自分で思っているよりも君が大切で、好きであるがゆえに周りが見えなくなるらしい。

 タイミング良く帰ってきた慎吾は、紗也の疲れた表情を見るなりすべてを察したような顔になった。


 ◇◆◇


 深い藍色の手帳を前に悠介が呟いた。


「この校章、山城じゃねぇか」

「やっぱりそうか……」


 オレンジジュースのパックを片手に理久が溜め息を吐く。二人しかいない部室から眺める空は突き抜けて青い。ソファに身を沈めると、疲れが染み込んでいくようだ。


「どうしたんだ、これ」

「この前、駅でぶつかった他校の人たちが落としていったっぽいんだよ」


 トンビが高く舞い上がる。堂々と空を飛び回る様子に思わず見惚れてしまう。

 風に運ばれてくる秋の香り。もうすぐ冬がやって来て、一年が終わるのか。


「マジかよ。届けた方がいいよな。けど直接学校に行くのもなぁ……また駅で会えるのを期待するしかないかーーおい琴平」


 今日あったかいな。瞼が重く感じる。

 午後の陽気を浴びていると、急に翳りが入った。目の前には生徒手帳を片手に仁王立ちする悠介。


「人の話聞いてんかよ」

「あ、ごめん」

「……さっきからボーッとしてるけど、また具合でも悪いのか」


 え? 理久はキョトンとしたがすぐに去年の今頃のことを思い出す。文化祭前に体調を崩して皆に迷惑をかけた。

 悠介は心配してくれているのだろうか。貴重な言葉に思わず口元が緩んでしまう。

「なに笑ってんだよ」と悠介の声に「何でもないよ」と返す。オレンジジュースを一口啜った。

 最近何をしても上の空になってしまう。原因は分かっている、茜のことだ。先日、紗也から言われた言葉が体のどこかに引っかかったようで消化されないのだ。


『付き合ってるの、理久と茜くん』


 付き合っていない。その答えは間違っていない。間違っていないはずなのだが、なぜか否定した瞬間、理久の心は小さく縮んだ。

 何だろう、これは。

 悠介に相談したくてもどう伝えるべきか分からない。悩んでいるうちにドアの開く音がした。茜だった。しかしその表情はなぜだか強張っている。


「何だよその顔、どうした」

「……いや、何かさ」


 悠介の問いに茜は慎重に答えた。


「この前駅にいた人たちが、校門にいるんだけど」


 ◇◆◇


 考えたこともなかった。ほぼ初対面の人間から、


「さぁ返してもらおうか、俺のパンドラを!」


 と、叫ばれたときの対処法を。

 山城学院高校の校章が縫われたブレザー姿の三人は、ショートカットの少女を真ん中に、何とも言い難い雰囲気を醸し出していた。対面するこちらが圧倒されてしまう。

 少女は、呆気にとられている理久が持つ手帳を見るなり、眉をひそめた。


「やはり君が持っていたか……これも何かの因果か」

「え……あ、この生徒手帳、もしかしてあなたの」

「まさかこのような形で再会するとはな。ふっ、赤き鎖で繋がれし運命なのかもしれない」

「……?」

「なぁイツキもうやめろ! 相手の人、訳が分かんない顔してるから!」


 メガネの男子生徒が少女の肩を掴む。その近くでツインテールの女子生徒がにこやかに言う。


「訳が分からないよ、ってね」

「それキュウベェ!」

「止めるな虎松とらまつ。俺は、もう何も怖くない」

「イケボで死亡フラグ立てるな! てか魔法少女ネタはやめろ!」


 騒ぎ立てる三人を呆然と眺めるしかできない一同。やがてハッとしたように、メガネの少年が理久の前で軽く頭を下げた。


「すみません、山城学院高校二年の三好みよしと申します。生徒手帳を拾っていただいたようで……」

「あぁいえ。それにしても、よく私たちが持ってるって分かりましたね」

「志木高校さんは有名ですからね。まぁ、あの日落としたなら駅で騒いだときだろうと予想した結果です」


 疲れた表情で乾いた笑いをこぼす虎松。大変そうだなぁという理久の感想とは裏腹に、悠介が口を挟む。


「有名ってことは、もしかして文芸部の……?」

「あ、はい。そうです。ここで会ったのも何かの縁でしょうか。改めまして、山城学院高校文芸部、部長の三好虎松です」

「副部長の水澤みずさわ明菜あきなでーす!」


 流れ的にショートカットの女子に一同は目を向けるのだが、名乗る気配はない。黙ってそっぽを向かれてしまう。

 不思議に思っていると、虎松と明菜が囁いた。


「イツキはね、自己紹介嫌いなの」

「え? どうして」

「まぁいわゆる、キラキラネームというやつで。本人はあまり好きじゃないみたいなんです」

「だから『イツキ』はあだ名なの」


 理久はしばし考えたのち、イツキに近づいた。「あの」と声をかけると少し怯えたような顔を露わにした。


「私、部長で二年の琴平理久。よろしく、イツキ」

「りく……?」

「うん。男の子みたいな名前でしょ。でも気に入ってるんだ、私だけの名前だから」


 イツキと昔の自分が重なった。この子は名前が大嫌いだったあの頃の自分と同じだ。理久が紗也に救われたように、何かできないだろうか。そう思っての行動だったが、


「俺は茜!」


 背後から聞こえた声にイツキはもちろん、理久も驚いた。


「二年一組の出雲茜。女子みたいな名前だけど男! よろしくね」


 差し出された手をイツキは恐る恐る握った。声は続く。


「一組の御崎神楽。私も派手な名前だから、気持ち分かるよ。自己紹介、勇気いるよね」

「和多哲郎。よろしく、イツキ」

「副部長の松野悠介だ。よろしく」


 次々に差し出される手に慌てながらも、丁寧に握り返していく。イツキの視線が虎松たちへ動いた。二人に微笑まれると、意を決したように口を開いた。


「二年八組、貝津かいつ綺羅きららだ。イツキと呼んでくれ。よろしく、頼む」


 少し照れくさそうに綺羅は言った。しかし、やがて耐えきれなくなったのか明菜の背後に隠れてしまった。


「イツキが照れてる……だと……!?」

「志木文芸部の口説き文句すごーい」

「くど……ッ!? そ、そんなつもりは」

「ていうか茜くん? かっこいいねー! あたしのタイプかも」


 明菜の一言に空気が一変する。当の本人でさえ引きつった笑顔を露わにしている。

 理久は胸が痛むのを感じた。紗也のときよりも強いものだった。

 虎松の声が遠くから聞こえるようだ。


「また明菜は……軽率にそういうことを言うなっていつも言ってるだろ」

「だって本当のことだもん。茜くん、メアド交換しない?」

「あぁうん、別にいいけど」


 痛みがあったのはほんの一瞬で、息を整えながら茜と明菜を眺める。初めての経験に頭がついていかない。


「あの、琴平さん?」


 虎松に話しかけられて、やっと目を覚ました。


「え、あ、ごめんなさい」

「大丈夫ですよ。それで、もし良ければ僕らもメアド交換しませんか? 今後の情報交換とか、学校も近いですし、これも何かの縁というか」


 特に問題らしいものも見つからないので、理久は二つ返事で了承した。


「いいね、交換しよう。あと、敬語で話さなくていいよ。琴平さんも他人行儀みたいでちょっと……」

「じゃあ理久ちゃん、よろしく。俺も虎松でいいから」

「分かった」


 慣れない呼ばれ方にくすぐったいような気分になったが、そのおかげで胸の痛みの余韻は消え去る。

 部長同士、やはりウマが合うのか、談笑し始める理久と虎松を、茜は遠くから眺めていた。


 ◇◆◇


 図書室で本を選んでいた理久の目線が、ある一冊に止まる。お気に入りの作家、月成冬馬の最新刊だった。

 高揚感のあまり口元が緩んでしまいそうになるのを抑えつつ、あらすじに目を走らせた。とあるアパートに住む人々の日常を描いたものらしい。主人公の女性はある日突然ボロアパートの大家になってしまい、問題ありな住人たちの面倒を見ることにーーページを捲れば、キャラクターの個性溢れるセリフが端々に見える。

 ビリビリと空気が伝わってくる。ふと理久は捲る手を止めた。


「君は、彼が好きなのかい?」


 目に飛び込んできた一文に、茜の姿を思い出す。

 ……ん? どうして茜なんだ? 違和感を覚えながらも、貸し出し手続きに向かう。

 図書室を出ると、廊下を小走りする茜に会った。一瞬、心臓が跳ね上がる。


「あ、理久」


 だが何か返すより先に、茜が早口でまくし立てた。


「ごめん今日部活休むね! じゃあまた明日」


 離れていく背中に「また明日」と返事することが精一杯で、しばらく立ち尽くしてしまう。やがて足音は消えた。

 なんだろう、自分の心音の動きが妙だ。不安定というか靄がかかっているようで、落ち着かない。

 茜はどこへ行くのだろうか。時間を気にしているようだった。誰かと会う約束をしているのだろうか。


 ーー女の子、かな。


 刃物で抉られるような痛みが、心に広がった。


「りーく」


 肩を叩かれて振り向く。純希だった。しかしその表情はすぐに顰められる。


「え……なに、どうしたの?」


 何が? 問いただした声はか細い。


「理久、泣きそうな顔してるよ」


 なんだこれは。知らない、こんな感情は知らない。初めてだ。

 茜が何をしようと、誰と会おうと、理久には関係ない。

 それでも気になる。その上、自分の知らない女の子が絡んでいるのかもしれないと考えると、どうしようもなく不安になる。

 胸をよぎるのは、先日の茜と明菜の姿。

 痛くて、苦しくて、辛い。

 この気持ちは何だろうか。


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