表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
拝啓、未来より  作者: 真野/休止中
2年生編
41/68

39話 叫んだ声、伸ばした手

 理久が学校から飛び出していったあと、茜はひとり帰路を歩いていた。

 自分のことを誰かに話したくなったのは、理久が初めてだ。さっきまでの会話を思い出しながらそう感じた。ましてや、母親のことなんてーーなるべく思い出さないようにしているのに。

 それすらも言いたくなってしまう、ということは、それだけ自分が理久に寄りかかりたい証拠ともいえる。

 茜はかぶりを振って、その考えを打ち消した。ダメだ、そんなんじゃ。

 自分が理久に寄りかかるのではなく、彼女のすべてを守ることこそが、俺の役目なのだから。


「……しっかりしろ」



 絶対に理久をーー死なせてはいけない。



「随分と満喫しているようですね、坊ちゃん」


 背後で囁いた冷えた声。それは一瞬で全身に回り、心臓を冷たい手で掴まれたような感覚がした。

 聞き覚えのある声にゆっくりと振り向く。漆黒の髪と銀髪を風で揺らすスーツ姿の男がいた。

 霞はニッコリ笑うと、ごく自然に言った。「お久しぶりです、坊ちゃん」


「楽しい学校生活を送っているようで、何よりです」

「帰れ、俺の意見は変わらない」


 間髪入れずに返した茜を、霞は目を細めて睨みつけた。その眼つきに茜は若干たじろぐが、グッと堪える。


「どうせ俺を連れ戻しに来たんだろ。……父さんの命令なら何でも聞くんだな、霞も千歳も」

「命を助けられた身ですから、当たり前です」


 さぁ坊ちゃん、と霞は手を差し伸べた。


「僕と一緒に帰りましょう。今なら旦那様も許してくださるーー坊ちゃんの犯した罪を」

「俺は何もしていない!!」


 茜が叫んだ瞬間、とてつもない強風がその体を吹き飛ばした。背中から塀に打ちつけられ、鈍い痛みが全身を駆け抜ける。

 咽せながら呼吸を整えていると、いつの間にか霞が眼前に立っていた。その双眸は妖しげな光を放っている。


「……認めてください、坊ちゃんは大きな罪を犯しました」


 霞が右手を茜に向けると、茜は見えない何かに圧迫されている感覚を覚えた。思わず呻いた。うまく息ができない、苦しい。

 手が下ろされる。フッとさっきまでの圧迫感は消え、ゲホゲホと咽せたのち、荒い呼吸を何度も繰り返した。

 霞がそばにしゃがみ込んで、囁く。


「本来ならば死罪にも値するんですよ? ーー死ぬはずの過去の人間を助ける、なんて愚かな行為は」


 荒い息遣いをしつつ、茜は霞を睨みつけた。それに対して、まったく怯んだ様子のないその男は、まるで歌うように語る。


「坊ちゃんがどうしても帰らない、と言うなら……そうですね。僕があの子を殺してしまっても構いませんよね?」


 殺す、という言葉に茜の目が見開かれる。やめろ、とか細い声で反論するも、霞はわざと聞く耳を持たないふりをする。


「だってそうでしょう? あの子はーー琴平理久は春に、車に轢かれて死ぬはずだったんです。分かりますよね? 入学式に向かったあの日のことです」


 あぁ覚えている。まるで昨日のことのように。

 新しい制服を着てルンルンと歩く少女、そのそばを偶然通りかかった自分、僅かの時間二人がすれ違うーー茜が振り返ったとき、少女の真横に、手を伸ばせば届く距離に迫るトラック、見逃せなかった、黙って見ることなどできなかった、気がついたら自分は少女の手をーー。



 その瞬間、世界の時計はいとも簡単に狂った。



 茜の目に薄っすらと涙が浮かんだ。折れそうになる心を必死で守る。負けるな、理久を助けるって決めたじゃないか。たとえ何が起きようとも、この身が朽ち果てようとも。


「…………た……の、む」


 たとえーー父親の前で首を切られることになったとしても。

 俺は、俺が正しいと思うことを貫き通す。


「頼む……から、殺すな」


 茜の言葉に霞はニッコリした。


「では一緒に帰っていただけますか?」


 しかし、茜は首を横に振った。霞の目が今度こそ、氷のごとく凍てついたものへと変わった。

 茜は震える声で言う。


「……俺は、理久の人生を狂わせた。だから、その責任をとりたい……せめて、理久が卒業するまで、待ってくれ」


 そうしたら絶対に帰るから、と最後に付け足す。顔を俯かせて判決を待っていると「……分かりました」という呆れた声が聞こえた。

 茜は礼も言わずに塀へ寄りかかったまま、霞の言葉に耳を傾ける。


「その代わりーーどうなっても知りませんよ」


 それを最後に霞の姿は消えた。


 ◇◆◇


 紗也の名前を受付で言うと、すぐに案内してくれた。病室が移されたようで、廊下から病室の中が見える窓のそばに慎吾がいた。若干であるけれど目が赤い。

 窓の向こうには、たくさんの機器に囲まれて、真っ白なベッドに横たわる紗也。久しぶりのその姿はしばらく見ないうちに、やつれてしまったように感じた。

 食い入るように病室の中を眺める理久の隣で慎吾は言った。


「……とりあえず今は大丈夫だけど、どうなるか分からないって」


 そう言うと慎吾は病室の扉を開けた。ギョッとした理久に苦笑して「入っても平気だよ」と教える。

 恐る恐る足を踏み入れた矢先、慎吾は見計らったように言った。


「俺、何か飲み物買ってくるよ。りっちゃん、中で待ってて」


 理久が何か言うより前に、さっさと病室から離れていってしまった。その背中が人の雑踏に紛れて見えなくなったあと、理久は意を決して病室へ入り込んだ。

 薬品と病院独特の匂いが鼻を突く。紗也のそばに行き、顔を覗き込む。静かに寝息を立てていて、ホッとした。


「……紗也」


 あぁいつぶりだろう。この名前を呼ぶのは。

 ジワリと目の奥が熱くなる。懐かしさと嬉しさに浸っていると、眠っているはずの紗也のまぶたが少し動いたような気がした。まさか、と思う。


「……紗也? 聞こえてるの?」


 半信半疑で問いかけてみる。

 返ってきたものはーー微かにピクリと動いた紗也の指先だった。

 意識がーー戻りそう?

 僅かばかりの希望を胸に、紗也の手を握ると理久は言葉を紡いだ。口元に微笑をたたえる。


「紗也、いつまで寝てんの。早く起きなよ」


 ほんの少し苦笑混じりの口調。

 まるで一番仲が良かったころに戻れたような気がした。

 三人の中では飛び抜けて、寝坊が多い紗也を叱っていたのはいつも理久だった。


「慎吾も待ってるよ。起きて、三人で出かけよう。紗也が行きたいところに連れていくから」


 昔は三人でどこまでも探検に出かけた。山に、川に、近所にあった幽霊屋敷にも行ったっけ。なんてことない公園も、三人で遊べばそこには楽しい冒険が待っていた。

 目の奥に溜まっていた熱いものが溢れ出てくる。ポタリとシーツに落ちた涙。「……ッ大丈夫だよ」


「紗也、ひとりじゃないよ。ごめんね、寂しかったね、でももう大丈夫だから」


 ずっと一緒だから、と呟く。シンと静かな病室にゆっくり響いた。

 頬を伝う涙を拭うため、握っている手を一旦離そうとしたーーーー刹那。



 紗也の手が、小さな力で理久の手を握り返してきた。



 驚いて目を見張る。さっきまで眠っていたはずの彼へ視線を向けると、閉じていた瞳がゆっくりと開き、少しボーッとしたのち理久を見て言ったのだ。


「…………理久……?」


 ◇◆◇


 真っ暗闇の中、ひとりで涙をボロボロこぼしていたら、ふいに声が聞こえた。慎吾のものではない、女の子の声。


 ーー……紗也


 あぁ久しぶりだ。あの子から、理久から名前を呼んでもらうのは。

 嬉しさとは裏腹に思い出すのは最後に会ったあの光景。

 君を手を、振り払ってしまった日。

 ごめんね、ごめんねりっちゃん。傷ついたよね。

 きっともう、許してくれないよね。

 それでも、暗闇に響く声は昔とちっとも変わっていなかった。


 ーー紗也、いつまで寝てんの。早く起きなよ

 ーー起きて、三人で出かけよう


 三人で、という言葉に気持ちが高揚した。また昔みたいにどこまででも行きたい。三人でなら、どこへだって行ける気がするよ。

 でも、でもでも、俺は君を傷つけて、


 ーー紗也

 ーーひとりじゃないよ


 その言葉が手を差し伸べてくる。

 暗闇の中で光り輝く、俺の道しるべ。

 一度は振り払ってしまったその手を、また伸ばしてくれる。優しくて、本当は誰よりも泣き虫だった君。

 闇に溶けていたはずの自分の体が光で浮き上がる。腕を伸ばすとその手には難なく届いた。

 あぁこんなにも、君は近くにいたんだね。

 光に吸い込まれる。開けるんだ、その目を。大丈夫、広がる景色が暗くなってもきっと次は乗り越えられる。


 大好きな仲間と一緒なら、何だってできるから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ