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拝啓、未来より  作者: 真野/休止中
2年生編
35/68

33話 黒と、白

 あえて言うならば黒。

 目の前に広がる空間は、ただただ闇だけで埋め尽くされていた。

 そもそもここは空間と言うべき場所なのだろうか。右も左も、奥行きも何も分からない、そんな何か。

 どうして自分はこんなところにいるのだろうーーしばらく考えた末に浮かんだのはそんな疑問で、けれど不思議と恐怖に似た感覚はなかった。

 感覚があるとすれば『心地よい』それだけだ。

 この闇の中に、自分はいつまでもいてはいけないと思いながら、ずっとこうしていたいとも感じる。

 いっそこのまま、自分も目の前の黒になってしまおうか。そう考え始めたとき、懐かしい顔が脳裏を掠めた。

 いつだってそばにいてくれて、優しくて友達思いで、それでいて涙もろい。そんなあの子の顔が浮かぶ。


 ーーあぁせめて、このまま消えてしまう前に、君にだけは会いたかったな


 しかし、その願望が叶わないことなど自分が一番よく知っていた。

 なぜなら自分はーー俺は、あの子が差し伸べてくれた手を振り払ってしまったのだから。

 何もないはずの暗闇に一粒、涙の落ちる音が寂しく響いた。


 ◇◆◇


 息を吸い込むと春の香りが胸いっぱいに広がった。

 そう言うと決まって友人から「春の香りってどんな香り?」と聞かれるのだが、実は自分もよく分からない。けれどこれは確かに春の香りなのだ。それだけは胸を張って言える。

 芽吹く草、咲いた花、澄み渡る青空ーーすべてがこの春の香りを表しているのかもしれない。

 もう一度吸い込む。うん、いい感じ。今日は何かいいことがありそうだ。

 ーーいや、いいことならもう始まっている。


「どうした、真城ましろ。そんなに深呼吸して……高校、不安なのか?」


 そう、何を隠そう今日から自分は女子高生なのだ。

 隣で心配そうな顔をしている兄ーー城也しろやに真城はニンマリとした笑顔で答える。


「ぜーんぜん不安じゃない! むしろ楽しみすぎてヤバイ!!」

「そうか、ならいいんだ」


 忙しい両親の代わりに妹の入学式に出席する城也の立場としては安心したらしく、ホッとしたようにそう言った。さらに真城は続ける。


「だって高校だよ!? ラノベの主人公とまでは言わないけど、きっと可愛い女の子がいっぱいいるに違いないじゃん!! あぁ、可愛い男の娘でもいいけど自分のことを『僕』っていう女の子もグッジョブ……ッ!!」


 うっとりとした表情を浮かべる真城。いつも通りの調子に城也「お、おぉ……そうだな」としか返す言葉がなく、小さな溜め息をついた。一体うちの妹はどこで道を踏み間違えてーーいや、いつどこで新たな扉を開いてしまったのだろうか。

 同じ空間の中にいるはずの兄妹は、まったく別のことをそれぞれ考えながら耳にチャイムの音を聞く。

 ハッと我に返った城也は真城の背中をグイグイ押した。


「ま、真城! 入学式始まる!」

「ふぁーい……」


 まだ自分の世界から抜け切れていないらしい。呂律の回らない返事をしつつ、フワフワと体育館へ向かっていく。

 真城の少し後ろを歩きながら城也は思った。


「……大丈夫かな、うちの子」


 そんな兄貴の呟きも知らず、幸せいっぱいな気持ちで足を進めていた真城は、ふと目の前にヒラリと紙が舞い降りるのを目撃する。ここは常識的に考えて、自分の前に歩いている人が落としたものだろう。やっと現実の世界へ帰宅を果たした真城は前方を向く。そこには同じ新入生と思わしき少年が歩いていた。


「すみませーん!」


 小走りで近づきながら一言。真城に気づいた少年が振り返ると、サラサラした黒髪が太陽の光でキラめいた。

 び、美少年……だと……ッ!? 思わずそう言いたいのを堪えて、少年に紙を差し出す。


「これ、あなたのじゃない?」


『新入生オリエンテーションの案内』という題名の紙を眼下に、少年は少しの間ポカンとしていたが、すぐにハッとして紙を受け取る。


「ごめん、わざわざ拾ってくれたの?」

「え、まぁうん」

「そっか」


 どうもありがとう、と優しい笑顔で言う少年。刹那、真城の体が硬直するが、気がついていないのか少年は「ホントにありがとう!」と、そのまま立ち去る。

 ーー真城に見えないよう、ニヤリとした笑みを口元に浮かべながら。

 一方、取り残された真城に背後から城也が近づく。


「ちょっと真城、お前マジで初日から遅刻する気で」

「……鼻血出るかと思った」

「は? なに、どっかぶつけたの?」

「あの子は受けか……いや、襲い受けもアリだな」

「ちょ、マジで時間ヤバイから早く行くよ!!」

「あぁもう! せっかく良いネタが思いつきそうなのに!!」


 城也に手を引かれ、走りながら今日も自分の腐った脳内は平常運転だと、真城は思った。


 ◇◆◇


 入学式の翌日。校内ではとある行事が行われていた。

 開催地である体育館の真ん中には、イスに座る新入生。その周りを囲むようにして立ち見しているのは在校生だ。


「以上で吹奏楽部の演奏を終わります。新入生の皆さん、仮入部でも構わないのでぜひ一度、音楽室に来てくださいね!」


 フルートを片手にポニーテールの女子生徒が笑顔でそう言い終わると同時に体育館には、はちきれんばかりの拍手喝采が響き渡った。

 やり切った満足そうな表情や、照れくさそうに微笑みながら楽器を持って退場していく志木高吹奏楽部。現在、志木高校の敷地内にある体育館では毎年恒例の行事『新入生オリエンテーション(部活動編)』が行われていた。

 この行事でやることによって、新入生が持つ部活動への印象が決まるとともに、広がる評判の内容すらも決まる。まさに、部活動へ高校生活を捧げている生徒にとってはなくてはならない大切な一日であり、それは現在廃部寸前の人数でギリギリ活動している部ーー文芸部にとっても大きなチャンスだった。何せオリエンテーションでのアピールによっては、新入生が大量に入る可能性だってゼロではないのだ。

 しかしそんな絶好のチャンスを目の前に部長ーー琴平理久は冷たい汗を額から流し続けていた。


「……どうする?」

「どうもこうも……やるしかねぇだろ」


 場所は体育館のステージ裏。パイプイスや長机が置いてあるその狭いスペースでは会議中の文芸部一同がいた。

 小声で理久に応える副部長ーー松野悠介は背後を振り向く。


「哲郎、アイツ来てるか?」


 ステージ脇と体育館内を繋ぐ扉の前にいる少年ーー和多哲郎は、フルフルと首を振ってから「来る気配もない」と言い切った。首を振る反射で茶髪に飾られた紫色のピンが光り輝く。

 苦い表情をする理久と悠介。今度は理久が背後を振り向かずに問いた。


「……神楽、携帯どうだ」


 しかしその質問にも少女ーー御崎神楽は哲郎と同じように首を振る。手に持つスマートフォンはメール受信画面を表示しているが、新着メールはもちろん、着信を知らせるものはない。

 ステージからマイク越しの声が響いてくる。


「吹奏楽部の皆さんありがとうございました。続いて、軽音部の演奏に入ります。なお、軽音部は部員数が多いため本日は部を代表して、二つのバンドに演奏をしていただこうと思います」


 バンドの名前らしきものを生徒会役員が告げると、体育館中に黄色い悲鳴やら拍手やらが鳴り響いた。恐らく在校生によるものだろう。かなり人気のバンドであることが伺える。

 不安げな瞳を揺らめかせる神楽に、理久は「そうか」とだけ答え、振り向いた。「ところで神楽」


「そのリボンのついたカチューシャ、可愛いな」

「ッあ、ありがとう……!」

「いやそれ今言うことじゃねぇだろ!?」


 あまり大声で騒ぐと生徒会に叱られるので、小声で悠介は言うと理久へ向き直る。


「しっかりしろ! 現実逃避したい気持ちも分かるけど、部長はお前なんだぞ!?」

「だって本当に可愛いし、神楽によく似合ってる。……あ、何かもうどうでもよくなってきた」

「戻ってこい琴平! 遠い目をするな! おい!」

「…………」

「神楽、顔真っ赤。照れてる?」

「ち、違うもん……」


 扉から戻ってきた哲郎が首を傾げながらそう聞くと、神楽は恥ずかしそうにそっぽを向いた。耳まで真っ赤だったのを前に「理久に褒められたのがそんなに嬉しかったのか……」哲郎が思わず小さく呟いたところ、神楽は涙目で睨み、哲郎の体をポカポカと叩き始める。


「だッ、だから、そんなんじゃないもん……!」

「? でも耳まで真っ赤だし」

「〜〜ッ!! 和多の意地悪ッ」

「意地悪……!?」


 どうやら自分の発言に憤慨している様子の神楽にそう言われ、珍しく哲郎の表情に焦りの色が露わになる。

 もはや口から魂が出ているのではないかと思われる部長に、それを必死に食い止める副部長、すっかり拗ねてしまった部員に少しオロオロするもう一人の部員。まったく統一感を感じない空気の中、ある男が文芸部一同に声をかけた。


「なぁに騒いでんだー、もうすぐ出番だぞー」


 やけに間延びされた口調で近づいてきた文芸部顧問ーー戸塚康太はそう注意を促すが、すぐさま違和感に気づく。「……ん?」


「あれ、部員って四人だったか? もう一人……おぉそうだ、アイツはどうした。出雲は」


 自称未来人ーー出雲茜の名前が戸塚の口から出た途端、一同の空気が凍りつく。急に静まり返る中、戸塚は首をひねりつつ部長へ問いかけた。


「琴平、出雲はどうした? まだ来てないのか?」

「……まぁ、はい」

「はぁ? まだ春休み気分が抜けてねぇのかアイツは……って、どうした琴平! なんか顔色悪くないか!?」

「いや……だ、大丈夫で、す」

「全然大丈夫じゃないだろ!?」


 なぜか顔が真っ青になりつつある理久を神楽が介抱している間、戸塚は悠介と哲郎を呼び出し、小声で話す。


「おい、本当にどうしたんだ。出雲といい琴平といい……一体何が起こった?」

「……実は、この前オリエンテーションで何をするか話し合いをしているときに茜が『俺がなんか面白い企画考えてくるから任せて!』って」

「それで、とりあえず企画は茜に任せて、理久とか俺たちは簡単な挨拶しか考えてなかったんだけど」

「……なぜか当日にその本人がやって来ない、そういう訳か」


 悠介と哲郎から事情を聞いてから戸塚は理久を見る。恐らく、予想外の事態に直面して不安やら緊張やらが一気に押し寄せてきたのだろう。そう考えると理久の不自然さにも納得がいった。

 床に座って、今にも魂が抜けそうな理久に近づき、戸塚はゆっくり言葉を継ぐ。


「大丈夫だ琴平、出雲は必ず来るから。それとも、今までアイツが約束破ったことあるのか?」


 戸塚の質問に理久はハッと我に返ったのち、首を横に振る。


「なら心配いらないだろ。まだ文芸部の出番まで少し時間あるし、そのうちヒョッコリ現れる」


 そう言って戸塚は「部員を信じて待つのが部長の役目だ」と付け足し、理久の頭をポンポンと叩く。まだ緊張はほぐれていないものの、懸命に頷いた理久を前に戸塚は微笑んだ。

 そしてその場から立ち上がり、全員へ激励の言葉をかけようとしたのだが、


「よしッ! じゃあ、精一杯がんば」

「すみません! 文芸部さんいますか!?」


 突如、ステージからやって来たであろう生徒会役員が現れ、その激励は遮られる。やけに焦った表情でそう言うものだから、理久は何事かと内心思いつつ立ち上がった。若干尻込みしながらの返答。


「はい、いますけど……」

「あぁ良かった! 悪いんですが、部活紹介の順番に変更がありまして」

「あ……そうでしたか」


 そんなに大事でもなさそうで、ひとまず安心する。


「それで、何番くらいですか?」

「えっと……」


 しかし次の瞬間、生徒会役員である男子生徒の口から出た言葉に理久は、さっきまでの安心感を失う。


「軽音部が終わって、今が家庭科部だから……次ですね!」

「…………? え、すみません、今なんて」

「今やってる家庭科部の次です。だからもう出番ですね」

「…………」

「急で申し訳ないんですが、どうかよろしくお願いしま……って、大丈夫ですか!?」

「もう……やだ……」

「泣くな琴平! ほら、御崎も俺たちもいるだろ! な!?」

「ことりちゃん! しっかり!」

「……和多。先生、ちょっと出雲のこと探してくるわ」

「ぜひよろしくお願いします」


 ◇◆◇


 半泣き状態の理久の手を引く神楽。その前にはステージのカーテン後ろから館内をを覗く悠介と哲郎がおり、二人とも目を丸くして呟いていた。


「うわぁ……意外と人数多いな」

「すごいいっぱいいる」

「う、嘘だろ……」


 二人の情報にますます体を硬くさせる理久だが、振り向いた神楽から微笑みとともに告げられた。


「大丈夫だよ、皆一緒だもん。出雲もきっと来るよ」

「いや、さすがにもう無理なんじゃ……」


 そう言う理久の言葉は聞こえていないのか、神楽はポツリと呟く。


「……もう、二年生なんだね」

「ッ!」

「早いね、一年間って」


 少し寂しそうに笑ったようにも見えた表情。その笑顔にもだが、理久には言われた言葉の方にハッとされた。

 気がつけばもう、あの春から一年が過ぎていた。

 茜や悠介、神楽と哲郎に出会って、文芸部ができて、大会にも出てーー思い返せばいろいろとあるが、その中の春を理久は思い出した。ちょうど一年前の春、初めて茜に会ったあの日。


 ーーそういえば、入学式のときも遅刻してたな、茜


 挙句の果てに教室へ子犬を連れ込む始末。思い返して、ついつい笑いが込み上げてきた。

 隣で肩を震わせ、クスクス笑う理久に気がついたのか、神楽は声をかけようとする。しかし、ふいに顔を上げた理久を見てその必要はないかな、と判断した。

 いつも通りの目で、表情で、真っ直ぐ伸びた背筋で、部長の理久がそこにはいた。


「それでは続いて、文芸部の皆さんです」


 アナウンスが入った。意を決した顔つきの悠介よりも先に、背後から現れた理久が前へと出る。驚きながらもあとに続く悠介たちを横目に、理久は口の端を上げた。

 まだスイッチの入っていないマイクを手に、小さな声で呟く。


「……部員を信じて待つのが部長の役目、か。確かにそうかもな」


 ふと、文芸部のいるステージへと吹き込む春風。前方遠くにある体育館出入り口から、舞い込んでくるその風は春を知らせているのか、それとも、


「けどさ、それにしても」


 やって来た人物を知らせているのか。

 開け放たれた扉の向こうから、駆け込んでくる人影。それを映した理久の瞳が赤くーー茜色に揺らめく。


「ちょっとばかし遅すぎやしませんかね、茜さん」


 人影ーー出雲茜はその声が聞こえていたのか、ニヤリと笑った。

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