29話 開幕、コンクール
楽しい文化祭はあっという間に終わり、休み明けの放課後。いつものように第二図書室へ集まったメンバーの視線先には、久しぶりに見る顔があった。
「えー……その、先日は多大なるご迷惑をおかけしたようで」
申し訳なさそうな喋り方の理久はそう言って視線を泳がせる。言わなければならないことはたくさんあるのだけれど、それをうまく言葉に表現できない。
やがて、無駄に話すより手っ取り早い方法を選び、勢いよく頭を下げた。
「たッ! 体調管理もろくに出来ないですみませんでしうおッ!?」
だが言い切るより前に前方から抱きしめられ、口を閉ざす。呆気にとられたのち胸の辺りを見下ろすと、そこには顔をうずめる神楽の姿があった。驚いて頭の上にクエスチョンマークを大量に浮かべる理久の心情を読み取ったのか、そばにいた哲郎が補足を付け足す。
「神楽、理久のこと一番心配してた」
「え?」
「そもそも、倒れた理久の第一発見者も神楽だし」
な? と促す哲郎に神楽は頷き「治って……良かった」小さくそう呟く。
顔が見えなくても、神楽の気遣いや優しさが現れるその様子に理久は微笑んで「ありがとうね」と抱きしめ返した。
続いて大きな溜め息が聞こえる。
「ッたく……本当に体調管理だけはしっかりやっとけ。次こんなことになったら、容赦しねーからな」
サラリと脅し紛いの言葉を吐く悠介に理久は苦笑いを返す。す、すみませーん……。
そっぽを向いてそのまま部室から出て行こうとした直前、悠介はボソリと呟いた。
「……あんま無理すんなよ」
相変わらずの上から目線は健在だが、垣間見える優しさに理久は一瞬驚く。だがすぐに笑顔で「うん」と答えた。ありがとう、悠介。
礼を言われ今さら自分が言ったことを確認したらしい。悠介は僅かに頬を赤らめてから「いッ、印刷した部誌取ってくる!」と叫んで扉を激しく音立てながら閉めた。
それを見て神楽や哲郎とクスクス笑う理久の耳に、久しぶりの声が届く。「理久」振り返った先には茜がいた。
「あの、えっと……その」
茜にしては珍しく言いよどむ様子を眺めて、理久はすぐに気づく。あぁ、そういえば茜とこうやって話すの本当に久しぶりだ。いつから話していないのかと記憶を巻き戻している途中で、茜は口を開いた。
「お、俺が変なこと言ったの……気に病んだ?」
「変なこと?」
復唱して脳内の巻き戻しがある場面でピタリと止まる。それは茜が自分にコンクールをやめるよう忠告している場面だった。
「悠介がいなくなる」思い出されるその一言と今の茜の様子を見て、すべての合点がいった。そうか、自分にそう告白してしまったことをずっと気にしててくれたのか。
最近話しかけてこなかった理由が判明したところで、理久は安心させるように茜へ告げる。
「大丈夫、もう気にしてないから」
「ホ、ホント?」
「うん、余計な心配かけてごめん」
それに、と理久は続けて茜の耳元に口を寄せる。
「悠介はいなくならないよ。だって、文芸部のこと好きって言ってくれたし」
「え?」
な、何の話? それ……、と目を丸くさせる茜の前で、なぜか理久もキョトンとする。え? だって悠介がそう言って……。何しろ熱のせいで倒れた前後の記憶があやふやなのだ。だから余計に、自分の知っている情報を他の人が知らないことに違和感を覚えた。
だからだろうか、部誌が入った箱を持って戻ってきた悠介には気づかず、理久はつい言ってしまった。
「よし、じゃあ琴平もいることだし製本の続きをし」
「いやだから、悠介本人が『俺は文芸部のことも、文芸部の皆も大好きだ』って言って」
「わあァァァァァッ!?」
机に箱を置くと、すぐさま理久の口が悠介によって塞がれる。苦しそうにジタバタする理久を悠介は「な、ななな何言ってんだお前!!」と怒鳴りつけるが、その顔がどことなく赤みを帯びていて恥ずかしそうに見えたのは茜の気のせいだろうか。
無理矢理悠介の手を口元から剥がし、理久はさらに続けた。
「別にいいじゃんか! 悠介は皆のこと大好きなんだろ!?」
「大好きだなんて俺は一言も言ってねぇ!! 誤解を招くような言い方すんな!!」
「え? あれ……? じゃあ何て言ってたんだ……。というかそもそも私、悠介と一緒に保健室にいたのか……? え? あれ?」
「〜〜ッ! だーかーら!!」
混乱する理久に痺れを切らして、半ば自暴自棄になりつつ悠介は叫ぶ。
「正しくは! 『俺は文芸部のことも、皆のことも好きだ』つッたんだよ!! だから誰も大好きだなんて言ってなーーーーッ!?」
急に言葉を途切れさせたかと思えば、今度こそ顔を真っ赤にして悠介は口をパクパクさせる。
「やっぱり似たようなこと言ってるじゃないかー」と呆れたように言う理久の隣にはニヤニヤする茜がおり、悠介は何とかして弁解の余地を貰おうと必死になる。
「いや違ッ、今のなし!! 冗談だから!!」
「え……冗談、なのか? じゃあ本音は……」
「はぁ!? や、その違くてだから!」
真面目な表情でショックを受ける理久を前にして罪悪感が襲ってくる。呆然とする理久へ神楽が声をかけつつ、頬を膨らませた不満げな語気で悠介に吐き捨てた。
「悠介……酷い」
「え!? 俺!?」
「嘘つきは泥棒の始まり、だぞ。悠介」
「哲郎まで! だから俺はそういう意味で言ったんじゃなくて」
「本当は冗談なんかじゃなくて本音なんだけど、恥ずかしくて言いにくいんだよねー? 悠くんは!」
予想通りというべきか、茜には思いっきりバレていたようで図星を突かれる。言葉をつまらせる悠介の背後から茜は悪魔の囁きとも聞こえることを呟き始めた。
「あーあ、部長のこと悲しませたー。これはもうちゃんと本音であることを証明しないとね」
「え? は? ちょ、待ッ」
「はい、リピートアフターミー『俺は皆のことが大好きです』」
「ッ!? ふ、ふざけんなッ!!」
「でも理久悲しそうだよ?」
「うッ……」
チラリと目を向けるとそこには神楽の「ことりちゃん? 大丈夫?」という声にすらまともな反応を見せない理久がおり、ただでさえ強い罪悪感がさらにその存在を大きくさせた。
「これを放っておくなんて、悠くんは鬼か何かで」
「ーーだから」
ふいに聞こえたか細い声で部室は静まり返る。
相当頑張っているらしい、悠介の声は微かに震えていた。
「……だ、い好きだから、も……勘弁、しろ」
腕で真っ赤な顔を覆い隠しつつそう言ったまま、黙り込んでしまった。てっきりいつものごとく怒号が飛んでくることを予想していた一同は呆気にとられたのち、
「……悠介、何か、可愛いな」
理久の呟いた一言に揃って頷いた。
それが悪かったのか、あるいは最終的な悠介のメンタルゲージを壊してしまったのか、その後悠介は部室のソファに丸くなりながらふて寝してしまい、機嫌を直してもらうために一同は放課後の時間を費やしたのだった。
◇◆◇
迎えたコンクール当日。
初の部誌作りに四苦八苦しながら何とか完成させたものが入った箱を理久は運んでいると、ふいに背後から声をかけられた。「あの」
「志木高校さん、ですか?」
「? はい、そうですけど何か」
振り返ったと同時に思わず理久は目を見開いた。無理はない。そこにはつい先々月あたりに出会ったばかりの少年ーー中里彰がいたのだ。
ざわつく胸を何とか抑えながら、ここに悠介がいなくて良かったと安心する。またあんな顔を見るのはごめんだ。
少し目を細めた理久に感化されたのか、彰も負けじと威圧感を滲ませた。
「勝負の方なんですけど、どういったやり方なんでしょうか?」
「……いろいろ考えたんですけど、単純に順位が高い方の勝ちということでよろしいですか」
今日の部誌コンクールは地域の文化ホール開催のため、参加校の数も地元の高校しかないのでおよそ二十校ほどという、コンクールにしては少数のものだ。持ち寄った部誌を自由に見て、良いと思った高校に投票し、それを集計した結果が順位に反映され表彰やら何やらがある。至ってシンプルなコンクールだ。
理久の意見に彰は特に異論もせず「分かりました」と返事して、その場を去ろうとした。だが突然、振り返り理久の背のさらに向こうへ目を向ける。
不思議に思って理久も振り向くが、そこには茜や悠介といったいつもの顔ぶれが話し込んでいるだけだった。僅かに会話が聞こえてくる。
「見て見てー! 表彰されたとき用に百均で蝶ネクタイ買ってきたんだ!」
「気が早すぎるだろ……」
「でも、表彰されたら嬉しいね」
「俺もそう思う」
「いやそれは誰だって嬉しいだろ。つーか、仮に表彰されたとしても誰がつけるんだよ。琴平?」
「決まってんじゃん、悠介だよ」
「何で俺なんだよ!?」
「だって似合いそうだし……ブハッ!」
「着けたところ想像して笑うな!!」
「……ふふッ」
「なッ! 御崎まで!! お前らいい加減に……おい哲郎! 笑いを堪えるな! そっちの方が傷つく!」
「ちょ……ちょっと悠介着けてみなよ。絶対似合うって……アハハハッ!!」
「笑うなって言ってんだろ! わッ、馬鹿! 無理矢理着けんな!!」
ギャーギャー騒がしいため、彰や周りからの視線が僅かばかり痛い。いつもあんな感じだけど周りからはこう見えるのかと、眉をひそめた理久は何気無く彰の顔を見上げる。見上げてーー刹那、息が止まった。
あんなに騒がしいのに、うるさいのに、その様子を見る彰の顔は無表情でいてなぜか穏やかで、二つの瞳にあの景色を懸命に映しているようにも見えたからだ。
そんな表情を眺めて理久は思う。
ーー……もしかして、本当はこの人
息を飲む理久に気がついたのか、ハッとして彰は足を戻し始める。「じゃ、またあとで」そう言い残して足早に去っていった。
大きいような、でもまだ小さいような背中を見送りつつ、理久は心に残った違和感を拭いきることが出来なかった。
◇◆◇
広い会議室のような部屋に通され、足を踏み入れるとそこは部誌の広場だった。中央の机に各校の部誌と票を入れるボックスが置かれており、周りにはイスや小さなテーブルといった読書スペースがあった。ちょっとした図書館を思わせるデザインに理久は感動し、早速はしゃいだところで悠介に一喝される。今日はこの前みたいな見学じゃねーからな、良いと思ったところのアイデアはガンガン盗め。は、はーい……。
静かに闘志を燃やす悠介に大人しく従いつつ、他校の部誌を手に取ってみる。
と、そこで見知った名前の学校を見つけた。「山城記」という名前の部誌には見覚えがあり、やがて夏の大会で見たものだと思い出す。学校の名前は山城学院高等学校。あまり聞いたことのない名前だが、今日はこの地域の高校しか参加していないため場所はこの近辺なのだろう。
今度調べてみよう、と部誌を読みながら理久はそう思った。
「ことりちゃん、こっちの部誌すごいよ!」
「あー、うん! 今行く!」
珍しく大きな声で呼んでくれる神楽の元へ行く直前、理久は山城学院に票を入れる。一人最高三票までだが、内容も良かったため躊躇いはなかった。
神楽と一緒に回ったり、悠介と他校の部誌について話し込んでいたりと、そんなことをしているうちに時間はあっという間に過ぎていき、気がつけば順位発表と閉会式を知らせるアナウンスが流れていた。
『これより各校、投票の集計に入ります。生徒の皆様は二階、講堂へお集まりください。繰り返します。これより各校、投票の集計に』
ゾロゾロと生徒が出入り口へ歩き始めたにも関わらず、理久は並べられた部誌を眺めたまま動こうとしない。慌てて人の波を掻き分けた悠介が連れ出そうと、後ろから声をかける。
「おい琴平、もう行くぞ」
しかし返事はない。まさか勝負に怖じけづいたのかと考えて、何か励ましの言葉を口にしようとしたのだが、
「……大丈夫だろ琴平、仮に負けたとしても俺は」
「これ全部、違う部誌なんだ」
「は?」
急に語り出した理久に驚き、悠介は思わず眉をひそめた。
「全部全部、その学校の人たちが一生懸命作ったもので、何一つ同じものはないんだ」
「……だから?」
「すごいな」
簡潔に返されて悠介はハッとする。違う、コイツは小さな勝負一つで怖じけづくような奴じゃない。多分、怖がってるんじゃなくてこれはーー、
「本当に、すごいな!!」
ワクワクしてるんだ。
強い奴を目の前にしても決して揺るがない精神、それが理久にあることを一番知っているのは紛れもなく自分だ。現に理久は隙あらば自分を超えようとしている。
嬉しそうに、楽しそうに笑う理久の顔を見て、少しホッとした。そうだな、すごいな、と返しつつ理久を連れて会議室を出る。
本当にすごいのは、お前のその真っ直ぐさだよ。そう言いたいのを堪えながら。
◇◆◇
「それではこれより、各校の順位の発表、及び表彰式を行います」
司会者である女子生徒の声により、さっきまで騒がしかった会場内がシンと静まり返った。女子生徒の恐らく順位が書いてあるであろう紙をめくる音だけがやけに響き、理久はただ耳だけを傾ける。
大丈夫、大丈夫ーーそう自分に言い聞かせていると、順位と学校名が告げられ始めた。
「二十位、桐山高校」
どこからか落胆にも似た溜め息が耳に入り、思わずビクリと体を反応させてしまう。もしも、もしも負けてしまっていたら。佐伯総合高校より先に名前が発表されてしまったら。
ジワジワと襲ってくる緊張と理久が戦っているうちに順位は次々と上がっていく。十六位、西崎第一高校。十五位、名瀬高校。
マイク越しに発表される結果に喜んだり、少し悔しそうにしたりするリアクションが多いなか、なぜか悠介だけは驚いたように前を向いていた。
「……どうなってんだ、これ」
悠介がそう呟いたのを聞き逃さず、理久は思わず顔を上げる。え? 何が?
だが次の瞬間、講堂に響き渡った名前を聞いて耳を疑った。
「ーー十位、志木高校」
名前が、出てしまった。




