28話 過去、文芸クラブ
最初は、無愛想な奴だと思った。
文芸クラブの部室の入口に立ちながら、なぜか俯きがちにする少年を前に彰はそう感じた。周りにも何人か同じ一年生の生徒はいたが、その中でも格別にソイツはどこか不貞腐れたような態度で、着ている学ランも少し大きめで。
自分の隣にいる幼馴染みの男子、千紘もその少年を不思議そうに眺めていた。
やがて少年は口を開き、図体よりも遥かに小さな声で呟く。
「……一年二組、松野悠介です」
よろしくお願いします、という何だか暗い声色が最初は気味が悪かった。なるべく関わらないようにしようと思ったのだが、千紘が悠介に話しかけてしまった以上、自分も関わりを持たざる得なかった。
「よろしくね松野くん。僕は三組の要千紘、千紘って呼んで!」
千紘は誰彼構わず仲良くできるタイプの人間だ。だから、そんな千紘の笑顔で言われたことに何かしらの反応を示すかと彰は予想するが、当の本人はただ無表情で「……よろしく」そう返しただけだった。
薄い反応に千紘が若干顔を曇らせ、それを見逃せなかった彰は思わず悠介に近寄る。
「おい、ちょっと待てよ」
自分を見上げる悠介の目を真っ直ぐに見据える。千紘ほどではないが、この少年もなかなか背が小さめだった。
「同じ一年同士、もう少しコミュニケーションってもんをとった方が」
「あの」
「あぁ?」
だが次の瞬間、悠介の口から出てきた言葉は耳を疑うものだった。
「ここ、文芸クラブの部室だけど」
「……それくらい知ってる」
「え?」
「は?」
な、何が言いたいんだコイツ……。彰が心中でそう感じていると、悠介はその眼前で困ったように首を傾げた。
「え、だって……運動部の人じゃないの?」
「はぁ!?」
驚きのあまり口をパクパクさせる彰の背後で、我慢できずに吹き出す音が聞こえた。それが千紘だと気づき振り向くと、苦しそうに腹を抱えて微かな笑い声を漏らしている。
一方悠介はといえば、何の悪そびれた様子も見せず言葉を続けた。
「ごめん、背が高かったから……そんな感じに見えて」
褒められているはずなのに少し前の会話のせいでまったく喜べない。表情筋をひくつかせる彰の後ろでは未だに静まる気配のない小さな笑い声が響いており、部室から出る際に悠介が見せた人を小馬鹿にしたような笑いがやけに脳裏に焼きついた。
ワナワナと拳やら体やらを震わせるなか、息を整えたらしい千紘が涙目で言う。
「あー、あの子面白すぎる!」
「……俺は嫌いなタイプだ」
「でもあーちゃん気づいた? あの子、結構すごいよ」
「あぁ!?」
「何がだよ! つーかどこが!? あとそのあだ名いい加減にやめろ!!」ものすごい剣幕で批判する彰をよそに千紘は澄ました顔で言い切る。
「あーちゃんを目の前にしてビビらなかった、むしろ普通以上に話してたじゃん」
ハッとして自分の体を見る。確かに高身長なため運動部に見られてもおかしくない。むしろしっくりくるくらいだ。実際に運動部からは何度か勧誘を受けているし、スポーツもそれなりにできる。
おまけに、と考える彰の思考を先読みしたのか千紘はニヤリとした。
「それに、だいたいの人はあーちゃんの怖い目つきと口の悪さに驚くしね」
「……悪かったな」
そっぽを向く彰の背中に手をかけ「と、いう訳で!」はりきった様子で千紘は彰をグイグイ押す。
「あーちゃん、あの子と友達になってきなよ!」
「はぁ!? い、嫌に決まってんだろあんな奴! 俺は侮辱にも似たことを言われ」
「侮辱の意味も知らないくせにー」
「うッ……」
「いいからほら! こんな絶好のチャンスもう二度とこない!」
「そ、そんなに友達になりたいなら千紘が行けば!?」
「んー、僕はあんまり好かれてないみたいだしー? ゆっくりお近づきになるよ!」
「だあァァァッ!! もうどうにでもなれ!!」
ああ言えばこう言う、要千紘という男はそういう奴なのだと改めて身に染みた。
◇◆◇
しばらく悠介を観察していて気づいたことがあった。
だがそれは些か口にするには少し躊躇うようなことで、普通の人間ならば当然聞くのをやめるはず。しかし彰は少々常識が外れているところがあるため、何の躊躇いもなく口にできてしまう。
毎日昼休みになると悠介が一人、誰もいない部室に行くことを知っていた彰は思いきって問いただしてみた。
「お前、友達いねーの?」
二人だけの部室にはその言葉がやけに重苦しそうに宙を舞う。適当な席に座って本を読んでいた悠介は、彰の質問に顔を上げ呆れたように息を吐いた。同時にパタンと本を閉じる音がする。
「……一人でいるの好きだから」
「話し相手が欲しいとか思わねーの」
「別に」
話題をバッサリ切ってしまうところも、誰が話しかけても感情がないように見えることにも、彰はもう慣れてしまった。
……いや、何か理由があるのではないかと自分が疑っていたからかもしれない。どちらにせよ、悠介に対する最初のような嫌悪感はもうすっかり消えていた。
部室に充満する沈黙を感じていると、ふいに小さな声が耳に届く。
「……もう俺につきまとうの、やめたら」
それは初めて悠介から話しかけてくれた瞬間でもあった。
「君、あの小さい子と仲良いんでしょ」
「小さい子? ……あぁ、千紘か」
お前もなかなか小さいくせに、と苦笑ぎみに胸の内で呟いたのち、彰は虚空を眺めた。「そうだなー」
「確かに千紘とは仲良いけど……幼馴染みだし」
「だったら尚更」
「でも千紘には友達たくさんいる」
眉をひそめた悠介に気づかず、彰は悠介の背後にあったイスに腰を下ろす。
ちょうど、背中合わせの景色。
「俺、正直言って友達あんまいねーんだ。話しかけられたら会話はするけど……千紘みたいに、ずっと一緒にいられる奴はいない」
友達の多い千紘を批判する気はもちろんない。でも、何だか悠介になら話せるような気がした。
それはきっと、自分でも知らないうちに生まれていた寂しさ。
だからさ、と彰は続ける。
「俺には千紘だけだけど、千紘はそういう訳じゃないんだよな」
どうして自分は彼に興味を持ったのか。最初は嫌悪していたはずの人間を、いつの間に知りたいと思ったのか。いくら考えても答えは出なかった、でも。
これだけは言えるような気がする。
「そういう意味では俺たち、仲間だな」
独りぼっち同士の仲間。
そういった言葉が頭に浮かび、自然と笑みがこぼれる。「つまんねー話したな」と彰が立ち上がろうとした刹那、背後から声がした。
「……引っ越しが多くて」
「は?」
突然の話題に目を丸くするが、黙って耳を傾けることにした。
「小さい頃から引っ越しが多くて、あんまり仲良い子できなかった」
震えるように聞こえる昔話に相槌を打つ。「そうか」呟いて、悠介の背中に体重をかけてみる。
偉そうな口を開くくせにその背中は小さくて、大人のように話すくせに声はか細かった。
「仲良くなっても、しばらくしたら別れるし、そのうちどうでもよかった」
てっきり嫌がられると思っていたが、悠介は体重を押し返してきてこっちがびっくりする。まるでシーソーゲームのような感覚に浸りつつ、彰は微笑みとともに呟いた。
「だから、誰かと友達になる仕方が分からなくて、そういう態度な訳か」
コクリと頷いたのが背中越しに伝わってくる。変わらず小さな体をさらに縮こませる悠介を安心させるように、彰は告げた。「心配すんな」
「友達なら、もういるじゃねーか」
「……?」
不思議そうな顔で振り向いた悠介に、笑顔で言う。それは小さな頃、目つきの悪さで友達がいなかった自分に千紘が言ってくれたこと。
『だいじょーぶ! 僕はもう』
「俺はもう、お前の友達だッつーの」
『あーちゃんの友達だよ!』
その日見た悠介の笑顔を彰は三年経った今でも、はっきりと覚えている。
◇◆◇
悠介と仲良くなってから一年あまりが過ぎ、気がつけば学年は二年生に上がっていた。相変わらずお互い口喧嘩のようなものは絶えないが、それでも楽しい日々を過ごしているつもりだった。
部誌の発行があればどちらがより面白い物語を創れるか、部活が休みになりテストが近づけばどちらが良い点数を叩き出せるか。
気の合うライバルとの、楽しい日々を過ごしていた。
だが突然ーーそれは音もなく崩れた。
枯れ葉の舞う秋、悠介のいない部室で彰は同じ学年であり文芸クラブであるメンバーからある話を告げられた。それは思わず目を見張る内容で、立ち尽くしてしまった彰に追い打ちをかけるかのようにメンバーの一人である女子生徒の声だけが頭にこだまする。
「ーー松野くん、作家になったんだって」
なんでもネットに投稿していた作品が編集部の目に止まり、そのまま即デビューが決まったらしい。
天才最年少作家としての、名を馳せて。
呆然としたままの彰の耳をいくつもの会話が通り抜けては、なぜか脳にこびりつく。
「もともと才能あったし、ある意味運命なのかもね」
「でもまだ中学生だよ? なんかおかしくない?」
「天才は奇人って言うじゃない、つまりはそういうことよ」
「まぁ確かに、松野の書くやつは俺たちと格別にレベルが違ってたしな。コンクールとか、賞総ナメだったし」
「そうそう! 松野が出たら俺らに勝ち目なんて最初からないも同ぜ」
同然、そう言おうとしていた男子生徒はふいに口を閉ざし、入口の方を見る。全員が視線を向けるとそこには無表情のまま立つ悠介がいて、何とも言い表せないような空気が重くのしかかった。周りのメンバーには怒っているようにも見えたらしいが、彰は気づく。僅かばかりだがその顔が悲しげに歪んだことを。
黙ってその場から去っていく悠介に、友達であるはずの彰は何も声をかけることができなかった。
しばらく経って、三年生になった頃にはもう悠介と会話することはほとんどなくなっていた。部活にも顔を出さず学校にもろくに通わず、何をしているのかと思い千紘に聞いたところ、苦い表情で返される。
「……悠介、引っ越すんだって」
あーちゃんにだけは言わないでって頼まれてたんだ、千紘がそう言っていたのを既に走り出した彰は背中越しに聞いた。
そこからの記憶はあまりなく、気がつけば近くの公園に悠介を呼び出していた。夕暮れの公園には誰もいない。ただ自分の目の前で少し前までライバルで、友達だった人物が俯きがちに立っていた。
会うのは久しぶりなのに挨拶もそこそこに彰は問う。
「引っ越すのか、お前」
「……ん」
「どこに?」
「……志木町っていう、ところ」
志木町、聞いたことがある名前だ。確かとても小さな町で、高校は一校しかない、しかもーー。
「そこの高校、文芸部すげぇ強いんだよな?」
いつの日か新聞で読んだことがある。コンクールや大会では毎年入賞を果たし、かつ本物の作家も母校である強豪校だと。
ピクリと肩を震わせた悠介に気づかず、少し嬉しくなって彰は続ける。
「じゃあ、文芸はやめないでいてく」
「ないよ」
キッパリした口調で告げられ、一瞬訳が分からなくなる。
だが顔を上げた悠介に再度「ないよ」と言われ、我に返った。
「な、なにが」
「志木には文芸部、もうないよ。パンフレットには成績とか書いてたけど、電話したらもう廃部になったって言われた」
自分を見つめてくる悠介の目はどこか冷めていてーーしかしそれは、クラブに入りたての頃と同じようで、彰は焦った。「じ、じゃあ」
「本格的に作家になるとか? だから忙しくて、文芸部なんてやってられないから」
その質問に悠介は答えず、口をつぐんでしまう。その様子から察したのか彰は声を潜めて問いただす。
まさかーーまさかまさか。
「……作家になる話、断る気なのか?」
夕暮れに吸い込まれていくカラスの鳴き声が、静かな公園に響き渡る。
しばらくの沈黙ののち、悠介は小さく頷き、それを見て彰はほぼ反射的にその胸ぐらを掴んでいた。「……んでだよ」
「何でだよ……何で、そんなもったいないこと」
「……無理に決まってるから、俺に、そんなこと」
「無理じゃねぇ!!」
一際大きな声が出たかと思えば、次から次へと言葉が喉から溢れ出てくる。とめどないそれは涙のようで、思わず語気にも熱が入った。
掴んでいた手を離し、彰は悠介を見据える。
「……お前言ってたじゃねーか、将来は作家になりたいって。それに近づけるチャンスが巡ってきたんだぞ?」
悠介は黙ってしまう。困らせていると分かっていても口は止まらない。
もしかしたら自分は、分かりたくないだけなのかもしれないとさえ思う。
「夢を夢で終わらせる気かよ」
俺は友達に何を求めているんだ。
今にも悠介は泣きそうな顔をしているのに。
「そんな中途半端な奴のライバルを、今まで俺はやってたのか」
どうしていつも素直に言葉が出ないんだろう。
文字にすればスラスラ書けるのに。
どうしてか口からは、滑らかに伝えることができない。
「……ッ嫌いだ」
こんな情けない自分が。
才能のある君を、心のどこかで許せない自分が。
だから思ってもないことを、つい口走ってしまう。
「松野なんか……大ッ嫌いだ!!」
プツリと何かが切れたような気がして、彰は悠介と顔も合わせずにその場から走り去る。
やがて卒業式が過ぎ、悠介が引っ越したあと千紘から聞いたのだ。
「悠介、無事に作家になったよ」ーーって。
◇◆◇
居眠りをしていたことに気づき、彰はハッと意識を取り戻した。広い部室にはケータイをいじる千紘以外に誰もおらず、ゆっくり頭を上げる。時計の針は五時半近くを指していた。もうすぐ下校時刻だ。
ボーッと時計を眺める彰を見て、千紘は「あ、やっと起きたー」と声をかけてくる。
「大丈夫あーちゃん? どっか具合悪い?」
「……部活は」
「今日なくなったよ」
そう、と短く返してから髪を掻き上げる。なにか夢を見ていたような錯覚がしたが、特に深くは考えないことにしてカバンを手に取った。
千紘を連れて部室を出ようとした瞬間、昔見た悠介の笑顔が脳裏をかすめるがそれすらも閉じ込めるかのように、彰は部室に鍵をかけた。




