2話 ハロー、未来人
「失礼しましたぁ」
そう言いながら引き戸を閉めて、小さく溜め息をつく。
一年生は下校し二・三年生はそのまま部活動となった放課後。今朝の件について、茜は早くも職員室への呼び出しを喰らい、担任から説教を受けた。何を言われたのか、茜自身もあまり覚えていないが酷く面倒くさかったことは、これでもかというくらいに理解した。
「……犬ってそんなに駄目だったのかな」
腕の中でスヤスヤと寝息を立てる子犬を見ながら呟き、廊下を歩き出す。
入学式に出席していない分、体力はまだ有り余っていたため特に行く当てもなく校内を探索することに決めた。
ーー屋上とか行けるのかな
ちょうど曲がり角に差し掛かったその時。
耳を引き裂くような大声が、廊下の先から聞こえてきた。遠くてよく見えないが何やら、教師と女子生徒が言い争いをしているようだ。普通に道を変えて、通り過ぎようとした茜だがその女子生徒が見知った顔だったため思わず、壁に隠れながらこっそりと見守る。
「……琴平?」
こぼしたように呟いたその名前に、安眠を取っていた子犬が目を覚まし、小さな鳴き声を発した。
◇◆◇
「なぜですか、先生! それは詐欺です!」
「お、落ち着いて琴平さん。あまり人聞きの悪い言い方はしないでほしいーー」
「これが落ち着いていられますか!?」
今にも噛み付かんばかりの気迫で迫る女子生徒、理久は目の前にいる教師、笹沼を睨む。
もうすぐ六十代を迎え退職も考えていた笹沼先生は、バツが悪そうに理久から視線を逸らしつつ、ハンカチで汗を拭った。「いや、あのね」
「僕だってもうこんな歳だし、まさか……。まさか、廃部した部活を求めて入学した子がいるなんて思ってもみなかったし……」
「じゃあ何で、学校案内のパンフレットには書いてあるんですか!」
「それは学校のイメージアップを狙って書いたものであって……。その部活があるとは限らないんだよ」
ね? と同意を求める笹沼の視線に対し、理久は悔し気に歯を食い縛り、手元の紙を見つめた。「仮入部届け」と印刷されたそれは今日、担任から配られたばかりだ。さっきまで希望に満ち溢れた高校生活への切符だった物が、今ではただの紙切れである。当たりようのない悔しさからか、指先に力が入ってクシャリと紙が歪んだ。
「……どうしても駄目ですか」
震える声で伝える。
その様子を察したのか笹沼は、悩むように手を顎に添えた後「少し待ってて」と言い残し、近くにあった準備室のような場所へと入った。どうやら理久に呼び出される前まで、そこで作業をしていたらしい。
しばらくして、出てきた笹沼の手には新たな紙が握られていた。おもむろにそれを理久へと差し出しす。印刷されていた文字は、
「……創部、届け?」
「どうしても復活させたいなら、これしか方法はないね。一から全部やり直す」
全部やり直すーーということは、部員も部室も自分の手で集めて創っていかなければならない。生半可な気持ちでは到底出来ないだろう。
「……ちなみに、顧問は……」
僅かばかりの希望を胸に問いただすが、笹沼は首を横に振った。
「僕は今年から男子テニス部の顧問なんだ。協力はしてあげたいけど……」
本当に一から全部やり直すことに確定した。
◇◆◇
笹沼が去った後、理久は廊下で一人立ち尽くしていた。右手で握られた創部届けに、改めて目を通す。
・創部をする場合、部員五人からを部活として認める
・部室を手配する場合、顧問と相談すること
・部費や部室の定期的な清掃など、基本的なルールやマナーは守ること
現在、部員は理久一人。集めなければならない人数は最低でも四人で、プラス顧問も必要だ。まとめると合計五名の協力と部室、後々部費の徴収もする必要がある。
幸い今日は入学式のみで、既に部活へ向かった者はいないようだが、
「……無理ゲーかよ」
やりきれる自信が、理久にはなかった。
「何が無理ゲーなの?」
突如、背後から響いてきた声にビクリと肩を揺らす。慌てて振り返るより前に、声の主は理久の肩越しに手元の紙を覗き込んだ。見覚え、というか嫌でも記憶に残っていた赤毛が、視界の端に映る。
「へぇ、創部届けか。何か部活創るの?」
「……出雲茜」
恐る恐る呟かれたにも関わらず、名前を呼ばれた少年、茜は嬉しそうな笑顔を浮かべた。「すごい!」
「もう、名前覚えてくれたんだ! 記憶力いいんだね」
「え、あ。えっと……う、うん?」
正直に言うと記憶力は悪い方なのだが、かと言って「あんな自己紹介をされたら嫌でも記憶に残る」とは言えずに、曖昧な返答を理久は返した。
茜の腕に抱きしめられている子犬に視線を注ぎながらも、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「い、出雲くんはどうしたの?」
「俺? んーとね、さっきまで職員室で嶋田先生から説教受けてた」
ーーそりゃそうだろ
怒られた後なのに茜のヘラヘラとした態度を眺めてから妙に納得させられる。
ついでに子犬のことも言われたのだろう、慈愛に満ちた目を向けながら茜は寝ている子犬の頭を優しく撫でた。
「こいつも元の場所に戻してこいってさ。大人は酷いなー、まだこんなに小さいのに」
「……だからって学校はまずいだろ」
「そうかな? あ、じゃあ今度は俺から質問ね。その紙どうするの?」
その紙、と言われた創部届けを理久は思い出したように見つめ曖昧に笑った。「あぁ、これ?」
「何か、入りたかった部活が廃部になってて。どうしても入部したいなら創部しかないって言われたんだ」
そう言った後、理久はハッとしたように茜へ向き合い口を開いた。
「出雲くん、もしかして私とどこかで会ったことある?」
「え、いや。俺の記憶する限りではないけど……何で?」
「今朝教室に入ってきて、私と目が合った時微笑んだみたいに見えたから」
理久の質問に茜は数秒、間を置くと「あぁ、ごめんね」と突然謝った。
「挨拶みたいな感じのつもりだったんだけど、何か誤解させちゃった?」
その返答に理久はしばらく固まった後、全身が熱くなるのを感じた。
ーー……ただの自意識過剰だった!
しどろもどろになりながらも、繕うように笑う。
「あ、あはは。そそ、そうだよね。ただの挨拶だよね! うん、そうだと思った」
「何か琴平、顔赤いよ」
「気のせい気のせい! ……てか、もう名前覚えたんだ?」
あの後、とりあえず全員自己紹介はしたが一回名前を言っただけの簡単なものだ。しかも茜のように別にインパクトのあることを言った訳でもないので、ますます記憶するのが難しいはずなのだ。何となくすごい面を見せられ、自己嫌悪に陥る。
「……あのさ、出雲くん」
「なに?」
「えっと、特技は未来を視ることって言ってたよね? 少し視てもらいたいことがあって……」
言われた言葉に、茜はキョトンとした表情をし、訝しむように口を開いた。
「……琴平、もしかして俺が未来視えるって信じてくれてるの?」
「…………え」
返された質問に、理久は再び体を熱くさせた。
ーーやっぱり冗談だったのか!?
確かによく考えてみればそうだ。普通に未来が視える人なんているはずがないし、仮にいたとしても大騒ぎになっているはずだろう。
夢見がちな性格を恨んだのは人生で初だ。
「いや、大丈夫! ちゃんと分かってるから! そうだよね、そんな未来人みたいな人間いる訳がーー」
「信じてくれるの!?」
茜が理久の両手を握りしめる。
え? と思い目を合わせると、茜はまるで大事な宝物を見つけた子供のようなキラキラとした視線を理久に送っていた。子犬を抱いているせいか片手で握られたのだが、握力は中々強い。
「俺のこと信じてくれる!?」
「え……っと、未来が視えるってやつ?」
「実はさ、俺未来から来たんだ!」
ーーあれ!? 何か話が大きくなってきてる気がする!?
驚きすぎて何も言えなくなった理久にはお構い無しで、茜はただ目を輝かせる。
「未来から来たから、視えるんだ!」
「……そうなの?」
「うん!」
「……つまり、未来人ってこと?」
「そう! 信じてくれるんだね!」
「う、うん」
ーーいや、嘘だろ!?
肯定の言葉とは裏腹に内心焦る。
中学の時もクラスに一人はいた「俺の前世は竜を操り、闇を司る戦士だ!」とか訳の分からないことを口走る人種、いわゆる中二病と呼ばれる類の人間なのだが、茜もそういう性格だったのだろうかと思った。
ーーだったらまずい。非常にまずい。
生憎、理久にはそういった類の人間と仲良く出来る自信はないし、元よりあまり友人と呼べる存在がいたことが少ないのだ。
ここは何とか回避したい場面だが、どうも茜の様子からして中二病ではないらしい。
なら、答えは一つ。
出雲茜は本気で自分を未来人と言っているのだ。