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拝啓、未来より  作者: 真野/休止中
1年生編
29/68

27話 あの日、春うらら

 これでもう五つ目になるだろうか。

 理久から受け取ったUSBメモリーを手に収めながら、悠介はそう思った。

 文化祭に向けての準備が着々と進むなか、文芸部も忙しい思いをしていた。配布する予定の部誌やら部室の飾りつけやらで、猫の手も借りたいほどにてんやわんやしており、ときにはクラスの方の出し物の手伝いを断ってまでやらなければならないこともある。しかし、目まぐるしく日々が過ぎていくなか、悠介が一番疑問に思っていたのは「理久が自分に渡してきた作品の数」だった。

 最高二つ、最低でも一つは文芸部として部誌にそれぞれ一人ずつ作品を載せることに決まったのだが、明らかに理久が今まで書いた数は上限をオーバーしている。今日も思わず受け取ってしまったが、次来たときには注意しようと悠介は心に決めた。

 良い作品を書くことが大事なのはもちろん分かる。でも、それ以外にもやらなければならないことだってたくさんあるのだ。特に志木高校文芸部は予算の関係で、他の学校ができる「業者に頼んで部誌を製本する」いわゆる、業者委託という便利な製本方法はできない。そのためすべて手作業だ。書くことよりも、そっちの方が大変なんじゃないかと予測する悠介は、そのためにも理久には体力を温存しておいてほしかった。

 悶々とそんなことを考えながら廊下を歩いていると、いきなり背後から声が聞こえてきた。「……あれ」


「悠介?」

「うわッ!? ……な、なんだ哲郎か」


 驚いて振り向く。そこには、相変わらず何を考えているのか分からない表情の哲郎が立っており、首を傾げていた。背も高く、おまけに普段から無表情のため、あまりクラスの人も哲郎とは関わろうとしないのだが、悠介は文芸部の中で唯一まともな人間であると信じて頼りにしていた。

 跳ねる心臓を落ち着かせつつ、悠介は哲郎の手元にあるものを見る。


「びっくりした……ん? なにそれ、段ボール?」

「あぁ、うちのクラスの出し物『段ボール迷宮』だから」

「だ、段ボール迷宮……」


 笑うところなのか真面目に受け取るべきなのか悠介が迷っているうちに、段ボールを両手に持った哲郎は「良かったら来て」と言い、悠介の横を通り過ぎようとする。だがそれを慌てて引き止めた。


「哲郎! ちょっと頼みがあるんだけど」


 振り返った哲郎に悠介は言う。


「もし琴平に会ったら『あんまり無理するな』って伝えておいてくれないか」

「理久に?」


 一瞬首を傾げた哲郎だがすぐに頷いた。「分かった」と返して今度は本当に立ち去った。遠ざかるその背中にお礼の言葉を投げかけたあと悠介も自分のクラスに戻ろうとする。

 ほんの少しの不安を胸に抱えながら。


 ◇◆◇


 一階の職員室前を歩いていた神楽は、廊下の先の方に誰かいるのを発見した。小走りで駆け寄ってみるとその後ろ姿には見覚えがあり、だいぶ近づいた距離で誰なのかが分かる。理久だった。

 部活以外で会えることは珍しく嬉しくなって「ことりちゃん」と声をかけようとしたが、ふいに口を閉ざす。前を歩く理久に違和感を感じたからだ。

 やけに廊下の壁際へ体を寄せて歩いている。一抹の不安を覚えた神楽は走ってそばに駆け寄り、理久の横に並んだ。


「こ、ことりちゃんだいじょ」


 大丈夫? そうかけようとした言葉は、隣で理久が倒れたと同時に消えた。まるでスローモーションのように傾く体を無心で眺めたあと、遅れてドサリという音が脳に響く。

 刹那、頭が真っ白になるが、それすらも無理矢理叩き起こし、しゃがみ込んだ神楽は必死に声を振りしぼった。


「ことりちゃん! どうしたの!? ことりちゃん!! 聞こえる!? ことりちゃん!!」


 いつもは笑顔で反応してくれるあだ名なのに、目を閉じたままの理久はピクリともしない。

 不安から早変わりした急激に広がる恐怖をなんとかしようと立ち上がり、神楽は周りを見た。文化祭準備期間のためほとんどが教室にいるのか、生徒どころか教師一人すらいない。職員室に行けば誰かいるはずだが、ここからでは距離が遠かった。運ぶにしても非力な神楽では無理かもしれない、どちらにせよ人手が欲しい。


 ーーどうしよう……早くしないと、ことりちゃんが!


 焦って右往左往する神楽だが突然、その目が一筋の光を捉えた。紫色にキラキラと光るそれには心当たりがある。

 思いきって普段の様子からは考えられないほどの大声で名前を叫んだ。


「和多!! 助けて!!」


 一瞬の静寂のあと、走ってこちらに向かってくる人影を目にホッとする。息を切らせて現れた哲郎は口を開くより先に、倒れた理久を見てすべてを理解したらしい。すばやく理久の腕を自分の肩に回すと神楽を見る。


「神楽、社会科の嶋田先生分かるか?」

「ッ! さ、さっき職員室にいた!」

「よし、嶋田先生確か理久のクラスの担任だから連絡しといて。あと余裕があれば茜と悠介にも。俺は理久を保健室に連れて行くから」


 哲郎の冷静な対応に神楽も落ち着きを取り戻したらしい。力強く頷いて廊下を走っていく。

 小さくなる背中とは反対の方向に、哲郎は理久を支えながら歩き出す。依然として何の反応も示さない理久を横目にポツリと呟いた。


「無理するなって伝言頼まれたけど……もう手遅れだったな」


 ◇◆◇


 ドタドタとせわしない足音が廊下に鳴り響く。

 勢いよく保健室の扉を開けた悠介を一足さきに来ていた茜や神楽、哲郎が出迎え不安で揺らぐ瞳を向けた。だが不安なのは悠介も同じで、荒い息を整えながら「……ッど、どうだ」と聞く。まだ分からないということを伝えようとして神楽が口を開きかけるがそのとき、閉ざされていたベッドのカーテンから女性の保険医ーー有川ありかわが姿を現した。全員の視線がそちらに動く。

 目線を一心に浴びる有川は苦笑しつつ「そんなに怖い目で見ないでよ」と言った。


「あの子は大丈夫よ。疲労から来たものみたいだけど、少し熱っぽいから今日はもう早退ね」


 その一言に盛大な安堵の溜め息が漏れた。なにか重大な病気を心配していた面々は口々に「よ、良かったぁ……」と呟くが、悠介だけは表情を強張らせたまま固まっていた。

 早退の手続きをするため保健室から出て行った有川を見送ると、苦々しい表情の悠介に気がついたのか茜はわざとらしく「あ、皆ごめん」と告げる。


「俺クラスの方に戻らなきゃ、今忙しくてさ」


 そう言って哲郎と神楽を見る。目だけで「お願い、話合わせて」と訴える茜の心情を悟ったらしい二人は、たどたどしくも呟いた。


「俺もそろそろ戻る、段ボール運んでる途中だったし」

「わ、私も行かなきゃ。クラスに書類届けたい」

「……?」


 不思議そうな顔で三人を見る悠介の肩を茜は叩いた。


「ごめん悠介、理久のこと頼んでもいい? なるべく早く戻るから」

「……あぁ」

「ありがとう」


 どこか上の空で返事をした悠介だが、特に問い詰める訳でもなく茜はお礼の言葉を述べる。

 すぐ戻るから、と再度念を押して三人は保健室を出た。

 賑やかな教室前の廊下とは違い、静かな一階の廊下をしばらく黙って歩いていた三人だが、ふいに哲郎が口を開く。


「茜いいのか? 理久のこと」

「……んー、正直心配だけどさ」


 でも今は悠介が何か言いたそうにしてたから。

 微笑みとともに言われたことは、やがて空気へと溶け込む。

 だが本当は、最近どこか気まずい理久といることに少し不安を覚えたからだ、なんて言えるはずもなく、誰もそんな茜の本音には気づかなかった。


 ◇◆◇


 窓から注ぐ陽射しのおかげか、保健室の中はポカポカとしていて心地よい。もう十月近いというのに春を連想させるような天気に驚きつつ、一人取り残された悠介は恐る恐るベッドのカーテンを開けた。

 真っ白な布団をかけて静かに寝息を立てる理久を目に、胸が締めつけられる。心なしか眠る様子さえも、グッタリとしているようにも見える。寝不足だったのだろうか。

 近くにあったイスを引っ張るとベッドの脇に置いて座り、悠介は自分を落ち着かせるように息をゆっくり吐いた。

 眉間にしわを寄せた苦しそうな顔のまま、悠介の声だけが暖かい保健室にこだまする。


「……ごめん」


 そのたった一言はやけに重苦しく、喉から出すのも精一杯だった。

 脳裏に浮かぶのは少し前に理久から言われたこと。


『なんかもうよく分からないけど、宣言したからには勝負、勝つ気でいくから!』

『絶対に勝ってみせるから』


「俺が……俺が琴平に昔の話なんてしなきゃ」



 皆で勝つために頑張って、体調崩したのか?



「大会のとき、俺が何でもないフリしてれば」



 頑張って頑張って、夜もろくに寝ないで。



「全部全部、俺のせいだ」



 それも、俺を安心させるためなのか?



「俺の……ッ、俺のせいだ……ッ!」



 あんなに多くの文章を、物語を、勝つためだけに毎晩書いていたなんて。

 それなのに自分はまた、周りに迷惑ばっかりかけて。

 こんなんじゃ、中学の頃と何も変わらない。

 誰かを傷つけてばかりで、自分はただのうのうと生きてるだけなんて。



「ッ……こんなことになるなら」


 文芸部ここに、来なければ良かった。

 そう言おうとしてふいに言葉が途切れる。否、遮られた。

 弱々しい、ベッドの上からの声に。


「…………ゆ、すけ」

「ッ! 琴平!?」


 突然名前を呼ばれて悠介は慌てながらも、理久の顔を覗き込む。


「大丈夫か!? どっか苦しいところとかあるか?」


 たかが微熱で自分でも大袈裟だと感じたが、そんな質問には答えず理久は黙って悠介を見つめるだけだった。まだ意識がそれほど回復していないかと思い、悠介は口を開く。


「待ってろ、今なんか飲み物でも買って……そうだ、茜たちに連絡」


 そう言って立ち上がりかけた悠介の腕を何かがすばやく掴んだ。驚いて振り向くと、それはベッドから体を起こした理久の手だった。とても病人とは思えないような力強さと動きに一瞬呆然としたが、すぐに熱を帯びた手の感触に気づく。


「ッ琴平! お前熱上がって」

「悠介の」


 どちらかといえば、いつもの調子に近い声が聞こえ少し安心する。顔を上げた理久の双眸は熱の影響なのか潤んではいるものの、その瞳の奥には確かな意志を持っていた。

 荒い息を吐くと理久は続ける。


「悠介の、せいじゃない」

「ッ!!」


 胸を、心臓を、射抜かれたような気がした。

 思わず目を見開く悠介だが、俯きがちに震える声で問いただす。


「……聞いてた、のか」


 返答はせずに理久は言葉を途切れさせながらも呟いた。


「悠介は真面目、だから、そういうの気にすると思う、けど……誰も、そんな風に思ってない」

「じゃあお前はなんで!! ……こんな、ぶっ倒れるまで書いて」

「友達のこと悪く言われて」


 遮られた力強い声に悠介は顔を上げる。

 自嘲気味に笑う理久と目が合った。


「……黙っていられるほど、私は馬鹿じゃない」


 刹那、悠介の目に映るものすべてに霞がかかった。それが流した涙によるものだと気づいたのは、何かが頬を伝う感覚を覚えたからだ。

 驚きつつも慌ててワイシャツの袖で拭うが、止めどなく溢れるそれを抑えきることはできない。

 声を押し殺しながら泣く悠介は、改めて自分のことを冷静に見つめ直す。



 結局自分は、怖かっただけなんだ。

 あれだけ冷たくあしらったのに、何度も怒鳴り散らしたのに。

 最後の最後まで自分のことを諦めなかった理久を、暖かく迎え入れてくれた文芸部を。

 自分の弱さのせいで苦しめるのが、怖かった。

 中学時代に独りの怖さを知った分、誰かに頼ることを、甘えることを知らずのうちに押し殺していたんだ。



 嗚咽を漏らす悠介だが、ふいに小さな声で理久に問う。


「……ッ、琴平」

「ん」

「俺、迷惑ばっかりかけてるかもしんないけど、怒ってるか」

「そんな訳ない」



 もっともっと、頼ってもいいですか?



「作家の俺をいつも前にして、自分のこと馬鹿馬鹿しくならねぇの」

「むしろ燃える」



 たくさんたくさん、甘えてもいいですか?



「……俺、文芸部ここにいてもいいのか」



 もう俺を、独りにしないでくれますか?



「悠介いなくなったら、困る」


 苦笑しながら言われた言葉で、今日までの不安が溶けていく。泣きながら笑ったのは、きっと今日が初めてで、最後なのかもしれない。

 呟いた「ありがとう」は今まで口にしてきたものの中で一番、輝きの色を放っていたような気がする。

 暖かい室内と泣いたせいで急激に上がる体温を落ち着かせようと、ゆっくり深呼吸を繰り返す悠介の耳に遠慮がちな声が届いた。


「悠介は、文芸部好き?」

「え?」

「文芸部のこと、好き?」


 さすがに辛くなってきたらしい。理久は大人しくベッドの中に戻りながらそう聞いた。

 あまり聞かない話題のため最初はポカンとしていた悠介だが、しばらく考えたあと返答する。


「……嫌い、ではない」


 訪れた沈黙に気づき、ベッドの上を見る。

 そこで微妙な表情を露わにする理久を目にして思わず吹き出し、今度は笑いながら「冗談だって」と言う。


「好きだ。文芸部も、文芸部のメンバーも」


 これで満足ですかと言わんばかりに理久へ視線を向ける。横たわる少女は照れ臭そうにはにかんだあと「良かった」と呟き、目を閉じた。

 保健室の中は相変わらず暖かく、春を思わせるその空気は二人が初めて会ったときより明るかった。

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