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拝啓、未来より  作者: 真野/休止中
1年生編
25/68

23話 作戦、はじめます

 もう夏が終わる。

 理久がそんなことを感じたのは、小さくなった蝉の鳴き声を耳にしながら志木高へ向かう通学路を歩いているときだった。

 特に何かがあった訳でもない夏休みも、こうして振り返ってみるともう一度始まってほしいと思ってしまう。もしも二周目の夏休みが始まったのなら「文芸部のメンバーでどこかへ行ってみたいな」と理久は思った。今年は予定がうまく噛み合わず、計画していたプールやら海やらはすべて来年に延期したのだ。結果、今年の夏休みは自宅でひたすら小説を執筆するだけの思い出となってしまった。扇風機の回る自室で唸りながらパソコンに向かう自分の姿を思い浮かべ、無償に泣きたいような気持ちが湧き上がる。

 そんなことを一人で考えていた内に学校へ到着。

 ふと、学校の正門の花壇に目を向ける。夏休みが始まる前、元気に太陽を追いかけていた向日葵も今は枯れてしまっていた。

 少し寂しさを覚え、しばらく眺めていると学校の昇降口から久しぶりに聞く声がする。それが自分の名前を叫んでいるのだと分かり、手を口元に添える赤毛少年の元へ慌てて走り出した。


「理久、遅いよー。何してたの?」


 不思議そうな表情でそう問う茜に、理久は若干息を切らせながら「いや、別に……ごめん」と答える。

 だが、足元から徐々に茜の姿を見た理久は呆然とした顔立ちで固まった。


「……あ、茜?」

「ん?」

「そ、その格好……何?」


 やっとの思いで振り絞った小さな声で問いかける。

 驚くのも無理はない。なぜなら今、理久の目の前には志木高のものではない制服を着た茜が立っていたのだから。

 しかも、普段は絶対装着しないであろう眼鏡までかけている。

 呆然とする理久を前に茜は得意気に笑い、見せびらかすかのような仕草でクルリと一回転してみせた。


「どう? 似合う? 俺、校章入りのベストなんて初めて着たよー! さすが私立だね」

「し、私立? は? え?」


 訳も分からない理久は混乱するがすぐ、とある答えに辿り着いたとたん素早く茜の首元を掴んだ。ガッと引き寄せられ、細いフレームの眼鏡がずれ落ちる。


「うぉッ! ちょ、理久危ないって」

「茜、お前まさか」

「ど、どしたのいきなり」

「……転校、するのか?」

「は?」


 至極真面目な表情でそう問われ、茜は数秒固まった後、静かに自分の首元から理久の手を離し握り締めた。心配そうに見守る理久の前で俯きながら「……ごめん」と急に謝る。


「黙ってて、ごめんね」


 その一言を聞いた途端、理久は小さく息を飲んだ。

 伏せられた茜の瞳は少し潤んでいる。


「……何で、言ってくれなかったんだ」

「……寂しくなっちゃうから」


 俺、皆のこと好きだからさ。

 そう言って顔を上げ、眉を下げがちに笑う。

 ズキリと痛む胸を押さえつけながら理久は口を開けようとしたが、背後からかけられた声に遮られた。


「琴平、遅かったな」

「ッ! ゆ、悠介!」

「お前が遅刻なんて珍しいな、電車でも止ま」

「悠介どうしよう! 茜が転校する!!」


 話しかけてきた悠介の言葉は聞く気もないようで、ヨロヨロとした足取りながらも近づく。だが、よく見れば悠介も茜と同じような格好をしていた。違いがあるとすれば着ているベストの色と眼鏡の有無だろうか。優しいベージュの茜とは対象的に悠介はシンプルな黒だった。

 もはや驚きを通り越して絶句する理久を一瞥し、悠介は何となく状況を理解したようで呆れたように「おい、茜……」と呟く。


「どういうことを伝えたら琴平がこんなに慌てるんだよ」

「いやぁ、あまりにも反応が面白かったもので」

「さすがに可哀想だぞ」

「ですよねー」


 そう会話するや否や、茜はショックを受ける理久の眼前に立つと両手を合わせ「ごめんね、理久」と口にした。


「転校するなんて嘘だよ。ちょっと理久の反応が面白かったから、つい調子に乗って」

「……嘘?」

「うん、嘘、冗談」

「転校、しないのか?」

「しないよー、だいたい俺ん家には転校するほどのお金なんてな、いだだだだッ!!」


 黙って茜の両耳を引っ張る理久の目は当然と言うべきか笑っておらず、冷たい無表情のまま地味な痛みを与え続ける。「……つまり」


「茜くんは私を騙していたと……?」

「いや、だからごめんってば! 痛いよ! これ結構キツイ!!」

「今の私の心はその何倍も痛いです。よって、その両耳が引き千切れるまで止めません」

「まさかの公開処刑!?」


 自分の両耳が取れ、血の滝が流れ落ちるところをリアルに想像したのか、顔を青ざめさせながら茜は必死で謝罪を繰り返す。

 そんな夏休み前と変わらない日常風景を呆れ顔で見ていた悠介だが、いつまで経っても止める気配のない理久に恐怖を感じたらしい。仲裁に入り、怒り心頭の部長をなだめる。


「その辺にしとけ。出雲はもうこんなことするなよ、琴平もそうやってすぐに反撃しようとするな。もう少し頭を使って物事を受け流すくらいの余裕は持」

「しょっちゅうキレてる悠介にだけは言われたくない」

「…………」

「悠介落ち着いて! 今自分で言ったばっかりじゃん!? 余裕を持とう!! ね!?」


 今にも殴りかからんばかりの気迫と、既に空中を泳いでいる右拳を後ろから茜が押さえつける。

 無言で飛び交う火花を散らしている中、昇降口から一人の男性が「おー、元気だなぁ」と、のんびりした口調で言いながら出てきた。


「何だぁ? 琴平と松野の周りの空気だけ、すげぇバチバチ言ってるけど。花火大会か? だが残念、もう夏は終わるぞー」

「違います!!」


 欠伸を噛み殺しながら、口調と同じようにのんびりとした言葉を発する顧問、戸塚を二人は睨む。その気迫に一歩後退しつつ、とばっちりは喰らいたくないとばかりに「すまん、すまん」軽く謝罪すると同時に、苦しそうにネクタイをいじった。

 その仕草に理久は眉を潜めながら質問を投げかける。「と、戸塚先生」


「今日は白衣、着ないんですか?」

「着任してから何回も言ってるけど、あれは白衣じゃなくて上着だから。真っ白な上着です」

「そんなことはどうでもいいんで、何か今日茜とか悠介もおかしいですよ。主に制服が」

「どうでもいいって……」


 そんな言い方しなくても、と静かに落ち込む戸塚だが理久の質問に引っかかりを感じたのか、今度は茜と悠介の方へ目を向けた。


「あれ? お前らが伝言してくれたはずじゃなかったのか」

「コイツ、今来たばっかりなんです」

「え、そうなの?」

「電車が遅れて遅刻しました、でもサボらずに来ました」

「それが普通だ。別に『私偉いでしょ』みたいな顔されても、こっちが困るぞ」


 呆れたように大きく溜め息を吐いた戸塚は悠介に「美術室にいる和多と御崎を呼んでこい」と命じる。そして残された理久と茜を引き連れながら、独り言のように呟いた。


「そんじゃ、今日の作戦をもう一回おさらいしとくか」


 ◇◆◇


 夏休みが幕を閉じ、学校が始まる日まで残り一週間。そんな微妙な日に部活があるのは、ひょっとしたら文芸部だけなのかもしれない。静まり返る校舎を歩き、生徒共有である休憩室に着いたとき、ふとそんなことが頭をよぎった。

 教室では既に悠介と神楽、それに哲郎も揃っており軽く挨拶を交わした後、適当な席に座る。黒板の前では戸塚がスーツやネクタイをしきりに触っていた。やはり慣れないものが気になるらしい。そんな違和感に負けず、戸塚は言葉を紡ぎ始めた。


「さて、全員揃ったところで改めて今日の予定を確認するぞ。琴平、今日どこに行くかは知ってるだろ?」

「文芸大会の見学ですよね、今年の梅雨辺りに諦めたやつ」


 戸塚の問いに難無く答える理久。それなら話は早いとばかりに、慣れないスーツ姿の教師は頷いた。

 全国高校生文芸大会ーー略して文芸大会。止むを得ず数ヶ月前に参加を断念した大会なのだが、それの予選が終わった後の「関東地区大会」が偶然にも志木町の近くを会場として行われるらしい、そんな情報を手に入れ夏休みの終盤に見学しに行こう。そういった話になっていたのだ。


「そう、文芸大会だ。……だがな、先生も文芸部という部活を見るのは初めてなんだよ。というかぶっちゃけ、教師という仕事も今年始めたばかりだ」

「はぁ」

「だからな、いろいろと情報不足な部分もある。ましてや大会なんて全くと言っていいほど経験がない」


 静かな口調で話し続ける戸塚に、理久は嫌な予感を覚える。それはやがて不安となり、胸の中でムクムクと枝を広げていく。


「……あの、つまり何が言いたいんですか?」


 一か八か思いきって聞いてみる。その問いかけに残酷なものを感じたかのように、戸塚は悲しげに目を伏せながら吐き出した。


「つまり……」

「つまり?」

「…………すまん! あの大会、一般生徒は行けないらしいんだ!!」


 教卓に額をぶつけるまでの距離スレスレで、戸塚は勢いよく頭を下げた。窓の外から休憩室へ、ようやく最近収まってきた蝉の鳴き声が静寂と共に流れていく。

 本日二度目の絶句を体験しながら理久は体を強張らせ、小さく口を開いた。


「……そ、それって大会の見学は出来な」

「だが望みはあるッ!!」


 ガバッと顔を上げた戸塚を前に激しく肩を上下させ、今度は唖然とした表情で顧問を見守る。


「俺は文芸部の顧問として、お前らを大会に連れていかせたい。だって、夏休み始まる前から見学するのを楽しみにしてたから」


 特に部長はな、そう言って優しく微笑んだ。

 不覚にもいつものだらしない教師姿そっちのけで、その微笑が輝いて見えた。


「だから俺は必死に考えた! そして、考えた結果がこれだ! 名付けて『作戦H』!!」

「作戦H?」

「何の略称か分かるか? 琴平」

「いや……サッパリ分かりません」

「ヒントは出雲と松野だな」

「えー……別に制服が違うだけで分から」

「さぁ答え合わせしよう!!」

「早ッ!?」


 さっきまでの頼れる教師はどこへやら、いつもの戸塚に戻っていることを思い知らされた理久。そんな部長の気も知らず、戸塚はキラキラとした眼差しで得意気に告げる。


「正解はー……『変装』の『H』だ!」

「へ、変装?」

「運営はこう言ったんだ『一般生徒は立ち入り禁止』と。だったら一般生徒で参加する必要はない、実際に参加している学校に変装すればいい!!」

「え!? ちょ、それはさすがに」

「さすがにマズイ、だろ? その通り、参加している学校だとバレる確率は高い。あらかじめ運営側が人数を把握しているからな。だがしかーし! 比較的バレにくいであろう位置を俺は見つけた! それはずばり」


 そこで戸塚はビシリと、茜と悠介を指さす。


「主催している学校の生徒なら急に人数が増えても違和感はないはず!!」

「いや、あるだろ!!」


 ドヤ顔で決めた戸塚に理久は噛みつく。自信満々という様子で胸を張る顧問は「なぜだ?」そう言わんばかりのクエスチョンマークを浮かべた。


「何だ? 部活大好きっ子の琴平なら一番に賛成してくれると思ってたのに」

「私だって、やっていいことと悪いことの区別くらいつきますから!」

「でも大会行きたいだろ?」


 戸塚の質問に理久は言葉をつまらせる。やがて語尾を濁すように「そ、そりゃ出来れば行きたいです、けど……」と小さな声でこぼした。

 理久はチラリと後ろを振り向き、茜と制服について話している悠介に言葉を投げかける。


「……悠介はいいのかよ、絶対反対しそうなのに」


 若干、口を尖らせた態度でそう意見すると、意外にも悠介はアッサリと答えを返した。


「正直に言うと反対だけど、俺も楽しみにしてたから。後の判断はお前に任せる」


 それに、と言葉を繋げてから戸塚を一瞥する。


「何かあったら、戸塚先生がクビでも何でも責任取るみたいだし。そんな気にすることはない」

「松野は先生が嫌いなのか? 俺のこと嫌いだからそんな冷たい態度をとるのか?」

「まぁ、仮に行けたとしても細心の注意ははらわなきゃいけないだろうな」


 戸塚の言葉を無視しながら悠介はそう言った。

 副部長から思わぬ返答をされて逆に吹っ切れたのか、理久はしばらく唸った後「……分かった」と呟く。そして教卓のそばで「俺、教師向いてないのか……? やっぱりダメだったのか……?」ブツブツとそう発する戸塚に向き合った。


「先生、その作戦使います」

「え? マジで?」

「私も楽しみにしてたんで、バレないようにするのが大変そうですけど」


 理久がそう言うや否や、戸塚は表情を華やかせ「そ……そうか! そうか!」と嬉しそうに叫んだ。


「いや、頼りになれて良かった! 頑張って他校の制服を借りてきた甲斐があるってもんだ!」


 デカイ独り言を言いながらウキウキとした手取りで準備を進める。何がそんなに嬉しいのだろう、と不思議に思った理久だが、教卓の下に置いてあった箱を差し出され面喰らった。


「はい、主催してる学校の制服。御崎と一緒に更衣室で着替えてこい」

「あ、どうもありがとうござ」


 箱を開けながらお礼の言葉を口にするが、中身が正体を表した瞬間途切れる。石像のごとく固まってしまった理久を案じて、背後から神楽が声をかけた。終いにはそれに続いて全員がワラワラと集結する。


「ことりちゃん……?」

「どうした、理久」

「さっさと着替えてこいよ」

「……え、あ」

「ねぇどうしたのー? 俺も見たいよ!」


 この中で一番背の低い茜が四人の後ろでピョンピョンと飛び跳ねる。箱の中身に顔面蒼白の理久は、かろうじて振り絞ったような細い声で言葉をこぼした。


「これ……セーラー服」

「……? だから何だよ」


 悠介がそう問いただしたと同時に、理久は勢いよく箱を閉め至極真面目な顔で告げる。


「ごめん、やっぱり大会行かない」

「はぁ!? 何でだよ!?」

「だってセーラー服だよ!? これ着るんだよ!?」

「だから何だっつーの! いいから、さっさと着替えてこい!! 時間なくなる!」

「やだ! セーラー着るくらいなら行かない!!」

「どんだけセーラー服に嫌悪持ってんだ!? 何がそんなに嫌なんだよ、たかが制服だろーが!」

「じゃあ悠介も着てみろ! そしたら分かるはずだから!」

「ふざけんな! どういうこと話したらその結論に至るんだよ! おい御崎、コイツ無理矢理連れていけ」

「う、うん」

「だから嫌だってば!」


 近くの机にしがみつき、大好きな神楽に手を引かれても足だけで留まろうとする。簡単には離れないような様子を見ながら悠介は嘆息した。


「意味分かんねぇ……ホント女って意味分かんねぇ、どうすんだよこれ……」

「ッ! セーラー服アレルギー……?」

「何かすごそうなアレルギーだけど、哲郎くん『絶対これに違いない』みたいな顔されてもそれはキツイ」

「じゃあ、セーラー服にトラウマがあるとか」

「可能性としてはあり得るけど……制服にトラウマ持ってる奴なんて初めて見たぞ俺は」


 頭を悩ませる悠介と哲郎の横をすり抜け、茜が神楽の近くへと歩み寄る。そして何やら耳打ちした後二人で頷き、いつもの笑顔を見せながら理久に話しかけた。


「りーく、そんなにセーラー嫌なの?」

「……やだ」

「でも頑張ったら大会行けるよ?」

「う……」

「他校の作品いっぱい見れるよ?」

「……ッ」

「……もしかしたら悠介以外の高校生作家がいるかも」

「え!?」


 顔をほころばせ、隙を作ったほんの一瞬。

 まるでそれを狙ったかのように茜は神楽へ目配せする。刹那、理久の両腕を背後からガッチリとホールドした神楽はそのまま部長を引きずっていく。その時点で「しまった……!!」と青ざめる理久だが既に遅い。


「いや、ちょ、かか神楽さん!? は、離してくださ……え、神楽力強くない!? あれ!? タ、タイムタイム! 本当に勘弁して!! てか勘弁してくださいお願いします!!」


 悲痛な叫び声を上げながら神楽に連行される。やがてその声は教室の扉に近づき、廊下へと消えていった。

 一部始終を見ていた悠介と哲郎は何も言わず、ただ部長の無事を心中で祈るが、その横でさながら優等生のように眼鏡を指で押し上げた茜は、


「いやぁ、今日だけで二回も理久のこと騙しちゃったよー。エイプリルフールでもないから、ちょっと罪悪感あるなぁ」


 と、全く罪悪感などというものを感じさせないような口ぶりで言った。


 ◇◆◇


「よーし、全員揃ったな。会場までは車で行くけど俺の車に乗る奴と、橋間の車に乗る奴と分けて移動だから」


 適当にジャンケンでもして決めてくれ、と言い残して戸塚は自分の車を取りに行った。

 返事をして早速分かれ方について話し合い始める悠介と神楽。だが、そこから少し離れた場所の昇降口前では、セーラー服を着せられた理久がうずくまっており、その左右には茜と哲郎が立っていた。


「理久、大丈夫?」

「……二回も騙された」

「相当精神に来てるな」

「ごめんね、今度何か奢るから。ね?」


 事件の被害者を見るような憐れみの目をする哲郎とは対照的に、茜はしゃがみ込みながら理久の顔をクリクリとした瞳で覗いた。だが、騙されたというか言葉に釣られてしまったのが悔しいらしく、謝られてもすぐにそっぽを向く。拗ねた子供のような行動に茜は小さく笑いながら「ごめんよ」と再度謝罪した。


「てか、どうしてそんなにセーラー服嫌なの? ものすごい拒否ってたけど」

「セーラー服アレルギーか?」

「初めて聞いたよそんなアレルギー……」

「え!? アレルギーなの!?」

「違うから!!」


 誤解する茜に訂正も兼ねて、理久はボソボソと話し始める。


「……まぁ、ちょっといろいろあって」

「中学は? ブレザーだったの?」

「いや、セーラー服だった」

「だったらむしろ問題ないだろ」

「そ、そうなんだけど……」


 最もなことを哲郎に言われ言葉を濁す。数秒後、チラリと茜と哲郎を見上げながら「……中学のときに」と静かに呟いた。


「と、友達から『理久はセーラーよりブレザーが似合う』って言われた……か、ら」


 覚悟を決めたような口調で紡がれた文章に茜と哲郎は顔を見合わせた後、短く感想を漏らした。


「……それだけ?」

「ッ! そ、それだけですよ! どうせ小さなことでいつまでも悩むような奴ですよ私は!!」

「それでセーラー服アレルギーに……」

「なってないから!」

「おいお前らー、そろそろ出るぞー!!」


 いつの間に来ていたのか、正門のそばには白と黒の小さな車が二台止まっており、黒い方からは橋間の「康ちゃんおはよー!」という声が聞こえていた。「だからその呼び方やめろ!!」と返答する怒号は白い車から発せられている。

 その様子を眺めてから、先に行ってる、と言って哲郎は悠介と神楽の元へと合流していった。茜もそれに続こうとするが、肝心の部長はしゃがみ込んだままだ。

 俯く理久の目の前に、男子にしては細く小さな手が差し出される。


「大丈夫、似合ってるよ。セーラー服」


 顔を上げるといつもの笑顔。

 たとえお世辞だったとしても、なぜかこうして友達に言われると妙に安心したり勇気が出る。だから中学のときに言われたことを今でも気にしていたのかもしれない。

 つい数分前と比べて、軽くなった心を感じつつ差し出された手を取ろうとする、が。

 突如、その手が小刻みに震えた。

 驚いて茜の顔を見ると眉が潜んでいて、他人からも一目瞭然であるほど苦痛の色が浮かんでいる。小さな呻き声を漏らし、苦しそうに息を吐く茜の姿を目に得体の知れない恐怖が全身を駆け巡った。ほぼ自動的に画面が映り変わる。

 あの人の苦しげな表情が知らずの内に重なった。

 声をかけなければ、何か言わなければ。そう思えば思うほど口は閉ざされる。

 これじゃ、あの日と同じじゃないか。

 かけたい言葉が胸の中に沈んでいく、溜まっていく。真っ黒い霧のようなものが広がるのを、恐怖でなす術もなく感じていた。


「……ッ理久?」

「ッ!!」


 名前を呼ばれて我に返る。視線の先にいる茜はさっきまでのように苦しんではいない、だが額には薄っすらと汗が滲んでいた。それが暑さのものでないくらい、理久には分かっている。だからこそ余計に不安を感じた。

 か細い声で必死に言葉を創る。


「……ぁ、茜。大丈夫?」

「あー、ごめん。ちょっと胸焼けした」


 笑いながらそう言う。いつものような本当に楽しそうな笑顔ではなく、貼り付けた笑みで。

 胸焼け、だなんてすぐに嘘だと悟る。

 だがそれを指摘出来るほどの勇気が今の理久にはなく「そう、か……無理するなよ」と、繕ったような微笑みを返して立ち上がった。


 ◇◆◇


 車に向かって小走りする理久を見送りながら、茜は両手に視線を落とした。まだ少し震えが残っている。何とかして押さえつけようと無理矢理、握り拳を作った。そのまま大きく深呼吸を繰り返しながら、体にある臓器の機能を整えようとする。

 軽い痛みを感じる頭の中に、さっき見た映像が再び浮かび上がった。

 笑顔で手を振る人影。

 それを寂しげな表情でなす術もなく見送る女性らしき人。

 見覚えのあるシルエットであったことを脳に刻み込み、重い足取りで正門へと向かう。ざわついた胸の中にある邪念を吐き出そうと、ゆっくり息を外へ送った。

 だがそれでも、一番外へ出て行ってほしかった『嫌な予感』は心に深く沈んだままだった。

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