21.5話 親睦、深めましょう
「あ、理久」
とある平日の昼休み。
自席で紙パックのオレンジジュースを啜っていた理久は、頭上から投げかけられた声に反応して顔を上げた。少し短めに切り揃えてあるミディアムヘアーが、目の前で揺れる。
「今、大丈夫?」
「別にいいけど」
「ほんと? ありがとー」
可愛らしい笑みを浮かべたまま、近くの席に腰かけた少女、谷村純希は右腕を理久の机へ置いた。普段からよく話すことが多いからか、理久の態度も落ち着いている。
「ちょっと聞きたいこと、あってさー……あれ、出雲は?」
いつも一緒にいるはずの少年がいないことに気がついたのか、キョロキョロし始める純希だが呆れた様子で理久は言葉を返す。
「嶋田先生のところ、また課題忘れたんだとよ」
「また忘れたの? 出雲ってそんなに忘れっぽい性格なのかな……」
「生活態度は小学生レベルだから」
噛んでいたストローから口を離すと、理久は純希に問いただした。「で?」
「聞きたいことって何?」
「あぁ、そうそう。あのさ、理久って文芸部だよね?」
「うん」
「あたし、この前ね。たまたま第二図書室の前を通ったんだけど」
ズイッと顔を近づけ、純希は急に声を潜める。
「あそこって……何?」
漠然とした純希の質問に対し、理久は数回目を瞬かせた後「何って……」と呟き、冷静に答えを告げた。
「……部室だけど」
「嘘だぁ! だって窓に、夏祭りでよく見かける風車ついてたよ!」
「茜が勝手に持ってきたんだ」
「じゃあ、あのイーゼルは!?」
「和多……じゃなくて、哲郎が使うから」
「音楽プレーヤーは!」
「神楽のやつ」
「何か机にいっぱいあった、黒くて細長い棒みたいなのは?」
「USBメモリー」
「ソファで誰か寝てたよ!?」
「多分、戸塚先生だろ」
またあの人寝てんのか、などと理久はブツブツ呟き始めるが、驚愕に満ち溢れた表情で純希は固まった。
信じられないとでも言いたいように、口をパクパクさせる。
「な……何なの文芸部って」
「……普通の部活ですけど」
「十分変だよ……あれ?」
そこで何かを思い出したような声を上げ、純希は理久の目を見据えると、確かめるかのように問いかけた。
「理久、部員さんのこと名前呼びなの?」
「……あー、いや。最近さ」
苦虫を噛み潰したような表情を露わにし、理久の眉間が縮こまる。
「何か……厄介な条約が出来て」
◆◇◆
〈文芸部五ヶ条〉
1、〆切は守る
2、部室は常にキレイさを保つ
3、ケンカは程々に
4、盗作は絶対にしない
「……何だよ、これ」
「文芸部ルールだよ?」
平然とした顔でそう言った茜に、理久は奇妙なものを見るような視線を向けた。
周囲で覗き込む悠介たちも、理久の手元にある紙に釘付けのまま固まっている。
「いつ、こんなの作ったんだ?」
「商店街用のポスター描いてる時に作った」
「……すごいな」
「えへへー、すごいでしょ!」
照れ臭そうに茜は身をよじらせる。
その後ろから「なぁ、これ」と言いながら伸びてくる悠介の腕が、ある一点を指さした。恐る恐るといった様子で問いかける。
「最後のこれ……冗談だよな?」
5、苗字呼び禁止!
「え? 本気だけど?」
「絶対嫌だ!!」
「何でー?」
別にいいじゃん、と茜は悠介の顔を覗き込む。なぜか頬を赤らめている悠介を見て、少し考えた後茜はニヤついた笑みを浮かべた。
「ははーん、もしかして悠くん恥ずかしいの? 名前呼び」
「うるせぇ! あと、悠くんってやめろ!」
勢いよく顔を上げると悠介は「だ、だいたいな」と言葉を紡ぎ出した。
「高校生にもなってそ、そういうのは普通に考えて恥ずかしいだろッ!」
「そんなことないよー、俺なんか全員名前呼びなのに」
「茜はもう少し自重した方がいいからな」
「ほら、理久も名前で呼んでくれるよ?」
会話に多少のズレが生じたことに、理久は小さく舌を鳴らす。
促す茜にされるがまま、悠介は引っ張られると哲郎の前まで連れて行かれた。背後では茜が肩を掴んでいるため、身動きがとれない。
「はい、哲郎って呼んでみ?」
「はぁ!? いやちょ、離せッ」
「哲郎は悠介のこと呼べるよね?」
「おう」
いつも通りの無表情であるから、感情はよく読み取れないが本人にはこれが普通らしい。そのまま悠介の目をジッと見つめると、口を開いた。
「……悠介」
「ッッッ!?」
「はいクリアー、次は悠介の番」
「え!? いやッそのおお俺はいいか、ら!」
いつもの冷静で無愛想な姿はどこへやら。
必要以上に慌てふためく様子を眺めて、呆れたように理久は言い放つ。
「……名前だけで動揺しすぎだろ、悠介」
「は!?」
「頑張れ……悠介、くん」
「ちょっ!? ま、待て待て待て!」
「理久と神楽もクリアしましたー! 残るは悠くん、ただ一人でーす」
「だから悠くん言うなッ!!」
「ちなみに、全員呼べるようになるまで帰れませーん」
やけに語尾を間延びさせながら告げられた言葉に、悠介は戦慄する。
悪意に満ちた笑みで、茜の口元がつり上がったのは自分の背後であるはずなのに、手にとるように分かった。いや、目に浮かんだと言うべきだろうか。
クスリと小さな笑い声が鼓膜を震わせる。
「俺ってば優しい人間だよねーー悠くん?」
「面白がってんじゃねぇよおぉぉぉぉ!!」
その後、茜のスパルタ教室はかなりの時間行われたが、結局悠介が名前で呼べるようになったのは茜と哲郎だけだった。
◇◆◇
「……変だ」
「本当だよなー、友達のこと名前で呼べないなんて……何かあったのかな」
「いやそっちじゃなくて! 確かにそっちも変だと思うけど!」
身を乗り出して叫ぶ純希を、理久は不思議そうに眺める。
「本当に何なの文芸部って! 一体普段からどんな活動してるの!?」
「いや、本読んだり書いたり……あ、あとUNOもたまにやる」
「UNOやるの!?」
「大吉の散歩にも行くし……」
「大吉って誰!?」
「あれ、知らない? 笑和屋にいる犬の名前なんだけど。この前、コンビニの万引き犯捕まえたんだ」
「……それ、もしかしてその場に」
「文芸部は皆いたよ」
「マジで何してんの!?」
純希の悲痛な叫び声は、昼休みの終わりを知らせるチャイムと共に教室で木霊した。




