20話 格闘、新しい何か
いつもより低めの気温である土曜日。
涼しい天気であるにも関わらず、笑和屋の周りには熱気が立ち込めており、甘い香りが誰もいない商店街を陽炎のように揺らいでいた。店先では小さな子犬が寝息を立てているが、店内から聞こえてくる賑やかな声にビクリと反応する。
「茜、白玉で変な形作るな! 入れにくいんだよ!」
「えぇー、楽しいのにー」
「松野、手震えてる! あと何か、包丁の持ち方が危ない!」
「む、難しい……」
「……松野。猫の手、だよ」
「和多、クリームで絵を描くな!」
「あと少し……」
「完成させなくていいから!」
理久の叫び声が響き渡る中、何とか出来上がった試作品のたい焼きが、ちゃぶ台の上に置かれる。運んできた橋間は「どうぞ」と言いながらバンダナを取り、腰を下ろした。
「これが白玉入りで、こっちはクリームのやつ。一番手前はチョコレート」
最初の新メニュー候補として上がった三種類のたい焼きを、それぞれ口にする。
しばらく無言で味わった後、悠介は眉間にしわを寄せた苦々しい表情で呟いた。
「……やっぱり、餡子とクリームはキツイだろ」
「俺は全然いけるよー」
「チョコレート、は大丈夫」
「白玉も普通に大丈夫……かな」
「見ろ、琴平」
「ん?」
「俺の描いた花の絵がまだ残ってる」
「だから、たい焼きの中身に絵を描くな!」
口々に言葉を交わし合う中、橋間は唸り声を発しながら顎に手を添えた。
「そうだよな……普通に美味しいやつなら、どこでも食べられるし……」
「志木商店街限定、みたいなやつがほしいですよね」
「うん……でも、どうしたら……」
全員で頭を悩ませるが、結局その日に良い案は出ずに、橋間が商店街のメンバー集めへと行ってしまったのをきっかけに解散した。
帰り道もいくつか案は出るが、どれもイマイチでまた明日考えるということに落ち着く。
薄闇の空に豆電球のような星が瞬いていた。
◇◆◇
「ただいまぁ」
扉を開けてから靴を脱ごうと、玄関に後ろ向きで座った途端、突如背中に感じる重み。呻き声を発しつつも、理久は乗っかる人影を抱き上げる。嬉しそうに笑いながら腕をブンブン振る、小学三年生の弟を見つめた。
「ただいま、海斗」
「りくネェ、おかえり! 俺さ、今日ね! リオンくんと遊んだんだよ!」
「おぉ、良かったな。何して遊んだ?」
「ありの巣こわしてた!」
「……そうか」
幼い子供ほど無邪気で恐ろしい生き物はいないんだろうな、と理久は静かに思いつつ廊下を歩いてすぐの居間に顔を出す。
「ただいま」
「あ、理久。おかえり」
小さな女の子を腕で抱きかかえながら、そう言ったのは中学一年生の長男、隆司だ。中々のイケメン顔とサッカー少年、おまけに頭脳明晰であることから、近所でも学校でも評判の弟である。風呂上りなのか、艶やかな黒髪が濡れていた。
「なんだ、陽菜寝ちゃったのか」
「さっきまでグズってた」
「ふーん」
スヤスヤと寝息を立てる小学一年生の妹、陽菜の頬には確かに涙の跡がついていた。
眺めていると隣の台所から、声をかけられる。母の雅恵だ。
「おかえり、お風呂沸いてるよ」
「あー、うん。海斗、一緒に入るか」
「はいるー!」
「今日お好み焼きだから、遊んでないで早く上がってきてよ」
「……また、お好み焼きなの?」
不満そうな理久の言葉に「別にいいじゃない」と雅恵は返した。
「これなら海斗も野菜食べるんだから、文句言うなら食べないでいーー」
「あー、すみませんでした。何でもないです、行くぞ海斗」
「おふろでジャスティスごっこしよー」
「今日はなし」
「えぇー!」
やだやだ、と地団駄を踏む海斗を無理矢理抱えながら風呂場へ向かう。
「わがまま言うな、母さんに怒られるのは姉ちゃんなんだから」
「じゃあ、りくネェがジャスティスのまねっこして!」
「…………」
呆れたように溜め息をついて海斗を下ろす。
理久は小さく深呼吸をすると、左手を胸元に寄せ右腕を回した。
「ーーこの世にある悪は俺が許さない! 超絶無敵の戦士ジャスティス、ここに見参ッ! 覚悟しろ、悪党ども!」
言ったと同時に鳴り響くメロディ。
ピロリーン、と可愛らしい音を奏でたのは、目を輝かせる海斗の隣で構えていた隆司の携帯。不意打ちの出来事で、理久の動きも思わず止まる。
「……え」
「録画と録音しておいたから、じゃ」
「いやいやいや待てよ。じゃ、って何だよ。てか録画録音なんかしなくていいから!」
「理久の部活仲間の人たちに、いつか見せておくね」
「絶対やめろ!!」
「騒いでないで早く入ってきなさい!」
「……へーい」
ーー今度、隆司の携帯こっそり盗んでデータ消そう
そんなことを思いながら海斗を連れて風呂場に向かう、が。再び、開かれた玄関の扉に視線を注いだ。父の和義かと思いきや、姿を見せたのは若い女性で見覚えのある顔。
台所から雅恵が出てくる。
「いつまでそこにいるの、早く入ってきなさいって何度言わせれーー」
「まざえざぁぁぁぁん!!」
涙混じりの叫びで名前を呼びながら家に入ってきた女性は、雅恵を発見するとそのまま抱きついた。新しい物と思われる黒いスーツのまま、床に座り込む女性の名前を理久は呟く。
「……祥子ちゃん」
「しょーこちゃんだ!」
「こんばんは、祥子ちゃん」
兄弟が口々に言う二十代後半の女性、琴平祥子は和義の三人いる内の一番下の妹で、理久たちにとって叔母にあたる人である。
住んでいるアパートが近いため、よく遊びに来るのだがどうも今日は様子がおかしい。
オロオロとしたように雅恵は問いただす。
「どうしたの、祥子ちゃん? 大丈夫?」
「ッ、雅恵さん……私、私……!」
ストレートで長く、美しい黒髪を揺らしながら叫ぶ。
より一層、目に溜まる涙。
「彼にフラれたのよぉぉぉぉ!!」
その日は祥子の愚痴を聞く、宴会となった。
◇◆◇
「小倉抹茶パスタ?」
翌日の午前中、笑和屋に集まった文芸部の中で哲郎が言ったことを全員で復唱する。
想像もつかないメニュー名に「うん」と哲郎は頷いた。
「俺の父さん、名古屋出身なんだけどそういうパスタがあるらしい」
「名古屋すげぇ!」
「いや、でもいくら小倉が入ってるからって……」
「それは……なぁ?」
唸るように頭を抱える悠介と理久。
あまり前向きではない意見が飛び交い、哲郎も少し肩を落とすが橋間は優しく言った。
「作るだけ作ってみるかい? 面白そうだしね」
「……いや、大丈夫です」
「でも、パスタって面白いねー」
「確かにな」
ーー……パスタ
理久の頭にそんな単語がよぎる。しばらく、そのまま考えていると、フッと何かが脳内に落ちてきた。
小さかったそれはやがて大きくなり、枝を広げていく。
「……それだ」
理久の呟きに全員が振り向く。
「そうか……これなら……」
「……理久? まさか、小倉抹茶パスタやるの?」
心配そうに覗き込む茜に対し、首を横に振る。
「違うけど、でも……これならいけるかもしれない」




