18話 初活動、バイト
「……うーん」
「…………」
放課後の喧騒を聞き流しながら、廊下を歩く二人の少年。そのうちの一人、唸り声を上げた茜は手元にある再生紙に目を落とし、自分の左隣を見上げた。
「てつろー、これまずいかな?」
「……かなりまずい」
「悠介の説教食らう?」
「だろうな」
淡々とした口調で、茜の問いに答える哲郎は同じように手元の紙を見る。
二人が持つ「前期中間テスト(補習用)」という題名が印刷されているその紙には、ほとんどの問題に赤色の文字とチェックマークが書かれており、ご親切なまでに「再補習」の判子まで押されていた。三日ほど前に終わった中間テストの補習を受けていた茜と哲郎は、冷や汗をかきながら第二図書室へ辿り着く。
ゴクリ、と茜は唾を飲み込む。
「……答案見せたら、すぐ謝ろう」
「それで許してくれんのか?」
「大丈夫、悠介はツンデレなだけで本当は優しい子だから。……多分」
「ツンデレ?」
茜は静かに深呼吸を一回だけすると、意を決した様子で引き戸に手をかけた。
なるべく自然に見えるよう、腕を動かす。
「た、ただいまー。遅くなってごめーー」
「何で駄目なんだよ!」
「普通に考えて無理に決まってんだろ! それくらい分かれ!」
「いいじゃんか別に! テストも終わったんだし!」
「〆切がギリギリだろーが! よく見ろ!」
「ギリギリじゃないって! まだ間に合う!」
「無理って言ってんだろ!!」
「無理じゃないって!!」
「…………え」
唖然とする二人の前で、同じような台詞が繰り返される怒涛のマシンガントーク。いとも容易くそれをこなしている部長と副部長を眺めながら固まっていると教室の奥から引き戸へ、慌てた表情の少女が駆け寄ってきた。
「出雲、和多」
「か、神楽。これはどういう……?」
訳が分からない、と目で訴える茜に対し神楽はオロオロしつつも、必死に伝えようと身振り手振りで口を開く。「あ、あのね」
「ことりちゃんがね、皆で出たいって。何か……大会みたいなやつに」
「大会?」
「でも、松野が駄目って。だから、ことりちゃん怒って。それでずっと話してて……」
ことりちゃん、というのは部長を務める理久のあだ名だ。フルネームの略称で名付けた神楽だけが、呼ぶことが可能である。ちなみに、茜がそのあだ名で呼ぶとこれでもかと言うほどの冷たい視線を浴びせられるので、それ以来呼ばないように茜はしていた。
うなだれる神楽の頭を哲郎が撫でる。説明を聞いてもイマイチよく理解出来なかった茜だが、だいたいの道筋は推測したのか呆れたように溜め息をつく。「……要はさ」
「いつも通りの喧嘩ってことでいいのかな」
苦笑しながら言った、その一言ですら掻き消されてしまうくらいに二人の会話はヒートアップしていた。これを止めるのはそう容易くないだろうな、そんな言葉が茜の頭をよぎり、足を踏み入れる。
志木高文芸部の活動が、今日も始まった。
◇◆◇
「高校生文芸大会……」
用紙に書かれた文字を読み上げる茜の右隣では、不貞腐れたように頬杖をつく理久が座っており、向かいには眉間にしわを寄せる悠介、絵を描く哲郎と大人しく話に耳を傾ける神楽が座っていた。しばらくの沈黙の後、茜は優しい口調で理久に問いかける。
「理久、これに出たいの?」
「……うん」
「絶対に駄目だからな」
有無を言わせない強さで、そう言い放った悠介を理久は睨みつける。五秒もしないうちに漂い始める不穏なオーラを振り払いながら、茜は「ちょ、ちょっと待ってよ」と二人の間へ入り込んだ。
「何で駄目なの、悠介?」
「……理由はいろいろあるけど、第一にその大会は予選だ」
「予選? ってことは……」
「落ちたらそれで終わり。規模も結構デカイし、つい最近活動を始めた俺たちに勝ち残る見込みはない。第二に時間がもうない」
悠介が指さした欄には応募〆切の日付け。
理久を除いた三人はそれを見て、目を丸くさせた。
「これ……四日後!?」
「作品を仕上げる時間としては不十分だ。だから」
そこで言葉を途切れさせると、悠介は理久を一瞥する。
「諦めろって言ったのにこいつは……」
「あれ? でもこれ個人戦もあるじゃん」
茜の言葉に悠介は慌てて振り向き、理久は一瞬止まると驚いた顔で茜から紙を奪い取った。ほら、と言われ目を向けた先の羅列には、確かに「団体戦・個人戦のいずれかを選択」と書かれている。みるみるうちに華やぐ表情を微笑みと共に覗き込みながら、茜は呟いた。
「わざわざ皆でやらなくても、理久がやりたいなら個人戦でもいいんじゃない?」
その一言に嫌な予感がした悠介は顔を上げると、期待に満ちた眼差しを向ける理久の姿があり、思わず溜め息をついた。
「お前なぁ……そんなにやりたいのかよ」
「やりたい!」
「あと四日しかないのに?」
「書いてあるから大丈夫!」
「あぁもう知らねぇ、勝手にし……は?」
「…………あ」
しまった、と言わんばかりの冷や汗をかきながら固まる理久。その向かいの席から腰を上げた悠介は「へぇ……」と言いながら、いつもより遅い動作で近づいて来た。滲み溢れてきたドス黒い空気に背を向けるが、ガシリと掴まれ身動き不可能の状態となる。
「書いてあるから大丈夫、ねぇ?」
「……そ、そんなこと言ってなーー」
「言ったよな?」
「すみません言いました」
なぜか敬語になる理久の背後で、茜のようなニコやかな笑顔を浮かべる悠介。女子が見たら即ストライクゾーンに入るであろう、その笑みは理久にとって恐怖以外の何物でもなかった。
「琴平、部活がテスト休みに入る前、俺が何て言ったか覚えてるか?」
「え、っと……。が、学生の本分は勉強だから一旦、部活のことは忘れろ……だっけ?」
志木高ではテストの点数があまりにも悪いと、部活への出席が禁止される。ただ単に平均より少し下になってしまった生徒は補習授業を受けるだけなのだが、部活動禁止を恐れた悠介は常に学年トップの神楽の力も借りて、学力が危ない三人(理久、茜、哲郎)にテスト期間中はずっと家庭教師をしていたのだ。かなり鬼畜な量の勉強をやらせ、挑んだテスト当日。結果的に男子二人は補習行きとなってしまったが、理久の点数を悠介は聞いていないことに今さらながら気づいた。おまけにさっきの「書いてある」発言をプラスして、思い浮かぶ答えは一つしかない。
「ご名答。ーーで?」
「で?」
「いつ書いたんだ? その大会に出す用の原稿」
「…………せ、先月くらいかな」
「じゃあ、お前のUSBメモリーを確認したら当然、最終更新日は先月になってるはずだよな?」
「え!? ちょ、まッッッ!?」
どこから取り出したのか、理久のデータが保存されている黒いUSBメモリーを手にしながら、悠介はさっさと教室を後にしようとする。
「さぁて、我が部長の記念すべき処女作をパソコン室で読んでこようかなぁっと」
「わあぁぁぁぁあぁ!? すみません嘘ですテスト期間中に書きましたごめんなさいぃぃぃぃ!!」
バキリ、と不気味に響く音は哲郎が使っていた色鉛筆の芯が折れる音か、それとも悠介の怒りゲージがぶっ飛んだ音なのか。
茜と神楽が衝撃に備える態勢で、瞬時に耳を塞ぐ。
「……あんだけ言ったのに」
さっきまでの優しい口調とは180度違う、地の底から絡みついてくるような重たい声。
「なぁにしてんだお前はぁぁぁ!!」
回れ右をし教室の中央まで戻ってきた後、理久の肩を揺さぶりながら悠介は叫ぶ。
「忘れろって言っただろ! 一番やりそうな奴だとは思ってたけど、テスト期間中ぐらい自重しろよ!」
「で、でも国語は90点だった! クラスで三番目!」
「そりゃそうだろうよ! 二週間ずっと文章書いてたんだから! 数学とかはどうしたんだ! 言ってみろ!」
「……聞かない方がいいとおもーー」
「良いから言え」
「……え、英語が78、理科が74、社会が81、数学がー……」
「数学が?」
「…………50点」
「半分じゃねぇかお前ぇぇぇ!!」
「まぁまぁ、悠介も落ち着いて」
間に割って入った茜の背後に理久は急いで隠れ、盾にする姿勢をとる。肩を上下させながら息を整える悠介を前に苦笑いで、茜は後ろの理久に話しかけた。
「駄目じゃんか、理久。テスト勉強皆でやったんだから、悠介に謝らないと」
「……さっき謝ったし」
駄々っ子のようにワイシャツの裾を引く姿に「あ、可愛い」と思いつつ、優しくたしなめる。
「さっきのはノーカウントだよ。もう一回」
その一言に渋々、茜の肩越しに悠介を見つめ、理久は口を開いた。
「……ごめんなさい」
「目ぇ逸らしながら言ってんじゃねぇぞ、おい」
「だって松野怖いから。……顔が」
「好きでこの顔に生まれたんじゃねぇよ! それに、怒らせたのはお前だろーが!」
「すぐそうやって人のせいにする……カルシウム不足だろ」
「誰かさんが真面目に勉強してくれてりゃ、俺だって怒らねぇ!!」
「おいおい、何騒いでんだ?」
あまり聞き覚えのない声に全員、後方の入り口を見る。なびいた白衣のような上着に一瞬、理久は焦るが教室に顔を出したのは20代後半の男性、もとい文芸部顧問戸塚だ。
どうやら部活の様子を見に来てくれたらしいが、なぜか腕には段ボールを抱えている。近くの机にそれを置くと、運ぶ途中でズレた模様の深い藍色の眼鏡を直し、一息ついた。
「廊下まで響いてたぞ、お前らの声」
「戸塚先生、琴平の奴テスト勉強しないでーー」
「ち、違います! 私はこれに出たいだけなんです!」
「まだ言うのかよ、それは無理」
「だって、さっき松野は『もう勝手にしろ』って言ったじゃんか!」
「さっきはな。 でも、書いてあるならそれはそれで問題だろ。修正とかしなきゃならないし」
「で、でもーー」
「あー……何か、盛り上がってるところ悪いんだけど」
「別に盛り上がってないです!!」
重なった二人の声に「ごめんごめん」と苦笑いで謝り、戸塚は一つ咳払いをする。
「突然だけど、先生からーーいや、顧問から君たち部員に頼みがある」
「……? 何ですか?」
理久の聞き返した言葉に対し、たっぷり間をとった後、至極真面目な表情で戸塚は言った。
「バイト、してみないか?」
◇◆◇
流れる沈黙。
窓の外からは愛らしい小鳥のさえずりと、第二図書室のある東棟のちょうど反対、西棟側にあるグラウンドから清々しい野球部のホームラン音が聞こえる。
やがて、耐えかねた悠介は口を開くと冷たい目を戸塚に向けた。
「……先生、何言ってんですか」
「そんな怖い目しなくてもいいじゃないか、松野。……マジで怖いぞ」
「バイト!? 楽しそう!」
「何でバイトなんですか?」
輝く眼差しで戸塚を見つめる茜の背後から、述べられた理久のもっともな意見にバツが悪そうな表情を見せる。「いや、それが……」
「これなんだけどさ」
戸塚がこれ、とおもむろに開けた段ボール箱を全員覗き込む。ビッシリと箱詰めされていたのは、ちょうど本のような厚さとサイズの冊子。理久が手に取るとそれは一冊一冊、丁寧に作られており手作りらしい。表紙の題名を目で追う。
「……リテラチュア、志木高文芸部作品集」
口にしてみてハッとする。
「こ、これもしかして部誌!?」
「大変だったんだぞー、職員室の倉庫にもないから、学校中探してさぁ」
「結局どこにあったんですか?」
「……まさかとは思ったんだけど、何か体育倉庫で埃かぶってた」
「は?」
再び冷たい視線を投げかける悠介に「いや、本当だからね!?」と戸塚は言った。
そんなことも気にせず、嬉しそうに理久は部誌を丁寧に取り出し始める。
「すごい……こんなにたくさん……!」
「リテラチュアって英語で文芸って意味だよね。かっこいー!」
「部誌だったら、和多に表紙の絵描いてほしい!」
「別に、いいけど」
「神楽は音楽好きだし……詩とかいいかもな!」
「ッ! や、やりたい!」
入部してからはお互いを名前とあだ名で呼ぶようになった理久と神楽は、二人で部誌を見ながら楽しそうに会話をしている。
普段は本を読まない茜や哲郎も、珍しくパラパラと捲っており「挿し絵もいいね」「……そうだな」など呟いていた。
不審そうな表情をしながらも同じように部誌を手に取る悠介は「それで?」と戸塚を見る。
「バイトと部誌に、何の関係があるんですか」
「え? あぁ、そうそう。その話をしに来たんだっけ」
そう言うと戸塚は適当に一冊の部誌を取り出し、説明し始めた。
「こんな感じにさ、うちの部誌は全部手作りなんだ。だから、製本するためのテープとかコピー用紙が大量に必要な訳」
でもさ、と言葉が途切れる。
「……ないんだよ」
一気に低くなった声のトーンと暗い表情に理久はまさか、と考えを巡らせた。
辿り着いた予想を戸塚が口にしないように、心中で願う。だがそれも虚しく、
「テープとかコピー用紙……全部どこにも見当たらないんだ」
理久は思わず息を飲む。どこにも見当たらない、それはつまり部誌を制作出来ないということだ。
二度目の沈黙が訪れる。
しばらくした後、悠介は合点がいったように口を開くがすぐに顔をしかめた。
「ない道具を買うためのお金をバイトで稼ぐ……そういうことですか」
「まとめて言えばそうなる」
「でも、おかしい箇所が多々あります」
淡々とした口調で順に告げる。
「学校側から部費として出ないんですか? それに、何も残っていないことはないと思います。体育倉庫に部誌があったなら、テープやコピー用紙だって気がつかないような場所にあるかもーー」
「そう、おかしいんだ」
遮るように呟かれた意味深な一文。
全員の視線が戸塚へと向かい、奇妙な空気が辺りを包み込む。
「……考えれば考えるほど、おかしいところだらけ。部費は出ないし道具も残ってない。多分、学校は文芸部がまた復活したことを良く思っていない」
「どういう、ことですか……?」
茜の問いかけに、戸塚は眉間を縮こませた。
「俺もよく分からん。けど、一つ言えるとすれば」
文芸部には何か裏がある。
言ったと同時に重苦しい状況となり、茜と悠介は気まずそうに顔を見合わせる。
そこまで言うと戸塚は、うなだれる理久を発見しそばに寄ると、元気付けるように声をかけた。
「なぁ、琴平。お前はどう思う?」
「……え」
「二代目文芸部の発案者として、部長として。この矛盾だらけの部活をどう思うか」
心配そうに事の様子を見守る部員たちの視線を背に、理久は少し考えた後ゆっくりと、だが有無を言わせない強さで言葉を紡ぎ出す。
「……私は」
「部活を引き継いだ者として私だけじゃない、文芸部皆がそれを知る権利を持っていると思い、ます」
「つまり?」
「つまり、えっと……。そ、そのような裏を全国のお茶の間の前で暴く必要があるということです!」
「うん、お茶の間じゃなくてもいいけどな」
「……何か理久、パニック起こして言ってること滅茶苦茶だよ」
「起こすのも無理ないだろ」
憐れむような目色で部長を見つめる茜はふと思い出したように、必死で理久を落ち着かせる戸塚へ言葉を投げかけた。
「先生、話が脱線してますけどバイトはしなきゃ、まずいんですよね? 経済的に」
「あぁ、うん。何か俺が適当に、楽そうで簡単に稼げるやつを探してくるから」
「ないですよ、そんな仕事」
「……松野って冷たいんだな」
「現実を言ったまでです」
呆気ないほど突き放された教師に、茜は苦笑いながら「あの」と呟く。
「楽かどうか分かりませんけど、働けそうなところ一軒だけ知ってますよ」
「ほ、本当か!?」
砂漠の中でオアシスを見つけたような表情で、茜に詰め寄る戸塚へ自分の掌を向けながら続けた。
「あ、あんまり期待しない方が……一応聞いてみるだけ聞いてみますけど」
「茜の知り合いなのか?」
「知り合い、っていうか……。理久さ、俺が入学式のとき連れて来た子犬、覚えてる?」
簡単に忘れられる訳がない、とは言えずに理久は頷く。
「あぁ、あの茶色と白の……柴犬みたいな雑種みたいなやつ?」
「そう、その子犬を今飼ってくれてる人なんだ」
笑顔でそう言った茜に対し、理久は一種の尊敬を覚える。クラスでも男女構わず仲良くしており、常にムードメーカーの自称未来人。
こいつの人脈は計り知れないな、と。
◇◆◇
「何か、いろいろありがとうな茜。いつも助けてもらって」
「そんなこと……今さらじゃん! 大丈夫だって!」
夕焼けに染まる駅前。
帰宅ラッシュの少し前であるこの時間帯は、人がまばらで駅には茜と理久の二人しかいない。照れくさそうに笑う茜は、礼の言葉を述べる理久に軽く右手を上げ、足を後退させた。
「じゃ、また明日!」
「うん、明日な」
バイバイ、と手を振る姿が消えていくのを見つめた後、理久は駅内へと入る。
ーー……あ、コンクール
ブレザーのポケットに入れた手に当たる紙の感触に、そんなことを思い出した。
だが、少し考えると皆で作る部誌の方が楽しそうに思えてきたため、悠介の言った通り諦めることにする。
ーーそれにしても……
戸塚の言った一言が頭をよぎった。
『裏がある』秘密の香りが漂う、その予想は果たして本当なのか、定かではない。
「……変な文芸部だなぁ」
小さく呟かれた理久の言葉は、ホームに到着した電車の音によって掻き消さた。




