17話 突発、部長は誰だ
「や……やっと帰ってくれた……」
「何なんだよ、あの先生……」
不満の言葉をそう口にしながら理久と悠介は扉を閉めた。二人の顔には明らかな疲労の色が浮かんでおり、席に着く動作もどこか気だるそうにしている。
なぜか茜は倒れ、おまけに顧問の戸塚が乱入するという二次災害を乗り越えた文芸部メンバーは、しばらく夏の薫りが混じる風を感じていたが、グッタリしている様子の悠介が口を開いた。
「おい、琴平」
「……何スか」
「戸塚先生にここは園芸部じゃなくて文芸部だって洗脳させとけ、仮にも部長なんだから」
「洗脳って……そんな物騒なーーは?」
「あ?」
否定されたのが気に食わなかったのか、悠介は威圧感を滲ませる。いつもならそれに怯むはずの理久は、なぜかポカンとした表情で固まった。
「……え、ごめん今何て?」
「戸塚先生を洗脳しとけって」
「その次」
「……仮にも部長なんだから?」
「何で私が部長って決まってるんだ!?」
勢い余って椅子から立ち上がる理久に、見上げる形で悠介は「はぁ?」と言い放つ。
「何でって、お前が創部したからだろ」
「それなら茜も同じだから!」
「ちょ、俺を巻き込まないでよー」
哲郎の介抱でやっと目を覚ましたらしい茜は、窓際のソファで寝ていた体を起こしながらそう言う。焦る表情を露わにした、その様子を眺めると理久は人指し指を悠介に向け、反論の言葉を紡ぎ出した。
「てか、松野の方が相応しいだろ。一応本物の作家なんだし」
「一応って何だよ! あと、作家だからっていう理由は理不尽だから認めない」
「なッ! 素人がやるよりは経験者が部長の方が安心するだろ!」
「嫌だ」
「……入部頼んだ時も思ったけど、もう少し考えてから結論出せよ!」
「考えるだけ無駄」
「無駄ッ……!? 何だよ、松野の分からず屋! 頑固!」
「お前ほどじゃねぇけどな」
「小説の人気落ちろ!!」
「んだと……!」
論点のズレが生じ始め、口喧嘩へと発展していく様子を見ながら茜は苦笑いを浮かべた。
心配そうにオロオロする神楽をなだめ、呆れた様子の小さな声で哲郎に話しかける。
「……どう思う、あれ」
「ーー仲良いんだな」
「え?」
返ってきた思いがけない答えに面食らう。
静かな微笑みを見せながら、哲郎は噛みしめるように呟いた。
「あれだけ本音言い合えるんだから、お互い相性が良いんだろ」
何か良いな、こういうの。
そう言った少し寂しげな笑顔が、日射しの中輝く。驚いたように目を見張る茜の近くでは、神楽も哲郎と共に笑っていた。本当に楽しくて仕方ないことが窺える表情には、慈愛で満ちた眼差しがあってこれからを期待する希望が浮かんでいて。
そんな二人を眺めて思わず苦笑した茜の脳内に、ふと名案が形を作っていく。
ビックリマークが茜の頭上に見えたと哲郎が感じた時には、もう創部届けは赤毛少年の手中にあった。
「出来た!!」
叫ばれた大声に全員が振り返る。
怪訝そうな顔をする理久と悠介のそばに駆け寄り、茜は初めてテストで満点をとった子供のように自慢気な表情で紙を渡した。
「理久! 見て見て!」
「何だよ、いきなり……」
「これなら文句ないでしょ?」
はい、と言って見せられた文字を茜以外の四人が覗き込む。
しばらくそのままの姿勢でいた後、理久と悠介は元凶でありながら苦しそうに唸り、哲郎と神楽は目を輝かせた。
「……これは」
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だよー」
「でもナイスアイディアだな」
「出雲……すごい」
得意気に鼻を鳴らす茜を一瞥し、理久は苦笑混じりの溜め息と共に呟く。
「……じゃあ、これで行くか」
◇◆◇
「……ん?」
欠伸を噛み殺しながら廊下を歩く男子生徒は、不審そうな声を上げて教室の入口に存在する机へ目を向けた。
志木高生徒会執行部、副会長の肩書きをかける彼、野崎蓮は近寄った机の上にある目安箱から入り切らなかった紙の端っこが出ているのを発見する。先代の生徒会が作ったこの箱、通称安夫くんは生徒にあまり知られていないので、中に何かが入っているのはかなり珍しい。興味本位で引っ張り出した、若干しわのある用紙にざっと目を通す。途端、野崎の眉間は縮こまり口からは「あぁん?」とさながらヤンキーのような感想が漏れた。
「かいちょー、今良いッスかー?」
返事もろくに聞かず教室へ入ると、中心の一番大きな机で事務整理をしている男子生徒がいた。かけられた声に反応したのか、頬杖をついた腕でボサボサの頭を抱え込み、不健康そうな顔を上げる。「……何」
「何か用、野崎。俺忙しいんだけど」
「サーセン、ちょっとこれ見てくださいよ」
軽い口調のまま、野崎はそばに寄るとさっき自分が見ていた紙を生徒会長、廣川春紀の机の上へ勝手に置いた。
嫌そうに表情を歪ませ、チラリと野崎を一瞥する。
「……あのさぁ、仮にも生徒会なんだからそのオレンジ色の髪どうにかしてくれる? あと前髪をゴムで縛るな、女々しい」
「鬱陶しいからどうにかしろっつったのは会長ッスよ。とにかくこれ」
西日に反射する野崎の染めた髪に口を尖らせつつ、廣川は渡された用紙を読み上げる。
「……へぇ、文芸部か。そういやうちは昔強かったらしいね」
目安箱の安夫くんに入っていたのは創部届けだ。志木高では創部をする時、顧問のサインをした上で生徒会執行部に提出する決まりになっている。
少し興味が湧いてきたのか、廣川の表情が変わり始めるが「違いますよ」と言う野崎の声に顔を上げた。
「創部名じゃなくて、その下」
「下?」
不思議に思いながら、視線を下へと動かす。
〈創部届け〉
部活名:文芸部
顧問:戸塚康太
部長:琴平理久、出雲茜(一年二組)
御崎神楽(一年四組)
松野悠介(一年五組)
和多哲郎(一年六組)
副部長:いません
「…………え」
短い一言を発した後、石像のように固まってしまった廣川の前で、野崎は呆れた口調で呟く。
「……全員部長なんスよ」
沈黙。
窓の外では既に太陽が沈んでおり、鮮やかな夕焼けと共に流れ行く、グラデーションの中を星々が瞬き始めている。
遠くの山からカラスの鳴き声が聞こえ、気味が悪いくらいに生徒会室で木霊した。
「……野崎」
「はい?」
「生徒会、って……嫌われてるのか?」
自らの両手を目の前で組みながら、そう言った廣川。心なしか、その瞳が潤んでいるようにも見えた野崎は若干口ごもりながらも、静かに答えを返す。
「……違うと思いますよ」
「じゃあ何でこんな紙くるんだよ!? 喧嘩か! 喧嘩売ってんのか!?」
「お、落ち着いてください会長!」
急に椅子から立ち上がり、叫び出した廣川を必死でなだめるが、
「生徒会なんて……生徒会なんて辞めてやるよチクショーッ!!」
「何でそうなるの!?」
「うわぁぁぁん!!」と涙混じりの大声を発しながら、教室を出て行く背中を慌てて追いかける。
「ちょっと会長! 待ってください! かいちょおぉぉぉ!!」
次の日、戸塚経由で理久の元へ帰ってきたのは「認証不可」という判子を押されたやけにクシャクシャの創部届けで、結局理久は自分から部長を名乗り出たのだった。




