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拝啓、未来より  作者: 真野/休止中
創部編
11/68

10話 水飛沫、舞う

 志木高の校舎は上から見ると、正方形のような形をしている。四つの棟が中庭を囲む設計となっており、学校の中心には志の木があるのだ。左側には体育館やプールが橋のような通路を挟んでくっついている。

 そんな校舎なのだが、四つの棟にはそれぞれ真上から見た時の感覚で名前がついており、上が北棟・右が東棟・左が西棟・下が南棟と呼ばれているので、生徒たちはこの棟の名前と階数を頼りに移動する。

 中でも、一番のサボり場所として代々受け継がれているのは、東棟側の畑だ。

 グラウンドが見える西棟や、昇降口のある南棟とは違い人気が全くないので、昼寝・サボりの地としては屋上より安心といえるかもしれない。唯一、畑を管理している用務員さんも今は歳のせいか、手入れをしていないのだからますます絶好といえる。

 だが、人気がない、ということは同時に「見られる可能性が少ない」という事実も証明しているのだ。それを分かっていて、悪い方面へ利用する者も多い。

 安息と共にリスクを背負わなければならない、そんな東棟に放課後の賑わいとは程遠いようなキツイ声音が響いた。


「あんたさ、自分が教室で浮いてるって分かんないの?」


 そう言った女子生徒は、邪魔なものを見るかのように視線を斜め下に向ける。周りには他の女子生徒も数名おり、思わず素通りしたくなるくらいの空気を醸し出していた。

 その視線の先にいる少女は、短めのフワフワとした明るい茶髪を揺らしながら、ゆっくりと顔を上げ、伏目がちの無表情でジッと嵐に耐える花の如く、固まる。


「……そうだな、少しお小遣い分けてくれたら仲間にいれてあげてもいいよ。十万くらいでいいからさ」


 口元に笑みを貼り付けながら、女子生徒はそう言うと「どう?」と目の前の少女に問いかけた。


「安い方でしょ? 十万なんて」


 だが、その問いにも少女は反応せずに無言を突き通す。しばしの沈黙の後、気に食わないように女子生徒は目を細めた。

 口を開きかけた、その時。


「よけて!!」


 上から降ってきた叫び声の真意を確認する前に、落下物がコンクリートに叩きつけられた。女子生徒と少女の間に鈍い音が響き渡る。

 着陸に失敗したそれは無惨なまでに、ひび割れてしまい中に入っていたものも、辺り一面に撒き散らされてしまった。

 血飛沫のような跡を残す中身の液体を、呆然と眺めていると「すみません!」と大声が校舎の影から発せられ、女子生徒たちはビクリと肩を上下させる。

 だが、肩を上下させているのは女子生徒たちだけではなく声の主もだった。息を整えながら、言葉を紡ぎ出す。


「ち、ちょっと手が滑って……! あの、怪我ありませんか!?」

「え……いや、ないけど」

「ほんッとにすみません! 服とか大丈夫ですか?」


 心配そうな目を向ける黒髪の少女に対し、女子生徒たちは互いに顔を見合わせると「大丈夫だから」と一言吐き捨てた。そのまま横を通り過ぎて行く。

 集団を見送った後黒髪の少女、理久は大きく溜め息をつき帰ろうとするが、視界の端に映った人影に顔を青ざめた。


「す、すみません! 制服濡らしちゃって!」

「……え」


 取り残された少女は改めて自分の姿を見回すと、確かに制服の所々が水玉模様に滲んでいた。狼狽える理久を無表情のまま見つめ、少女は口を開く。


「……別に、大丈夫ですから」

「駄目! 風邪引くかもしれないし……悪いのはこっちなんだし!」


 身を乗り出し落下物を回収した後、グイグイと腕を引っ張る理久になす術もなく連行される。

 暖かい五月の終わりを知らせるような、蒸し暑い風が二人の間を通り抜けた。


 ◇◆◇


 強制的に連れてこられた教室を前に、少女は小さく呟いた。「……ここって」


「もう、使ってない教室なんじゃ……」

「今は使ってるよ、部室として」

「部室?」

「おうよ」


 そう返事をすると理久は笑顔のまま、引き戸をスライドさせた。爽やかな風が吹き抜け、髪の毛をなびかせる。

 たくさんの本がぎっしりと入っている本棚と、ドレスの裾を連想させるような空色のカーテン、長机に置かれている雑巾やらホウキ、そしてーー頭のこめかみ辺りに両拳を押し付けられている赤毛の少年と、怒鳴りながらそれを実行している少年。

 これらの景色が、いきなり少女の目に飛び込んできた。訳も分からず固まる。


「てめぇは何やってんだよ!」

「いででで!! 痛い! 悠介痛い! ちょっと手が滑っただけじゃんか!」

「今時『遠心力ー!』って叫びながらバケツ振り回して、挙句窓の外に放り投げる馬鹿がどこにいる!」

「ここにいるよーって、ちょっ待って! 嘘嘘、冗談だって! やめて! 窓から落とそうとしないで!」

「さっきのバケツみてぇに、いっぺん落ちてこい」

「それ、砕けろってこと!? 理久助けて! 理久!」


 唖然とする少女の隣で理久は再度、大きく溜め息をつくと窓際に歩み寄った。


「松野、そのへんにしとけよ。茜が可哀想」


 理久の呆れた口調に、悠介は小さく舌を鳴らすと大人しく離れ、近くのホウキを手に教室を掃き始める。自由の身となった茜は安心したような笑顔で「理久ー」と口にし、抱きつこうとするが漂う不穏なオーラに体を固くさせた。


「……茜」

「な、何ですか?」

「制服脱げ」

「は?」


 茜と悠介の声が見事なまでにハモる。早くしろ、と促す理久を前に茜は数回目を瞬かせると急に焦ったような表情を露わにした。両手を押し出す形で伸ばす。「い、いやいやいや!」


「なな何言ってるの、理久! そりゃ、確かに俺もそ……そういうことはしたい年頃だけど……。そうなんだけど、やっぱりこういうことは教育的な場でやらない方が……ほら、PKOって言葉もあるくらいだしーー」

「お前、それは国際連合平和維持活動の略だろ。TPOじゃないのか? 時と場所と場合」

「あれ、そうだっけ?」


 悠介の指摘に茜はクエスチョンマークを浮かべると、同じように理久も不思議そうな顔をしていた。


「? 何ごちゃごちゃ言ってんだ? 元はといえば茜のせいなんだから、それくらい当然だろ」

「え、俺のせいって何!? 俺何かした? てか、理久大丈夫!?」

「しただろ」


 そう言うと理久は入口の方に立っている少女を指差す。


「茜のせいで、あの子の制服濡れたんだよ。早く貸してやれ、ジャージでも代わりの予備制服でも何でもいいから」


 沈黙。

 目を見開いたまま、理久を見つめる二人の男子を前に奇妙な空気が流れるが、カチリと何かが噛み合う。

 やがて、茜は顔を赤くさせ「な、何だよぉ」と腑抜けた声を発した。


「驚かせないでよー、びっくりしたなぁもう」

「最初からそう言えよ」

「何が?」

「そうだよねー、理久がそんなこと言うはずないもん。欲求不満の男子じゃあるまいし」

「おまッ! そ、そういうこと平気で言うなよ!」

「あれれー? 悠介さん顔が赤いですけど、まさかの図星だったり?」

「うるせぇ!!」

「だから、何の話してんだよ……」


 イマイチ状況が掴めない理久だが、諦めたのか「まぁ、いいか」と言って入口にいる少女を招き寄せ茜に向き合った。


「とりあえず、何か代わりになるもの持ってこい」

「はーい」

「あ、ついでにこれ持って行って」


 理久がこれ、と指差したものを見て茜は再びハテナをチラつかせた。足元にあるのは、先ほど自分が教室からぶん投げたバケツだ。

 嫌な予感がしながらも、恐る恐る問いかける。


「もしかして……弁償?」

「いや、少しひび割れただけだから適当に誤魔化す」

「……これ、少しひび割れたっていう程度じゃ済まないと思うんだけど」


 既にバケツの下には小さな水溜まりが出来ており、中を覗くと大きな裂け目が見えた。

 こんな姿にしてしまったのは自分だが、さすがに罪悪感がつのる。「……でさ」


「何でひび割れてるのを知ってて、水入れてきたの?」

「……まだいけるかなって思ったから」

「どう考えても無理じゃない!? 前向き思考すぎるよ!」

「い、いいからさっさと持ってけ! 待ってる人がいるんだから!」


 半ば押し付けるかのように、バケツを渡す。

 渋々それを受け取り、腕で抱え込むと茜は出て行こうとしたのだが、


「じゃ、いってきまーーッ」


 ガツリと足元に響く音。

 いつの間にか、机の上から落ちていたホウキの束が茜のつま先を絡め取る。バランスを崩し倒れたまでは良かったが、手元から離れたバケツが宙に浮かぶ。ただのひび割れたバケツなら何の問題もなかった。でもそうではない。理久は弧を描くバケツを下から眺めながら、先ほどの自分の行動を後悔する。

 水入りの容器が重力に従う。


「うわあぁぁぁぁあぁ!?」


 盛大な水飛沫が教室を水玉模様に染めた。

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