たかが鬼ごっこに本気かな?
関元湊視点。
高槻憩。
ちょっとした伝手を使って調べた彼女のプロフィールは、どこにでもいそうな平凡なものだった。
ただ直接会った彼女はどことなく一つ下の妹に似ていた。
見た目は全然似ていないのにどうしてそんなことを思ったのか、今でも不思議だ。
だからあの時俺は高槻さんを殴ろうとしていた拓哉を止めた。
それだけじゃなくてもっともらしいことをいって、二人を丸めこんだ。
止めただけでは拓哉も彼を慕う周りの人間も納得しないとわかっていたから。
でも高槻さんは俺達の予想を越えた。
俺達はてっきり一日目の涼に捕まえられると思っていた。
だが高槻さんは足の速い涼に捕まらなかった。
それだけじゃなくて、正義にも気に入られ、女嫌いな蓮に好意を持たれて、拓哉から逃げ切った。
それがどれだけすごいことなのか、彼女はきっと知らないだろう。
いや彼女の今後の生活を考えるのなら知らない方がいい。
今日もまた昼休みに高槻さんへメールを送った。
間もなく返信が届き、俺はコンビニ弁当を食べながらそれを見る。
『今日の鬼は関元様ですね。了解しました。ではまた放課後よろしくお願いします』
いつもと変わらない内容に苦笑する。
初めて返信をもらった時にはどこかの会社の間違いメールかと思った。
絵文字のない丁寧なメールは俺達と距離を取りたいけど、返信せずに怒らせたり、逃げたと思われたくないからだろう。
きっと彼女は変なところで真面目かものすごく臆病なんだろう。
それとも拓哉が本当に約束を守ると信じているのか?
もしそうだというなら高槻さんは今まで恵まれた人生を送ってきたんだろう。
騙され、利用され、奪われ、理不尽に虐げられた俺達とは違う。
どうしてこんなにも普通の子がこの学校に通っているんだろう。
高槻さんのことを知れば知るほどそう思う。
六時間目の途中の特別教室棟は静かだ。
他のやつらは今頃教室で授業を受けているだろう。
高槻さんは俺の予想通り、生化学準備室に来ていた。
生化学教諭は同性愛者と校内でも有名だが、なぜか彼女と仲がいい。
共通の話題でもあるのだろうか?
生化学教諭だけではない。
彼女の人間関係は教師ばかりで、一癖も二癖もあるあの人達と仲良くなれるのはある意味才能だ。
なのにどうして生徒とは仲良くしないのだろうか?
多分、仲良くしようと思えばできるはずだ。
高槻さんのことを考えるほど疑問が増えていく。
「あれ!?開かない!?」
生化学準備室の前で高槻さんは何度も扉をゆすったり、他の扉を開けてみたりしていた。
今日は全クラスが特別教室を使わない日だと知らなかったらしい。
「授業をサボるなんて高槻さんは意外と悪い子なんだね」
背後から声をかけると、高槻さんはビクリと大きく肩を震わせて振り返えった。
「せ、関元様!?どうしてここに!?まだ放課後は始まってませんよ!?」
『本当にどうしてここにいるんだろ?始まるまで十五分くらいあるのに』と顔に出ている。
動揺のあまり声が裏返えっているのもおかしくてついつい笑ってしまう。
「そうだね。ところで今日の全クラスの授業を知ってる?」
「え?知りませんけど……?」
高槻さんはきょとんとした顔で首をかしげた。
自分のクラスの時間割しか見ないんだ。
「今日は全クラスが特別教室を使わない日なんだ」
俺の言葉の意味に気づいた高槻さんは見る見るうちに青ざめていく。
「『チェックメイト』かな?」
どこかで聞いたことのある決め台詞をあえて口にして、追い詰める。
さらに高槻さんの心が落ち着く前に開始を知らせるチャイムが鳴った。
高槻さんは何も考えずにただひたすらその場から逃げ出した。
少しでも俺から逃げるつもりなんだろう。
それも予想していたから焦りはない。
これで捕まえられたらいいくらいのものだった。
高槻さんの姿が完全に見えなくなってから俺はゆっくりと歩き出す。
さて時間までどうやって時間を潰そうか?
壁掛け時計が示す残り時間が十分を切った。
それまでの時間はバレないように気配を消して、高槻さんをつけていた。
俺の姿に怯える背中は正義がいっていたように小動物のようにも見える。
今は疲れてしまったのか、高槻さんは自分の席に座って難しい顔をしていた。
すると下校時間を知らせるチャイムが鳴った。
教室の壁掛け時計も下校時間を示している。
高槻さんはふにゃりと机にへばりつくように倒れこんだ。
完全に油断している今なら逃げられることはない。
「君、大丈夫?」
「え?」
優しい声で話しかけたのに高槻さんは泣いていた。
それに気づいて驚いた顔をした後、眼鏡を外して、ハンカチで涙を拭いた。
「なんか泣いていたから声かけたんだけど余計なお世話だったかな?」
とっさに吐いた嘘だ。
まさか泣いているとは思わなかった。
高槻さんは慌てて頭を下げる。
「い、いえ!ありがとうございます。大丈夫です!これ嬉し泣きですし!」
赤い目で笑う姿に胸の奥に針で突き刺すような痛みを感じた。
「それならよかった。立てる?」
高槻さんへ手を差し出す。
「いえ!大丈夫です!一人で立てます!」
「いいからいいから。ほら、ね?」
これからやろうとすることに罪悪感を覚えながら俺は実行へ移す。
俺は拓哉に大きな借りがある。
だから俺はどんなに罪悪感を覚えても、拓哉の命令は絶対に、叶えなければいけない。
「あ、ありがとうございます……」
耳まで赤くした高槻さんの手を取って立ち上がるのを手伝う。
一回り小さな手は少し力をこめただけで、折れてしまいそうだ。
高槻さんの掴んだ手を引き寄せて、強引に俺の腕の中に閉じこめた。
「ん?」
高槻さんは不審そうな声を上げた。
「つかまえた」
俺は高槻さんへ残酷な答えを突きつけた。
高槻さんは壊れたロボットのようなぎこちない動きで顔を上げる。
「ごめんね、高槻さん」
高槻さんの疑問をかき消すように“二度目のチャイムが鳴った”。
「校内の時計と十分早めたんだ下校時間の放送を二回に設定したんだ」
俺は高槻さんにスマホを見せた。
時刻は六時を指していた。
高槻さんの顔が絶望に染まって、目から止まっていた涙がぼろぼろと流れる。
「え?高槻さん、もしかして泣いてる?」
「ごめ、な、さい……」
“あの時”の妹の姿と重なって俺は動揺してしまう。
高槻さんは拘束が緩んだ隙に腕を突っ張って俺から距離を取る。
あの時、妹も俺を拒絶した。
二人だけの教室に高槻さんがすすり泣く声だけが響いた。
罪悪感に似た何かが胸に先ほどと比べ物にならないほど深く突き刺さる。
……違う。高槻さんは妹と違う。
一緒にするな、俺。
「……高槻さん」
名前を呼んだだけで高槻さんは肩を震わせた。
俺は信じられないと思うけど、と前置きして言葉を続ける。
「負けたら拓哉の好きなようにするって条件だけど、高槻さんに無理させるようなことはいわせないし、させない。だから俺を信じてほしい」
高槻さんはこれでもかと目を見開いて俺を見上げた。
俺の言葉に涙も引っこんでしまっていた。
「俺さ、妹がいるんだ。一つ下の涼と同じ年。その妹が高槻さんと似ているんだ。見た目じゃなくて雰囲気とかそういうのがなんとなくね。だからちょっとこのまま放って置けないなと思った」
さっきから俺は何をいっているんだろう。
高槻さんが泣くのは俺のせいだというのに。
「私も、同じです。一つ下の弟がいます。その弟にが同じ目に遭っていたら多分私も同じことを考えたと思います」
高槻さんは少し嬉しそうに笑った。
どうして俺にそんな笑顔を見せてくれるんただ?
「ごめん。それにありがとう」
俺は高槻さんに笑顔を向けられるような人間じゃない。
知らないだけで何人も傷つけている。
「そう思うなら私を助けてください」
高槻さんは少しいたずらっ子のような口調で提案する。
「俺に出来る範囲でなら喜んで」
道化師のようにやや演技かかった仕草で肩をすくめると、高槻さんは声を上げてさらに笑った。
ああ、ほんと正義のいう通りだな。
高槻さんは優しくて側にいると居心地がいい。
だから守りたくなる。
拓哉には逆らえないけと、出来ることはある。
少しでもいい。迷惑かもしれない。
でも守ろう。
もう二度と後悔しないように。
正義より湊の方がシスコンです(笑)。
少しシリアス(シリアル?)回です。