たかが鬼ごっこに本気か?
五段構えの罠。
涼も正義も蓮もあいつを捕まえられなかった。
正義と蓮にいたっては捕まえようとすらしていない。
お前らは俺が殴られたのになんとも思わねえのかよ。
「憩は友達。だから捕まえない」
正義は珍しくちょっと嬉しそうに笑った。
「そもそもアタシは関係ないじゃない」
蓮は最初から乗り気じゃなかったから期待してなかった。
けど女嫌いのこいつが珍しくあいつに対して好意的でイラついた。
だから俺は湊の制止を振り切って、今日の鬼になった。
湊は溜め息を吐きながら図書室に行くようにいう。
なんだかんだいいながら湊は面倒見がいい。
妹がいるからか?
放課前に湊の指示通り図書室に行くと誰もいなかった。
それもそうか。
文字がびっしりと印刷された本を読ようなやつがこんな学校に入学するわけがねえ。
いや一人だけ例外がいたか。
高槻憩。
ついこの間までこの学校に似合わない女だと思っていた。
俺は無意識にあいつにビンタされた頬を撫でる。
頬の痛みはその日の内に治った。
当たり前だ。あんなの音こそ大きいが殴られる痛みに比べたら蚊に刺された程度だ。
エロ本を見ても反応しないくせに胸をもんだら、ビンタした変な奴。
そのくせビンタした後は逃げようとしやがったから、捕まえて引きずり倒した。
少し睨んでやれば子供みてえに泣き出して、殴ろうとしたら湊に止められた。
怖くて泣くくらいなら最初から俺に手を出すんじゃねえよ。
最終的には湊の変な提案を飲まさせた。
トマに怒られると後々面倒だからな。
体を焼くような苛立ちは帰り道を塞ぐチンピラごときじゃ消せなかった。
ふいに扉の向こうから人の気配を感じて顔を上げる。
すりガラスの先から見たことのあるシルエットが扉の取っ手に手をかけて横に引いた。
「俺を待たせるとはいい度胸だな」
あいつは何もいわずに無表情で扉を閉めた。
俺に気づいて逃げたのか?
俺は椅子から立ち上がり、扉の前に立つ。
開けるより先にあいつは慎重に慎重に扉を開けた。
こいつは俺の姿をじっと見て、石造のように動かない。
「お前……何してんだ?」
思わず声をかけると、顔を真っ青にしてまた扉を閉めようとした。
直感で今度こそ逃げるつもりだとわかって、とっさに俺は扉を掴んだ。
金属製の扉が軋む音を立てたが気にせずに扉を開けていく。
それに従って女の顔色も悪くなっていく。
完全に扉が開かれ、隔てる物がなくなった。
俺はあいつへ顔を寄せる。
息を飲む声が聞こえたが何も気づかなかったふりした。
「涼達は上手く手懐けたようだが俺はそうはいかねえぞ?」
軽く睨らんで低い声で脅した。
こいつの目に涙が溜まっていく。
その顔いいな。
もっと泣かせて後悔させてやりたくなる。
いや生まれたことさえも後悔させてやろう。
胸の中でくすぶっていた苛立ちに火がついた。
「……一時間やる。逃げるも隠れるも好きにしろ。時間が過ぎたら本気で捕まえてやる」
鬼ごっこの時間は二時間。
だが俺が本気でこいつを追いかけたらすぐに捕まえられる。
それじゃあつまらねえ。
希望を与えられて堕ちる方が人はショックが大きいらしいが本当かどうか試してやるよ。
「わかりました」
こいつは小さく頷いて、俺に背を向けた。
五十分後。
全ての準備を終えたらいいこいつはのこのこと俺の前へと戻って来た。
探す手間が省けてちょうどいい。
距離は十分すぎるほどに開いた五十メートル。
「なんだ?まだ始まってもいねえのに諦めたのか?」
そういや捕まえたらどうするか、考えていなかったな。
まあ下僕にしてやればいいか。
「諦めていません」
「なら何か企んでるのか?止めとけ。無駄になるだけだぞ」
「やってみないとわかりませんよ」
さっきまでの泣きそうな顔ではなく、強い意思を感じる顔をしていた。
「ふん。さっきのことが嘘のように強気だな。その余裕はいつまで持つだろうな」
俺が動く前にあいつは動いた。
最初の罠は教室だった。
あいつを追いかけて教室の扉を開けると同時に、ビニール袋とその中に入っていた大量の水が降ってきた。
糸か何かで扉が大きく開くと同時に落ちる仕組みになっていたらしい。
道理で少ししか開けなかったわけだ。
次の罠は階段だった。
先に三階へ昇りきったあいつは振り返るとバケツに入れた水をぶっかけてきやがった。
一度は避けたが二回目、三回目は避けきれずに濡れてしまった。
その次の罠は校庭だった。
膝下くらいが埋まる落とし穴に落ちた。
穴の中には水が溜まっていて、落ちた衝撃で太もも近くまで濡れる。
わざわざ地面にしみこまないようにビニールの上に水が張ってあった。
さっきからなんで水ばっかりなんだよ!?
さらに次の罠は視聴覚室だった。
部屋の中は真っ暗で何も見えない、と思ったらプロジェクターに映像が映る。
それは裸の男二人がAVみてえなことをしている映像だった。
あまりの気持ち悪さに全身に鳥肌が立ち、吐き気すらする。
教室を出ようとしたが扉の立てつけが悪いのか中々開かなかった。
最後の罠は生化学準備室だった。
生物と化学の授業に使う薬品や人体模型が教材が置かれている場所で“男子生徒が絶対に近寄らない”場所だ。
それに気づき引き返そうとした俺の背中に声がかけられる。
「おや?向井君ではないですか?どうしたんです?ここに来るなんて珍しいですね」
生化学の教師、阿部帆邑が話しかけてきた。
阿部は四十代らしいが見た目や雰囲気のせいか三十代に見える。
「いや俺は」
「服が濡れていますね。このままでは風邪を引きますよ。タオルがあるのでこれで使ってください」
「いらな」
「いけませんよ。若いからといって油断してると体調を崩してしまいます。服が乾くまで私の白衣でも着てください」
「うぜ」
「そんなことをいわずに!ほらほら早く脱いでその制服の下に隠しきれない素晴らしい肉体を私に見せてください!」
本性を露わにした阿部は鼻息も荒く血走った目で俺に近寄ってくる。
実は阿部は男が好きであり、教え子に手を出したとかでうちの学校に来たという噂が流れている。
保健医の加東とは違った意味で、阿部は男子生徒全員に恐れられている教師だ。
「ヤメロ!離れろ!この変態教師が!」
触られる前に扉から外に出るとあいつがいた。
俺と目が合うと高速で逃げ出し、俺はそれを追いかけた。
今度は絶対に許さねえ!
下校時間を知らせるチャイムが校内に鳴り響いた。
つまり俺はギリギリこいつに逃げられたことになる。
そいつは疲れたのか無防備にもその場に座りこむ。
「テメェ……俺を嵌めやがったな」
殺気がこめられた視線を向けると、また顔を青くして全身が震わせた。
なんなんだ、お前は。
すぐに泣きそうになるくせにどうして俺に逆らうんだ?
怖いなら立ち向かわずに逃げればいいだろう?
それとも何か。
俺が本当にこの鬼ごっこが終わったら手を出さねえと思ってんのか?
あんな口約束いくらでもなかったことに出来るってわからねえのか?
そんなことも思い浮かばないような馬鹿なのか?
「今日はこれで終わりにしてやる。だか忘れるなよ。鬼ごっこは“今日で終わりじゃねえ”んだぞ」
苛立つままに言葉を叩きつけた。
するとこいつは停止ボタンを押したように固まる。
ああ、こいつは馬鹿なのか。
自分でもわかるほど口元が吊り上がる。
「明日が楽しみだな」
固まったままのこいつを置き去りにして、俺はその場から立ち去った。
少しだけ胸の苛立ちが薄れたような気がする。
一番の変態は主人公かもしれません(笑)。
拓哉が不憫すぎる。