気付かぬ思い
電話帳の人…もとい笹川原さん。それと矢戸神さんを居間に招き、お茶を出す。
「あの…」
「音環ちゃん、ありがとね。急に来ちゃってごめんなさい」
ニッコリ笑った笹川原さんが、私の手を取る。
「ヤトから聞いたわ。全部」
え?同僚にも口外しないって言ったのは何処のどいつ!?
「ヤトは一応隊長だから、私が常に音環ちゃんのサポートに回るわ。男じゃ気付かない点も細やかにね」
と、ウィンクする美女。
「すまない。どうしてもあの携帯を手に入れる為、家族に上手く説明するためにも、俺以外に一人事情を知るやつが必要だったんだ」
独断で申し訳無い、と矢戸神さんが頭を下げた。いいえ、と私も頭を降る。
「家族への説明は…」
いりません、と続けようとして、でも矢戸神さんたちに止められる。
「きちんとすべきだろう」
「でも…」
私の家族は、誰もいないのに。東京の惨劇は言った筈なのに。引き取ってくれた祖父母もいないのに?
不安そうな表情をしていたのだろうか、私。笹川原さんがニッコリ微笑む。矢戸神さんは仏壇の前に座り、土下座した。
「え?」
「大事な娘さんを、これから危険な戦場に連れ出します。異能の力を得たばかりに、彼女はこれから悩み苦しむでしょう。戦場も厳しい所です。我々二人と心許ないでしょうが、精一杯サポートします。それが我々の意志です。」
まっすぐ微動だにもせず、遺影では無く、家族の集合写真を見て、淀みなく宣言した。
「音環ちゃん!?」
「……え?」
気付けば、パタパタと膝に染みができる。頬を伝う涙に、私自身が驚く。何に泣いているのか、何が悲しいのか分からない。名前も分からない感情が身体の中で渦巻く。
「…ありがとうございます」
何に、誰に感謝したのか分からない。でも、その言葉が自然に出て来た。
「音環ちゃん、まずはこれを渡しておくわね」
そう言って笹川原さんが手渡してくれたのは、黒い布。広げて見ればフード付き雨合羽の形をしている。
「これは常に携帯しておいて。有事の際はこれを着用してね」
単なる真っ黒な布。でも服装や体型から性別や年齢がばれることも無い、か。顔はどうしよう…お面でもかぶるべきか?
「色々決めなくちゃいけないことがあるんだけど、まずは学校のこと」
「……?」
「私は、安全の為に辞める事をお勧めするけど、ヤトはそのままで良いと言ったわ」
どうしたい?と問われる。学校を辞めるなんて選択肢、正直無かった。だって、今の私にとって学校が無ければ人と会わなくなる。大事な友達もいるのに。
「うふふ。その顔だけで分かったわ。頑張ってね」
思いの外あっさりと笹川原さんは引き下がった。
良いのだろうか…学校にいって…。
「いいのよ。最初からいきなり戦場に引っ張り出す事なんてしないわ。貴方は切り札なんだもの」
「戦い方を知らない奴が戦場に出ても仕方ないだろう」
切り札?そう言われたってイマイチしっくり来ない。分からない。
「戦い方は、おいおい学んでいきましょう?我々、関東第一部隊。通称“八咫烏”は最強よ?」
チーム名を口にした時、笹川原さんの顔はとても誇らしげだった。私も、そんな風に何かを誇れるのだろうか。
自分自身?いや、まさか。
「笹川原さん、私…」
「マイよ。これからは、そう呼んで。貴女は何も心配しなくて良いわ。絶対に悪いようにはしないから」
そろそろ行きましょう、と笹…マイさんが矢戸神さんに声をかけて二人は帰っていった。
次に来るときは、必ず連絡をするからと言って。
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「おはよう」
「あっ!!音環ちゃん!」
クラスメートがわらわらと集まり、皆口々に「心配してた」や「大丈夫?」と声をかけてくれる。
思った程の騒ぎにはならず、ホッとする。声をかけてくれたクラスメートたちも助かった経緯などについては、触れずにいてくれる。
それはとてもありがたい事だった。
「音環!」
「おはよう、凛」
満面の笑みで飛びついてきた凛を、上手くキャッチする。
「あ、瞬くん…」
「……おはよう。ちょっといいかな」
真剣な表情の瞬くん。教室を出て、数部屋離れた空き教室に入る。
ガラッと扉を閉めた瞬間、瞬くんが頭を下げた。
「…ごめん」
「え?」
「遊園地に誘ったことも、あの時手を離したことも、お見舞いに行けなかったことも。全部」
「ちょ、ちょっと待って!」
遊園地に誘ったのは凛だし、手を離したのは私からだし、お見舞いなんてそんな…。
「遊園地、俺が音環ちゃんと行きたくて、紘たちに頼んだんだ。別行動したのも俺が頼んだ」
「…え?」
深々と頭を下げたままだから、瞬くんの顔が見えない。何も悪くないのに、どうして。
「俺が誘って、怖いめにあったかと思うと、申し訳無くて、音環ちゃんの顔がみれなくて」
「あのね、瞬くん。私、楽しかったよ遊園地。瞬くんと話せて良かったよ」
パッと瞬くんが顔をあげる。
「お見舞いも、気にしないで。怪我なんてほとんど無かったし」
それでも…と渋る瞬くんの顔を、思わず両手で挟む。
大丈夫だから!と力強く力説する。また遊びに行こう、とも。
「俺、君が傷付いている姿を見るのが怖くてお見舞いに行かなかった…自己保身に走ったんだぜ?」
「私を捜すの、諦めなかったって聞いたよ?」
「あれは…」
「凄く嬉しかった。ありがとう。そして、この話は終わりね」
教室に戻ろう?と誘うと、少しだけ逡巡した後に、苦笑して扉に向かった。