1-4,5 キメラ
――十五年前
×××は目を覚ました。
周囲を見渡そうと頭を振った瞬間、めまいがして再び倒れ込みかけてしまった。少し様子を見ながら身体を起こし、ゆっくりと周囲を覗う。
真っ白で何もない部屋だ。軽く身体を動かせる位の広さがあるが、何もない。
ふと下に目をやると、自分が真っ白なベッドの上に寝ていたことに気付いた。
ベッドの隣には小さめの籠があり、そこを見ると――
「キメラ?」
意識を失う直前に見た、自分のパートナーの姿があった。
少し手持ちぶたさなようで、あくびをしている。その姿に、他のパートナーを捕食して強くなる生物の面影はない。
しかし、なにがどうなっているのだろう。
自分を気絶させたのは、おそらく病院の人――おじさんだろう。なんであんなことをしたのか?
意識がはっきりし始め、危機感が増大していく中、声が聞こえてきた。
「起きたね?」
おじさんの声だ。
「あの、どういうことですか? ここはどこですか? なんで私がここにいるんですか?」
「×××君、君のパートナーは何かわかっているかね?」
自分の質問は無視されてしまった以上、答えるしかない。
「キメラですか?」
「その通り。君はキメラ使いになったわけだ。だからここにいる」
「どうしてですか?」
「君は、キメラ使いと会ったことはこれまであったかね? 話を聞いたり、ラジオや新聞で見たことでもいい。キメラ使いの実在を聞いたことはあるかね?」
いざ考えてみると、都市伝説としてはよく聞くが一度も実在する話を聞いた覚えはない。
「ないです」
「それは、キメラ使いは生まれてすぐに隔離されるからだ。いまの君のように」
意味がわからない。人権やら法律やらがまるで考慮されていない。
「それって違法じゃないんですか?」
「そうだね。でも、実際は起こっていることだよ」
そこで、いきなり声音が変わった。ねっとりした猫撫で声に、怖気が走った。
「しかし私は大変残念に思っている。同情もしている。だから、君にチャンスを上げよう」
「チャンス?」
突然、ガコ、という音がした。音の方を向くと、真っ白な壁の一部分がずれている。隠し扉みたいになっているようで、そこから○○○が乗っているベッドと似たようなものが押されてくる。上にはシーツがかけられており、中央がこんもりと盛り上がっていた。
それを運んできた真っ白い服を着た人は、すぐに元の戸に戻って行った。再び、ただの壁に戻り、自分が逃亡の機を失ったことに気付いた。
「×××君、中身を見たまえ」
従うしかなく、ベッドから降りたって運ばれてきたものに近付いた。なにか感づいたのか、キメラも隣によってきた。
シーツに手をかけられる位まで近寄ると、生臭さを感じた。それになにか息使いのようなものが聞こえてくる。その発生源は、シーツの中のように思えた。
「どうした? 早くしたまえ」
覚悟を決めて、勢いよくシーツをはぎ取った。
息を呑んだ。反射的に後ずさった。
そこにあったのは、全身ぼろぼろの狼だ。
身を横たえ、口から血を流し、腹からは何か黒い物が覗いている。ベッドの上は一面血の海なのだが、それだけでは飽き足らず、地面にもぽたぽたとこぼれ落ちはじめた。
目を見ると、敵意が伝わってきたが、身体を動かす気力もないらしい。虫の息だ。
「さあ、そいつを食べたまえ」
意味がわからない。食べる? 何を?
×××が戸惑っている間に、隣にいたキメラがベッドの上に飛び上がった。その姿に先程までののんきさはなく、完全に『キメラ』になっている。
制止することもできず、キメラが狼のはらわたに突っ込むのをただ見ていた。
狼は最後の力を振り絞り、精一杯の慟哭を吠えたが、まるで意味がない。
キメラが嚥下する音が聞こえはじめる。
それを聞いて、なぜか○○○の口の中に唾液が溢れた。次から次へと湧き、こらえきれずに一度ごくり、と呑みこんだ。
おじさんの声が再び木霊した。
「どうした? 君も食べないのか?」
驚愕の言葉だった。自分も食えと?
だが、なぜか腑に落ちる。目の前の狼が、ごちそうにしか見えない。
「人はパートナーの影響を受ける。ならばキメラの食欲もまた人に影響を与えるのだよ。もう一度言おう。食べないのかい?」
夢遊病患者のような足取りで、ベッドに一歩近寄った。
狼の半死体を見る。まだ息があるのか、それとももう死んだのか。
手を伸ばし、狼の瞳を抉った。
ぐりゅりと音がして、目玉と赤い紐のようなものが持ち上がる。
それを口に含んだ。
キメラがどういった存在か、ようやくわかった。




