1-4 歩の中の竜
「ただいま」
「帰ったぞ」
歩とアーサーは家に帰りついた。
あの後、アーサーといつものように軽口を叩き合い続けた。
途中でみゆきと別れてからもそれは続き、家に入る前まで結局やむことはなかった。
「お帰り」
玄関を通り過ぎ、リビングに行くと、母親はグラスを既に傾けていた。テーブルの上には、半分ほど減ったウィスキーの瓶が置いてある。
その母親が怪訝そうに言った。
「あれ、みゆきは? 帰ったの?」
「ああ」
半年ほど前まで、みゆきはこの家に住んでいた。事情は結局教えてもらっていないが、養子のような形にしていたらしい。突然できた妹のような存在に戸惑ったが、一緒に暮らす内に逆に世話をやかれるようになり、最終的には姉のような妹のようなよくわからない状況に落ち着いた。
ところが一年前、みゆきは突然独立する旨を言い、外に出て行った。といっても仲違いしたわけではなく、ただ単に独立したかっただけらしい。金銭はみゆきの親類からもらうものがあったらしく、特に苦労していないと言っていた。類は寂しがったが、結局は快諾し、親子三人+三体の生活はそこで終わった。
「そうか、残念。いっぱい作ったんだけどね。来るんじゃないかなーと思ったんだけどな」
「まあ、そう言うなって。週末一緒に飯食ってんじゃん」
ただ、類は交換条件として、みゆきに週末は家に来てご飯を一緒にとるように言いつけた。それはみゆきも快く承諾し、週末になるとみゆきがこの家に来て泊まっていく。みゆきの部屋もずっとそのままにされており、家族の一員であることは変わりないように思えた。
そういった経緯も重なり、歩にとってみゆきは、姉であり、妹であり、同級生である、といった感じだ。
「ってか、酒飲むのはええよ。まだ七時だぞ」
「お固いこといいなさんなって。飯はもう作ってあるから、着替えてこいや」
台所を見ると机の上にはもう準備がしてあった。後はよそって温めるだけ、といった感じだ。
歩は急いで着替えてくることにした。
ちなみにアーサーはというと、酒を見た瞬間、肩口から消えていた。
「これは母上殿。我が杯の用意はあるか?」
「もっちろ~ん、飲み友だもんね。ほれ、駆けつけ一杯」
「これはかたじけない」
早く戻って来ないと、早々に飲兵衛ができあがってしまいそうな気がして、自室に向かう足を速めた。
バッグを放り、楽な服に着替え、リビングに戻るまでの時間はおよそ二分。
それでも遅かったらしく、歩が戻ると、アーサーは出来上がっていた。
「おーい、こっち来いよ歩。一緒に飲もうぜ~」
アーサーは酔いが回ると、口調がやけに若くなることがある。
そういう時は、大抵潰れる直前だ。
嘆息しながら、アーサーに尋ねた。
「俺飲めねえから。飯食えるか?」
「あ~余裕っしょ。じゃあ飯食うか」
翼を広げ宙に浮こうとしたが、右へ左へふらふらするばかりで、まるで移動できていない。
それでもなんとか歩には近付いてきていたが、いつどこかにぶつかって墜落するか、見れたものではなかった。
「あーもう、そんな無理すんなよ」
慌てて迎えに行き、両手でアーサーを受けた。
五年前とほとんど変わらない身体が、手の中に綺麗に収まった。
「あー、あんがと」
「おい、アーサー?」
そのまま言葉にならない言葉を二、三呟き、アーサーは眠ってしまった。
ひとまず、ソファの隣にあるアーサー用の籠に乗せて、毛布を被せた。
その様子を見て、丁度台所からでてきた母親がくすくす笑った。
「相変わらず弱いわね。さっ飯食おうか」
「わかってんなら飲ますなよ」
リビングに着くと、もう既に用意はできていた。献立は、アジの塩焼きにすき焼き。どうもミスマッチに思えて、考えを巡らした。
おそらく――
「アジはつまみ?」
「ハハハ、作り過ぎちゃってさ―」
文句は言いつつ、いただきます、と言ってからアジを摘まんでみる。脂が乗っていて美味しかった。
おとなしく食べ続けることにした。足元では、類のパートナーである白猫のミルが歩のものと同じ焼き魚をもらっている。随分先に焼いていたのであろう、既に冷えているようで、猫のミルでも勢いよく食べている。
歩はすき焼きに手を伸ばした。すき焼きにしては甘さが薄めなのだが、それで育った歩にとっては逆にこれ以上甘いと美味しく感じられない。外で食べるすき焼きは逆に食べられない位だ。
黙々と箸を進めていく。お腹が減っていたのもあり、今日の夕食は格別だった。隣で張り合う相手がいないのが、寂しいといえば寂しいが。
鍋の中身が七割ほどまで減ったところで、類が言った。
「あ、今大人気の隊長さん出てるね」
類に振られ、ラジオに耳を傾ける。
内容は、国軍の第一陸戦部隊隊長のインタビュー。第一陸戦部隊隊長といえば、国で最強のパートナーを持っている人が選ばれるものだ。竜使い以外がなることは少ないのだが、今の隊長のパートナーは機械型のペガサスであり、その親近感から、民衆に人気がある。
「竜使いでないものが、今の地位にまで上り詰めた秘訣は何かあるでしょうか? 卓越したレーダー機能によるところも大きい、と言われていますが、そこについてもお願いします」
「レーダー機能は、確かに有効なものです。敵味方の場所を捕捉、識別できるというのは、戦場においてかなりのアドバンテージです。ですが、機械型の中にはレーダーを無効化できるものもおります。事実、私のパートナーも無効化できますしね。ですので、一概に優れているとは言えませんね。やはり日々の鍛錬と自己の克己、それに尽きます。竜使いに及ばないことは確かですが、象と蟻ではなく、象と猪位までならなることは可能だ、と思います」
「なるほど。少しきな臭い質問をさせていただいてよろしいですか?」
「プライベートはできるだけオフレコで」
冗談まじりに答える隊長は随分な美丈夫だ。俳優といっても通用しそうな柔らかい雰囲気をもっている。
「以前、所属しておられた第一後方支援部隊の隊員について、第一陸戦部隊に一切引き抜くことはしなかった、というのはどうしてでしょうか? 通例では、腹心の部下も三名までなら連れていける、と聞いたことがあるのですが。第一部隊は隊長を除いて全隊員が竜使いですが、やりづらいことなどありませんでしょうか?」
「また随分ときついことを。部下を連れていかなかったのは、やはり実力の問題です。やはり竜の足手まといになってしまう。私自身、なんとかついていっている、というレベルですので、難しいのではないかと謹んで遠慮させていただきました。
また、第一陸戦部隊の隊員のみなさんについてですが、よくしてもらっているので、逆にこちらが申し訳なくなる位です。私自身、時折ふさわしくないのではないか、という疑問を持つことも多いですし」
「また御謙遜を。では……」
これ以上聞く気はなくなってきた。過剰なまでの竜に対する謙遜と卑下は、歩にとってはこそばゆいどころか皮膚をがしがし削られている感覚すらあるのだ。
だが、伝わってくる民衆の反応は熱気に包まれており、そういった部分を疑問に思う人は少ないようだ。
「消していい?」
「どうぞ」
立ち上がり、ラジオの電源を落とした。そこから再び席に戻ろうと振りかえったところで、母親が嬉しそうに自分をみつめているのに気付いた。気恥ずかしくなってくる。
「なんだよ」
「いや、なんでもない」
半分程残っていたウィスキーを喉に押し込み、更にグラスに注いだ。
「みゆきやアーサーがいるのもいいけど、こうしてあんたと二人っきりってのもいいね」
「なんだそれ」
水城家の家族構成は母親に息子にそれぞれのパートナーを加えた、二人+二体。みゆきが加わる以前と以後は、ずっとこうだ。
父親はおらず、俗に言う母子家庭であり、母親たる類は日頃忙しく働いている。そのため、週に三回ほどは、歩とアーサーの二人だけで夕食を済ませることになっている。
父親のことは聞いたことがない。なんとなくいまになっても聞けなかった。
手元のグラスの中でウィスキーと氷をくるくると回しながら、類が言った。
「ねえ、今日何があったか話してよ」
たまにこんな風に大雑把に話を振られることがあるのだが、歩が嫌がっても大抵押し切られてしゃべることになる。
歩は丁度一時間前にあった出来事を話すことにした。
甘みの少ないすき焼きを堪能しつつ、思いつく限り駄々漏れで口に出していった。
全て話終わると、それまで聞き役に徹していた類が口を開いた。
「――そんなことあったんだ」
「ああ。案外アーサーの態度が変わらなかったけど」
類は、ずっと手のひらで弄んでいたグラスをタン、と置いた。
「あんたはどう思った?」
「え?」
「アーサーが受ける扱いと、そんなアーサー自身について」
少し考えてみて、答える。
「しょうがないんじゃないかな。くやしいし、どうにかしたいという思いはあるけど、どうしようもないし。アーサー自身も特に変わった様子はないしな。小憎たらしいまんま」
豆腐を卵にからませてから口に入れた。すき焼き特有の甘辛い味から、肉や野菜のうまみが広がった後、微妙な甘さが口に残る。それでお腹いっぱいになった。
母が唐突に言った。
「アーサー酔うの早かったよね」
「そうだな、相変わらず弱い」
氷がからり、と音を立てた。
「いや、今日は特に早かったよ。いくらなんでも二分はないでしょ。いつもはまだ持つし、酒量をコントロールしてできるだけ長く楽しもうとするしね。何より、食いしん坊のあの子がご飯を忘れて酔い潰れる、なんてことは滅多にないよね」
思い返してみると、確かにそうだ。食い意地の張るアーサーが夜飯前に酔いつぶれたのはそうなかったように思う。
いや、最近あった。
「あいつ、E級判定受けた時もこんな感じだったかな」
「そうね」
「内心、ショックだったのか」
「表には出すまいと振る舞っていたんだろうけどね。どうしてだと思う?」
類がグラスの中にとくとくと注ぎ始めた。
その音が妙に小気味よい。
「気を――使ったのかな?」
「そうだね。あの子はなんだかんだで優しいし、空気読むからね」
「なんでわかるの?」
「飲み友だからねー」
ハハハと乾いた笑いを吐きながら、琥珀色の液体を喉に押し込んだ。
「意外だろうけど、あの子もなんだかんだで内面は普通だったりするからね。竜で、言葉をしゃべって、大きくならないで、それでも傲慢に振る舞って。特別に思えるけど、普通に傷つくし、普通に他人を思いやれる。あんたと変わらないさ」
歩はふと考えてみた。
今までアーサーは別格に思っていた気がする。生まれながらにあんな古臭い言葉づかいで、傲慢で、無邪気で、竜のことが好きなくせに、他の竜との交流を避ける、特殊な竜。
だがその心の内はそれほど特殊なものなのだろうか?
目の端に、食事を終えて満足そうに顔を洗っているミルの姿が入ってきた。食後の洗顔を終えると、のびをする。
「ミル、美味しかったか?」
類の質問に、ミルはにゃーと鳴いて答える。
「あんたももういいの?」
「あ、ああ」
「そうか。ならミル頼む」
ミルが再びニャーと鳴くと、背筋をピンと伸ばした。目の色が、濁った青から金色に変わる。そのままどこか遠くを見て、全身を震わせはじめた。
テーブルの上の食器が震えたかと思うと、浮いた。
カチャカチャと音をたててぶつかりながら、次々と洗い場に飛んで行く。
ミルの能力である念力だ。なにげない日常生活に使える程、ミルのそれは洗練されている。
「おつかれさま」
全て運び終えると、ミルの目が戻った。
類はミルの首を撫で始めたが、ふと何かに気付いたようで、口を開けさせて歯の間に指を突っ込み、何かを取り出した。どうも、魚の骨がひっかかっていたようだ。
何も言わずにお互いを理解しあえている姿は、歩の心に残った。
自分とアーサーもこんな風になれるのだろうか?
類は洗い物を始めていたのだが、ふと何か思い出したように振り返り、聞いてきた。
「今日のすき焼きどうだった? 甘さどう?」
「あ、ああ美味しかったよ」
「なら良かった」
類のパートナーは猫のミルであり、その影響を受けている。それは身体能力、敏捷性の上昇といった面もあるが、味覚などにも影響してしまうのだ。猫は甘さをほとんど感じられないため、類もまた甘さがよくわからないようだ。
まさに一心同体である。
歩とみゆきの好物というのもあり、すき焼きを作ったのだろうが、本来ならば苦手な料理に属している。
歩はリビングに戻り、寝ているアーサーの顔を見た。のんきに鼻ちょうちんを膨らませており、見事に間抜けな姿があった。
とりあえず、この間抜けの味方でいよう、とは思った。
風呂に入とうと、風呂場に足を向けようとしたとき、再度類が声をかけてきた。
「歩、こっち来てラジオ聞いて」
台所に向かい、耳を傾けた。
通る声で、アナウンサーがニュースを読んでいる。
「本日、竜使いの死体が発見されました。被害者は、十九歳の学生とそのパートナー。警察による発表では、十年前に起こった『首都幼竜殺し事件』の犯人である『竜殺し』の仕業であるとのことです。長い沈黙を破っての犯行ということですが、犯行現場から……」




