1-3 無邪気な子供達と竜
夕日が目に染みる。目だけでなく、怪物達から受けた傷にも染みる気がした。
みゆき、イレイネとの模擬戦後、巨人、ユニコーン、グリフォンなど、大型のパートナー相手が続いてしまい、身体のふしぶしが痛い。歩く振動で肌がひきつる感触がある。
「はあ」
「おつかれさまでした」
みゆきの慰めもなんだかむなしい。ようやく一日の授業が終わったというのに、辛気臭いため息をついてしまう。苦笑いしているみゆきには申し訳ないが、自分の肩に乗った馬鹿を見ると、泣きたくなる。
「我は空腹である。あそこの肉まんなどいいのう」
「よだれ垂らすなよ」
よだれを垂らしそうになっているアーサーは、歩とは対照的に無傷だ。たまに口を出す程度で、ただ飛んでいただけだから当然だ。
その能天気な姿を見ると、パートナーとはなんなのかと今更ながら考え込んでしまう。みゆきの三歩後ろで粛々と従っているイレイネを見ると、余りの落差に本当に泣きたくなってきた。
「家まで我慢しろよ」
「嫌じゃ」
「酒飲ませんぞ」
「何の権限があって左様な外道を!」
「五歳にゃまだ早い」
「法律では我に飲酒制限はないぞ?」
「自分から飲みたがるパートナーなんて普通いねえだろ」
「まあまあ。私がおごってあげるからさ」
隣で歩いているみゆきが言った。
「みゆき、甘やかすなよ」
「まあまあ。私も小腹が空いたしね。分けてあげる位ならいいでしょ?」
「本当か!? なら、あそこの肉まんがいいぞ!」
『あそこ』とは、アーサーお気に入りの駄菓子屋のことだ。風体は昔ながらの駄菓子屋ながら、中身はというと、駄菓子は勿論、肉まんをはじめとした軽食類、野菜、酒、挙句の果てには花火や武器の類まで扱っている。営業時間も昼夜を問わず、寝静まった深夜でも、多少の色を付ければ店を開いてくれるという、よくわからない店なのだ。
丁度、学校から歩の家までの帰途にあり、今も五百メートル程先に見えている。
「こうしちゃおれん! 早くいくぞ! 肉まんが我を心待ちにしておるわ」
「よく肉まんの気持ちがわかるな」
「早くいくぞ」
歩のツッコミにもまるで反応せず、アーサーは飛んでいってしまった。
「追わないの?」
「あそこのおっちゃんも馴染みだから、勝手にしてくれるだろ」
みゆきは少しだけ苦笑の混じった微笑を浮かべている。
「それにしても、無理しすぎだったね。そんなに傷一杯作っちゃって、藤花先生怒ってたよ」
「……言うな。アーサーと一緒に震えあがらされたんだからさ」
怒った藤花は本気で怖い。もし学期末模擬戦が明後日でなかったら、藤花とパートナーによる個人授業ことしごきが待っていただろう。
怖いものなしに見えるアーサーも彼女達は苦手なようで、積極的に関わろうとはしない。闘争心がかきたてられる己が怖いのだ、などとうそぶいていたが、半ば怯えている様子は消えなかった。特に、藤花のパートナーに苦手意識があるようだ。
みゆきは笑った。
「相変わらず仲のいいことで」
「どこがだよ」
「二人揃って先生怖がってた姿とか。それに言いあいできるのは仲が良い証拠でしょ?」
「お前らみたいな阿吽の呼吸の方が羨ましい」
本日、何度目かわからないため息をついた。藤花のドラゴン話からこっち、気落ちすることばかりだったように思えた。
なんとなく町を見回してみる。人間と多様なパートナー達の営みが目についた。
足早に帰途につく学生、なめした竹で作った買い物袋をさげる主婦と思しき女性、威勢よく呼び込みをかける売り子の兄さん。
学生の足元では、ピンと背筋を伸ばした猫が寄り添って歩いている。主婦の頭上では、四足の鳥が少し小さめの買い物袋をくわえている。売り子が威勢よく呼び込みをしている後ろで、サンタクロースのような可愛らしい小人が、陳列した野菜を丁寧に並べ直している。
歩達が今歩いている道を見ても、そこかしこにパートナーの存在が見えた。そもそも大型のパートナーも通れるように作られており、砂地の道路を見るだけで、パートナーの息吹を感じられる。
横を大型の牛車が通り抜けていった。巻き上がった砂に苛立ちつつも、角をそびえ立たせた巨大な牛が引きずる荷台には、『最大積載量十トン』と書かれているのが見えた。
本日何度目かわからないため息をついていると、いきなり肩がもまれ始めた。振り返るとイレイネがすぐ後ろにいることに気付いた。歩がぼんやりしているのが心配なようで、眉を曇らせている。
それでようやくみゆきとイレイネほったらかしで、もの思いにふけていたのに気付いた。みゆきは、優しげだがイレイネとそっくりの顔をしており、表情が似ていると、双子を見ているようにしか見えなかった。
自分の不明を恥じつつ、言った。
「それにしても、イレイネはいい子だな」
「アーサーも可愛いと思うよ? 素直で」
素直というより、我がままでガキなのではないかと思ったが、そのことを口にはしない。
「性格は諦めてるけど、せめて模擬戦で少しでも役に立ってくれればなあ。どうも辛い」
「歩は一人でも十分戦えてるじゃん。Aクラスのパートナー相手に人間だけで勝ててるんだから、自身を持っていいんじゃない?」
「十回に一回も勝ってないんだけど」
「それだけでもすごいよ。今日だって、私、すぐにやられちゃったし」
確かに、人間相手のタイマンではまず負ける気がしない。模擬戦の度に強力なパートナーと張り合わないといけないということがあり、日々鍛えている。その成果もあってか、人間としての身体能力はそれなりの自負があった。
「先週は一撃で巨人倒したりしてたし。あれどうやってるの?」
「巨人とかは皮膚と筋肉ぶ厚いからな。避けながらだと大したダメージになんないから、一撃にかけるしかないってだけ。捨て身でやってる分、うまくいかなかった場合は反撃喰らって即終了なんだよ。今日特に傷だらけなのは、そればっかやってたからってのもあるしな」
思い返してみると、今日は少し自暴自棄になっていた部分があった。少し頭が冷えてきたようだ。
みゆきが呆れたように言った。
「十分すごいって。捨て身の一撃なんて、よほどの度胸がないとできないよ」
「そうかねえ」
そうこうしている内に、アーサーが飛んで行った駄菓子屋に着いた。
中に入ると、すっかり馴染みになっている店主の顔が見えた。少し白いものが混じり始めたおじさんで、気が良く、アーサーが勝手にツケても快く受けてくれる。
軽く会釈した後、声をかけた。
「アーサー、食べました? どこ行きました?」
「いや、まだだ。とりあえずこれだろ?」
店主は首を振り、歩に肉まんの入った包みを渡してきた。慌てて代金を渡す。
代金を受け取った店主は、何も言わず店の奥の方で小山になっている学生達の人だかりをさした。制服から見るに、おそらく歩も通っていた小学校の生徒であろう。身体の大きさからして、小学五年生といったあたりか。
乱雑に積まれた菓子の山を脇に通り抜け、近寄って行くと、小学生達の甲高い喧噪の間から、アーサーの声が聞こえてきた。
いつも通りの尊大な口調ながら、どこか優しげに聞こえた。
「そんな無茶をするでない。我はモノではないのだぞ」
「うわ~すげ~」「本物の竜だぜ? 角かっけー」「馬鹿、翼のほうがかっけえよ」
全身を無遠慮に触られている。角を撫でまわし、翼をぱかぱかと広げて閉じるを繰り返していたり、尻尾をひっぱったりされているのだが、怒気を発していないところを見ると、子供に対しては甘いようだ。意外だ。
小学生達の興奮は冷めやらない。目は爛々と輝いており、頬を上気させている姿を見ると、なんだか自分が年をとった実感が湧いた。
一番前で、最も興奮していた少年が言った。
「ねえねえアーサー、俺のパートナーも竜だったりしないかな?」
「それよりも竜使いとなり何を望むかが重要だ」
「俺、軍に入りたいんだ。やっぱり軍隊っていったら、パートナーが重要だろ? ねえ、俺のパートナーが竜の可能性ってある?」
「皆もそうか?」
結構な人数の学生が頷いた。やはりパートナーと共に闘う、というのは男の夢の一つなのだろう。歩もなんとなくわかる。
アーサーはすこし考え込んだ後で答えた。
「可能性はあると思うぞ。実際、卵が孵ってみないことにはわからんからな」
「何言ってんだよ。竜が生まれるかなんてほとんど血筋だろ」
冷えた声が聞こえてきた。声の方を向くと、アーサーを取り囲む輪から、離れた場所に座っている少年がいた。ただ一人輪から外れ、群がる同級生達を小馬鹿にしているように見えた。
先程一番に質問をした少年が笑いながら言った。
「何言ってんだよ。アーサーは一般人のパートナーって今さっき言ってただろ。普通にあり得るって」
冷めた少年は、嘆息した。重く、どこか呆れた感のある、絶望感が伝わってくる声音だ。
「血筋じゃない竜使い、全国でどん位いるか知ってる?」
「百人位じゃない?」
冷めた少年はつぶやくように言った。
「五人」
「えっ?」
「だから、五人。三世代さかのぼっても竜使いがいないのに、当人だけが竜使いの人。世界の人口一億人の中で、代々竜使いばかりを輩出する貴族の家系で千人、親戚に竜使いがいる人で二百人。全く関係がない突然変異は五人だけ」
場の空気が一気に冷えこんでいった。アーサーの回りで起こっていた熱気は昇華され、胡散霧消してしまっている。
「ざっと計算して、十年に一人位。まず無理だよ」
一番興奮していた少年は、なんとか反論しようとしていたが、何も浮かばないらしく口をもごもごさせるだけで、言葉が出てこない。それ以外の同級生も皆同様だった。
全員が押し黙り、背筋に流れる汗が感じられる空気が続いた。
その空気を裂いたのは、アーサーだ。
「貴公はそんなに竜が好きか?」
「へっ?」
突拍子のない問いに、少年の口からすっとんきょうな音が漏れた。
アーサーは何も聞こえなかったように、厳かに続けた。
「それほど詳しいということは、相応の熱意を持って調べたということであろう? つまりは、それだけ竜に対する思いを抱えていたということだ。違うか?」
冷めていた少年の顔が真っ赤になった。図星なのだろう。
続いて、アーサーが何を言うのかと全員が見守っている中。
いきなりアーサーは頭を下げた。
「感謝を言わせてくれ。それほどの愛情を注いでくれて、竜としてなにより頭が下がる思いがする。ありがとう」
意外だった。あのアーサーが、心から人に頭を下げるところを見たのは初めてだ。歩が見ていないところでもなかったのではなかろうか。
それに竜に対してこれほど愛着があるとは。他の竜と対面することはおろか話題さえも避けるのに、竜のことは好きなのか。わけがわからない。
アーサーが頭を、それも初対面であろう少年に下げている。
驚きだ。
誰も反応できないでいると、アーサーがすっと頭を戻した。その顔は、いつになく真剣なものだった。
「ただ、竜にこだわることはやめよ。竜でなくとも、竜を超えることは可能であろう。確か、我らが国の第一陸戦部隊隊長は竜使いではなかったように覚えがある。困難は伴うが、竜でなくとも竜以上の力を得ることは可能だ。それを目指せ」
小学生達は黙りこんでしまった。何を答えればいいのか、どう受け止めればいいのか、よくわからないのだろう。熱気のあった少年も、冷めた少年も、等しく黙ってしまっている。
そのまま一分ほどが過ぎたころ、アーサーが歩に気付いて声をかけてきた。
「おう、来たか」
小学生達の視線が一斉に歩に向けられた。
驚きと羨望と、淡い嫉妬が入り乱れたが、すぐに別なものに変わった。
「ああ」
「では帰るか」
翼を上下に羽ばたかせ、歩のところまで飛んでくると、肩に乗った。
ふと、一番の熱気を持っていた少年が怪訝そうに尋ねてきた。
「お兄さん、高校生?」
「ああ、高二だ」
「ってことは、アーサーこれで生後二年経ってるってこと? なら、アーサーってE級?」
人間以外の生物は五段階にランク分けされている。
A級は竜。B級は天使族、悪魔族、機械族が振り分けられる。C級は上記以外で、社会にダメ―ジを負わせることが可能とされるA級でもB級でもない生物。D級は、一般に食肉や卵、毛等を採取するための家畜のことだ。
そして、E級とは、生後五年経っても身体が三十センチ以上に成長しなかった生物を指す。
一般に流布する俗称は失敗作。文字通りの意味だ。
一週間前、アーサーはE級と判定されていた。
場が一気に白けていくのがわかった。「何だE級か」「竜じゃねえじゃん」「つまんね、帰ろ」など次々と聞こえはじめ、ぞろぞろと連れだって外に出て行った。先程の少年二人が慰め合うように一緒にいたのが、妙に目に残った。
あっという間に、誰もいなくなった。残ったのは、歩とアーサー、みゆきとイレイネ、そして店主だけだ。
歩はなんと声をかけていいかわからない。自分が近寄らなかったら、こういうことにならなかったのではないか、という思いもあり何をするのも躊躇われた。
「肉まんあるか?」
アーサーに言われて、手に持った肉まんを思い出し、何も考えずに持ち上げた。持ちあげてから、冷めてしまっていることに気付いた。
「あ、冷めてるから……」
「ふん、かまわん」
アーサーは掴むと猛然と食べ始め、すぐに平らげた。
アーサーが物足りなそうにしていると、横から温かい肉まんが差し出された。見ると、店主が傍までやってきて手を伸ばしてきている。
「ほら、食え。俺のおごりだ」
「いいのか?」
店主の首肯を見てから、アーサーは手を伸ばした。再び猛然と胃に納める。
食べ終えたア―サ―がいつもの調子で言った。
「帰るぞ、歩。別にそこで呆けていても構わんがの」
いつものアーサーだ。へこんでいる様子は一切見られず、すこしほっとした。
「そうだな。帰るか」
「うむ、さっさと帰るぞ。時間ももう遅い。足早にな」
「なんだそれ。走れってこと?」
「当然」
「お前が飛んだら、その分楽になるんだが」
「ふん、我が身を左様なことに使えるか」
「俺をなんだと思ってんだよ」
「下僕だ」
「まあまあ二人とも」
みゆきが間に入ってくれるのもいつも通り。
店主に礼を言い帰途についた。
空はもう真っ暗になっていた。




