5-1 決戦その後
歩が目を覚ましたとき、自分がどこにいるのかわからなかった。
「お、とうとう目覚めたか馬鹿者」
アーサーの声だとはわかったのだが、どうにも思考がふわついていて、それがどういう意味なのか、どういう状況なのかが理解できない。うつ伏せで寝ているせいか、いまいち血の巡りが悪い感じがする。
「あら、起きちゃったか。相変わらず運がないねこの子は」
この声は、母親の類。クソババア。ここは家なのかと思ったが、首を回して眺める景色と匂いは、家のものではない。
白を基調にした内装、清潔すぎるほどの匂い、自分が来ている服も、じんべえみたいな、簡素で薄っぺらい布でしかない。その下では、大量の包帯が身体にまきついていた。
――包帯。主に背中に重点的にまかれており、そこからは鈍痛がしている。
自分の状況を理解したところで、視界に黒い物体が現れた。
小柄で小憎たらしい竜だ。
「ここが病院だというのもわかっておらぬのか? ぼけるには些か早いがそれも運命。母上殿、大変な息子を持たれたが、どうか気を病まず」
「本当にねえ。老後のことを考えるといまから憂鬱になるわ。この鬱屈した気分を払ってくれるのは、酒しかないね。アーサー、今夜は飲むよ」
「今夜は存分に悲しみを分かち合おうではないか」
「……酒のむための口実にしてんじゃねえよ、クソババアとクソ竜」
歩はまだ動きの堅い両腕で身を起こした。主に背中の傷がうずいたが、痛みで倒れ込んでしまう程ではない。
起き上り類の顔を見る。目の下にクマができていた。
「あら、もう起きられんの。ずいぶん元気そうね」
「元気そうで悪かったな」
「いーえ、これで存分にやれるわ」
何をやるのだろうかと聞こうとしたとき、不意に類が横に顔を向けた。
つられて視線の先をみると、そこにはみゆきとイレイネ、唯とキヨモリがいた。
「歩起きたのね。身体は大丈夫?」
みゆきは車いすの乗っており、それをイレイネが後ろから押していた。イレイネの身体は小学一年生位の大きさにまで戻っている。
「意外と平気かな。それより、みゆきこそどうした? 車いすに乗るほど悪いのか?」
「身体のあちこちで筋断裂してたみたいで、お医者さんに乗るようにって言われたのよ。大袈裟だとは思ったけど、指示には従おうかなと」
みゆきが苦笑しながら言った。車いすにはのっているが、体調はだいぶいいらしい。
「あの、背中、大丈夫?」
唯が心配そうに言ってきた。後ろには包帯のとれたキヨモリがいたが、その背中をみて申し訳なく思った。
「ああ、少し痛い位かな。もう動けそう」
軽く腕をまわしてみたが、ひきつる位でこらえきれないほど痛むということはなかい。
歩は笑って言った。
「ほら、こん位ならもう動けるよ」
「よかった」
唯が本当に安心したように、重く吐息を漏らした。
それを見て、唯とまともに話すのはあの夜以来だということに気付いた。
少し戸惑ったが、思い切って言ってみる。
「あのさ、この前の夜のことだけど、ごめん。あの時止めとけば」
「いや、あれは私が悪かったし。自業自得だよ」
唯は困った笑いを浮かべて答えた。その様子からみるに、だいぶ吹っ切れたようだ。
内心ほっとしていながら更に謝罪をしようかと迷っていると、いきなり唯が少し怒ったような表情になった。
「それより、その後のことだよ。幼竜殺しに四人だけで挑むなんて、やっちゃダメでしょ。私の仇打ちにいこうと考えてくれるのは嬉しいし、結果は良かったかもしれないけど、なかなか目覚めなくてほんとに心配したんだから。あんたたちと雨竜先生が運ばれてきたときなんて、ほんと驚いたよ。類さんもここんとこ泊まりっぱ」
「そこまで。唯、そっからはちょっと場を変えてだね」
類が唯に言った。歩が眠っている間に、ずいぶん親しくなったみたいだ。
にこやかな笑みを浮かべた類が、部屋視線をすーと横切らせる。
初めはみゆき、そこからイレイネに向き、飛んで歩、そしてアーサーのところで止まった。
「みゆき、イレイネ、歩、アーサー」
類はあくまでもにこやかに、それなのにどこか不穏なものをはらんだ顔をしていた。歩はその顔を見て背筋に冷たいものが流れ出すのを感じた。それは、本気で怒っているときの類の顔なのだ。
「とりあえず、説教しようか」
「つまり、幼竜殺しをおびき出そうと学校抜けだして? 死にそうになって? なんとか勝って? ふんふんそれで病院に担ぎ込まれたと、そう言うことね」
「「「はい……」」」
棘しかない類の説教を、歩達四人は黙って拝聴していた。歩たちがなんでこんなことになったかということに関して、唯が病院に入ってからの行動を逐一話し、合間に罵倒されるのが、三十分ほど続いている。
歩はベッドの上に正座で、その前にアーサーが足を奇妙に折り曲げて正座のようにして、ベッドの上の簡易机に座らされている。ベッド脇には仕方がなく車いすの上でそのままのみゆき、その膝の上にイレイネが正座で。
歩達の前で仁王立ちしているのは、類。あくまでもにこやかなだけに、非常に怖い。
「そこの馬鹿一号、ちゃんと聞いてる? 声が聞こえなかったけど」
「はい」
「声が小さい!」
「はい!」
「お前ははいしか言えんのか! たまにはすみませんの一つも言え!」
「すみませんでした!」
歩はこの顔を前にすると、何も言えなくなってしまう。幼いころからの習慣というやつで、こればっかりはどうしようもない。
「類さん……もうこのへんで……ここ病院だし、そんな大声はやめたほうが……それに病人に正座の強要も……」
類はにこやかな顔のまま唯の方を向いて言った。
「ああ、ごめんね。少し怖がらせたね。それでもこの馬鹿共のためを思ってだから、病院の人達も許してくれるよ、きっと。それにしつけはしっかりしないとね」
「さっきから看護師共が覗いておるのが、分かっている癖によく言う」
アーサーの呟きはすぐ近くの歩でもかろうじて聞こえた位なのだが、類は聞き逃さなかったようだ。
「馬鹿二号! 言いたいことがあるならはっきり言え!」
「なんでもありません、母上殿! 不肖、アーサーは大変申し訳なく思っております!」
「ならしゃべるな! 説教を受けている者が不満を垂れるなどあってはならん! 貴様は身体だけでなく、脳みそもノミ程度か!」
普段のアーサーならキレるところだが、反応はない。類に頭が上がらないのはこいつも同じなのだ。
途端に猫撫で声に変わった類の矛先が、みゆきに向いた。
「ねえ、みゆき、イレイネ。私や唯がどんな思いであんた達が目覚めるの待ってたかわかる? 何も知らされてなくっていきなり病院に呼ばれて、そこであんたらの包帯ぐるんぐるん巻き見せられて、どう思ったかわかる? 目の前の惨状が、自分の仇打ちとかいうしょーもないことのためとか聞かされた、唯の気持ちがわかる? わかるよね、みゆきなら。ねえ、分かるよね?」
「はい……すみませんでした……私達が軽率でした……」
みゆきとイレイネは半分泣きそうになっている。どちらもそっくりなため、妙な感じがした。
みゆきとイレイネをひとしきりじっと見つめた後、類はのどに手を当てながら言った。
「あー、喉痛い。なんでこんなに痛むのかね。ああ、馬鹿共のせいだね。あーなんか疲れたわ―、ほんと疲れたわー。肌のノリもなんか悪いわー。ほんとどこの馬の骨どものせいかね」
「あの、類さん、これでもどうぞ」
そう言って唯が差し出したのは、水の入ったコップだった。
「あー、ありがと。その優しさをこの馬鹿共にはちったあ見習ってほしいもんだね」
類が一気に飲み干した。本当に喉が渇いていたようだ。
唯に感謝の言葉を述べながら、類は手元の腕時計に目をやった。
「まあ、この二日間のせいで仕事がたまってるし、この位で終わらせるけど、あんたら分かってるよね?」
「「「はい! もうしません」」」
三者そろった声が響いた。歩は二日間というのが気にかかったが、口に出すことなどできるわけがない。
「んじゃ、私は帰るから。後よろしくね。唯、今度家来なよ。料理教えたげるからさ」
そう言うと類はカバンを手にし、足早に外に出ていった。持ち上げられた瞬間、大きめのカバンが動いて、歩は中で彼女のパートナーであるミルが眠っていたことに気付いた。類はパートナーであるミルをいつもそうして持ち歩いているのを、歩は知っていたが、すっかり忘れていた。
病室の前でたむろしていた看護師さんたちに、類が慇懃に頭を下げてから見えなくなったら、病室ではーっと重いため息が流れた。歩も足を崩したが、完全にしびれてしまっていた。
「カミナリ、きつかったぁ」
「まったくだ」
「なんかこころなしか、いつもよりきつかった気がするが、気のせいか?」
「それは、みんなひどい怪我だったし、死にかけたって話きかされると、ね」
唯が答えてくれた。
場が少し鎮まった後、みゆきが厳かに言った。
「類さん、私達が運ばれてきてずっと病室に張り付いてたんでしょ? 仕事ほっぽり出してきたみたいだし、寝てもなかったし。いい母親してたんだね」
「そうかー」
やはり心配をかけたようだ。今度何かするか。
ここで、ひどく疲れた様子のアーサーが言った。
「それにしても、我が一番きつかったような。どう思う?」
アーサーは簡易机の上でこてんと横になった。堅い机の上、不格好なだけにただの正座よりもきつい態勢、ひっきりなしに飛んでくる罵声の三重苦で、そこから場を移す余裕すらないようだ。
「そりゃ主犯だからな。怪我も少ないし」
「我の強さが裏目に出たか……大いなる力には相応の責任が伴うのだな」
うそぶくアーサーを見て、間接的に聞いた歩が気絶した後のことを思い浮かべた。
あの後、すぐに藤花も気を失ったらしい。何が起こっているのか理解できない唯が呆けていると、今度は傍で巨大な身体を投げ出していた二体の竜が、どんどん縮み始め、よく見たアーサーとユウに戻るのが見え、それで唯は一周して思考が止まってしまったとのことだった。
とりあえずできる限りの手当てを始めたところ、そこに現れたのは見知らぬ男達。その中には病院で見た覚えのある人も混じっていたらしい。歩は、おそらく唯の警護についていた雨竜の同僚だろうと思った。
そこからは、雨竜の同僚達が病院まで藤花とユウを除く全員を病院に連れて行き、今につながるとのことだ。
「そういえば、雨竜先生はどうしてる? 先生も入院中?」
「今日退院みたいだよ。後でこっちにも顔を出すって言ってたけど」
「入っていいか?」
扉の方から聞こえてきた。
そちらに目をやると、雨竜が少し困ったような顔で突っ立っていた。両足にはギブスがはめられていて、両手の松葉杖でここまで来たようだ。
後ろにはなにやら黒服の男が二人ほどいた。雨竜の部下だろうか。
「先生! いいですけど、身体大丈夫なんですか?」
「まあ動ける程度にはな」
しかめっつらの黒服を置いて、雨竜は中に入ってきた。扉を丁寧に閉めたのが妙に目に残った。
「雨竜先生、ほんとに具合いいんですか? 今日退院って聞きましたけど」
唯の心配そうな声が病室に響いた。
思い返してみれば、雨竜が一番重傷だったように思う。歩けなかったようで、サコンのところまで近寄ったのとき、這いずったような跡があったし、その後はすぐに気絶してしまった。あれは精神的なものではなく、肉体的に限界を迎えていたように思う。松葉杖を着いているとはいえ、もう一人で出歩いていいのだろうか?
「まあ、動ける位にはな」
「身体は大切にしてくださいよ? またキヨモリの相手お願いしたいですし」
唯が冗談めかして言ったが、そこで唯が雨竜の正体を知らないことに気付いた。
そこから雨竜は説明を始めた。
まずは自分の出自を説明し、その流れで幼竜殺しの正体が藤花であることも伝えた。唯はショックを受けたようで、隣にいるキヨモリの背中をずっと撫でていた。怒ることはなく、ただただ悲しそうだった。それを見て、歩は藤花のことについても聞こうと思ったが、やめた。
説明を終えたところで、歩はかねてからの疑問を口にした。
「先生、今さらですけど、今の話って俺達が知っていいことなんですか?」
仕方がなかったとはいえ、歩達の聞いた雨竜達の話は、機密に属する話だ。幼竜殺しに関する話は後に公開されるかもしれないが、雨竜が潜入捜査をしていたことなどは、あまり公にしていいものではない。なのに、歩達はそれを知ってしまっている。
雨竜は苦笑しながら言った。
「ここに来たのはそのことについてだ。まあ当然お前らが知っておいていいことではないな」
「なのに、また唯に説明したのは、なんでですか?」
「だってお前ら、平には言うだろ? なら話ついでに伝えとこうと思ってな」
その通りだ。当事者でかつ被害者であり、友人でもある唯に、歩達が話さないわけがない。
「そういうことで、このことは他言するなよ。いまさっきの母親にもだ。今も外に漏れないよう、見張ってもらってる」
先程の黒服達はそういう役目でいたのか。
少し顔を青くした唯が尋ねる。
「もし口が滑ったら?」
「お互い不幸なことになるだろうな。すまんが、私もかばいきれないと思う」
ここで、真剣な表情をしていた雨竜が一転して笑った。
「まあ、脅すわけじゃないが、そういうことだから、よろしく頼む」
「わかりました」
「それで、用事は全てか?」
アーサーが言った。何故か口調が険しい。
「いや、もうひとつ理由がある」
そういうと、雨竜は再び表情をこわばらせた。
何をするのだろうと見ていると、いきなり頭を下げるのが目に入ってきた。
「先生!?」
「ここに来た一番の目的は謝罪だ。すまなかった。平とキヨモリに関してはいくら謝っても謝りきれない。護衛の役目を果たせず、傷つけてさせてしまった。水城、アーサー、能美、イレイネに関しても、幼竜殺しと正面から対峙させてしまった。あれは本来私が請け負うべき役目だった。なんとか無事にすんだとはいえ、すまない」
雨竜の謝る姿は真摯なものだ。一切言い訳をせず、ただ頭を下げている。
歩は慌てて言った。
「頭を上げてください。こちらこそすみませんでした。軽率な行動で、場を混乱させてしまいました。雨竜先生がそれほど傷ついてしまったのも、僕達の責任は大きいですし」
「そうですよ! キヨモリの翼だって、私が勝手な行動をとったからです」
沈んでいた唯も慌てた様子で言ったのだが、雨竜は頭を上げようとはしなかった。頑固にもほどがある。
しびれをきらしたのか、アーサーが口を開いた。
「雨竜、頭をあげよ。責任は皆に等しくあるし、誰か一人が請け負って終わらせるべきことではない。重要なのは過度な謝罪ではなく、行動だ」
アーサーの言葉にようやく雨竜が頭を上げたが、それでもなお反省しきっている。
場の雰囲気を変えようと、歩は言った。
「先生はこれからどうするんですか?」
「まあ先生はやめることになるな。もとのむさっくるしい世界に戻るよ」
「そうですか……残念です。一度お相手願いたかったんですけど」
歩にとって、雨竜の戦闘時見せた動きは、藤花と並んでレベルの違う代物だった。練習相手としては滅多にいるものではない。
フォローするように、みゆきが言う。
「まあでも、先生やめたからって、別に会えなくなるわけじゃないですよね? 連絡先とか聞いていいですか?」
「すまない。仕事の都合上、決まった住所とかはないから、そちらからの連絡は難しい」
申し訳なさそうにそう告げた雨竜に、歩は元気よく言った。
「それなら、別に僕達のは問題ありませんよね? なら先生から連絡くださいよ。副担任なら、私達の住所とかは知ってますよね?」
「あ、ああ」
「なら、連絡ください。できれば、今度は何かおごってくださいね」
歩が茶目っ気たっぷりに言い、雨竜はゆっくりと返事をした。
そのとき、こんこんとドアがノックされた。
「ああ、時間みたいだ。当分会えなくなるとおもうが、頑張ってくれ。影ながら応援してるから」
「連絡くださいね」
「ああ、いつか、必ず」
そう言うと、雨竜はドアの方に向かっていき、出ていった。
残された部屋には、どこか寂しげな空気が流れている。
「まあいつか会えるよね」
「死んだわけじゃあるまいし」
歩はふとアーサーに目を向けた。
「どうした?」
「いや、な」
アーサーは何か思うところがあるのか、考え込んでいるように見える。
数秒の後、いきなりアーサーが飛び上がった。
「すこし、雨竜のところに行ってくる。まだ間に合うだろう」
「何しに?」
「後で言う」
そう言うと、アーサーは飛んで出ていった。深刻そうな表情だったことから、歩は不穏なものを感じたが、口には出さなかった。




