4-8 終戦
目標の幼竜殺し達だが、それほど離れてはいなかった。傷が深いせいか身体をよろめかせながら飛んでおり、十分おいつけそうだ。
「我に任せよ。かような弱々しい竜に負けるか」
内心を読んだように、アーサーが言ってきた。その言葉を照明するように、藤花達の影はどんどん大きくなっている。それでも追い付くまでに一分以上はかかりそうだ。
このときになってふと、自分が乗っている巨竜があのアーサーだという実感がわいてきた。
空中にいるというのに安定感のある巨体、隣では巨大な翼が力強く空気をはらみ、暴風を生んでいる。捕まった手から伝わってくる感触はごつごつとした硬質のもの。これがいつも歩の肩でのんびりしていたあのアーサーとは、驚くばかりだ。
何か会話をしようかとも思ったのだが、いい話題がない。
いや、聞きたいことはたくさんある。どうして竜殺しの竜であり、このような力があることを言わなかったのか、自分のことが信用できなかったのか、頼り無く思っていたのか、病室での一件のとき、歩を焚きつけたのはこの姿のことを考えてか、など疑問は尽きない。
だが、歩は聞けなかった。この姿になるまえに、アーサーの感情はおぼろげながら強く伝わってきた。竜のことをどれだけ誇らしく思っていたか、そんな竜を殺す存在である竜殺しをどう思っていたか、自分が竜殺しの竜であることをどれだけ忌避していたか、そのせいで竜に近付くと殺意に近いものを抱いてしまう自分のことをどれだけ憎み、恐れていたか。
そうなると、聞けない。できるわけがない。パートナーの傷口に塩をぬるようなことは、歩にはできなかった。
数秒間の沈黙の後、とりあえず他愛のないことを投げ掛けてみた。
「それにしても、ずいぶんでかい図体になったな」
アーサーはいつもと変わらぬ調子で返答してきた。
「ふん、我が栄光ある姿に恐れ入ったか。これを機会に自らを改め、我を崇めるがいい」
「はははは」
上手く返答できない。いままでアーサーのことを下に見ていた自分にきづいたからかもしれない。どうも話しかけにくいのは、そういう理由もあるのではないか、と考え始めた。
「まあ、なんだ。とりあえず俺の肩にはもう乗れそうにないな」
口に出すと、一層さびしく聞こえた。
ふん、とアーサーは鼻を鳴らした。
「何を言っておる。我はこれが終われば元の姿に戻るぞ。そうたやすく輿を辞められると思ったか」
あいかわらずひどい言い草だ。
「ひどいやつだ」
「我が輿の役目をなんと思っているか。ここは謹んで承るところだろうに」
「何様のつもりだ」
「貴様のパートナーだ」
アーサーが再び鼻を鳴らした。どこか照れているような感じがあった。
言いたいことはある。聞きたいこともある。聞いてもらいたいこともある。
だが、それらはアーサーの一言で氷解した。
ひとまず、落ち着くと同時に何か温かいものが胸の内に生まれたのを感じた。
「もう近いぞ」
「ああ」
だいぶ藤花達に近寄っていた。歩は槍を握りなおした。
「やるぞ、パートナー」
「遅れるでないぞ、歩」
最終決戦は、近い。
「ごめんね、少し無理させたね」
藤花はユウに声をかけた。
こうして跨っているだけでも、熱が伝わってくる。晩冬の夜風に晒されてだいぶおさまってきたが、それでもまだところどころ煙をあげている。身体の至るところが焦げており、キメラの再生力を持っても修復するには至っていない。血を流し過ぎたせいもありそうだ。
あの場を切り抜けるには、ユウの身体を燃やす以外にないと思われたのだが、竜の身体と不死鳥の炎は合わなかったようだ。狼型などとは両立できていたため、てっきり竜でもできるかと咄嗟に指示してしまった。
ちらりと後方を振り返った。
やはり、付けてきている。巨大化したアーサーと、自分を退けた歩。優秀すぎる元教え子たちだ。
不穏な音がして前を向くと、ユウが吐血していた。口から赤黒い血を垂らしており、苦しそうだ。
ユウの首筋をなでる。炭化した表面がぼろぼろとこぼれそうで、そっとしか触れられない。
――ほんと、どうしてだろう。
ユウがこうなる前に、歩を殺すべきだったのだ。慎重に立ちまわらず、初めから圧倒してさっくり命を断つべきだったのだ。狙いが竜か人かで違うだけで、これまでの竜殺しと同様に。
それなのに、時間をかけ過ぎた。その挙句がこのざまだ。ユウだけでなく、藤花の受けた傷も深刻だった。先程から頭がガンガンと痛むし、身体はだるく、ともすればユウから落っこちてしまいそうだ。
「どうしてだろうね、ユウ。なんでこうなっちゃったんだろうね」
わからない。何故、こうなったのか。ターゲットとした唯、キヨモリ、歩、アーサーを思い返す。どれもいい教え子だった。
――もしかしたら、情にほだされたのかもしれない。
今になっても教え子と思っている自分に気付いた。そういえば、これまで直接自分が担当した教え子を殺したことはなかった。唯達が初めてなのだ。
思い返せば、キヨモリは翼を奪われただけで生きている。雨竜の邪魔が入ったとはいえ、幼竜殺しにとって殺し損ねたのは初めてだ。
歩とアーサーに関してもそうだ。雨竜に真相を聞くために生かしておくまではいいとしても、それから即座に殺せばよかったのだ。様子見する必要もないほど力の差があったのに、ユウに任せると称して歩達に時間を与えた挙句、雨竜に一撃を加えることを許してしまい、アーサーの竜殺し化に至った。
どうも、躊躇っていた部分があったのだろうか。キメラの自分に。
唐突にユウが唸った。
はっと我に返り、何事かとユウの顔を覗き込んだ。ユウも首を曲げこちらを見ようとしている。
目には力があった。闘志がまだ残っているようだ。
後ろを振り返ると、先程よりアーサーたちは近付いてきている。このまま振り切るのは難しそうだ。
藤花は考えることをやめた。今はこの場を切り抜けることが重要だ。
「やろうか、ユウ」
ユウが吠えた。
最終決戦だ。
目前の藤花達が飛ぶ方向を変えだした。それまでは学校のある方角にただ真っ直ぐ飛んでいたのに、斜め前に進路変更をしている。そうすると歩達との距離が余計に縮まってしまうことを、知らない藤花ではなかろう。
「アーサー、どういう意図かな」
「わからん。とりあえず追うしかあるまい」
距離が縮まる速度は上がっていくが、藤花達には動きがない。どういうことだろうか。
声の届く位の距離まで近づいたとき。
いきなり藤花達はほとんど真上に飛び上がった。
「歩、つかまれ!」
アーサーもすぐに続く。速度は落ちたが、それでも高さはどんどん上がっていく。ユウの巨大な身体が目と鼻の先に写った。
そこで、いきなり急降下してきた。アーサーが咄嗟にひねるようにして身体をずらし避けた。
落ちていく藤花達を見る。
ユウはすぐに下に頭を向け、滑空態勢に入っていた。そのまま角度のきつい弧を描くように旋回しはじめる。
アーサーも上昇をやめ、地面に向かって降りはじめる。その間に、横っ腹が見える位までユウは旋回していた。不敵にこちらを覗く藤花が見えた。
「歩、正面から仕掛けるぞ!」
アーサーの声に反応し、槍を強く握りしめた。耳元で唸る空気の音に負けないよう、叫んだ。
「しくじるなよ!」
「お前こそ!」
滑空が序々に角度を垂直からずらし、こちらも弧を描くように旋回していく。
正面にユウと藤花の姿。やや歩達側が高所から仕掛ける形となった。
そのまま交差。ぶつかるかと思った瞬間に爪がかわされるが、どちらも空振った。藤花はまだ不敵に微笑んでいる。
それから何度も交差していく。爪が、牙が、相手を斬り裂こうと空を切り、お互いの身体を傷つけていく。歩も何度か槍を差し出したが、どれも空を切った。
互いの傷が十を越えはじめたあたりで、変化が生まれた。
ユウの口から大量の血が漏れ始めたのだ。おそらくアーサーが噛みついてできた傷が開いたのだろう。見る見る内にユウの飛行速度が落ちていった。
「終わりか?」
そう言ったとき、アーサーが一段と速度を増した。飛ぶ方向を若干上に向け、上昇し始める。
「歩、決着をつけるぞ」
すぐに上昇をやめ、身をひねり一点に飛んでいく。行き先は、弱々しくなりながらもこちらに向かって飛んでくるユウ。背中には藤花の姿もある。
最後の、一合。
歩はしがみついていた腰を少し上げ、両足に力を込めた。両腕で槍をつかみ、目線は藤花に集中する。暴風の中、取れる限りの戦闘態勢を形作った。
お互いチキンレースのような状況になり、進路を変えない。このままでは正面衝突してしまう。
じっと見ていると、ユウが突然発火した。先程離脱するときに使ったアレだ。おそらくこのままぶつけてくるつもりだろう。捨て身の勝負をしかけてくたのだ。
しかし、歩は即座に別のものに目を凝らした。ユウはアーサーが担当すべきもの、歩の習うべき対象は別だ。
――見つけた。
発火する直前、藤花は飛び上がっていた。アーサーに飛び移るように飛び込んできたのだ。
歩はそれに合わせるべく身を起こした。どの道ユウとアーサーが正面衝突するならば、上に乗っておくことなどできないだろう。
本当にぎりぎりまで待つ。
ユウとアーサーの身体がぶつかる前の寸暇の時。
歩は飛んだ。
すぐに響き渡る轟音と衝撃。それに身を煽られながら、ただ目標を見つめる。
逆手に握った剣を藤花が振り下ろす。歩はそれに向かって全身を槍の一部と化している。
もう進路変更などできはしない。
あとはただぶつかる瞬間の見極めと、運。
藤花と衝突した。
剣が歩の背中をなぞるのがわかった。序々に刃が役目を果たしはじめ、裂いていく。
対する槍は、手応えがあった。
だが確かめる前に、正面衝突して全身を衝撃が襲った。お互い全霊で飛行する竜の背に乗り、その速度にのってぶつかったのだ。その衝撃は、模擬戦で受けたどんな一撃よりも身体を揺さぶった。槍も手放してしまった。
胸の辺りに衝撃が走り、空中で身体が回転していく。なにがなんだかわからない。アーサーとユウが激突したときに生じた轟音で、耳が効かなくなっていた。咄嗟に両腕で顔をかばい、
落ちていく、それしかわからない。
身体を草木が撫でていく。ばさばさばさばさと枝と葉をちらしていき、途中でひっかかった枝の先が、歩の晒した肌に細かい傷を付けていった。背中の傷もなぶられ、そのたびに神経が悲鳴を上げた。
直前で再度轟音、衝撃波。一瞬自分の身体がふわりと浮かぶ感じがした。
葉や枝の感触が消え去った後、身体に衝撃が走った。どこかに衝突したのだ。地面にしてはやわらかく、弾力性があった。はずみで顔を覆っていた腕がずれた。
二度三度とはずんだ後、急にリズムが崩れ、堅い場所に転げ落ちた。背中の傷口に土が入り、鋭い痛みが走る。
目だけで辺りを見回す。どうやら自分が落ちたのは、アーサーとユウのどちらかの上だったようだ。ユウの炎が鎮火しており、アーサーと二体からまるようにして地に伏せている。どちらも正面衝突したせいか、意識が薄れているようだ。
自分が今転げ落ちているのは、二人が作ったクレーターのような場所だ。草がめくれあがり、土を表面に露出させている。それが背中の傷に入っているらしい。
指に力を入れようとするが、うまく動かない。藤花と正面衝突した衝撃は身体の感覚をマヒさせているようだ。全く動かない。
そこで目の端になにか動くものが見えた。
藤花だ。
歩の持っていた槍を杖のようにして、こちら側に這いずってきている。
どうにかしたいが、動けない。藤花の脇腹から大量の血が漏れているのが見え、歩の槍がそこを貫いたのだとわかったが、どうしようもない。
藤花はゆっくりとだが着実に近付いてきた。
歩の上にまたがり、両腕で槍を振り上げた。腕を上げた拍子に口から大量の赤黒いものが漏れて、歩の顔にかかった。
「私の、勝ちです」
槍が振り下ろされた。弱々しく、振り下ろすというより落したといった様子だが、穂先は確実に歩の胸の辺りに向いている。
ゆっくりと迫ったそれが、突き刺さる。
そこにいきなり手が伸びてきた。
その手が槍をつかんだ。穂先は歩の胸のあたりを少し削っていたが、そこに痛みはない。
「え、と、どういうこと? これ?」
その声は、最近になってよく聞くようになったものだ。戸惑っているのか、場にそぐわない弱気な声音だ。
藤花が驚愕に目を見開き、手の先を向いて言った。
「唯さん……どうして、ここに?」
少しだけ間を開けて聞こえてきたのは、少しどもったものだった。
「あ、あの、長田先生に言われて、止めに来てほしいって言われたんだけど、ちょっと戸惑いって返答できなかったら、場所だけ言って長田先生がいなくなって、だけど、やっぱり行くべきだと思って、それで来たんだけど、すごい音したからこっちに来たんだけど……あの、何があったか知らないけど、落ち着いて! ねっ!」
藤花が笑った。乾いた笑いだった。なぜか泣き笑いにも聞こえた。
直後、歩は気を失った。




