4-6 アーサーと竜殺し
「ああ、あちらも決着がつきますね」
藤花が無防備に後ろを向いた。歩は無造作に晒してきた隙でもつくべきか、と一瞬悩んだが、すぐにその先に目を奪われた。
それまで続いていた地面を抉る音が止まったとき、みゆき達の影が浮かんだ。
上空に打ち上げられたみゆきとイレイネ。剣を構える姿もかわらず、いままで必死でこらえていたのがわかる。剣はしっかりとユウの牙で止められていたが、それも同じ。
違うのは、ユウの姿。
背中に翼が生えている。三日前までよく目にし、三日前に失われたはずのもの。
キヨモリの翼だ。
歩は、キヨモリがキメラに食われた現実をまざまざと見せつけられた。
翼に目を奪われていたが、眼端に異様な動きが写った。ユウの尾が先から二股に分かれていっていたのだ。チーズを二つに裂くように、見ていてこちらが気持よくなるぐらい、すっと切れていく。
裂け目が根元まで至ると、二つになった尾が空を裂いた。
一つはみゆきの胴体にか、一つは剣にからみつき、分かれる前と変わらぬ力強さでみゆき達を放る。
先は、歩の横。狙ったとしか思えない場所に、みゆきは叩きつけられた。
「ゴホッ!」
「みゆき!」
見ると、みゆきの身体に傷は少ない。頑丈な戦闘服と草地に救われた形だ。
ただ、両腕と両足はけいれんしていた。それも当然で、あのユウと数分間力比べをしていたのだ。イレイネの補助があっても、負担は相当なものだったろう。耐えられていたのが不思議な位だ。
藤花の立つ方から、ざっと音がした。振り返ると、藤花のすぐそばにユウが降り立っているのが写った。たとえ再生しているとはいえ、二人の無傷な姿は、歩達の完膚なきまでの敗北を思い知らされる。
「さて、チェックメイトですね」
藤花の余裕の声がいらつくが、歩には何にできることは皆無に近い。武器はなく、左腕は半分程度の力もない。槍は藤花の足元に放置されており、まだ腹にはダメージが残っている。みゆきは傷はともかく、両腕両足は時間が必要、イレイネの身体は削れてほとんど残っていない。アーサーすら、地面に落されている。
ここで気付いた。雨竜はどうしているのだろうか?
最後に見た場所に視線を合わせたが、いない。どこに行ったのだろうか?
そのとき、藤花がうずくまる歩達を越えた先を見て、驚愕するのが目に写った。
歩が何かをみようと振り返る前に、声が聞こえてきた。
「撃て!」
「っユウ!」
歩達の頭の上を、赤い閃光が走った。
先は、藤花。
雨竜のパートナーであるサコンが発した粒子砲だ。
熱と光の奔流が、藤花とユウを包んだ。その余波が歩達のところまで届き、異質な光と熱が肌にふりかかってくる。歩はとっさに前方に転がっていたアーサーをひっつかみ、みゆきの後ろに隠した後、みゆき前で背を向けて立ちはだたかった。
時間にして十秒ほどもなかったろうが、歩には長く感じられた。背中にかかってくる熱は、炭火を前にしたときのような、皮膚よりも近いところから発せられている感じで、非常に君が悪かったからだ。
光がやんだところで、ゆっくりと振り返った。藤花とユウがいた辺りにもうもうと蒸気が立ち込めており、足元の草地だったところはほとんど地肌を晒している。他の草地との境界には、真っ黒に焦げた草があった。
藤花とユウの姿が見えない。まだ蒸気はおさまっておらず、影すらもわからない。あの閃光を受けて身体が残っているかは疑問だったが、それでも視線をぶらすことはできなかった。
「危なかったです」
藤花の声が聞こえてきて、歩は反射的に喉を鳴らせてしまった。それほど驚いた。まさか本当に生きているとは。
蒸気が消えていく。目に入ってきたのは、巨大な翼。大きさにして、五体満足だったころのサコンほどはあろうか。二つの翼は折り重なっており、卵を守る親鳥のような印象だ。クロスされた中央部分は真っ黒にこげており、端の方以外は触れば砕けてしまいそうな炭の塊になっていた。
その奥から藤花の声は聞こえてきている。
「すさまじいですねこれ。咄嗟に動けてほんとよかったですよ。おそらく、私がもろに受けたら楽に消し飛ばされたでしょうから」
「粒子砲を、受けて、死なない?」
雨竜の狼狽する声が聞こえてきた。歩も同じだ。余波だけでも、背中はずきずきと痛んでいる位なのだ。直撃を受けて耐えられる生物がいるとは思わなかった。
「あ、長田先生、いい一撃でした。その機械竜、まだ余裕があったんですね。また目の光が消えたところを見ると、もう最後のようですが。どうも今日の私、隙が多すぎますね。ユウには助けられてばかりです」
饒舌な声がやむと同時に、炭化した翼にヒビが入るのが見えた。一度ヒビが入ると、翼だったものはそっけなく崩れた。
そこから見えたのは……竜。
歪ながらも、それはどう見ても竜だった。
心臓がどくんと鳴るのが聞こえた。
「変体が間に合って本当によかったです。竜を食べてこなかったら、死んでいたかもしれませんね」
その竜はユウなのか。竜を食べてきたキメラなら、確かに限りなく近づくことはできるだろう。
だがいざ目にすると、ひどく驚いてしまう。
まず、大きさが違うのだ。キヨモリより一回りは大きいだろうか。狼型のころは、歩よりも少し大きいくらいだったのに。質量は何倍にも増大して見えた。物理法則を完全に無視している。
ほとんど焼き焦げていたが、翼も言われてみれば竜のものだとわかる。鳥やこうもりのものと似ているが、表面がざらざらして固く、ぶ厚そうな感じは竜のものだ。両手は三つ指で、先は赤く赤熱した爪。両足も似たものだが、太さがまるで違う。腹はでっぷりとしており、そこだけ白い。他はどれも赤く染め上がっており、赤く燃え盛っているように見えた。尾だけは二股で、前に見た狼のようなユウの名残が残っている。
胴体から伸びた首には、たてがみのようなものがついてあり、赤く燃え盛っている。角はなく、顔は竜のものと狼、両方を混ぜたものだ。角はない代わりに、牙が長い。
頭までたどりつくと、全体を見回し、再確認する。これは、竜だ。頭を始め、いくつか他のものも混じっているが、ユウの姿は間違いなく竜のものだ。サコンの赤い閃光を受け切ったその膂力は、竜にふさわしいものであった。
竜になったユウの翼に変化が見えた。炭化した部分に近い箇所が、蠢き始めたのだ。藤花の首を思い浮かべ、再生しているのがわかった。
だが、いまさら翼が再生したところで、何の影響があるのだ。サコンの一撃すら受け切ったユウと、皆ぼろぼろの歩達。勝敗は目に見えている。
「さて、では終わりにしましょうか」
翼の再生がおわったところで、藤花が言った。
歩はどうすれば勝てるか、必死で思考を巡らせている。ユウを相手することは、サコンの閃光を受け止めたことから無理だろう。あれほどのものを受け止めるユウに、どんな力が及ぶというのか。それならば狙うは藤花だが、彼女の膂力もまた歩を上回っており、みゆきもイレイネも満身創痍の中勝つ見込みは薄い。それでもまだ相手をしてくれれば可能性はあるのだが、彼女はいなすだけで、まともに攻めようとは思わないだろう。ユウがいるのだから。
いくら考えても案は浮かばない。
もう考えている時間もない。
高鳴る心音が頭を支配する。
あきらめが頭をよぎったとき。
後ろから聞きなれた、翼をはばたかせる音が聞こえてきた。
「どうしましたアーサー君?」
音は歩を乗り越え、藤花との間に移っていった。見慣れた、間に立つには余りにも矮小な姿が目に写った。
アーサーが、言った。
「貴様は竜か?」
藤花は予想外の問いに驚きつつも、答える。
「いいえ、キメラです」
「その姿は、竜ではないのか?」
「竜も混じったキメラ、とも言えるかもしれませんが、基本はキメラです」
「歩、どう思う?」
話を振られ、反射的に返答した。
「俺には竜にしか見えない」
顔だったりたてがみがあったり、尾が二股だったりするが、ユウはいま竜だ。
だが改めて見てみると、確かに竜らしきもので、竜ではないように写る。
だというのに、歩はユウの今の姿を見て、竜だ、と確信してしまっていた。
どうしてだろうか。
アーサーは再び告げた。
「貴様は竜だろう?」
「竜といえば、そうですね」
「貴様は幼竜殺しであったというのは本当か?」
今更何を聞くのだと思った。どうもアーサーの様子はおかしい。
「はい、そうです」
「竜殺しとはなんだ?」
藤花は即座に答えた。
「竜を殺すモノ、竜を殺すことに命を賭けたり、生きがいを見出したりするモノのことです」
「貴様は、何が故に竜殺しとなった?」
「竜を食べるためです。それが生きがいだからです」
「故に竜殺しと名乗るか」
「そうですね」
ここでふと気付いた。身体がひどく熱い。先程、光線の余波で受けたものとは比べ物にならない熱が、首の後ろあたりから生まれ始めていた。それが周囲の血液に伝わり、心臓で押し流され全身を巡っている。特に脳は、脳髄から直接上がってきているような気がした。
不思議と嫌な感覚はない。気だるさはなく、むしろ意識ははっきりと、視界は鮮明になっていく。川を越えた先で、風に煽られている葉の葉脈すら数えられた。確実に生物としての能力が上がっているのがわかる。
目の前のアーサーも、そうなのがわかった。パートナーなのだから。これほど近付いた経験はないが、何故かわかる。これはそういうものなのだと、なにかが囁いてくる。
アーサーが言った。
「ならば我も本気を出そう、竜殺しとして」
その言葉に、藤花は怪訝な顔をした。
「本気? 今まで力を抑えていたというのですか? 何度も死にそうになったのに」
「我は竜殺しである。竜を相手にするときのみ、我は竜となる。貴様達が竜であるなれば、竜殺しとなる」
言わずともわかる。アーサーが何故竜を恐れていたのか、苦手意識を持っていたのか、何故竜を異常なまでに尊んでいたのか、何故竜殺しに深い興味を示していたのか。
竜を恐れていたのは、己の血が騒ぐのが恐ろしかったからだ。苦手意識を持っていたのは、己の昂る血を苦心して抑えていたからだ。竜を尊ぶのは、竜であり、竜殺しでもあったからだ。竜殺しに興味を示したのは、己もまた竜殺しであったからだ。
今となれば、それらが歩にも影響を与えていたのがわかる。竜を見て恐れると同時に、なにか湧き立つものがあった。興味は尽きなかった。なにより竜が好きだった。竜殺しにも興味はあった。
それらが表に現れなかったのは、アーサーがパートナーだからだ。歩が肯定すれば、アーサーが否定する。歩が否定すれば、アーサーが肯定する。例えお互い思いは同じでも、どちらかが反対側に立ち意見を交わして、二つの視点から考えれば、どちらがより真実に近いかを見つめられる。無意識下で行う思考を、人とパートナーは分担して行っているのだ。
最早、二つで一つの生命体といってもいい。
故に、人は卵から生まれた異形の獣達のことをパートナーと呼ぶ。
目前の歪な竜を見る。
それは、竜だ。いざ身体を変体すると、歩とアーサーにはかぐわしいまでに臭ってくる。これは、竜だ。相手が竜だからこそ、ここまで血が昂るのだ。
歩は左手を握りしめた。ひどく痛み、感覚すら薄かった左腕から、はっきりした感触が返ってくる。
アーサーの声が聞こえてきた。空気を伝線してではなく、脳から直接伝わってきた。
「竜殺しの竜、参る」
ここらへん大丈夫ですかね? 少し心配です。




