4-3 嵐の前
予定通り、歩達は三十分ほどで目標地点についた。
降り立った場所は、キヨモリが襲われた場所。奥には森が広がり、比較的穏やかな魔物達の住処となっている。
歩達はそこを戦場と定めた。
「じゃあ」
「気を付けて」
一言声をかけて、みゆきと別れると、歩は森に足を踏み入れた。肩にどさりと慣れた感触がのっかかり、アーサーが乗ったのだとわかった。
足を踏み出す度に軽く地面が沈んだ。歩が踏み入れたのは獣道で、下はクッション材のようにやわらかい。豊かな土壌を示すように、見上げる木々は青々している。
この森についても調べたのだが、国立公園に指定されていた。中で暮らしているのは一般にD級と呼ばれる猪、鹿などの野生生物であり、魔物はほとんどいない。見つけてはハンターが狩っているらしい。
当初、幼竜殺しをどこで迎えうつかというのは大いに迷った。
人通りの少なく、思う存分に動け、周りに被害を出さずに済み、それでいて幼竜殺しが襲ってくるであろう場所、と条件を考えていったのだが、どうも都合のいいところは思い浮かばない。当然だ。そんな甘い場所は存在しないからだ。
そもそも、幼竜殺しが何を狙い、何を手掛かりに幼竜を捕捉し、襲いかかるのかなどわかるわけがない。飛行した後、というのが共通点ではあるが、それで確実に見つけられるとは断言できない。
如何にして囮となるか。
結局採用したのはアーサーが提案した案。空を飛んで移動し、開けたところで待つ。相手が思わず狙うのではなく、挑発的に待ちかまえるという手法だ。アーサーは、自身の見た目も利用した罠だと自嘲してうそぶいた。
正直、本当にこれで出てくるのか、という疑問はあったが、それしかなかった。
みゆきと別れたのもそのためだ。別行動をとり、歩とアーサーの二人だけで行動しているように見せかけるためだ。勿論このまま別れたままというわけはなく、みゆきはいったん町の方に戻ってから、別口で戻ってくる予定だ。合流場所を決めており、そこでアーサーと歩が待ち受け、みゆきが潜む、という形にする予定だ。道中狙われたときは、携行した閃光弾を上げることになっている。これは学校でのサバイバル訓練の際に拝借していたものだ。
足音が二つ、交互にリズムを踏んでいく。時折藪を手にした槍で払いながら、歩は案外楽に保てている、と思った。キヨモリとの模擬戦からこちら、どうも緊張感が欠けているのではないのかと疑ってしまうほど、竜殺しに対する恐怖心は薄い。
思わず、軽口を叩きたくなった。
「ふくろう、いるな」
「そうだな」
ホーホーという鳴き声があたりを木霊している。今は深夜一時。完全に夜の世界だ。木々に透けて見える月が、いやに美しい。
辺りを見回していると、肩に乗ったアーサーの顔が少し妙に見えた。
「どうした?」
「ん? 何もないぞ」
返答してきたアーサーの調子はいつもと変わらないが、どうもおかしい。
興奮しているのか緊張しているのかはわからない。ただ、肩に伝わってくる熱は高い。そこだけ少し汗ばみ始めた位だ。アーサーの目もどこかうつらに見えるのだが、逆に時折、鋭い光を発したりしてもあり、どうも挙動不審だ。こころなしか、重心を入れ替える動作も多い気がする。
「お前、どっかおかしいのか?」
「何がだ? まあ長いこと飛びすぎたのかもしれんな」
アーサーはここに来るまで飛んできていた。そちらのほうが竜殺しも察知しやすいのか、と何気なく思っての行動だったが、それも身体に響くほど体力が落ちているのだろうか。
にやりと笑いながらアーサーが言った。
「風邪でもひいたかのう。どうも熱いし、身体がだるい」
「少し甘やかしすぎたか。これからもっと飛ぶ練習でもするか」
「我に鍛錬などいらぬ。既に体躯は完成されておるのだ」
いつもの軽口に笑っていると、ふと気付いた。
「まるで緊張感ねえな」
こんな緊迫した状況だというのに、まるで自覚がなかった自分に気付く。
「いつ幼竜殺しが出てくるかもしれないのにな」
「確かに、黙るか」
本当に緊張感が抜けている。なにかおかしく感じた。
少し考えただけで、自身の心境が不可思議なことに気付いた。これから唯とキヨモリの仇打ち、相手は幼竜殺し、雨竜達の制止を振り切ってここまで来た。なのに、まるで危機感がわかないのだ。己の中に緊迫感を感じられない。
あるのは、妙な浮足立つ感覚。首の後ろ辺りから頭に向かって、なにか昇ってくるような、そんな感触があるのだ。それが変に気持ちよく、緊張感を抜けさせる原因となっているように思う。
これではいけない、と気を引き締めようとするのだが、どうも上手くいかない。
その時、がさりと音がした。それなりに大きい。
「アーサー」
「ああ」
斜め前から聞こえてきた。アーサーに合図して飛んでもらい、歩は右手で槍を構えた。左手はポケットの中に突っ込み、いつでも閃光弾を投げあげられるようにしておく。
序々に近付いてくる。丁度その辺りは木々が濃く茂っており、月の光も届かないせいで、雑な影しか見えないのだが、かなり大きく見えた。
口元にたまった唾を飲み込んだ。
影が月の差し込む空間に差し掛かった。
見えてきたのは――
「猪?」
何の変哲もなさそうな、薄茶色の体毛で、鼻先に泥をまとった四足獣だった。特に敵意も見えず、こちらをそっと見ている。警戒はしているようだ。
歩は息をひそめ様子を覗っていたのだが、猪が踵を返し歩達とは逆方向に走っていったのを見て、はっと息をもらした。
幼竜殺しではなかった。
「違ったな」
「ああ」
歩は再度気を引き締めた。まだ夜は長い。
これから、どうなるか。
雨竜は病院に来ていた。
こつこつと廊下にリズムを立てながら、迷わずに進んで行く。
行き先は、平唯とキヨモリの病室。
ドアを少し乱暴に開ける。
中で、平唯がびくっと肩を震わせるのが見えた。キヨモリの前足の上に自分の両腕を敷き、突っ伏すようにして寝ていたようだ。
「どうしました?」
雨竜は答える。
「すまない。何度謝っても謝り切れない。だがもう動いているんだ」
平唯は意味がわからないといった表情を浮かべた。それはそうだ。わからないように言っているのだから。
覚悟を決めた。
「平、悪い」
平唯のそばに近寄り、強引に腕をとった。




