1-1 歩の憂鬱と竜
一章
――現在
歩は盛大にため息をもらした。
セミの鳴き声が所構わず鳴り響いており、ただでさえ高い気温が五度は上がっているような気がする。寝汗を左腕で拭ったが、次から次へと沸いてきりがない。
諦めて黒板を見た。寝てからそれほど経っていないようで、ノートはまだ間に合いそうだ。
「では最後にまた基本に戻りましょう。何度も言いますが、魔物史Ⅲと召喚史Ⅲはそれぞれ細かい生態ばかりを問うているように見えますが、なにより基本部分をしっかり理解していないといけません。両者とも有機的に複雑に絡み合っており、根幹がしっかりしていないとすぐにごちゃごちゃになってしまいますからね」
担任の中村藤花が熱弁を振るっていた。凹凸の少ない華奢な身体からは想像できないほど、教師としての威厳に満ち溢れた授業をしている。出張から帰ってきたばかりだというのにまるで疲れを見せないのも、教育者として強固な意思をそなえていることを物語っている。
黒板に走らせていたチョークを止めると、くるりと振り返ってこちら側を見た。
「それでは、先程まで船をこいでいた歩君、『魔物』とはなんでしょうか?」
しっかり見られていたようだ。下の名前で呼ぶのがこの先生の癖だが、そのおかげか、皮肉も余り嫌みに聞こえない。
驚きつつも、周りの少し意地の悪い笑みを含んだ視線を無視してゆっくり立ちあがった。
「魔物とは、人と卵生生物を除いたC級以上の生物のことです。社会に害を為すことができるだけの能力を持ち、一般に人間とは相いれません。現在、人間のテリトリーの外でしか見ることはできませんが、時折、テリトリーを侵食してきては、大きな戦争となっています」
「正解です。ただ、授業はしっかり聞きましょう。座ってください」
ほっとするのと同時に、妙な優越感を抱いて座った。クラスメイトがどこかがっかりしている姿が見えた。
「ではみゆきさん、卵生生物とはどういった存在でしょうか」
藤花が最前列中央の席に座った生徒を当てた。
長い髪を散らしながら、彼女は立ち上がった。五年前より随分大人びた姿が目に映った。
「卵生生物とは、私達人間が生まれた時に手にしていた卵から生まれた存在です。生まれる際の状況から召喚獣とも呼ばれますが、一般にはパートナーという呼称が一般的です。姿かたちは魔物とほぼ変わりませんが、命が人とリンクしており、どちらかの命が尽きるともう片方も死ぬという点が大きく違います」
「はいそうですね。ありがとうございます。では、慎一君、それ以外に魔物との相違点はありますか?」
みゆきが座り、代わりに指名された歩の右隣に座る男子生徒が頬をかきながら立ち上がった。うなりながら、なんとか答えをひねりだしはじめた。
「え、と。パートナーの力が人間にフィードバックされるみたいな、パートナーが強ければ強いほど、人間も強くなるって感じで……」
俯きがちに担任を覗う男子生徒に、教師たる藤花は優しく座ってください、と声をかけた。
「大筋はあっています。もう少し丁寧に言うと。パートナーの能力と召喚者たる人の能力がリンクしています。たとえば、パートナーの腕力が優れていれば、人の腕力も大きなものになり、パートナーの視力が高ければ、人の視力もよくなります。それにより、同じ人間でも全く違った性質を持つことも多いです。このクラスにいる人のなかでも、かなり違いがあることはみなさん知っていますよね?」
クラス全体がざっとうなずいたのを見て、藤花は続けた。
「三人が言ってくれたように、魔物とパートナーは非常に似通っていますが、人間にとっては全く違う存在です。そこを常に忘れないようにしてください。テストにおいて、そこを勘違いさせようとする問題が非常に多いので、相当重要です。テストの後も常に付きまとう問題になるので、身にしみこませてください」
ちらっと腕時計を見た。歩も壁にかかった時計を見ると、まだ終了まで五分ほど残っている。
「ここで終わりと行きたいところですが、残念なことに時間が余っています。何か質問ないですか?」
教室に微妙な空気が流れる。質問なんてないから早く終わって欲しいと言いたいところだが、それはできない。誰か手頃な質問をしてくれないかと、みんな思っているのがわかる。歩もその一人だから。
「せんせー、自分いいですかー?」
声の主は先程の慎一と呼ばれた男子生徒だ。
「どうぞ」
「なら、テストに出てくるとこお願いします! 今度、赤点とったら小遣いやばいんすよ! ほんと、なんでもいいんでよろしくお願いします!」
どっと笑いが起きた。半分ネタなのだろう、全く悲壮感のない調子に、藤花までも笑っている。
ひとしきり笑ったところで、不意に藤花が何かを思いついたように目を大きく広げた。
すぐににんまりという笑みを浮かべて、教卓の端を両手で掴んで前傾姿勢となる。
「じゃあ竜についてでいいわね」
クラスの空気が一瞬で変わった。やっちゃった、といった感じだ。
藤花は嬉々として話し始めた。
「やっぱり竜は最高よね。テストで最頻出科目の一つになっているのが、注目度の高さを表してるわ。いわゆる『パートナー』の中でも別格の存在で、他の種族とは一線を画してる最強の生物。全てを踏み抜く膂力! 圧倒的なまでの威力を持つ多彩なブレス! 巨体に似合わぬ俊敏さ! なによりも大空を駆け抜ける飛行能力! 飛べる種族は他にもたくさんあるけど、あの巨体で一、二を争う速度なことは流石の竜! 格言の通り、『竜は飛んでこそ竜。その姿に並び立つものは無し!』」
目をキラキラと輝かせながら、一人暴走する藤花だが、歩達にとってみれば、面倒なことこの上ない。
出張が多いことと、ドラゴンに対する有り余る熱意を除けば理想の教師、とは副担任の弁。
「社会的立場は貴族のように高く、竜使いなだけで一生を約束されたに近いわ! その分、竜殺しに狙われる危険はあるけど、それも有名税として帰って名誉なことだわ!」
竜使いの数あるあだ名の一つに、『貴族』というのが一般的だ。選民意識の高さとその同族意識の高さ、そして一般的な地位の高さがそのあだ名に説得力を持たせている。事実、竜使いになるだけで、一生は約束されたものと同じと思っているのは、人口全体の九割以上は確実だ。
ただその事実は、歩にとっては憂鬱にさせる。
うんざり、といった感じで聞き流していると、藤花がキッと歩に目線を合わせてきた。
叱られるかな、と思っているとすぐに教卓のすぐ前に座っている少女に目線に移った。その少女は堂々としており、いきなり話を振られても全くたじろがない。
「歩君、唯さん! 私はほんとに嬉しい! 私、竜使いの学生を受け持ったことって、担任どころか授業すらなかったのよね! なのにいきなり竜使いが担当のクラスに二人もいるなんて、最高の栄誉だわ! 今度の学年末模擬戦も、楽しみにしてるから!」
タイミング良くチャイムが鳴った。
丁度話しの切れ目で鳴ったのが功を奏して、藤花も気付いたようだ。以前、熱中しすぎて五分以上オーバーしたこともあった。
「あら、残念。じゃあ次の模擬戦授業も遅れないように、よろしくね」
そう言うと、手早く荷物をまとめて出て行った。
クラスに安堵のため息が木霊する。
歩もため息を漏らしたのだが、それは一段と重かった。今の話は、歩にとってどこか皮肉に感じてしまう内容だったからだ。
机の上でうなだれていると、先程歯切れの悪い返答をした男子生徒の声が聞こえてきた。
「さっさと行こうぜ。相方のお迎えもあるし」
「ああ、慎一」
彼の名前は岡田慎一。クラスの中では比較的仲のいい男友達だ。
はあー、と再度重いため息をついて立ち上がる。
歩の様子を見たのか、慎一が苦笑まじりに言った。
「まあ、おつかれ」
「さんきゅ」
ここでぐだぐだしてても仕方がない。
パートナーを迎えに行くか。
歩達が向かったのは、教室と対になるようにして建てられた校舎だ。デザインや色はほとんど変わらないのだが、高さも横幅は倍ほどもある。そこは学生達が授業を受けている間、パートナーの待機室はある。
二人は、二つの校舎を繋げるように作られた橋を渡っていた。歩達のクラスだけでなく、他のクラスの人達もいるため、かなり混雑している。
「あー面倒」
「そうだなーもうちょい広くつくってくれりゃよかったのにな」
ぶっくさ言いつつも、流れに任せて進んで行く。
そう経たない内に中に入れた。
入口から横にだだっ広い廊下が広がっており、ところどころに巨大な横に引く形式のドアがある。人間用の体育館が横にいくつも連なっているような感じだ。
歩達は迷うことなくその中の一室に進んで行った。
そこには、様々な生物の姿があった。
犬、猫のような比較的シンプルな動物から、妖精、ユニコーンまで、外見の変化は多種多様。似たような犬型でも、目の色、数、尾の形など、ところどころの差異も多い。
目の端に、自分達に向かってくる姿が写った。心地よいリズムで駆け抜け、慎一の前で腰を下ろしたのは、少し大きめの狼型。青い目は二つ、毛並みのいい尾は一つ、健脚そのものといった四脚と、シンプルな造形だ。
「おう、マオ」
慎一はそれだけ言うと身をかがめ、マオと呼ばれた狼の首をわしわしと撫で始めた。
気持ちよさそうに目を半目にしているマオと、嬉しそうにそれを眺めている慎一の姿に、歩は微笑ましさと同時に羨ましさも感じてしまった。
一通り撫で終わると、マオは歩の方をぷい、と向いた。
そして飛びかかってきた。
「おい、マオ! あぶねえよ! 舐めるな!」
体長一メートルはあろうかという狼を、危なげなく受け止めたのだが、顔は舐められっぱなし。歩の言葉などどこ吹く風という様子だ。手足をばたつかせ、尻尾をはちきれんばかりに振り回している。
一向に止める気配はない。
「おい、慎一! いい加減やめさせろ!」
「そんなこと言いながら、内心喜んでるくせに」
確かにそうだ。多少不満は残るが、こうして全身全霊で喜びを表現されるのはどこか嬉しい。
それでも口だけは不満げにしておく。
「いや、あぶねえから。普通こける」
「お前なら大丈夫だろ。一応、体力だけは学年でも一、二争ってんだからさ」
「……その言い方、なんか気になるな、おい」
「気のせいだ」
慎一がちらっと壁にかかった大時計に目をやった。
「マオ、やめ」
掛け声と同時に、マオはびたっと舐めるのをやめ、お座りをする。相変わらずの忠犬っぷりだ。
「ほら、相方呼んで来い。時間もあんまないし」
誰のパートナーのせいで時間がなくなったのかと言いたいところだが、時計を見ると、そんな時間ももったいなく感じた。
マオの頭を軽く一撫でしてから、部屋を見回した。部屋の端当たりで、身体よりも大きなクッションに身体を埋める姿が見えた。
「おい、アーサー」
「ここにおる」
帰ってきたのは、渋い声。だが、そこには迎えに来いという感がひしひしと伝わってくる。
辟易しつつ、迎えに行った。
迎えに行った先にいたのは、黒い竜。角が鈍く光り、緑色の目が輝く、流麗な造りをした、藤花が絶えまなく愛情を注ぐ種族の竜だ。
だが。
「ほら、肩を貸せ」
「はいはい」
アーサーは翼を二、三振ってから飛び上がると、歩の肩に乗った。
その小振りな身体は、歩の肩でも十分に止まれる。
「お前さ、いい加減自分で飛べよ」
「ふん、それほど重くもないのだからいいだろう?」
アーサーは五年前からほとんど成長していない。肩にのられても、歩の動きに支障はない。
この五年間で、同級生達のパートナーは大なり小なり身体を伸ばしていき、人の何倍もの速さで大きくなた。慎一のパートナーであるマオも、生まれた時は卵大だった。
歩のパートナーだけが時から取り残されているようだった。
姿の変わらない小さな竜。
それがアーサーと言う名の、歩のパートナーだ。
「ほら、行くぞ」
「うむ」
ひとまず、走って慎一達のところまで戻ると、慎一が苦笑しながら話かけた。
「おう、相変わらず偉そうだな」
「我は偉大なる竜だからな。多少偉ぶるのも威厳故、仕方なかろう」
歩はため息をついた。
「そんなに竜のこと誇ってる癖に、なんで他の竜のこと苦手なのかね。これまで何度か見る機会があったってのに、全部拒否しやがって」
「ふん、竜の高貴なる姿など、我を見ておればよい。お前のことを思って」
「はいはい」
このパートナーは、竜のくせに他の竜を苦手とするのだ。新聞やラジオでも、竜の話題となると途端に嫌がる。
全くもって、変な竜だ。
アーサーが不満げに口からマッチのようなささやかな炎を吐いた。
それを見て、慎一が苦笑しながらなにやら取り出した。
「そんなお前にプレゼント」
慎一が取り出したのはジャーキー。真ん中を綺麗に裂くと、片方をアーサーに向かって投げた。
小さな両手で器用に受け取ったアーサーは、途端にかじりはじめた。目を輝かせてただ目の前のジャーキーをかじる姿は、どこか可愛らしい。
その姿を満足そうに見つつ、慎一は残った片割れを自分のパートナーに差し出していた。こちらも大きな体で嬉しそうに噛みついた。
「あんまりあまやかすなよ。肩に乗せるこっちの身にもなってくれ」
「まあまあ。こん位いいじゃん」
軽くたしなめたが、慎一はまるで聞いていない。
そうこうしている内に、ジャーキーを堪能したアーサーが口を開いた。
「相変わらず気が利くな。歩もそういうところ見習ったらどうかの?」
「はいはい、さっさと授業行こうか。着替えもあるしな」
ひとまずアーサーは無視し、マオが満足気に鼻を舐めているのを横目に確認してから言った。慎一も「そうだな」と答えてから、足を外に向けた。
「午後は普通の模擬戦だったか。まあ我の出る幕もなかろう」
腹が満たされてご機嫌な相方を尻目に、歩は肩がいやに重く感じた。




