3-6,5 キメラと竜殺し
――十年前
「いらっしゃいませ」
×××は元気よく挨拶をした。
場所は首都の雑貨屋。雑多な品物が並び、客層も様々で、中には怪しげな人物もいたが、×××にはまるで気にならなかった。
品物を受け取り、値段を確かめる。出してきた札を受け取ると、細かいお釣りを返す。簡単な作業だ。ずっと立っていなければならないのも、余り苦にならない。時間ばかりが拘束され、給料はよくないが、それでも×××にとっては楽しい日々だ。
『家』となっていた場所の崩壊から二年がたった。その後、×××は瓦礫の中から適当に金目のものを物色し、当座の資金を確保した。まず先立つものがないとどうにもならないからだ。
それからすぐにその場を離れ、おじさんから学んだ知識をもとに新たな人生を始めた。幸いにうまいこと入れ替われそうな□□□の戸籍があったので、それほど難しくはなかった。保証人なしの住居探しが面倒だったくらいだ。
それからこの店のバイトを始め二年。
キメラに似合わぬ、落ち着いた日々を過ごしていた。
「□□□! もう上がっていいぞ!」
「はい!」
×××は、□□□と呼ばれて返事をした。□□□のIDカードを利用して生活しているので、そう呼ばれているのだ。
時間になり、やってきたもう一人のバイトと交代する。適当に談笑したりする相手なのだが、余りに可愛らしい思考の女性なので、余り長話をしたくない。会釈し、足早に事務室に戻った。
そこには店長の姿があった。黒いもじゃもじゃした髭に、小さめの瞳、いまにもハゲそうな頭。柔和な雰囲気を醸し出していて、バイト皆から慕われている。
その隣で撫でられているのは、小柄な犬。真っ白な体毛に真っ赤な三つ目。不吉さを感じさせる外見だが、今はリラックスした様子でゆったりと背を伸ばしていた。
「おつかれさま」
「おつかれさまです」
「あのさ、ちょっといい?」
「はい?」
更衣室に行こうとしたところで、呼び止められた。
申し訳なさそうに、くしゃっとした笑みを浮かべている。
「明日、シフト入ってくれない? 朝十時から五時まで」
本来なら、×××は明日休みのはずだが、別に構わなかった。
「いいですよ」
「本当? いつもいつも気軽に頼んで悪いね」
「いえ、私は暇ですから」
バイト以外には特にこれといったことは何もしていない。いつも空いた時間は本を読むか、たまにバイト仲間に誘われて飲み会に行く位だ。飲み会といっても酒を飲むわけではなく、酔っ払い達の愚痴を聞かされながらご飯を食べるだけだ。×××にとってはそれも良かった。
そのまま更衣室に入り、着替える。ファッションにもこだわりがないので、適当にスーパーで買ったTシャツにジーパン、スニーカーだ。
すぐに着替え終えると、荷物を抱えて事務室に出る。そこにはまだ店長と白い犬がいた。
「帰るよ」
「ほら、ご主人様がお呼びだ」
白い犬が駆けよってきた。これが私のパートナーだ。キメラの擬態能力を生かし、可愛らしい姿に変えていたのだ。家でも生まれた時の姿に戻ることはなく、ここ半年以上、ただの子犬として暮らしてきていた。
「名前付けてあげればいいのに。まだ付けないの?」
「ええ」
×××はパートナーに名前を付けていない。例の施設にいたときからの無名はまだ続いていた。
書類上は、名前はある。登録が義務付けられているからだ。だが、その名前は死んだあの子のパートナーの名前になっている。
名前を呼ぶ度に、息たえた姿が脳裏に浮かんで、なんとなく呼べないのだ。
それでも十分に意思の疎通はできるので、そのままでいいや、と思っていた。
店長のどこか寂しそうな顔に一礼し、事務室を後にした。
家に着くと、すぐにカバンをおろした。六畳一間でぼろぼろのアパートだ。ユニットバスではあるが、風呂便所付きなため、十分満足している。
家具は布団と冷蔵庫、洗濯機など必要最小限のものしかなかったが、代わりに様々な本が壁際に積まれてある。そこから一冊、抜き出すと、壁を背にあぐらをかくと読み始めた。
読書は唯一の趣味だ。色々な世界があり、実体験するよりは薄い感触しか得られないが、それでも知識としては積み重ねられる。施設にいたときにおじさんの講義を受けていたせいか、頭に何かを叩きこむ作業は、楽しかった。
今読んでいるのは、子供向けのファンタジー小説。
それほど面白い内容ではなく、作家もこれ一つしか書いていないようであったが、×××は何度も読んだ。
ストーリーは、キメラに母親を殺された竜使いの少年の英雄譚。キメラの存在そのものを否定し、正義の名のもとに何匹も殺していく話だ。軍に入り、討伐に精を出していたのだが、途中で同僚と恋に落ち、結婚し、家庭を持つ。その過程で自分を見つめ直しだした。自分はただ虐殺しているだけではないかと。
息子が生まれたのが契機となり、キメラ殺しを躊躇していくようになる。軍もやめようか、というところまで至った。
だが、悲劇が起こる。今度は息子がキメラに殺されたのだ。そこで憎しみを暴発させ、キメラの存在自体をこの世から消そうとあらゆることをするようになる。
妻と離婚するなど紆余曲折をたどりながら、最後までキメラを憎み続け、最後にはキメラを殺すための社会システムまで構築して死んでいく、という話だ。
これを読んだ時の×××の内面はいつも同じだ。
何度もキメラが殺されるのを想像し、キメラに殺された主人公の感情を感じ取る。それが×××の心を浮き出たせた。興奮も湧きたてられた。
だが本を閉じると、途端にそれらが冷める。キメラに対しても、どこか他人事のように感じるようになる。それがよかった。
この生活を始めた当初はキメラとしての本能に押され、適当なパートナーを食べたいという衝動にかられた。危険を承知で魔物を食べたこともあるが、魔物は全く美味しくなかった。やはり、パートナーでないといけない。しかしパートナーを食べるのは、人を殺すことに繋がり、殺人ともなれば警察が動き出す。逃亡生活を送る×××としては、それはできるだけ避けたかった。
仕方なく餓えを我慢していたのだが、今度はパートナーが擬態を維持できなくなったのだ。生まれたときの姿とは違うのだが、明らかにキメラであるその姿は、この生活を送るのに余りに適していない。
どうしようか、と考えているときに、この本を読んだ。
すると不思議なことに、食欲が消えたのだ。全くない、というわけではないのだが、それでも薄れていった。それはパートナーにも影響し、擬態も随分安定するようになった。
こうしてこの本は、必需品となった。
物語は中盤にさしかかった。竜使いが母親を殺した仇のキメラを前にし、その子供に剣を突きつけているところだ。その子供のパートナーもキメラで、まだ成人もしない内に二桁の犠牲者を積み重ねている。
仇が懇願する。息子は関係ない。俺を殺せと。
主人公は言う。お前は関係ない。こいつはこいつ自身が殺人鬼で、殺される運命にあるのだと。正義の名のもとに、こいつを殺すのだと。
そこで仇が笑った。主人公に言う。顔を見てみろ、と。
主人公は巨大な剣に反射する自分の顔を見た。そこに写る自分の顔は、これ以上ない醜悪な笑みを浮かべていた。
仇は笑う。ほら見てみろ。お前は私怨で殺そうとしているだけじゃないかと。仇の子供を殺すという倒錯行為に身を染めているだけだと。
そこまで読んだ時、不意に扉が叩かれた。
「□□□さん、いますか?」
若い男の声だ。見知らぬ声で、自分の名を知っていることに驚きつつも、とりあえず出てみることにした。パートナーが寝そべりながらも、耳をたてて警戒していた。
木製の古びたドアを開けると、意外な顔があった。
「やっぱり、×××だったか。ずっと探してたよ」
ひどく驚いた。まさかの人物だったのだ。五年を経ても、あまり顔が変わっていない。
「○○○君………」
パートナーが生まれた時に一緒にいた、竜使いの○○○だった。
とりあえず部屋に上げた。○○○は入ってすぐに、何もない部屋に驚いていた。
「生活厳しいの?」
「まあ」
冷蔵庫から紙パックのお茶を取り出し、彼に手渡した。それくらいしかもてなすものはない。
×××はお茶の隅を手で裂きながら、心臓の鼓動が強く打つのを感じていた。
何故ここに? 何故私のことを知った? 私がキメラ使いだと知っているのに、何故来たのか? そもそも、自分が昏倒させられた後、なんて説明されたのか?
そのどれもが、×××を危機に陥らせる危険をはらんでいる。
×××の焦りとは逆に、○○○は落ち着いた声で言った。
「今どんな生活をしているの?」
×××は答えた。バイトして暮らしていること、学校には行ってないこと、平穏に暮らしていること。
○○○はただ頷くだけだった。
話し終えると、今度は逆に質問した。
「○○○君は、どんな生活?」
「学生やってる。中央第二竜学校に通ってるよ」
照れくさそうに○○○は言った。
そう言われて、×××は思い出した。彼のパートナーは竜だ。そして、中央第二竜学校は、認められた竜使いだけが在籍できる、エリート学校だということを。
「すごいね」
「ありがと」
照れくさかったのか、いきなり話題を変えようとする。
寝転んで○○○をじっと見ていた白い犬を見て、言った。
「これが君のパートナー? 随分可愛らしく変わったね」
『変わったね』
これはどういう意味か。確か、○○○は×××のパートナーが、つまりキメラが生まれる瞬間を見ている。キメラに擬態能力があることを知っているのか?
問い詰めようとした瞬間、唐突に○○○のお腹が鳴った。時計を見ると、もう七時を過ぎている。
顔を赤らめた○○○が言った。
「夕食、どうかな? いいレストラン知ってるんだ」
×××は従った。
流石のエリート竜使いだと思った。
連れて行かれた先は、なにやら怪しげな感じのビルだ。
一見そうは見えないが、本当に秘密にしないといけない場所は目立たないようにしていると聞く。
案の定、古びたドアを開けて中に入ると、別世界だった。
そこは全室個室になっているようで、薄暗い廊下にいくつも枝分かれした道がある。話し声は全く聞こえず、よくわからないクラシックだけが耳に入ってくる。
一番奥の部屋に着くと、○○○は中に入った。
それまでの薄暗い廊下とは正反対の空間だった。
×××のアパートの三倍以上のスペースがあり、中央に巨大なテーブルと十脚以上の椅子。そこから少し離れたところにソファが置いてあり、ゆったりとくつろげるようになっていた。
「二人にはちょっと広いけど、いつも使ってるからここでお願い。俺のパートナーもここじゃないと入らないしね」
そういえば、彼のパートナーを見ていない。
「○○○のパートナーはどこにいるの? やっぱ竜ともなると、なかなか外に連れ出せないもんなのかな」
「もうちょっとで来るよ。少し用事があってさ。まあ座ってよ」
促され、入口から見て巨大なテーブルの奥に座った。足元にパートナーがうすくまる。○○○はその対角線の席についた。
「料理はおすすめがあるんだけど、それでいい?」
頷いた。おそらく、どんなものでも口に合うだろう。
それより大事なのは、疑問点の解消だ。
このままぐだぐだやっても仕方がない、と率直に切り出すことにした。
「私のこと、どこで知ったの?」
「たまたまさ。ここらへん学校に近いからね。何度かここらへん通ったとき、みかけてあれ? と思ってたんだ。それで少し調べたら、名前を変えて雑貨屋で働いてるっていうじゃないか。気になってね、あの後どうなったか」
「それは私も聞きたかった。私のパートナーがキメラだってこと、知ってるよね? あのおじさんからはなんて説明されたの?」
○○○は少し眉を寄せて答えた。
「キメラだから隔離しないといけないって。このことを言っちゃいけないって」
「それだけ?」
○○○はちらっと壁に視線を寄せた。×××もそれにつられてそちらを見ると、そこには壁時計がかかっていた。それも何やら品のよさそうな代物だった。
「君は今日から竜使いだよねって。だから相応の特権と地位を引き換えに、義務と秘密を身に納める必要があるよね、って」
「だから従った?」
「それだけじゃない」
なにやら空気が冷えてきた。○○○の顔が、序々に硬質のものに変わってきたからかもしれない。傍らに寄り添うキメラの毛が逆立っている。赤い目からは炎が揺らぎだしていた。
「僕を紹介してくれたんだ。ある組織に。そこは国に連なる、栄誉ある仕事をたくさん承っているんだけど、常に人手不足なんだ。優秀な人材が足りないせいだって。その優秀な人材が集う組織に、僕も入らないかって誘われたんだ」
「それで、どうしたの?」
「受けるしかないじゃないか。僕みたいな孤児でも、そんな立派な仕事ができるっていうんだ」
「あなた、竜使いだよね? そんな危ない橋渡らなくても、十分いい地位に付けるんじゃ」
○○○は首を振った。口元がなにか忌まわしいもので歪む。
「ダメなんだ。今の学校に入って分かったよ。竜使いだから偉いんじゃなくって、貴族の家に生まれた竜使いだから偉いんだよ。僕が入れたのは組織のおかげで、個人だと全くダメみたいなんだ。
同じクラスにいるんだ。縁もなにもなくって、竜使いになったから入学したやつが。そいつ、みんなからいじめられてるよ。後ろだてがないから、みんな好きにいじめられるんだ。学校に来てるのが不思議なくらいだよ」
○○○の顔が、歪んでいた。
×××は背中に冷たいものが垂れたのがわかった。これは、あの施設で出会った中でも、最も気味の悪いものと同種だと感じた。
そこで、ばん、とドアが開いた。何か大きな影がいる。
「ただ、組織にいるにもちゃんと仕事を果たさないといけない。特に、功績を残さなくちゃいけないんだ。特に、僕しか知らない情報源で、僕一人で動いて、危ないやつを僕一人で捕まえたりするといいんだ」
影が動いた。座った○○○の何倍も大きな背丈で、鱗の生えた身体をのしのしと動かし、近付いてくる。
証明に照らし出されて現れた姿は、竜。
○○○は言った。
「だからさ、僕のポイントになってよ。キメラ使いの逃亡者さん」
「どうして、私を捕まえるとポイントになる?」
×××は質問を飛ばした。幼なじみの自分に、とは言わない。会話が続かないからだ。会話が途切れた瞬間、自分は襲われる。
幸い、答えてくれた。
「君が逃げ出したからさ。キメラは普通、閉じ込められたまま一生を終える。なのにどうして外にいるんだ? 逃げ出したからでしょ」
「逃げだした、と聞いたわけじゃないの? その組織から」
「違うよ。僕がたまたま君がキメラ使いであることを知っていて、探し当てたからさ」
「組織に報告は?」
「しないよ。僕一人で済ませたほうがポイント高いでしょ。調べたけど、組織は君を察知していないみたいだし。組織も知らないお尋ね者を僕が一人で見つけるなんて、大手柄だと思わないか?」
幸運が重なる。こいつは馬鹿だ。紛うことなき馬鹿者だ。
こいつを消せば×××は助かると、分かった。
だが、相手は竜使い。できるか?
自分のバイブルとなっている小説を思い出す。いくつものキメラを殺した竜。殺すに際し、ほとんどてこずった話はなかった。それほど特別な力を持つのが竜だ。
登場したキメラは成すすべなく押しつぶされたものばかりだ。
――どうするか。
迷っていると、突然○○○が笑いだした。どうした?
「そんなにびびらなくていいよ。漏らすなら上からじゃなくって下からでしょ。よだれ垂らすなんて汚いね」
言われて、手を伸ばす。顎のあたりからぼたぼたとよだれが垂れてきていた。
これは、どういうことだろうか?
否。
理解はすぐに終わった。
例のファンタジー小説を思い浮かべた。
まるで意味はなかった。落ち着くどころか、逆に目前の竜に対する関心が増していく。
「じゃあ、もう終わろうか。叩き潰しても、君たちがキメラだってわかるよね?」
○○○が一歩引いた。竜が机を挟んでそびえ立つ。
×××は思った。
なんて美味しそうなんだ。
つばを飲み込んだところで、足元の白い子犬が変体しだした。見ずともわかった。五感を使わずわかった。私達は二つで一つのキメラなのだから。
巨大化する。真っ赤に燃え盛る。尾が伸びる。羽が生える。
どれも×××は感じ取った。まるで自分の身体がそうなったように。
目の前の竜を見た。
飛びかかった。
ばりばりぐちゃぐちゃごくごく。
ああ、美味しい。少し焦げた表面も、噛みちぎるたびに顎が外れそうになる肉も、蕩けそうなほどに熱い血液も、なにもかもが美味しい。久しぶりの食事は、最高だった。
ああ、なんて美味しいんだ。竜はこんなにも美味しいモノだったのか。いままで知らなかったことは罪だと思った。
もうやめられない。やめるつもりもない。
こんなにおいしいものはそうはない。これほど良いものはない。
キメラも全身を真っ赤に染め、皮膚でも味わうかのように竜の臓腑にもぐっている。
絶対にやめられない。
決めた。パートナーを、特に竜を狙って食す。法を犯し、警察に追われる身になってもかまわない。
それにしても。
この肉の堅さはどうにかならないのか。顎が痛い。
もっと柔らかい肉がいい。次は柔らかそうなやつを狙おう。
柔らかい肉、というと若い肉だろうか。
これより若い肉というと、数えるほどしかない。中学一年から高校二年までの五年間。パートナーで言えば、生後五年以内か。
それを喰らう、それもたくさん。
どうすればいいか。
ただ狙うのもいいが、やはり竜がいいのだが、そうなると難しくなる。竜といえば貴族達ばかりから生まれ、警護のものもつく。それ以外を狙うとなると、各地を転々としなければならない。それもいいが、よそものに対する視線は厳しいものがあるし、そうなると警察に捕まる可能性が高くなる。それはできるだけ避けたい。まだたくさん食べたい。
何かないか。
そうだ。
学校の先生なんてどうだろう。
生徒達の近くにいれば、よりどりみどり、それなりに転勤もある。ベストだ。
学校の先生になろう。
そのためには、大学に行かないとならない。まあなんとかなるだろう。高校を経ずとも大学に行く方法はある。
とりあえず、この場をどうにかすればいいか。
食べ終えた後、何もかも焼き尽くせばいい。
その前に、この竜をたいらげよう。
ああ、なんて美味しいんだろう。




