0-1 パートナーと竜
ファンタジーとは書かせていただきましたが、あまり雰囲気はないです。初投稿ということもあり、多々拙い部分が見受けられると思いますが、ご了承いただけたら幸いです。
序章
――五年前
夜の病院で怪談が生まれるのも当然だ、と水城歩は思った。
照明は消され、手元のランタンだけが照らすほの暗い廊下。人の生き血を浴びた数多の機器と、死という非日常を日常として過ごす人が猥雑に存在している。
廊下から枝分かれした無数の部屋では、大小を問わず、なんらかの疾患を持った患者が夜を共にし、少し奥に入ると死体がいくつも並んでいる。彼等の死の慟哭が刻まれている以上、墓よりも生の感情が残されているのはこちらだろう。
巨大な入れ物の中に、そういったものが詰め込まれている。生者と死者がカオスを描いているこの場に感じるものがない人は、どこかしか壊れているとしか思えない。
――などと偉そうなことを考えながら、内心びくつきながら歩は歩いていた。
自己陶酔と現実逃避でもしていないと、怖くて仕方がないからだ。かといって急いでこの場を離れようと走ると、余計に何か追い掛けてくる気がして、早足で歩くことしかできない。背中を軽く丸めて、びくびくしながら目的地までカウントダウンをしていくしかなかった。
歩はため息をついた。どうして十二歳の誕生日に、深夜の病院で心臓の鼓動を聞かないとならないのか。
もうほとんど罰ゲームだ。十二歳になったこの世界の人間は、皆こんな経験をしているのかと思うと、今まで馬鹿にしていた大人達を尊敬してしまいそうだ。
そうこう考えている内に、大きめの戸まで辿り着いた。戸を開け、目の前には渡り廊下が広がり、その先に目的の部屋がある。
夜の寒々しい風を感じつつ、早足で駆けこむ。風の音すらおどろおどろしく感じた。
入った先には、それぞれ独立した部屋に通じるドアが並んでいる。ドアの隙間から洩れる光を見て安堵しつつ、手前から数えて三つ目の部屋に入った。
「お、ちびらなかったかい? いや、ちびったからトイレ行ってたのか。パンツの替え、とってこようか?」
「うるせえクソババア」
迎えて第一声は、母親との心温まるやりとりだった。
肩にかかる位の黒髪を後ろで軽く縛っており、スーツと相まっていかにも活動的な印象を受ける。顔には、にやついた笑みを浮かべていた。
彼女の名前は、水城類。歩の母親だ。
「クソババアとは誰のこと? ここには可愛らしい女の子が二人とクソガキしかいないんだけど」
「何が女の子だ。一児の母がきもいんだよ。三十過ぎればババアで十分だ」
「あら、年齢なんてのは目安に過ぎないのに、見た目でしか事を測れないなんて。お姉さん悲しいわ。そんなガキに育てた覚えはない!」
「母親が女の子とか言ってんの流すほうが子供としては悲しいわ! 言ってて悲しくなんねえのか?」
「全然。十代の子にナンパされる内は立派な女の子でしょ」
確かにクソババアの見た目はお化けの類だ。一緒に歩いていると、類のことを知らない友人から、どうやってこんなお姉さん捕まえた云々聞かれるのが定番化してしまっている。
だからといってクソババアはクソババアなのだが。
「年甲斐もねえな。それに十代の『子』って完全にババア目線じゃねえか」
「あら、そりゃ年季が違うからね。いい年のとり方をすると、女の子といい大人の両立はできるもんよ? 覚えておきなさい」
「あの、もうそろそろ、やめた方が……」
声のほうを向くと、そこには歩と同年代の、正真正銘の女の子がいた。
うつむきがちにこちらを覗っている彼女の名前は、能美みゆきというらしい。
昨日、いきなり紹介された。なんでもこれから類が彼女の親代わりになるらしく、仲良くするようにと言われてから二十四時間もたっていない。
長い黒髪は艶やかで、怯えた様子には似つかわしくないきりっとした眉が美しい。その下の瞳は薄めの茶色なのだが、左目はどこか灰色がかって見えた。
その華奢な両手には、大事そうに『卵』が抱えられている。
「あら、怖がらせちゃったか。ごめんね、うちのガキ、しつけがなってなくて」
「みゆきさんがなんで怖がってるかわかってるか?」
「あんたが引けばいいのよ」
「あの、私までお邪魔しちゃってよかったんですか? 私いないほうが……」
「そんなことないよ。馬鹿息子と誕生日が同じってのもなんかの縁だしね。これから仲良くしてやって」
「こんなクソババアと二人きりよりだいぶマシだから」
みゆきの怯える様子に、歩も声をかけずにはいられなかったのだが、なんとなく気恥ずかしい。
「こんな口の悪い息子だけど、よろしくね。それにしても誰に似たのかしらね」
お前だ、とは思ったが、話しを混ぜ返すのもどうかと思いどまる。
こちらを一向に見ないみゆきにドギマギしていると、すねのあたりに何か柔らかいものが纏わりつく感触がした。
視線を下げて確認すると、白猫が身体をすりつけていた。甘えるような動作で、愛らしいことこの上ない。
「どうした、クソババアになんかされたか?」
「ひどいな。流石の私も『パートナー』にはしないって。なあミル」
ミルと呼ばれた猫はにゃーんと鳴いた。どこか品のいい声音は、この場では異質だ。
「どうしてこんな落差あるかな。片や口うるさいババア、片や洗練された美しい猫。『パートナー』とこんな差があるもんかね」
「それを今日あんたは知るんでしょ。さっさと済ませてくれないかね、仕事たまってるのに」
「俺にはどうしようもないんでね。っていうか、十二歳の誕生日に『パートナー』が孵るっていうのは良いけどさ、二十四時間も誤差あるのはなんでかねー」
歩はちらりと視線を移した。
そこにあったのは、歩の『卵』だ。みゆきのものと何も違いがなく見える。表面はなめらかで、傷一つない。歩が生まれた時から傍に置いていた割に、まるで傷ついていないのは、いつ見ても不思議だ。
「早く孵って欲しいね。ようやく解放されるかと思うと、嬉しくて仕方がない。持ち歩いてないと、こっちの気分が悪くなるってどんな呪いの品だよって感じだったからな」
「不埒なやつめ。そんなこと言ってるとキメラ出ちゃうぞ」
「それは怖い。できれば竜がいいなー」
「選り好みするなんて、ほんとにキメラ出ても知らないよ? 罰あたりめ」
「あ、あの」
突然、みゆきが話に入ってきた。こころなしか先ほどよりも顔色が青ざめている気がする。
「キメラって、その、良くないんですか?」
すこしためらってはいたが、質問内容ははっきりしている。どうもパートナーに関しては興味が躊躇に勝るようだ。
類が笑いながら言った。
「生まれる前から色々考えるのも、まあ不埒なことなんだけどね。ただ、キメラは特殊な能力持っちゃってるから」
「どんなですか?」
「他の人の『パートナー』を食べて、その能力を手に入れられる、っていう能力。狙った能力、例えば翼だったり、牙だったり、炎吐く能力だったりを自由に取れるわけじゃないけど、それでも忌避されるものではあるから」
「なるほど」
みゆきの顔が心なしか青くなっているように見える。嫌な想像が頭の中を駆け巡っているのだろう。
それを見て、歩が笑って付けくわえた。
「まあ竜になる可能性だってあるんだし。考えても仕方がないよ」
「あっ」
水をすくうように両手を前に差し出していたその上の『卵』がぴくり、と動いた。
すぐにヒビが卵の表面に入り乱れる。時折揺れ、そのたびにヒビがひろがってゆく。
「時間ね」
みゆきが彼女に近寄って行った。
「そのまま焦らず待って。ゆっくり出てくるから、何もしなくていいよ」
みゆきはこくりと頷くと、微動だにしなくなった。
卵は少しずつヒビを広げていき、小気味良い音を立てながら細かな破片がこぼれていった。
教室の中にいる人間は固唾を呑んで見守っている。歩も、類も、みゆきも全く口を開かず、ヒビが割れる音だけが聞こえてくる。
一分とかからずヒビが卵全体にまんべんなく行き渡ったところで、しばし動きが止まった。何か問題が起きたのかと不安がよぎりはじめた矢先、急にヒビから光が漏れ始めた。
それが合図だったかのように、一気に卵が崩れた。
「っ」
反射的に光を手で遮ったが、目がくらんでしまっていた。
ようやく視界が戻ったとき、みゆきの掌には卵がなくなっていた。
代わりに、『パートナー』がいた。
「あっ」
「精霊系かな? 綺麗なパートナーだね~」
驚きに目を見張るみゆきに、類が声をかけていた。
みゆきの『パートナー』は、重力を失った水のような姿だった。無色透明で不純物が一切なく、奥が綺麗に透けて見える。掌の上で踊るように形を変えていくのが、幻想的で美しかった。
ひととおりぐねぐねとくねらせた後、序々に形が定まり始める。完成した形は、小柄な人そのものだ。人間ほどはっきりしたものではなく、輪郭は絶えず変化していたが、それは間違いなく人型だった。頭から髪が伸び、耳の辺りが気泡とともにぽこんと浮きあがるのが見えた。
最後に顔の部分が出てきた。鼻が伸び、口がへこみ、瞳のない目ができる。どことなくみゆきに似ていた。
歩は綺麗なパートナーだと思った。みゆきに似た造詣も、まじりけない透明な質感も、ただただ綺麗だ。
興奮した様子のみゆきに、類が声をかけた。
「いい感じのパートナーだね、おめでとう。そしてハッピーバースデイ」
「ありがとうございます」
みゆきは軽く頬を上気させていた。類への感謝の言葉も、いつもよりこころなしか感情がこもっているように見える。
歩は、ふと自分の卵を見てみた。部屋の中央に置かれた机の上に、ぽつんと置かれた鶏のものより少し大きな卵。自分の脳みそが完成する前の段階から手に掴んでいた代物。
みゆきの嬉しそうな顔を見ていると、急に自分の卵が愛おしくなった。いつ生まれるか分からないからと、これまで二十時間近くじっと待っていたため、存外に扱っていた自分が恥ずかしい。
ゆっくり近付き、丁寧に掌で包む。
顔の近くまで持ち上げてから、卵の表面を軽く指で撫でた。一切ヒビはなく、中から返ってくる反応もなかった。
反応の無さに少し落胆し、卵への注意が薄くなった瞬間、目の端に母親の顔が映った。母親は意地悪そうににやにやしている。
「現金だな~みゆきちゃんのが孵る姿見て、急に愛おしくなったって感じかな? いや~見え見えすぎてお姉さん恥ずかしくなっちゃうわ~」
頬が急激に熱くなるのを感じた。
「うるせえよ、だれがお姉さんだ。三十も半ばを過ぎたおばさんが何言ってんだよ」
「残念ながら見た目若いからさ」
「あら、生まれましたか?」
そう言い、入ってきたのは、見知らぬ二十代と思しき女性だった。白衣を着ていることから、おそらく病院の人だろう。
「はい、おかげさまで」
「それなら、書類に記入していただいていいですか?」
類が近付いて行き、なにやら書類を受け取った。
その時。
手のひらに、振動が伝わってきた。
離しかけていた手を戻し、大事なものをつかむように両手で抱える。
「どした? 始まった?」
母親の言葉もどこか遠くに聞こえた。
こつこつと殻が叩かれるのがわかる。初めは些細な力で、肌で触れていないとわからない程度だったのが、序々に力強くなっていき、卵を揺らし始めた。
ぴしりとヒビが入った。
「おっ」
「歩、動くなよ」
言われるまでもなかった。掌に全神経が集中していて、瞬きひとつ自由にできる気がしない。
先ほどのみゆきの時のように、ヒビが序々に徐々に広がっていく先を想像したが、そこから一気に卵の全体にヒビが走った。
「大丈夫、落ち着いて。別におかしいことじゃないから、落ち着いて」
卵の変化はなおも加速した。
あっという間に光り出す。
息を呑む暇もなく、部屋を光が包んだ。
目を閉じる反射が遅れたのか、目の端に鈍い痛みが走る。
光がやんだのがまぶた越しに伝わってくる光でわかったが、すぐには目を開けられなかった。
十秒程度たつと痛みもようやくおさまりはじめる。
心臓の音を聞きながら、思いきって目を開いた。
まだ視界は戻っていなかった、目の前にいるはずのパートナーの姿が、あやふやにしか写らない。生殺しに、少しいらだちを覚えた。
仕方なく思考に集中すると、すぐに疑問が生まれた。
母親達の反応がないのだ。歩と同じく強烈な光に目をやられたのかとも思ったが、歩よりも距離が遠く、全員が全員目をつぶされたとは考えにくい。
だというのに反応がないのはどうしてか。口に出せないほどひどい姿なのだろうか。
しかし、まだ見えない。怖くて周りに聞くこともできない。
ただただ焦燥感だけが増していく。
視界がようやく像を結び始めたころ、
声が聞こえてきた。
渋く、深い、威厳のある声だ。
「視界が戻らぬか」
その発言の後、すっと視界の靄が消えていった。急激に目の焦点が結び始める。
「我が生まれたことで貴公の身体は進化し始めた。視界の回復も速くなろう」
大雑把な輪郭が見え始めた。尖った口、やや前傾姿勢ながら二つの足で手のひらに立っているようだ。身体にしては大きな足に、ちょこんと前に出た腕。
そして……翼。
ばさりという音とともに手のひらの感触が消え失せ、代わりに軽く風が流れてきた。
それは上昇し、歩の顔と水平位の位置まで飛び上がった。
このときに、視界は完全に戻った。
「竜……」
みゆきのつぶやきが聞こえてきた。
続いたのは、先程の渋い声。
「我は竜である。それもただの竜ではない。言語を操り他を圧倒する能力を持つ、竜の中の竜だ。そして貴公のパートナーである」
一角獣のような額の上から真っ直ぐ伸びた角の下に、大きな目があった。
透き通るようでいて深い緑の瞳と、黒真珠のような艶のある体が競うように強調し合い、それでいて協調のとれた姿。
翼をはためかせ、空中で静止しているその姿は、卵のときとさほど変わらない大きさだったが、雰囲気を持っていた。
『強者』の持つ、絶対的な雰囲気。
竜が言った。
「貴公と命を共にし、生を分かち合い、力を高め合う。我がこの世に誕生したこの瞬間、貴公との契約が成立した」
歩の喉が鳴った。
インテリジェンスドラゴン。人語を自在に操る、竜の中でも最も格式の高い存在。人語をしゃべることのできるパートナーなど、竜以外のものも含めても、インテリジェンスドラゴンだけだ。
余りにも予想外な僥倖に何も言えないでいると、竜の雰囲気が柔らかいものに変わったのに気付いた。
続いて響いてきた声も、幾分砕けたものだ。
「ハッピーバースデイ」
歩の頬が咄嗟に歪んだ。現れたのは、すこしばかり意地のわるそうな笑顔だろうか。
「ハッピーバースデイ」
――十五年前(歩の竜誕生から数えて十年前)
「おめでとう!」
「ありがと」
×××は、○○○のパートナーの誕生を祝福した。○○○は全身で喜びを表しており、×××も人ごとながら嬉しく思った。○○○とは同じ施設で暮らしており、友人と家族の間のような関係で、○○○の喜ぶ姿を見ると×××も嬉しくなる。
今二人が一緒にいるのは、来たことのない病院。誕生日が同じ日だからで、十二歳の儀式を一緒に迎えている。
それにしても――驚いた。
「竜なんてすごいね」
「へへへへ」
友人のパートナーは竜だ。いわゆる宝くじに当たった感覚だろう。黄褐色の鱗に包まれた細長い竜は、○○○の手のひらで穏やかに身を伏せている。大きめの翼はおさまりきらず、手のひらから外れて、だらりと垂れさせられていた。
×××は正直羨ましく思った。パートナーが竜である人、竜使いともなれば後の人生は約束されたようなものだからだ。
ふと、自分の卵を見る。
全く動きは見えない。
「○○○君、おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
知らない大人の人がやってきて○○○に声をかけた。病院の人らしく、書類やらなにやらの記入を進めてきた。
「それにしても、竜とはね。すごいな」
「ありがとうございます」
本当に――うらやましい。手のひらにおさまるほどの竜を見て、そう思った。
再び、自分の卵に視線を移すと、既にヒビが入っていた。
孵るのだ。
慌てて近寄り、両手で包むようにして持ち上げた。
「お、君もか」
病院の人が興味深げに覗いてきた。
卵のヒビはすぐに広まっていく。ものの数秒で――生まれた。
「これは」
「おやおや」
炎に燃えるたてがみに、獅子の勇壮な顔。身体もライオンのものだが、ところどころに鱗も見える。尻尾はヘビとなっており、尾の端には蛇の下が覗いていた。
その姿は、今日まで思い描いてきた中でも最悪を想定したものと、余りにも似通っていた。それは多種多様な姿を持つパートナーの中でも、特に様々な姿を持っていると聞く。それが確実にそうだ、という証拠はない。
しかし。
しかし、余りにもテンプレートな姿だ。
この雑多なパートナーは。
「キメラだね」
最も忌避されるものだ。他のパートナーを糧に成長する、忌まわしいパートナー。
よりにもよってこれとは……
絶望感が押し寄せてくる。
うなだれていると、肩に手を置かれた。
「そんな肩を落とさなくていいよ。大丈夫、全部おじさんにまかせなさい」
病院の人の声がいやに優しい。声はすぐ後ろから発せられている。
「さあ、眠りなさい」
いきなり口に何かを当てられた。息が苦しくなり、必死であがくが、大人の力には叶うわけもない。
よくわからないまま、意識は消え失せた。