執着
レオナは崩れたつ教皇軍の中を抜い、一路教皇のいた天幕を目指した。
「サイクス!」
レオナは馬上で伸び上がり、遠くを逃げゆく一際目を引く派手な輿を見やり、側近の名を叫んだ。
「はっ!」
すぐにサイクスがレオナのそばに馬を寄せた。
「あれが見える?」
レオナの問いにサイクスは遠くを逃げゆく輿を見つけ目を見開いた。
「あれは!」
「落ち着いて。」
レオナは部下に号令をかけようとしたサイクスを手で制した。
「あれは違う、囮よ…」
「では彼奴はどこに…」
「……」
レオナは大きく息を吐き出した。
<…考えるんだ…教皇ならどうする…>
同じ頃…
乱軍の中、ルイは次第に焦りを隠しきれずにいた。
戦意を失いつつある教皇軍の最後の力を振り絞った抵抗もさることながら、依然教皇発見の知らせが来ないことがじわじわと彼の心を締め上げていた。
「まさかもう戦場を…」
横にいたキーナがつぶやきかけ、慌てて口をつぐんだ。
この戦いで仮に教皇を取り逃がした場合、依然大きな災いの火種がくすぶり続けることになる。
敢えて教皇軍を包囲殲滅という非情な決断を下したルイの心を思うとキーナも居ても立っても居られない気持ちだった。
「第5天魔軍が敵軍本営に突入!」
「第5天魔王シャロン様が敵将トーレスを成敗!」
「不死騎団が敗走兵の退路に展開中!」
次々と伝令が戦況を知らせてくるが、ルイの愁眉は晴れないままだった。
「どこにいるんだ…」
ルイは戦場を見やった。
「あれは……?」
遠目の聞くキーナが遠方を指差した。
「兵士やないやつが逃げとる…」
「従軍の神官や司祭たちですね…まだ子供もいる…」
ルイは小さく息を吐き出した。
「非戦闘員については、全員捕縛でシャロンにお願いしてます。そこに教皇が紛れていてもわかるはずなんですが…」
<…まさか…>
ルイは目を見開いた。
<…生の執着を甘く見た…?>
「マリア!」
ルイは後ろを振り返り叫んだ。
「シャロンに伝令を!」
「……!」
いつもであればすぐに返事をするマリアが返事をしなかったので、ルイは訝しげに赤い目の少女を見やった。
「マリア…?」
マリアの手にはレオナの伝令からの知らせが握られていた。
「シャ…シャロン様が…」
「え……?」
キーン!!
知らせを書いた羊皮紙とともにくるまれていた短剣が不愉快な響きとともにしたに落ちた…
その柄には禍々しい蛇の紋章がかたどられていた。
その頃……
最前線に設営されたミルディア軍の陣営の一角に簡易的に据え付けられた負傷兵収容の天幕がある。
大陸の中でも医療の発展したミルディアでは、他国に類を見ない衛生兵という部隊が存在する。
実のところこの部隊はリチャードの直轄部隊として、常に戦況に応じて最前線にまで移動しそこで負傷兵の治療を行う。
今回も第5天魔軍が占拠した最前線に移動した衛生兵部隊の隊員であるハミル・ソブリンは、必死に負傷兵の介護に当たっていた。
「よし……」
傷口の消毒、縫合を終えハミルは大きく伸びをした。
「少し外の空気を吸ってくる…」
同僚にそう告げると、ハミルはむせかえるような戦場の熱気がこもる天幕を出た。
「しかしすごい戦いだったな…」
ハミルはつぶやいた。今回の指揮をとったのは第1天魔王のルイ王子という事実は長年軍に所属していた彼すらまだ信じられない思いだった。
「ん……?」
ハミルは人の気配に気づき、身をかがめて様子を伺った。
1人の兵士がよろめきながら歩いてくる。
ミルディア軍の鎧をきており、すでに治療が終わったのか顔の大半を覆う形で包帯が巻いてある。
「おい!」
ハミルの声によほど驚いたのか、その兵士はその場で倒れこんだ。
「大丈夫か?」
ハミルは慌てて兵士に駆け寄り助け起こした。
「…………」
兵士は喉元を指差しかすれた声を出した。
「喉をやられて話せないんだな?」
ハミルの言葉に兵士は頷いた。
「あまりまだ出歩くな?歩けるみたいだから経過は良さそうだが…」
「………」
「あと鎧を脱いでおけよ?そもそも大きすぎだぞ?」
ハミルの言葉に兵士は頷き、そのまま歩き去って行った。
<…それにしても誰が治療したか知らんが、下手な包帯の巻き方だったな…>
「ハミル!」
ハミルの思考は、天幕から飛び出してきた同僚によって打ち消された。
「大変だ!第5天魔王様が!」
ハミルと別れた兵士はよろよろとミルディア軍の陣営を歩いていた。
「…………」
ある天幕を見つけ兵士は中に入り、そこにあった水桶からガブガブと水を飲んだ。
ゼェゼェと喘ぎながら、兵士は呪詛に満ちた声で呟いた。
「死ねぬ…このままでは…」
震える指を口元に運び、兵士はせわしく爪を噛みながら何度も何度もつぶやき続けていた……