暗転
「貴様らさえくだらぬことをしなければ...」
トーレスは血走った目でシャロンを睨みつけた。
「俺は教皇に次ぐ地位を手に入れられた!それを...!」
トーレスの槍の穂先が凄まじいまで勢いでシャロンの喉元をめがけて突き出された。
ギィイン!
火花を散らしながらトーレスの槍はシャロンの長剣を滑り大きく横にそれた。
トーレスの剛腕を受け流したシャロンは鮮やかに身を翻し、長剣をトーレスの首めがけて走らせたが、これもすんでのところでトーレスがかわした。
<...強い...>
シャロンは長剣を握り直した。
トーレスの一撃を受け流したその手にはかなりの痺れが残っている。
それほどまでに強烈な一撃だった。
<...まともに受けると剣が折れそう...>
シャロンは剣先だらりとさげた。
一見無防備かのように見えるこの構えは実はもっともシャロンが得意とするものである。相手の打ち込みを誘い、それを類稀な反射神経でかわしそのまま体勢を崩した相手の胴めがけて斬撃を打ち込む。
体躯で劣る彼女が編み出した一騎打ちでの必殺の構えである、
トーレスも何かを感じたのか攻撃に出ず、両者のにらみ合いが続いた。
永遠とも思われたその硬直状態を先に破ったのはシャロンだった。
「....,」
突如シャロンが剣先を下げたまま無造作に間合いを詰めた。
トーレスの槍が唸りをあげて第一撃目を上回る速さでシャロンの喉元に襲いかかった。
「……!!」
シャロンの肩から血しぶきがあがった。
かわしきれずに槍の穂先が彼女の肩を切り裂いたのだ。
シャロンはそれにも構わず馬腹を蹴り、一気にトーレスの懐まで潜り込んだ。
「うぉ!」
次の瞬間槍を掴んだトーレスの腕が宙を舞った。
「貴様ぁ!!」
片腕を切断されながらもトーレスはもう片方の腕で剣を抜こうとした。
だが抵抗はそこまでだった。
シャロンの剣が鮮やかに舞い、トーレスの首を跳ね飛ばした。
「お前が殺した人たちの報いにしては苦しみが一瞬だったな…」
シャロンは顔をしかめた。
肩の傷は深くはないが意外と出血が多い。
「シャロン様!」
側近がシャロンの出血に気がつき慌てて駆け寄った。
「一度本営まで戻りましょう!手当をしなくては!」
「……」
シャロンは戦況を見やった。
トーレスを討ち取ったことで周りの神聖騎士団も完全に烏合の衆と化している。
さらに正面からはカイン率いる不死騎団とルイ、キーナが率いる第六天魔軍、側面からはカイゼルの第二天魔軍が退路を絶つ方向で展開している。
<...教皇はどこに逃げたのだろう...>
この乱戦の中あのような輿で逃げるのは限りなく不可能に近いはず。
にも関わらずまだ教皇を捕縛したとか討ち取ったという情報が来ていない...
シャロンは首を振った。
出血のせいか意識が朦朧とし始め、考えがまとまらなかった。
「私はあの天幕で止血するわ。引き続き教皇を探すように皆に伝えて?」
側近にそう告げるとシャロンは教皇が使っていた天幕の中に入った。
「ち....」
シャロンは鎧の肩当てを外した。
思いのほか傷は広範囲に広がっており、深くないにも関わらず出血がひどいのはそのせいだった。
シャロンは椅子に腰掛け自分で傷口を縫い始めた。
戦場での怪我をいかに早く処置するか…それが優秀な将が持つ冷静さである。
「……!!」
不意にシャロンは背後に人の気配を感じ、飛びすさった。
同時に抜き身の剣を構えた。
「お…お見逃しを!」
転がり出て来たのは法衣をまとった中年の男だった。
「わ…私めは教皇様に仕える神官にございます親征に同行せねば家族を異端審問にかけると脅されやむを得ず来ただけなのです!どうか家族に生きて会わせてくださいませ!」
地面に額を擦り付け懇願する男に、シャロンは剣をつきつけた。
「貴様らの侵略のせいで我らの兵の中にも大勢生きて家族に会えぬものがいる。そんな命乞いが通るとでも思っているのか?」
シャロンの殺気に男は震えながら助命嘆願を繰り返すばかりだった。
<...こいつを殺しても無駄か...今は一刻も早く教皇を見つけなくては...>
シャロンは剣を下ろした。
「貴様を殺さないのはルイ・アルトワの慈悲だと思え?」
シャロンはため息をつき、男に背中をむけた。
前の自分なら迷いなくこの男を殺していた....
<...ルイならそうはしないだろうな。この私が影響されるなんてね...>
「有難うございます!有難うございます!」
男はそう叫びながらシャロンに取りすがった。
「!!」
次の瞬間シャロンは背中に灼けつくような痛みを感じた。
「き...貴様...」
シャロンはよろめきながら男を突き飛ばした。
背中に深々と突き刺さった短剣...
<...しまった...油断した....>
シャロンは天幕のテーブルに寄り掛かり喘いだ。
「汚らわしい異教徒めが...」
男は血走った目をシャロンに向け、呪詛のこもった声でそう吐き捨てると天幕を出て行った。
シャロンは背中に手を回し短剣を引き抜いた。
「ルイ....」
背中がみるみる血でぐっしょり濡れていくのを感じながらシャロンはその場に崩れ落ちた。
キーン....
乾いた音を立て短剣がシャロンの顔の前に転がった。
その柄にはゼメキス教最高位を示す蛇の紋章が、かたどられていた。
<...あいつが....教皇...>
薄れゆく意識の中シャロンの脳裏に浮かんだのはルイの悲しげな顔だった。
「ごめんね…」
シャロンはかすれた声でつぶやき目を閉じた…