守るべきもの
目の前に累々と横たわる死体の山・・・
すべて忌まわしき存在の異教徒たち・・・
『俺たちにも家族がいたんだ・・・』
死体の一体が目を開けて恨めしげにつぶやく。
『お前たちのせいで俺たちは死んだ・・・』
『俺たちが一体何をした・・・』
次々と死体たちの恨みの声が響く・・・
「・・・・・!!」
レオナ・アークスは声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。
「・・・・・」
レオナはため息をついた。
ここはもうミルディア軍の天幕ではなく、自軍の天幕。
レオナは寝台から降りるとグラスに水を並々と注ぎ一気に飲み干した。
一体自分がしてきたことはなんだったのか・・・
武器を振るい、異教徒たちを次々と殺してきた。
その肉を裂く感触、血の臭いまでが生々しく蘇りレオナは呻いた・・・
あの男・・・
異教徒の頭目であるルイ・アルトワの目には教皇がいう邪心や穢れなど全くなかった。
いや、自分が殺してきた異教徒たちにもそもそも・・・
レオナは枕元にあるゼメキア教の経典を握り締めた。
ここに書いてある一字一句をすべて暗誦することだってできる・・・
だが自分はこの意味を理解していたのか・・・・?
『僕を見てください。あなたと同じ人間です・・・』
ルイの声が脳裏に蘇り、グラスを握るレオナの手に力が入った。
パリン・・・!
鋭い音を立てガラスが手の中で弾けた。
ガラスの破片で切れた手の中から血が滴りおちるのにもかまわずレオナは宙を見つめていた。
同じ頃・・・
「なぜじゃ!?」
甲高い声が天幕の中に響き渡る。
カイン・アークスは苦々しげに教皇イカロスをみやった。
「なぜレオナはすぐに出撃せぬ!?」
「落ち着いてください・・・敵の捕虜状態からようやく抜け出したのです。まだしばし戦場は控えさせるべき・・・」
「ならばそなたが出撃せよ!レオナの失態でわが軍の士気は・・・」
「失態??」
カインの目が鋭くイカロスを見据えた。
「敵の天魔王の一人を討ち、一人を生け捕りにしたことでレオナは味方の士気を大きく上げました。元はといえば直属軍への兵糧部隊の一件でわが軍の士気が下がったことをお忘れか?」
「・・・・・!」
イカロスのこめかみに青筋が浮き上がる。
「言葉をつつしめ、カインよ・・・我は神の地上の代行者ぞ?」
「・・・・・」
カインの側近たちがイカロスの言葉に身を硬くするのを見てカインはため息をついた。
「わかりました・・・」
カインは静かに立ち上がった。
その全身に満ちる気迫にイカロスは思わずわずかに後ずさった。
「レオナが敗れたことで士気が落ちたのも事実・・・仰せの通り出陣いたしましょう・・・」
カインはじろりとイカロスを見やった。
「ただし・・・・」
「ただし・・・?」
「猊下にもいずれ出陣願わねばなりますまい?神の地上の代行者自ら陣頭に立たれればわが軍の士気も上がろうというもの・・・」
「な・・・・」
絶句したイカロスを残しカインは天幕を出て行った。
ゼメキア軍の中で目を引く一隊がある。
全身を黒の甲冑で固めた騎兵隊の一軍・・・カイン・アークス直属のこの部隊は『不死騎団』とも呼ばれ、その名の通り戦場での戦死率の異常なまでの低さから他国にも恐れられている。
今その不死騎団3万に出撃の合図の角笛が響き渡った。
「兄さん・・・・」
すでに馬上の人となり、凄まじい英気をみなぎらせたカインにレオナが声をかけた。
「案ずるな・・・お前は出撃しなくてもいい・・・」
カインは優しく妹に笑いかけた。
「気づき始めているはずだ・・・お前も」
「え・・・・?」
「この戦の無意味さ・・・・」
カインは遠くミルディア軍の方角を見やりすっと目を細めた。
「早くこの戦で優位に立ち、停戦の交渉をせねばならん・・・この戦いでミルディア軍を壊滅させられるかは五分五分・・・仮に成功したとしても痛手から立ち直るまで5年はかかる・・・・」
「兄さん・・・」
「お前の迷いは正しい・・・それをわからず同胞を戦死させ続ける教皇は神の代行者などではない・・・」
そう言うとカインは、黒いマントを翻し出撃の合図を下した。
その頃・・・・
ミルディア軍陣営で・・・・
第7天魔王マリアが跪いている。
「いよいよカイン・アークス率いる不死騎団が出撃する模様・・・」
「不死の軍団か・・・」
リチャードがため息と共につぶやいた。
先回の戦闘でレオナ・アークスの直属軍の強さは尋常ではなかった。だがカイン・アークスの直属兵はそれをも凌ぐ・・・
「思ったより早いですね・・・」
ルイはリチャードを見やった。
マリアの報告を聞いているのはリチャードとルイだけである。
「迎撃はシャロンの第5天魔軍の長槍部隊がよいな・・・あとカイゼルの第2天魔軍を遊軍として配置し状況に対応する・・・」
リチャードの言葉にルイが頷く。
「ただ・・・」
「ただ・・・?」
「あの二人を持ってしても・・・やっぱり僕が行かないとまたゴロアさんのような犠牲が・・・」
「うむ・・・・」
言葉を重ねようとしたリチャードだったが突然俯き、激しく咳き込み始めた。
「父上!?」
「リチャード様!」
駆け寄る二人をリチャードは手で制した。
その手に血がべっとりとついているのを見てルイは絶句した・・・
「そ・・・それは・・・」
「肺の病だそうだ・・・」
リチャードはマリアを見やって言った。
「マリアの見立てではもう長くは持たんそうだ・・・」
「な・・・・」
ルイはマリアを振り返った。
マリアが悲しげに赤い瞳を伏せる・・・
「こやつを責めるな?口止めをしたからな・・・」
「どうして・・・・」
リチャードは息子の言葉に優しく笑った。
「愚か者め・・・出陣前にこのことがわかったらいかがする?当然に混乱が起こる・・・その状態で国を守れると思うか?」
「・・・・・」
「これからはお前が国を守るのだ・・・ルイ・・・皆もお前の力に気がついておる。今のお前であれば皆がついてくるはずだ・・・」
「父上・・・・」
ルイは苦しげに俯いた。
「まだ・・・迷いがあるんです・・・」
「誰しも迷いはある・・・それをこの戦いで乗り越えるのだ・・・」
リチャードの言葉にルイは頷くと天幕を出て行った。
「マリア・・・・少し頼みがある・・・」
リチャードは目を閉じ椅子にもたれかかりながらつぶやいた・・・
地を揺るがし迫りくるゼメキア軍カイン・アークス率いる不死騎団の前に第5天魔軍が迎撃体制をとった。シャロン率いる第5天魔軍の中枢は長さ3.5メータルもある長槍部隊である。
「・・・・・構え!」
シャロンの号令の元、第5天魔軍が一斉に長槍を持ち上げ槍衾を作り突撃に備える。
騎兵隊相手の第5天魔軍の強さは定評があり、リチャードの布陣は問題ないかのように思われた。
しかしカイン率いる不死騎団が第5天魔軍に50歩の距離まで迫った時信じられない光景がシャロンの目に飛び込んだ。
不死騎団の騎兵たちが馬を疾駆させながら馬の横腹から取り出し構えたのは短槍だった。彼らは短槍を構えると至近距離から第5天魔軍の前衛目掛けて一斉に投げつけた。
「・・・・!」
これにはたまらず第5天魔軍の前衛の槍兵たちが次々と胸に短槍を突き立てられ、槍衾が一気に崩れたところを不死騎団が襲い掛かった。
「ち・・・」
指揮をとるシャロンの周りにまで一気に不死騎団が食い込んできた。
襲い掛かってくる兵の、一兵卒とも思えない油断ならない剣技にシャロンは震撼した。
すでに第5天魔軍の不利を見て遊軍の第2天魔軍が不死騎団の横合いから切り込んでいるが状況が一向に好転しない。
「く・・・・」
シャロンはリチャードの本営を見やった。ここを破られては一気に本営まで突入されてしまう・・!
あせるシャロンの前にカインが馬を躍らせた。
「天魔王の一人と見た・・・悪いが死んでもらうぞ?」
カインの凄まじい気迫を前にシャロンの背中に冷たい汗が流れた。
カインの長剣とシャロンの槍が火花を散らす・・・
10号ほど打ち合いを続けているが誰の目にもシャロンの劣勢が明らかだった。
そこへカイゼルが駆けつけ、シャロンと共にカインに打ちかかったが、カインは余裕を持って二人を相手にあしらうような素振りすら見せた。
「ぐぁ!」
まずカイゼルがカインの剣を受けきれず乗馬から吹き飛ばされた。
「カイゼル!」
カイゼルに止めを刺そうとしたカインにシャロンが乗馬ごとぶつかりかろうじて剣先をそらせたが、その結果カインの前に全く無防備となった。
「・・・・・!!」
その隙を見逃さず自分の首めがけてカインの斬撃が走るのをシャロンは見た・・・
<・・・やられる・・・・!>
死を悟った瞬間シャロンの脳裏に浮かんだのはルイの顔だった・・・・
<・・・・ごめんね・・・・>
次の瞬間・・・
キーン!!
シャロンの首ぎりぎりまで迫っていたカインの剣が音高く跳ね返された。
「来たか・・・・」
カインはわずかに口元に笑みを浮かべた。
「ルイ・アルトワ・・・・」
カインの前に立ちふさがったルイは静かにカインを見つめている。
「遅くなってごめん・・・不死騎団のあの攻撃は僕も予測できなかった・・・」
そういうとルイはシャロンに微笑みかけた。
「大丈夫・・・・僕が守ってあげる・・・君はカイゼルを連れてここから退くんだ・・・」
静かに剣を抜くとルイはリチャードに向き直った・・・・