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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
魔女の旅立ち
8/46

 白磁の町並みをサリュは駆けていた。

 全身を包む大外套を羽織っている。道行く人々が顔をしかめる程度にはその外見は目立っていたが、わざわざ声をかけて呼び止めるものはなかった。


 トマス中央に居を構えるのは裕福層であり、貴族や商家が中心となる。そうした家々では例外なく使用人の服装にも気を遣われる為、彼女のような身なりをした者はまず外からの迷い子であろうと考えられているのだった。

 実際には、彼女のような姿を見かけることがないわけではない。ただしそうした場合も時間帯は限られていた。朝夕に多くあるそれらの訪問者が、個人ではないという点でも今の少女とはあきらかに異なっている。


 周囲の奇異の視線をものともせずに、駆ける。大声で砂虎を呼ぶ声をあげたいところだが、さすがにそれでは人の目を引きすぎる。自らの立場についての自覚はあったから、彼女は衝動を殺し、懸命に走りながら道端の隅々へと目を凝らしていた。


 外に出たクアルが見つかったらどうなるか。間違いなく騒ぎになるだろう。そこには人が集まっているなりなんなりの騒動が起きているはずだ。街中を走っていれば、そうしたところにでくわすかもしれない。

 では、まだ見つかっていなかった場合には。その時は砂虎が物陰に隠れているという可能性が高い。少なくとも大通りに悠々と姿を見せて、いつまでも人の目に見つからないのは難しいだろう。


 大通りを駆けながら、砂虎が隠れられるだろう場所を彼女は探した。


 一件一件の屋敷がそれぞれ土地を広く扱い、遊びの空間にも恵まれた中央区の建築物群には、いわゆる路地裏と呼ばれるような箇所は多くない。一つの屋敷のなかにあるそうした隙間に紛れてしまっては探しようがないが、そうした場所には少女の身分では入り込めない。探索が不可能である以上、それに心を囚われていても仕方がなかった。極めて冷静に、彼女は自分にできることを選択していた。


 やがて、少女の足が止まったのは、中央区の外れ、裕福層と一般層を分け隔てるように立ち並んだ店棚の連なる通りである。市場だった。


 それなりの貴族や商家であれば、毎日の食料品や生活に費やされる細々としたどんなものの扱い、その仕入れにももちろんつきあいというものが存在する。契約を交わし、特別な受発注を経て直接運び込まれる為、家の者が露店に直接出向き、そこで自ら目利きをしながら買い物をするようなことは稀だった。

 しかし、店側としてもそうした大貴族、大商家だけを相手にした商売が全てではない。商人という職業人が宿命としてあわせもつ業に正しく、彼らはみな現実的で、功利高かった。


 上層地区の近くで「某家、御用達」という煽り文句を掲げながら商われる数々は、多くの人々の目をひいた。高貴な者に憧れ、彼らの生活の一端にでも触れたがるのは人の性でもある。トマスという成功と挑戦の街で、それらは明日は我が身という両面ある現実を、肯定的な希望として信じるために有効な手段でもあった。


 故に、下層や一般層にあるそれと同じく、その市場が賑わいをみせることは必然といえる。そこを舞台とした多くの成功談もあった。つまり市場とは、トマスという商業の街の持つ光と影の象徴なのだった。


 活気に溢れたその場所に立ち、サリュははじめてこの街を訪れた時に似た感想を抱いた。視界を埋める人と、その顔にある悲喜交々の表情。響き渡る歓声と怒声。上層地区のゆるやかな一画で半ば隔離されたように穏やかな数日を過ごした少女は、視界の光景に屋敷で見た絢爛華麗な花壇の時と同じような、目もくらむ思いをおぼえた。


 小船の上のように不安定な心地を靴裏に感じ、しかしサリュはその場に踏ん張った。トマスに到着した日、彼女の側には彼女以外の人物がいた。迷いかけた自分をみかねて手をつないでくれた。その人物は、今いないのだから。少女は一人でこの人の洪水に立ち向かう必要があった。


 顔を上げ、一歩を踏み出す。大外套を目深に被りなおした。

 こうまで人が多ければ、足元まで注意を払う人間は少ないだろう。何かのおこぼれを狙った砂虎がどこかにまぎれこんでいる可能性は少なくなかった。慎重な態度と油断のない視線を周囲に向け、少女は足を進めた。



 ことさらにいうまでもなく、トマスはバーミリア水陸においてもっとも栄えた街の一つである。

 水路と陸路を介して運び込まれ、またそこから送り出される交易品の質量はまさにその街が水陸流通の中心であることを示していた。大商家ともなれば一国の王をも凌駕する財貨を蓄え、それがまたさらなる成功を呼び込む糧となる。トマスを危険視する声は帝国首都ヴァルガードに常にあったが、それも仕方ない現実が確かにあった。


 トマスの気風は自由な在り方にある。もちろんしきたりや制約といったものが全くないわけではなかったが、古い慣習や金にもならない道徳などにはほとんど価値が認められていなかった。トマスという街を支え、形作る商売人たちの志向がそうした風土を生んだ。


 自由は膨張し、暴走する。ともすれば崩壊をも招きかねないそれが、トマスにない――少なくとも、表面上そう見えないのには、そこに住む人々の多大な努力があった。自由と無制限とは異なる概念である。慣習や道徳を極力重視しない姿勢は、何をするのも勝手という傲慢を許すものではなかった。トマスの人々は、そうした行為を防ぐためにそれぞれの業種、立場で話し合いをもち、協定を結んだ。その結果、生まれたものが組合と呼ばれる組織概念である。


 組合は大から小まで幅広く、その種類は多岐に渡った。トマスを治めるベラウスギ公爵家を中心とした、大商家がその名を並べる支配者達の組合から、それぞれ職人達の組合。光ある故に必ず存在する、闇――慈悲を求めて路上をさすらう物乞いにすらそうした組織はあった。


 彼らは他の組合連中のように、堂々と館をかまえ、書面に所属する人間の名を記して体制を維持するようなことはなかったが、実態としては全く同様のものであった。得られる利益の配分と、もめごとの仲裁。その二つである。


 文字に記された名前ではなくその容姿で所属の有る無しを判断し、彼らは縄張りを荒らす者を許さなかった。新たに敗者の列に加わるなら、まずはその中での礼儀を知るべきだった。それすら出来ないものは、そこからもはじきだされてしまう。


 今、大外套に身を包んで市場を歩く一人の少女が、そうした彼らにとって不快な新参者と見られてしまったのは無理からぬことである。数名の薄汚れた男達が、彼女の前に立ちはだかった。


 敵意に満ちた視線で見下ろされ、少女は身体を強張らせた。脳裏には、暴徒と化した集団に追われた記憶が蘇っている。――魔女を殺せ。


「……なにか」

 瞳が相手に見えぬよう、顔を伏せるようにした声に、乱暴な言葉が返された。

「お前。どこのもんだ」

「どこ、とは?」

「ここは今日、うちらの縄張りなんだよ」

 沈黙し、理解の及ばないうちに少女は気づいた。誤解を受けている。


「私は、探し物をしているだけで。ご迷惑をかけるつもりはありません」

 男達が顔を見合わせた。

「探し物ってのは、なんだ」

「……猫です」

 砂虎というわけにもいかず、彼女は愛玩用として知られるその小型の生物の名をあげた。前に、そういう風な物言いを聞いたことがあった。

 それを聞いた男達はもう一度互いの視線を絡ませ、一斉に笑い出した。


「猫って。お前、そんななりでペットでも飼ってんのか」

「いやいや。食料のつもりかもしらんぞ。あんがい、もうそこらへんで捌かれてるかもな」


 下卑た笑いを起こす男達に、少女は黙したまま反応を返さなかった。猫を飼うという行為が上流階級に許された贅沢だという常識を知らなかったし、仮に知っていたとしても反論したところで何も得られるものはないだろうことは判っていた。

 サリュは顔を俯かせたまま、男達の脇を通り過ぎた。その背中に声がかかる。

「待ちな」


 笑いを収めた男達は、口元を醜悪な形に歪めていた。獲物を前にして、露骨にいたぶるような表情だった。トマスという街の在りようは決して楽園ではなかった。強者と弱者をつくり、弱者はさらに弱者を求める。

「言っただろ。ここは今、俺らの縄張りなのさ」

 少女が言葉の意味を理解していないことを悟り、隣の男がわざとらしく続けた。

「通りたければ、通行料を払ってもらわねえとな」

 もちろん、そんなものを払う必要があるはずがない。難癖をつけられていることを悟り、少女は注意深く周囲の様子をうかがった。


 砂虎を探して市場の外れに足を向けたのがまずかった。人通りはあるが、誰もこちらにまでは注意を払っていない。大声をあげれば、注目を浴びることは容易いが――それで物事か解決するかはわからないし、クアルを探せなくなってしまってもまずい。

「すみません。お金は、持っていなくて」

 せいぜい穏便に事を治められないかと、少女は頭をさげたが、

「なら、ブツだ。何かあるだろうよ。とりあえず、そのマントの中身を見せてもらおうか」

 傲慢な物言いにそれが不可能だと理解した。

 それならばと、胸元へと腕を伸ばしてくる男に少女は迷いなく懐の短刀を抜き払った。突きつけられた切っ先に目を見開き、しかしすぐに男達は笑みを取り戻す。


「おいおい、物騒だねぇ」

「いいナイフじゃねえか。慣れないことはしねえほうがいいぜ、坊主」

「……どいてください。騒ぎを起こしたくは、ありません」

 その台詞はむしろ失策だった。彼女から騒ぎを大きくすることはないという事実を、男達に伝えてしまっている。男達はまるで怯まず、取り囲むように仲間同士の間隔を広げた。

「勘違いすんなって。お前の探し物を手伝ってやるのによ」

「そうそう。猫だったか? 一緒に探してやるさ。なあに、ちいっと御代をもらえれば、それで――」


 男の言葉が終わらないうちに、サリュは身を翻した。全速力で走る。男達の怒号を背中に聞いた。

 人の密集した空間は、彼女の小柄な体躯でもとても全力で抜けられるものではなかった。道行く買い物客と次々にぶつかり、非難の声を聞きながら少女は市場を駆けた。出口を探して走るが、土地勘のない彼女にはまるでどちらへ進めばいいか見当がつかない。


 程なくして、彼女は袋小路に追い詰められた。三人の男が、息を切らしながら立ち尽くした彼女を笑う。

「追いかけっこはしまいかい」

 その手に得物が握られている。ナイフが二人に、一人は中に何か詰められているらしい細長い布袋を下げていた。

「痛い目にはあいたくねえだろ? 大人しく――」


 少女は躊躇しなかった。彼女が数日の剣の鍛錬で学んだことは、まず先手必勝ということだった。

 地を走り、左端の男へと掛かる。その手に持った布の棒のようなものへ刃を向け、確かな感触を覚えた。切り裂かれた袋から中身の砂が流れ落ちた。


「てめえ!」

 怒号とともに、男達が襲い掛かる。

 それは決して連動した動きではなかった。だが、その隙を突くような技術も経験も少女にはない。路地裏は二人が同時に掛かるには狭かったが、その狭さが逆に少女が男達の脇を抜ける行為を疎外していた。


 一人目の男のナイフを、軽くいなす――騎士のそれと比べれば、まるで眠ったような打ち下ろしだった――しかし、その後の行動が続かない。少女の非力な体格では、体ごと男にぶつかったところで相手の態勢を崩せもしなかった。つまり、取り得る行為は一つしか残されていない。


 ――刺す。一瞬、少女は迷った。だらしなく開かれた男の懐へ入り込まず、そのまま男の脚を切りつけた。悲鳴があがる。声にわずかに少女の体が強張ったところへ二人目の男が飛び掛った。

「このクソガキ!」

 強引に伸ばされた腕に突き飛ばされ、彼女はあっけなく吹き飛んだ。煉瓦壁に後頭部を打ち、一瞬、視界がぶれる。はっと意識を戻したときには、腕を振り上げた男の凶悪な顔が視界いっぱいに広がっていた。


 反射的にサリュは両腕で己が身をかばった。その上から、叩きつけるような拳がおろされる。重さをずらせず、まともに受けた力は簡単に少女の身体を今度は横へと跳ね飛ばした。

 息が詰まる。地面を転がり、数転して世界が平衡を取り戻す。立ち上がろうとする腕に力が入らず、歯を食いしばって顔をあげた先に靴底があった。

「あうっ……!」


 踏みつけられた頭が地面を擦り、ざらりとした感触が耳に響いた。

「ガキが、なめた真似を――」

「おい、殺すなよ。ここじゃ人目につきすぎる」

「わかってるさ。さっさとそれ、拾って来やがれ」

 少女が落とした短刀を拾い上げ、男は目を細めて口笛を吹いた。


「おい、見ろよ。とんでもねえ上物だぜ。そいつ、どこかの貴族の坊ちゃんなんじゃ」

「馬鹿が、そんなわけがあるか。どうせ盗みにでも入ったんだろうぜ。……おい、坊主。他にも何か持ってやがるな。これ以上痛い目にあいたくなかったら、さっさと出した方が身のためだぜ」

 外套ごと髪を掴み、持ち上げる。少女の奇妙な瞳孔を見た男が驚きに顔を歪めた。


「お前――」

 一瞬の隙を逃さず、獣のように少女は跳ねた。ぶちり、と捕まれた頭髪が千切れる音を聞きながら、強引に男へ身体をぶつける。尻餅をつく相手からの反動を利用して立ち上がり、サリュは周囲を取り囲む男達へ刺すような視線を放った。


 外套が外れ、銀髪にも似た灰色の髪があらわになっている。その下にある面立ちを見た男達が目を見開いた。

「ガキかと思ったら、女か!」

「それより、そいつの目を見ろよ」

 瞳孔に円の描かれた奇怪な双眸。思い出したように、一人の男が首を振った。

「そういえば――こないだあった騒ぎで、魔女だって言われてたヤツがいたな。そいつじゃねえか?」

「ハッ、まんまと生き延びてたってわけだ。あれのせいで火に焼かれて死んだ仲間も多いっていうのに、大したもんだな」

「いや、待て。しかしこれはいいぜ」


 二人の仲間の言葉をひきとって、男が醜悪な表情をひけらかせた。右手に持つ、もはや用途をなさない布切れを捨て去り、

「本当にそいつが魔女だってんなら、関わりたくもねえが。顔は悪くねえ。大枚はたいて飼おうって物好きがいるかもしれねえぞ」

「ちっとばかり、肉がなさすぎるがな……。まあ、そういうのが趣味って連中もいるか」

「そういうことだ。傷をつけるんじゃあねえぞ」


 にじり寄る男達へ少女は追い込まれた砂虎のように反応した。唸り声こそあげなかったものの、歯を剥き、身を低くして構える。しかしそれも、先ほど受けた一撃が彼女の足元を揺らしていたから、傍目には強がりが見え透いていた。


 それをはっきりと認識して、男達の態度には余裕と侮りの色が強い。少女の手からはもはやナイフも失われていたから当然ではあった。


 物陰から影が飛んだ。それを視界の端に捉えた瞬間、少女も動いていた。

 先頭に立つ男の右手に、小さな砂虎が噛み付いている。慌てて振り上げた男の手からナイフが漏れ、それが地面に落ちる前に彼女はそこに滑り込んでいる。柄を掴み、今度は迷わずにサリュは男の太ももへそれを突き立てた。


 絶叫が轟いた。


 耳をつんざくそれを聞きながら、すぐに少女は距離をとった。全身を怒らせた男が向かってくる。その斜め後ろに、もう一人。しかし同時には掛かってこれない。

 彼女と同じく飛びのいた砂虎が、地を這うように駆けた。グアル、と小さな体躯で精一杯に咆哮しながら、注意を引きつける。子どもとはいえ猛獣の気配が男の注意を反らし、その合間を縫って少女は再び一気に距離を詰めた。


 血に濡れた刃が見える。それが彼女の意識を鈍らせることがあっても、それも一瞬のことだった。耳元で騎士の言葉が響く。剣とは結局、打つものだ。


 全身の力を込めて、彼女は手にある凶器を打ち刺した。

 悲鳴。すぐにナイフを抜こうとして、手だけがすっぽぬけた。手のひらが赤に染まっていることに、はじめて彼女は気づいた。


「この野郎!」


 顔を上げる。殺意をまとった男が右手にナイフを振りかざしていた。回避の動作は間に合わない。両手に武器はなかった。どこか冷静な思考で、全ての行動が間に合わないことを少女が悟り、

「――失礼」

 見知った男の声が静かにその場に響いた。


 路地裏の入り口、何事かと大勢の視線が集まるそこに、黒服の男が立っている。そこから投げかけられた言葉に、彼女の目の前の暴漢が全身の動きを止めていた。そのまま前のめりに倒れこむ背に、一本のナイフが突き刺さっている。


 薄汚れた衣服に、じわりとみるみるうちに血が滲みだした。それを見て、それから自分の手と、身体にかかった返り血を見下ろし、はじめてサリュは寒気を覚えた。腰が抜け、倒れこむところを近づいてきた執事の男に支えられる。

「遅くなりまして申し訳ありません。近くでクアル様を見つけることができたのですが、急に走り出されてしまい。結果的に、よかったと思いますが――ご無事ですか? サリュ様っ」

 思い出したように痛みが戻ってきていた。全身に痛みと、特に頭痛がひどい。視界が徐々に暗転する。意識が途切れる寸前、心配げにこちらへ寄り添う砂虎の姿に、彼女はわずかに口元を綻ばせた。



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