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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
魔女の旅立ち
7/46

 守りに入るから打たれるのだ。昨日の反省としてサリュはそう結論づけた。

 自分に相手の剣を捌く技量がないのなら、逆に攻める。相手の剣が届かない――間合いの外れから一気に接近する。至近距離では剣を振れないはずだというまでの確信はまだ彼女にはなかったが、懐に入れば小さな武器の方が扱い易いだろうということくらいは想像できた。


 翌日の鍛錬で、前方に構えた相手に、彼女は遠い距離から一気に駆けた。相手がわずかに眉を持ち上げるのを見ながら、自身の左側から回り込む。

 鞘に入ったままのナイフを突き出す。――魔法のような出来事が起きた。


 軽く目をみはった女性が左腕をたたみ、ナイフの刃先にあわせるように剣先を向け。次の瞬間には、少女のナイフが宙に跳ね飛ばされていた。しなるように刃が少女の首元に延び、寸前で止められる。

 無言のまま、女性は一歩後ろに下がった。

 いまだに目の前で起こったことがわからず、サリュは自分の手のひらを見つめた。手に痛みはない。打たれたわけではなかった。だが実際、彼女の手からは武器が失われている。いったい何が起きたのか。


 確かめるために彼女は再び挑んだ。結果は同じだった。

 さらに数回を繰り返して、ようやく少女は理解した。彼女の武器は、全て相手にからめとられているのだった。


 刃に刃をあわせ、力を受け流し、適したタイミングと力と方向に向かって、一気に跳ね飛ばす。魔法のようなと表現するのにふさわしい、卓越した技量であった。しかし、ようやくそれがわかったところで、いったいどうすればよいというのか。


「アルスタ家の者は盾を持たない。遠い祖先が、そうだったらしくてな」

 金髪の騎士が言った。

「盾を持つくらいならもう一本剣を持て――我が祖ながら、無茶なことと思うが。そこで、盾のような剣の扱いが生まれた。剣を持たない側からの攻撃、剣の間合いのなかに入られての攻撃。そうした場合に応じる為の技術。それが後に、幼い時からアルスタの者が学ぶ護剣術となった」


「それは組み打ちではない。故に重さはあまり論点にならない。力をずらし、かわすためにある。あるいは相手の懐に入るための。短い刃、大きな鍔はその為のものだ。私の持つものはまた少し違うが、サリュ、お前のそれがまさにそれだ」

 少女は手に持ったナイフを見た。はじめはやや奇怪に見えた形状が、ようやくその意図を知って納得する。短い刀身と鍔の存在。あくまで実際的に用いられる為の、精緻でありながら無駄のないつくり。

「続けよう。さっきのはなかなかよかった。私の剣はお前より遠くに届き、近くでは振るいづらい。私の間とお前の間は異なる。後は、そこからどうするかだ」


 騎士は講義を終え、剣を構えた。少女もそれに応えて短剣の柄を握り締める。

 鍛錬が終わるまでに打たれた数は、昨日の半分ほどに減じた。


 一日も経てば、右腕も動かせるように回復している。まだ肩より上に持ち上げることは難しいが、やはり利き腕が不自由なままでは日常生活を送りづらい。代わりに剣を持って臨んだ左腕には新しい打撲が生まれたが、昨日ほど打たれはしなかったのでそう手ひどい有様ではなかった。

 鍛錬の後、湿布薬を用意してくれていた男から処置を受ける間も、彼女は左手からナイフを離さなかった。鍛錬の間にわずかにだけあった幾つかの手ごたえを忘れぬよう、手のひらに染み込ませるかのような行いを見て、男は何かを言いかけたようだったが、結局は何も言わなかった。


 食事を終え、部屋に戻ってもすぐにナイフを握る。脳裏に濃く残渣として在る女性の動き、それに対応するように自らの動きを何度も反復する、その少女の姿をつまらなそうに砂虎が眺めている。



 毎朝、剣に打たれる日々が続いた。打撲の数は三日目の鍛錬で極端に減りはしたものの、それ以降はほとんど変わることがなかった。当然ながらサリュの方から反撃に成功した試しはない。


 少女と騎士の技量は隔絶していた。それ自体は無理からぬことである。武門の生まれであり、幼い頃から鍛錬を続けてきたその騎士は、質量才全て少女より遠く天上にあった。誇りと血、そして日々のたゆまぬ努力が彼女をその域へと辿りつかせた。


 一方の少女は剣を振り始めてまだ数日であり、才能以前の問題があった。騎士からの指摘にあったとおり、まず体格で劣っている。彼女は自身の正確な年齢を知らなかったが、恐らくは十代半ばから二十の間であろうことを考えれば、この時代の一般的な女性の身長よりもさらに彼女は小柄だった。生まれと生活の貧困さがそうさせた。身体を動かす能力に長けているわけでもなければ、小柄を生かす瞬発性もせいぜい人並み程度にしかなかった。


 ただ一点、少女は決して考えることを止めなかった。どれほど打たれようとへこたれず、逃げ出さずに剣を握り続けた。その我慢強さもまた、生まれ育ちが関係している。あるいは、何かの経験と想いが。

 彼女の深遠にたゆたう何者かの存在を知りつつ、彼女に接する周囲の人間はあえてそれに触れようとはしないでいる。



 鍛錬を始めて一週間が過ぎた。その間、ただひたすら剣について考え続けた少女の執念が一つの結果を生んだ。


 騎士が斜めから振り下ろした剣撃、その太刀筋を注意深く見極め、短剣をあわせる。直線的な軌道を読んで、刃にこすらせ――それが根元に届くや否やのところで、一気に手首を跳ね上げる。

 乾いた音を立てて剣が弾かれた。


 思わず、二人で目を合わせる。さきに表情を動かしたのは、相手の方だった。にっこりと笑う。

「――よく出来たな」

 自分でも信じられない思いで、サリュは手元を見おろした。

 少女が今やったことは、前に金髪の女性が見せたそれだった。相手の剣を受け、そのまま跳ね上げる。

「エルドと呼ぶ。受け流す、という意味だ」

 騎士が言った。

「護剣の基礎で、ほとんど全てでもある。エルドで捌き、もう片方の剣で打つ。あるいは手にあるのが短剣だけなら、受け流したまま相手の懐に身を入れて、刺す。感覚を覚えているか? なら、もう一度だ」


 とはいうものの、二度やれる自信はなかった。実際そのとおりで、それから何度剣を受けても、彼女は相手の剣を弾くことができなかった。落胆して肩を落とす少女に、慰めるような声がかかる。

「まあ、一度できただけでも大したものだ。それに、エルドというのはリスクも大きい。慣れないうちから無理に狙うのは控えたほうがいい」

 詳しい説明を求めて顔を上げる少女に頷いて、

「足で距離をつめ、腰に重さをのせ、肩が角度を測り、手首を添える。この一連の動きが剣だとするなら、エルドは手首の段階で“跳ね”させるわけだからな。相手の剣の動きを見極めた上でなければ、相手の重さを全て手首で受け止めることになりかねない。無茶なやり方では手首を傷めるだけだ」

 特に相手が手だれの場合にはな、と続ける。

「直線的な軌道で打ってきてくれることなど稀だ。ただひたすら相手の剣を捌き、機会を待つ必要がある」


 わかるようで、よくわからない。そんなふうな少女の表情を見て女性は小さく笑った。

「やってみせよう」 

 剣を構えた相手に、サリュもナイフを構える。行くぞ、という声とともに、女性が踏み込んだ。先ほど少女が偶然に受け流しを成功させた時と同じ、斜め上からの打ち下ろし。あわせて少女も短刀を向け、両者の刃があう寸前。女性の剣が軌道を変えた。

「……っ」

 鞭のようにしなり、そのまま少女の腕をかいくぐって喉元まであてられた剣に、彼女は声もなかった。


「こういう風にな」

 刃先をあわせるという、ただそれだけのことすらが至難。今まではただ相手が限りなく手を抜き、刃をあててくれていたのだと少女は悟った。考えてみれば当たり前のことではあったが。

 悔しさはなかった。うぬぼれるような傲慢な思いなどそもそも持ち合わせていない。ただし、先ほどの成功もその為だったのかという気持ちは少しあった。


 女性は気休めの言葉は使わなかった。彼女という人物はそうした行為を好まない。

「今日はおしまいにしよう。それとも、もう少し続けるか?」

 騎士は言った。聞きながらにして既に答えを知る者の表情だった。


 鍛錬が再開された。



 朝食を終え、心地よい疲労をひきずりながらサリュは部屋に戻っていた。最近では痛みは腕に集中せず、全身に散っている。その分、鍛錬後に塗られる湿布の匂いも身体のあちこちからするようになってしまったが、その強烈な香りにもいい加減に慣れた頃だった。


 人間よりよほど鼻の利くクアルにはひどく不評だったが。この薬の効能は身をもって知っていたから、彼にはもうしばらくの間、なんとか我慢してもらうしかない。最近は嫌がるのであまり抱き上げてもいないことを思い出しながら、部屋の扉を開けた。視線がすぐに砂虎の姿を探す。眉が寄った。

「クアル?」


 部屋の中央にミルクの入っていた平皿があり、周囲はいつものように飛び跳ねた中身で汚れている。しかし、肝心の砂虎の姿がなかった。

「――クアル」

 お腹一杯にミルクを飲み、どこかで眠りこけているのだろうか。寝台の下や棚の向こうなど、丸まった姿を探して部屋の中を歩き回り、呼びかける少女の声に徐々に不安の色が交じった。

「クアル……っ」


 返事はない。しまいには大きく声を荒げ、それでもしんと静まり返ったままの室内の気配に、ようやく彼女は砂虎の不在を認めた。廊下へと飛び出す。どこに向かっているかもわからずに屋内を駆けた。

 廊下の女中達が、驚きの視線を向けてくる。構う余裕もなく、少女はひたすらに駆け続けた。いない。いなくなる。――嫌だ。

「サリュ様」

 目の前に執事の男が現れた。脇をすり抜けようとしたところを肩をつかまれて引き止められる。

「どうかなさいましたか?」

「クアルが……っ」


 気が動転していた彼女はそれ以外の言葉を言えなかったが、それだけで男は事態を把握したようだった。目を細め、落ち着いた口調で確認してくる。

「お部屋には、いないのですか」

 こくりと頷く。拘束から逃れようと暴れたが、肩に置かれた男の手はぴくりともしなかった。

「……わかりました。すぐに人を使って探させます。サリュ様は、一度部屋に戻りましょう。もしかしたら何か見落としているかもしれません」

 そんなことをしてる暇はない。さらに暴れようと身をよじらせるサリュへ、男はたしなめる声で言った。


「落ち着いてください。わけのわからないまま走り回っても、砂虎は見つかりません」

 男の言葉に諭されたというよりは、疾走直後に暴れ続けた身体の限界がきて、少女は動きを止めた。目の前に岩のように立ちふさがる男を睨みつけ、頷く。廊下を通りすがった女中に声をかけ、先導する男に手を引かれながら部屋へ戻った。


 部屋にはやはり、クアルの姿はなかった。ぐるりと周囲を見回した男が少女を振り向く。

「最後にあの砂虎を見かけたのはいつですか?」

「……朝ご飯に。出かける前、です」

「家の者がミルクを持ってきたのはその時ですね」

 首を縦に振る。

「部屋を出る時、扉はしっかりしまっていましたか?」

 少し考えてから、サリュは頷いた。

「となると、どこから出たかが問題になりますが……」


 廊下から何人かの女中がやってきた。男が彼女達に指示を出す間、彼女はミルクの名残が残る床の平皿を見つめていた。いったい、どうして。湿布薬の匂いがそんなにも嫌だったのか、それとも。ふと、抱き上げるどころか、最近ほとんどクアルと接していなかったことを思い出した。ずっと剣のことばかり考えていた。いや、そうではない。考えていたというより、むしろ。

「これから屋敷の捜索にあたります。お手伝い頂けますか?」

 思考は男の声に遮られた。

 もちろん、彼女に否などあろうはずがない。足早に廊下を行く男の後ろを、強張った表情で少女はついていった。



「クアル――」


 遠く青色に佩けた空へと吸い込まれ、散る。かすかな残響が失われる前に、サリュは再度肺を膨らませ、呼びかける声を放った。

「クアル――っ」


 休みなく張り上げ続けているせいで声音はすでにしわがれかけていたが、どれほど喉が痛んでも少女には気にならなかった。例え喉がつぶれても、そんなことはクアルがいなくなることに比べれば些細なことだった。一人きりになってしまうという、その恐怖よりは。


 彼女の頭にあったのは、先日の記憶である。幾ら呼びかけても応えてくれない誰か。そのまま、相手は自分の前からいなくなってしまう。


 視界が滲んだ。咽の痛みからくるものではないのは明白だった。

 私はなんて馬鹿なんだろうと少女は嘆いた。彼女が剣を習ったのは、小さな砂虎を自分の力で護るためのもののはずだった。騎士の女性は言った。剣を持つことで護りたいものを傷つけてしまうことがあると。


 しかし、今回の件はそれ以前の問題だった。剣で傷つけるどころではなく――彼女の剣は、砂虎を向いていなかったのだから。護るための剣などではなかった。ならば何の為に、というその解答も既に彼女は自分の中で導き出している。だからこそ、自らの愚かしさが悔やまれるのだった。


「クアル!」


 がさりと庭先の花壇が揺れた気がして、駆け寄る。棘が刺さるのも気にせず掻き分けても、そこに砂虎の姿はなかった。

「……サリュ様」

 男の声に、振り向いた少女の顔は朗報への期待に満ちている。しかし、若い男の表情にあったのはいつものように平静な表情だった。

「屋敷勤めの者から、話がありました。シーツの取替えにお部屋に入った際、扉を開けていた瞬間があったかもしれないと。その者が出る際、少なくとも姿を見たおぼえはないということでしたので――その間に、外に出てしまった可能性が高いと思われます」


 そんなことはとうにわかっていることだ。

 言いかけて、彼女は気づいた。男の視線はそれ以上のことを告げていた。

「……外」


 屋敷の、外。


「……あくまで、可能性ですが。どこからか出ていってしまわれたのかもしれません」

 サリュは血の気が引くのを感じた。


 砂虎は危険な生き物だとして広く認知されている。この屋敷では金髪の女性の好意で厚く遇してもらっているが、外でクアルが見つかればどんな扱いを受けるかは想像に難くなかった。まず間違いなく、殺されてしまう。

 走りだそうとしたサリュを、肩に置かれた男の手が押しとどめた。


「放してくださいっ」

「できかねます。先日の騒動は落ち着いたとはいえ、あなたのことを覚えている街の人間がいる恐れは高い。今はまだ、屋敷の外に出るのは危険なのです」

「私なら、平気です……!」

 必死な表情で少女は言ったが、男の態度は頑迷だった。

「申し訳ありません。あなたの身の安全を必ず守るようにと、主から言い付かっておりますので」

 少女の言葉は受け入れられず、男は近くの女中を呼び止めた。

「クアル様は必ず、我々が見つけ出します。どうかお部屋でお待ちになっていてください。――貴方達、サリュ様をお連れしてください」


 男の言葉と視線の意味を察したように、女中達は深く頭を下げた。

 二人の女中に左右を挟まれ、サリュは屋敷の中へと戻された。隙を見て逃げ出そうと試みるが、すぐに回り込まれてしまう。女中たちの所作はそれぞれ素人のものではなかった。


 無駄な反抗は相手の警戒を強めるだけだ。現時点での行動を諦め、うつむきがちに廊下を歩きながら少女は頭の中で必死に手段を講じていた。周囲に悟られないよう注意深く視線を四方へと配り、屋敷の構造や女中達の配置を目にやきつける。手の空いた人間は砂虎を探しに出てくれているのだろう。館の中にはあまり人が残っていないらしかった。

「……何かありましたらすぐにご報告いたします。こちらにてお待ちくださいませ」

 部屋に戻ると、丁重な礼とともに女中達は去った。少女はすぐに扉へと近づき耳をそばだてる。気配はないが、扉の前に誰かが立っていないとは思えない。ここから出ていくことは難しいだろうと考えた。


 それなら、どうするか――部屋の中央に戻り、机の上のナイフをとって、少女は顔を上げた。視線の先では硝子窓が白々とした日光を透過させている。



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