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本編の序編終了直後のお話になります。
――――。
声が、した。
意識の揺り篭の中に響き渡る音階に、少女は重さのない瞳を開いて目を覚ました。
まずはじめに感じたのは匂いだった。最初はあまりに心地がよすぎて逆に寝付けなかった、清潔なシーツの匂い。
陽の甘さを含んだ香りが鼻腔を満たすのにあわせてゆっくりと左右の焦点があう。視線は天井で像を結ばず、かわりに寝台につけられた天蓋の底が近かった。起き上がるのが困難なほど柔らかな寝台に横たわったまま、ふと眼に染みるものを感じてまぶたを閉じると、手に触れた頬が濡れている。目尻を拭わないまま、少女は身体を起こした。
室内にはすでに明るい日差しが入り込んでいた。採光に木窓を用いることが一般的なこの時代では珍しいことに、部屋の窓には透明な板が嵌め込められている。ここに来て初めて見たその不思議な物質が硝子という高価な代物であることを、彼女はこの屋敷に勤める人間から教わっていた。
やや厚さにむらがあるが充分に透明度の高いその向こう側に、よく晴れた外の景色が見える。密閉された窓からは砂も騒音も入り込まず、その場はとても静かだった。
――だから、聞こえたのだろうか。立ち上がり、彼女は室内用の足履きをつっかけて窓際へと向かった。
太陽の日差しがまだ柔らかい、時刻はまだ早朝といってよい頃だった。円状に広がる街の中央部に位置するこのあたりは市場などの喧騒から遠ざけられており、砂さえもここまでは届かない。黄土色に染まり、風と音が鳴り響く“外”とはまるで別世界のように白い街並みが、朝もやに静か佇んでいた。
外を歩く人影は少なかったが、窓の下に庭師の姿が見えた。庭園には色とりどりの植物があり、女中姿の女が甲斐甲斐しく水の世話をしていた。それは、この街の潤沢な水の在り様とこの屋敷の持ち主の地位を端的に示す光景であった。
扉を叩く音がして、彼女は窓から顔を向けた。
「……はい」
「失礼します」
扉の向こうから、黒の執事服に身を包んだ若い男が現れる。
「おはようございます、サリュ様」
彼女が返事をしなかったのは、“様”などとつけて名前を呼ばれることにどうしても慣れないからである。やめてほしいと伝えたことがあったが、対する返答は簡潔だった。
「貴女は我が主の大事なお客様でございます。礼をもって接するのは当然のこと、どうかお気になさいませぬよう」
にこりと口元を和らげる笑顔は柔和でも、その奥には決して退くことのない強情さが垣間見えていた。
黙然として頷くサリュへ微笑みを向けたまま、男は部屋の中に進み入ると、手に持っていた水差しを中央の卓の上へ置いた。
「朝食の準備が整っております。ご準備ができましたら一階へお越しください」
一礼と共に男が去り、サリュは水差しの水で顔を洗い、衣服を着替えてから部屋を出た。毎日新しいものを用意してもらっている、上質のシルクで織られた服装にもいまだ違和感が強い。一歩歩くごとにふわりと舞う軽さをたよりなく思いながら階段を降り、短くない廊下を歩いた先でさきほどの男が彼女を待っていた。
男が扉を開けたその部屋の中央で、一人の人物が円卓に腰掛けている。
「おはよう」
彼女に向けられたのは薄い微笑だったが、それだけで人に与える印象ががらりと変わるほど、その女性の顔立ちは整っていた。同性なら誰もが見惚れる黄金の長髪(長い髪を持つことはそれ自体、身分ある女性にしか出来ない)。鋭さと柔らかさを内包した体つき。ともすれば彫刻のように冷たい印象を与えかねない美貌に、それを穏やかに包み込む微笑と、隠し切れない疲れの色が見てとれる。彼女は先日この街で起きた騒動に対して、帝都から賓客としてトマスに滞在する身分でありながら、献身的に活動していた。
治安維持と街の修繕作業の監督。トマスを治めるベラウスギ公の配下の者には彼女の派手な――彼らにはそう見える行動に眉をひそめる者もいたが、金髪の女騎士は決して我を通さず、立場からすれば不満を抱いてもよいはずの下働きをまわされても不平一つこぼさず、それらに従事していた。
騒動の発端となった魔女裁判と、その後の騒ぎの中で彼女が見せた英雄的行動が噂になって流れていたこともあり、最近、街では彼女の名声が高まっていた。“帝都からの刺客”と揶揄される彼女をよく思わない者がいたとしても、そう邪険に扱うことの出来ない理由もそこにあった。そうした様々な事情についてまでサリュは深く関知していなかったが、その女性が身を粉にして復興作業に励む理由については、知るところがあった。
ニクラス・クライストフ。――リト。その人物の行方が途絶えてから、今日で一週間が経つ。一週間。ふと思い至った事実、その日数にサリュは愕然とした。もう、そんなにも日が過ぎてしまっているのだ。
「どうした、サリュ?」
「……いえ。おはようございます。クリスティナ、さん」
心の震えが身体に伝播するのを抑え込み、サリュは答えた。名前を呼ばれた女主人が、何かを思い出すような表情でわずかに苦笑した。
「そうか。なら、朝食にしよう」
頷き、サリュは彼女の対面に座った。
すぐに女中達が食事を運んでくる。上質な麦の粉を念入りに挽いたものを練り、竈で柔らかく焼き上げた練り物――パンと、水気をたっぷりと含んだ様々な野菜を手ごろな大きさに切り、あるいは千切って塩気を抑えたソースをかけたサラダ。それにミルクをじっくりと煮つめ、具材の旨味を抽出したスープ。それらは女性の社会的階級からすればむしろ質素に過ぎるほどの内容だったのだが、サリュにとっては充分以上に豪華な品々だった。
一見して高価なことがわかる陶器に盛られて目の前に置かれるそれらに、しかし彼女は手を伸ばさなかった。食欲がなかった。それはこの一週間ずっとのことである。気づかう視線に顔をあげると、女主人がわずかに眉を寄せていた。サリュはゆっくりと銀製のスプーンに手を伸ばし、スープをすくった。一口含むと、途端に芳醇な味わいが広がった。美味しい。とても美味しい。だが、それでも次の手が進もうとはしなかった。
「……あまり無理はするな。何か果物を切って持って来させよう。スープだけでも、少しでも飲んでおいた方がいい」
絹のような金髪を揺らして女性が言った。サリュはうなだれて、その彼女の視線から逃れた。
サリュが女性からこの屋敷に来て初めて叱責らしき言葉を受けたのは、昨日の朝のことである。
「生きることは食べることだ。笑うためにも泣くためにも、人は食べなければならない。サリュ、戦場では誰もが泥をすすってでも剣を持つのだ。生きるために」
決して怒る口調ではなかった。むしろ悲しむような声だったが、その言われた中にあった一言が深く少女の胸に突き刺さった。生きるために。
――生きろ。
声が耳元で囁き、顔を俯かせて服の裾を握り締める。主人の意を受けた女中が、すぐにサリュの前に瑞々しい果実を持ってきた。初めて目にする暖色の表皮と半透明な果肉を覗かせる果物をしばらく眺めるようにしてから、彼女はその一切れを手に取り、口に運んだ。柑橘系のよく冷えた酸っぱさが舌を縮こませた。後からほんのりとした甘みが口の中に溶け出してくる。砂石を飲み下すように嚥下して、彼女はさらに手を伸ばした。
幾つ食べても、果実の酸っぱさは舌に慣れなかった。泣き出しそうにも見える表情で果実を口にする少女を、金髪の女性が慈しみと愁いの帯びた表情で見守っている。
水陸最大の商業都市トマスを襲った暴動は、その直接の要因とは別に、元々この街の構造上むしろ発生は当然だったという説がある。
水陸の主要な街と結ばれた“唯一の水源”を中心に、円状に作られた街は中央へ向かうほど支配者層――貴族等の裕福な人々が住み、外縁になるほど貧しい被支配者層が集まっている。トマスは能力さえあれば生まれや立場に限らず成功を収める機会の与えられる街だったが、だからこそ能力の有無は際限なく両者の格差を広げ続けることにもなった。
能力と資産のあるものがそれを元手にさらなる富を得、それに失敗した者や抗うことのできない者は搾取される側として延々と労苦に苛まれることとなる。そして成功者は失敗者より常に少数、ほんの僅かにしか存在しないのだった。
没落した商家、その日暮らししかできない人々は羨望と尊敬の念で成功者を仰ぎ見ながら、同時に内心では嫉妬と悪意の炎が黒く燃え上がっている。件の騒動では、鬱積した思いがきっかけを得たことで爆発したのだろうと見られていたが、それを否定することは能力主義、成果主義をとるトマスの存在を否定することになるから、確かに避けようのない部分ではあった。
しかし、ツヴァイ建国から続く名門ベラウスギ公爵家の今代当主は、開祖ほどの先見性の有無まで持ち合わせているかどうかはともかく、充分に優れた政治的手腕の持ち主だった。
彼は暴動の波が一通り収まった後、すかさず治安の掌握と扇動者の確保に努める一方、備蓄された水と食糧を供出して被災者に分け与え、また暴動の中で発生した火災によって焼け出された家屋についてはベラウスギ家が責任をもって補償することを約束したのである。
トマスを拠点に活動する有名商家もこれに賛同し、率先して多額の寄付金を申し出た。日頃恨みを買うことの多い彼らにとってはその矛先を和らげる意味もないではなかったが、たったこれだけのことで周囲からの視線が変わるような甘えた夢想を抱いたわけでもなかった。彼らはこの事態を純粋な投資の機会と捉えていたのである。この街で成功を収め続けている人々には、確かにそれを裏付けるだけの理由があった。
街への被害は、多くは貧民街に起こっていた。もともとの建築強度が不足していたこともあるし、この星で珍しい移動しない街であるトマスの街並みは、特に貧しい地区を中心に古いものとなっていたのである。先日の火災はそれらを一掃した。それはつまり、建造の受容が爆発的に高まることも意味していた。
材料を扱う商人は受注と発注に忙しく走り回り、家一戸を立てるには大勢の人手が必要となる為、それまで仕事もなかった人々までが狩り出された。賃金を得た彼らは、それを元手にもう一度成り上がる機会を得たことになる。暴動を起こし、大きくした扇動者が早々に捕まったという発表もあり、街には笑顔と活気が溢れていた。
見事な対応だった。トマスの持つ構造的欠陥の根本的解決にはならないとはいえ、淀んでいた泥を一時的に駆除することに成功している。今回の件で最も得をしたのは、実はベラウスギ公爵ではないか――そう冗談まじりに囁く者がいるほど、公爵家の事後処理には手ぬかりがなかった。誰の仕業かはしらぬが、今頃その人物は地団太を踏んでいるだろうて。というのは、公爵配下の人物の言葉である。もちろん、暴動によって命をなくした人々が決して少数ではないことも確かな事実だったが。
祭りにも似た喧騒から離れた中央市街地の一角で、サリュはぼんやりと窓の外を眺めていた。職人による精巧な細作りの椅子に座ったその側にはさきほど起きたばかりの小さな砂虎が転がっていて、彼女の衣装の裾に向かってじゃれついてきている。まだ子犬ほどの大きさしかないその生き物は今がやんちゃの盛りだった。ミルクを零すくらいならまだしも質の良い調度品を壊すことも度々で、その度にサリュが叱りつけているのだが、この家の主人をはじめとした誰一人として、その砂虎を咎めようとする者はなかった。
「クアル」
ぎゃう、と律儀に鳴いて応える砂虎を抱え、顔を埋める。いくら湯水で洗っても消えない、砂の香りがした。じたばたと腕の中で暴れる子虎を床に放し、腹を見せて転がってみせる姿を見守って、つい口元を緩めかけた背後に寒々しさを覚えたサリュは部屋の中を見回した。
そこには誰もいない。当たり前の事実に少女の顔が歪んだ。ここは、静かで。広すぎる。
立ち上がり、部屋の隅にある棚机に向かう。そこには幾つかの道具が散逸していた。いずれも彼女が発見された時、側に落ちてあった品々だった。彼女に手持ちの私物などありはしなかったから、それらは全て旅の同行者であった人物の持ち物ということになる。その中で、サリュは見覚えのある物を幾つか手元に引き取らせてもらっていた。
所々の塗料が剥げてしまっている四角い立方体の玩具。厚手の羊皮紙と、恐らくその中身と合わせて使用するのだろう計りのような器具に、細長い棒が中央で小刻みに揺れている物もある。それから、本。水に濡れればいっぺんで駄目になるような品も少なくなかったが、それらが無事であったのは偶然の多大な作用はもちろん、元の持ち主の配慮の結果でもあった。可能な限り水を被らないよう、必要なものに処置が施してあったことを聞き、
「あいつらしい」
女当主はそう小さく笑った。
サリュは本を手に取った。彼女は字を知らないので、中身を読もうとしたわけではない。慎重に表紙を開くと、一輪の白い花が押されていた。
水気の抜けたそれは少しの風がそよいだだけで崩れそうなほど儚かった。皺の寄った花弁に潤いをもたらそうかというように雫が落ちる。水滴は、少女の瞳から流れていた。
本を傷めてしまうことを恐れ、サリュは慌てて表紙を閉じ、本から離れたところで存分に涙を流した。あの日以来、少女はよく泣くようになっていた。
必要なものがあればなんでも言うといい。という言付けを受けてはいたが、そう言われても思いつくものはなかった。クアルの為に必要なものと、クアルが迷惑をかけない為に必要なこと以外、サリュは何も希望を持たなかった。ただ男の生存を祈っていた。
身体にぽっかりと穴が空いている。空虚な感覚で、日がな一日部屋に閉じこもって過ごし、それでも時が経てば空腹を訴えてくる自分の肉体が彼女は不思議でならなかった。
家の人間達も、そんな少女に無理に干渉してくることはなかった。彼の家に勤める人々は誰もが優しく、彼女に対して親切でもあったが、あくまで自分達の職分を守り、それ以上を侵すことはなかった。
最もサリュを気遣ってくれているのは、彼らの雇い主でもある女当主であることは間違いない。しかし、ひどく忙しい生活を送っているその人物と彼女が顔をあわせる機会はそう多くなかった。それでも女性は毎日の朝と夜、必ず食卓を共にとることを欠かさなかった。
「少し、身体を動かしてみてはどうだ?」
ある日の朝食の卓上、相変わらず食欲のない様子を見た女当主はそうサリュに提案した。小首をかしげる彼女に、
「私も昔から、何かあった時はそうしてきた。運動すれば気が晴れるし、少なくとも空腹にはなる――あくまで私の場合だが」
「……運動」
「外の空気を吸って歩いてみるだけでもいい。街を出歩くのは、まだ少し危ないかもしれない」
熱心に勧められ、サリュは自身より砂虎のことを考えた。そういえば、あまり外に出ていないからクアルも退屈しているかもしれない。最近、部屋で暴れているのはそのせいだったのかも。
少女がこくりと頷くのを見て、安堵したように金髪の女性は微笑んだ。
翌日、いつもより早く目覚めたサリュは砂虎を胸に抱えて部屋を出た。清掃中の女中達に頭を下げながら外へ向かい、適当に幾つかの扉を抜けると、低く乾いた空気が彼女を包んだ。
砂が遠く空気が澄んでいる。鮮明な視界に目を奪われて、サリュはしばらく立ち止まった。緑と花の彩り。訪れた後庭は色と香りに溢れていた。
いつも部屋から見下ろしていて、この場所の存在は知っていた。しかし、実際に間近で目にしたのは初めてで、それは想像以上のものだった。
一帯にふんだんに水が巻かれ、季節の花が所狭しと咲き乱れている。絢爛な風情は彼女の故郷、今はもう砂に埋もれてしまった小さな集落では見たこともない光景だった。全てが茶色く塗りつぶされたあの場所に比べれば、まぶしくて目がつぶれてしまいそうになる。
裁ちバサミを持った年老いた庭師が現れ、怪訝そうに顔をしかめた。
「……おはよう」
「おはよう、ございます」
じろりとした視線を向けられ、少女の身体が強張った。老人は品定めするかのように彼女を眺めた後、そっけなく告げた。
「向こうだよ」
眉の形を疑問のそれにするのを見て、つっけんどんに言葉が足される。
「ご主人なら、向こうだ」
あごをしゃくった先へ、追いやられるようにサリュは向かった。建物の壁をまわり込み、開けた視界に見知った姿が入った。
金髪の女性が剣を振るっていた。長大な剣を正眼に構え、緩やかに天に伸ばし、一気に振りおろす。地面すれすれで止められた剣先が、踏みしめられた一歩とともに今度は振り上げられ、胸の高さで突きへと変化した。
決して舞のような華やかさはなかった。代わりにそれぞれが致命に至る重さを持っている。刃が鋭く空気を切り裂く音が耳に入るほど近づいたところで、剣を持った女性が気配に気づいた。
「――ああ。おはよう」
「おはようございます」
剣を止め、弾んだ息を落ち着かせる女性に訊ねられる。
「散歩か?」
「はい。お花を、見に」
「ああ――あれはちょっと凄いだろう? 庭師達が、気を遣ってくれていてな」
「……目がくらみました」
正直な感想を告げると、嬉しそうに女当主は微笑んだ。
「そう言ってくれると皆も喜ぶ。ここの土地には馴染まないものも帝都から運んできてしまって、苦労して育ててくれているから」
サリュは訊ねた。
「クリスティナさんは……運動、ですか?」
剣を手にした女性が頷く。
「日課のようなものでな。鍛錬を一日でも休めば、身体がうずいてしまう。使用人達には呆れられているんだが」
サリュは目の前の女性の生業を思い出していた。女性は騎士だった。それがどういった存在であるかは、彼女自身の経験で知っている。
少女の視線は騎士の手に持つ剣に引き寄せられた。見ただけで重量感が窺える長剣には朝の薄い日差しに輝くような光沢はなく、硬質の存在感だけが浮き出ている。剣。騎士がその職責を果たす為に振るうその道具が、彼女にはひどく特別なものに見えた。
それが人殺しに用いられるものであることは承知している。しかし同時にそれは、何かを護る為の道具でもあるはずだった。
胸に抱いたクアルが鳴いた。その声に触発されるように、少女は口を開いた。
「――剣を、教えてもらえませんか」
少女の希望に、女性はかすかに眉を持ち上げただけで驚いた様子は見せなかった。
「どうして剣が要る?」
優しげな声だったが、詰問するような響きを併せ持った台詞だった。視線をそらさずにサリュは答えた。
「この子を。守らないと」
胸の中の小さな生命は、少し前に失われるところだった。それを救ってくれたのは――彼女は、そう信じている――一人の男だった。その相手はもういない。腕の中で暴れるやんちゃな砂虎を、少女は自分の力で守り抜く必要があった。
「……そうか」
女性は嘆息するように言った。表情が少し困っているように見えたが、すぐに微笑を戻し、
「――持ってみるか?」
手渡された剣は、想像していた以上の重みを少女の手のひらに伝えた。
「馬上で用いる物だが、それでも一般的なものより軽くしてもらっている。もっとも、ある程度は重くなければ話にならないのだが」
剣を受け取り、女性はそれを上段に振りかざした。そのまま一気に振り下ろす。地面を穿つその直前で、剣先は止められた。ぴたりと制動してわずかにも流れない。
「私の家は武門の出だ。幼い頃から剣とともに過ごしてきた。堅苦しい精神論も色々とあるにはあるが――結局のところ、剣とは打つこと、止めることだ。相手を討ち果たすためには剣を突き入れねばならず、その剣を制御できなければ、切っ先が護ろうとしたものを貫いてしまう」
少女が胸に抱く生き物に視線を落として、
「護りたいと思って、それを傷つけてしまう。ならいっそ、はじめから持たなければいい。サリュ、それでもお前には剣が必要か?」
女性の言葉は、わかるようなわからないようなあいまいな印象だった。はっきりしているのは、それが持った者の言葉であるということだ。だから彼女の答えは決まっていた。
迷いのない表情で頷く少女に、女性はもう一度小さく息を漏らし、言った。
「わかった。剣を教えよう」