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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
戦人の奏功旗
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21

 巻き上がる砂塵のなかで無数の馬脚が交錯した。

 西軍右翼と東軍左翼。それぞれ正面から危険なほどに接近した二つの騎馬集団(正確には、東軍左翼はさらに二つの分集団に分かたれている)はしかし、その最初の接近で両者が剣戟を交わすことはなかった。


 東軍は中央戦局を極少数で圧倒して両翼における数的有利を確立し、さらには集団を二つに分けて相手を挟撃する機動を見せた。水陸中に恐れられるツヴァイ重騎馬の突衝力も、あくまでそれが有効に働くのは前面、しかも突撃中という時間に限られる。相手の突撃正面を躱しつつ、二方向から挟撃を加える――東軍左翼集団の目論見は、しかしクリスティナ・アルスタのとった突飛な行動によって覆された。

 単騎で味方集団から離脱し、相手の前集団へ接近。その先頭騎者を一撃のもとに叩き落してみせた。彼女の機転、あるいは無謀によって挟撃の危険は回避されたが、それもひとまずのことだった。無論、一騎のみで別行動をとる危険性については言うまでもない。


 結局、戦争とは数なのだ。その極小単位である戦闘においてもそれは同じ。戦場という猛獣の檻の中でたった一人いることは、それ自体が自殺行為に近しい――幼少の頃、厳しい顔つきの父親から習った軍術、その基礎の基礎を脳裏に思い出しながら、あえてクリスはその禁忌を破ることを決意していた。

 東軍左翼集団はざっと二十名。それが二つに分かれて前後それぞれ十名程の分集団を形成している。その“集団”に対して、わずか一騎で正面から立ち向かったところで相手にもならない。先ほどのような自殺まがいの突貫が二度と通用するものでもなかった。


 だが――それでも、多少の“はったり”には成り得るはずだ。内心で呟く。

 先ほどの光景が頭にある以上、相手方はこちらの動向を気に留めずにはいられないはずだった。たった一騎。それが蜂のように周囲を飛んで意識を割くだけのことでも、相手の邪魔にはなる。

 それが必要以上の挑発と見なされれば、相手集団の敵意は一瞬でクリスに向けられて、殺到することになる。その結果はわかりきっていた。故に、相手集団との距離をつかず離れず、その敵意のバランスを適正に保つすることこそが彼女に今現在、求められる「囮」としての力量だったが、


(――それでは、駄目だ)


 現状、西軍は劣勢な立場にある。

 相手の片翼を拘束し、戦線を維持するだけで十分とされるのは有利な側の立場に限られるのだ。西軍側の両翼は、一刻も早く前面の相手を打倒して事態の打開を図る必要がある。

 そうした状況は、もちろん東軍左翼の面々も理解しているだろう。彼らにしてみれば、無理に目前の敵の打倒を図る必要はないのだった。ただでさえ騎馬集団としての反応性や速度は向こうに分がある。こちらの焦りを焚きつけて無謀を誘い、そこに付け込もうとするのは容易に考えられる。そのための手立ても幾つか考えられた。


 たとえばそれは、二つの集団に分かたれたその一方が、西軍本陣に向かうというものだった。向かおうという素振りをみせられただけで、西軍右翼集団はそれに対応せざるを得ない。全員で追うか、あるいはこちらも集団の半数をそちらに差し向けるかだが、命令系統が一本化していない西軍陣営ではそれだけの判断にも躊躇が生じるだろう。部隊としての練度が圧倒的に異なる以上、事態を複雑さに寄せることはすなわち必敗だった。

 だからこそ、相手方にそうした行動をとらせないためにも、クリスには「囮」としてのもう一手が必要だった。


 もちろん、容易な仕業ではない。

 わずか一騎に出来ることは知れており、そのほとんど最善の手が、相手集団の周囲で撹乱するというものだったから、それ以上を求めるのは傲慢だった。

 一人では無理なら、味方との連携を図ってというのも難しい。ブライの口添えもあって、西軍の右翼集団においてはある程度の意思統一がされていたが、それも部隊として行動するための最低限という域をでなかった。取り決めや約束事も簡単な幾つかに限り、とても阿吽の呼吸でとっさの連携を図れるものではない。


 即ち、ここが彼女に出来得ることの限界だった。彼女一人なら。



 視界に一瞬、黒髪がちらついた。

 横目を向けたクリスがそこで見たものは、先ほどの突貫で見失ったヨウの姿だった。主を彷彿とさせる眼差しの主はいつの間にか彼女の傍まで戻ってきており、無言の一瞥を向けてみせる。馬足を速めてそのまま横並びし、なお相手は無言だった。ひたとこちらに見据えられた視線はほとんど挑発的にもとれる。


 実際、クリスはそれを紛うことなき挑発と受け取った。ただし、その相手は隣にいる不愛想な従者ではなく、その背後へと向けられている。


 ――やってみせろ、と?

 ――やってみせるとも。


 先刻、すんでのところですれ違った敵味方の集団は相手方を眼前に捉えようとそれぞれ回頭している。馬は急には止まることはできず、集団のなかで一人だけ停止するわけにもいかないから、方向転換は集団速度を徐々に落としながら大回りにするしかない。そうした立ち上がりもやはり、東軍側の方が圧倒的に早かった。西軍右翼が方向転換を終えて相手方を向き直った時、東軍左翼の二集団は既に態勢をととのえ、敵集団に向かって改めて速度を早めているところだった。


 騎馬突撃の衝撃力は、その速度に拠るところが大きい。相手方の速度が乗る前にその機先を制するというのも確かに有効な戦術だったが、クリスとしては先ほど考えたように相手方かその一方が味方の本陣に向かってくれないでいたことが有難かった。馬足はあちらの方が早いのだから、追いかけるのは容易ではない。とはいえ、敵が味方本陣に突入して程なくこちらもそこに飛び込むことにはなるから、そこで乱戦になるのを避けたのだろう。不確実性を少しでも排して、確実な勝利を描く――隙というほどではないが、あるいはそこにこそ勝機があるのかもしれない。クリスは考えた。


 クリスとヨウの二人は、いまだ立ち上がりの途上にある西軍右翼集団の先頭に立った。ちらと背後を振り返れば、集団の先頭を駆ける騎者と目線が合う。不可解半分、不愉快半分という面持ちの相手に向かって、

「片方は受け持ちます!」

 宣言して拍車をあて、馬足を速めた。同じようにヨウが乗り馬の速度を早めたところでわずかにこちらの行き足を緩め、並走の形をとる。少し遅れてから追従するつもりだったのだろう、ヨウが物いたげな視線を送ってくるのに、彼女は一瞥だけを返してみせた。

「…………」

 やれやれと、ヨウはかすかに肩をすくめたようだった。それを相手の返答と受け取って、クリスは視線を前方に向けた。


 迫り来る東軍左翼の二集団は、先ほどのように前後に並んでいるのではなく、左右に大きく距離を開けて並走している形だった。そのどちらを狙うべきか、クリスは即座に選択した。狙うのは、向かって左。クリスが先ほど、先頭の騎者を打ち倒した集団の側だった。

 クリスの馬首がはっきりとそちらを向いたことは、相手側にも見て取れたはずだった。その顔色は彼我の距離で窺えないが、少なくとも集団としての動揺は微塵も現れてはいない。無論、クリスもそんなことを期待したわけではなかった。


 相手に動きがあった。

 単縦の陣形が、先頭騎者を中心とした楔形へと変化する。横の厚みを増し、先ほどのようなクリスの突貫――あんな奇跡じみたことは二度と起こり得ないとは言え――を阻止しようという目論見だったが、集団として走行しながら容易に陣形を変えてみせる練度の高さはさすがの一言だった。


 相手の陣形変化を見届けて、クリスは左に手綱を切った。彼女の愛馬が敏感に反応する。東軍左翼の左集団の、さらに左を目掛けて彼女は疾走した。

 対する相手方の反応がわずかに遅れたのは、ヨウの存在があったからだろう。クライストフ家の従者はクリスの急な変化になんら反応を示さず、ただ真っ直ぐに自身の馬を走らせ続けている。

 変化したクリスか、一直線にこちらへ向かうもう一人か――一瞬、だが確かに東軍側に逡巡が生まれた。間違いなく、それはクリスの先ほどの突貫が記憶に残っているからに違いない。だが、そこにもやはりもう一つの要因が大きかった。


 先ほどは一人であれだけのことをやってのけたのだ。今回はそれが二人。先ほど以上のなにかを企んでいるだろうと警戒するのはむしろ当然だった。

 一人が二人に増えたところで、出来ることが劇的に増えるわけではない――この時点で東軍側の騎者達に必要なのはそうした性急な断定であったかもしれない。だが、彼らはやはり慎重だった。そうした在り方をクリスが見抜いていたとすれば、それはやはり彼らにとっての隙だったと言うしかない。



 分集団の指揮を引き継いだ東軍左翼、左集団の先頭騎者は、はじめ、クリスに対して警戒を集中させていたが、左に手綱を切ったクリスがさらに左へと機動をとりつつあることに気づいて、それを陽動と見て取った。

 意識をもう一方へ切り替える。

 残された黒髪の騎者は依然、真っ直ぐにこちらへと向かってきている。遠目に見える表情は平然と、気合に入れ込んだ様子はない。それを相手の覚悟の証だと受け取って、男は片手に握る模擬刀に力を込めた。


 先ほどの一幕は、無論のこと東軍の騎者達にとって恥ずべきことだった。騎馬集団の先頭を行くことこそは勇者の証。だからこそ、その先頭を敵に撃ち倒されることなどあってはならない。もう二度とあのような無様は見せられぬ――秘めた戦意を吐きだした男は、そこで目の前に近づく男の違和感に気づいた。

 男の表情は平坦なまま、戦意の欠片も窺うことは出来ない。今から剣を交わそうという態度としては明らかに異常だった。そんなものが叶うのは、死を前にして全てを受容でもしているのか、あるいは――まったく戦う気がないか。


「後ろだ!」

 警戒を呼び掛ける味方の声を聞いて、反射的に振り返る。

 そこには彼がつい数瞬前、陽動だと看破したはずの金髪の女性が猛然と、こちらへ疾駆してきていた。

 自分が一杯食わされたことを悟り、激しい怒りを覚える。遊牧民出がそうではない相手にまんまと後ろをとられた屈辱と、それに対する羞恥がさらに感情を燃え上がらせたが、激昂しかける自身を抑制して、男は即座に声を挙げた。

「――散開!」

 楔形の陣形が解けた。

 集団として動く以上、どうしても個々の対応性は劣ってしまう。背後からの強襲に対して、もはや間に合わぬとみて個人の応対に任せるという判断は決して間違ってはいなかった。その指示を受けた騎者達も戸惑うことなく、ある者は速度を緩め、ある者は味方との距離をとって、各々が即座に対応する態勢をとる。その中で、一番後方を駆けていた一人が大きく馬首を翻し、真っ向から金髪の女性へと相対しようとしていた。

 手には縄。砂海を遊牧するボノクスの人々にとって、手縄・投げ縄の類は弓と等しく重要な生活技能だった。今回の模擬戦では投げ縄を禁止されているとはいえ、手縄でやれないことではない。中央戦局で彼らの味方がそうしたように、女性の馬の脚元に向かって狙いを澄まし、先に輪っかをつくった縄を投げ放つ。狙いは見事に正確に、そこを女性の馬が踏み抜くことは確実だったが、


「――――っ」


 縄先の輪を、飛来した剣の刃先が真っ直ぐに貫いた。宙にあった円の中央を見事に射抜き、砂海に突き刺さってそのまま縫い留められる。

 ぎょっとして、男が慌てて手縄を外そうと引っ張る暇すらなかった。

 顔を上げれば、眼前に女性の姿。残されたもう一本の剣を片手に、あっさりと胴を薙がれて男は馬上から崩れ落ちた。



 横薙ぎの一閃で最後尾の一人を倒し、クリスはそのまま集団の後ろを駆け抜けた。少し行ったところで悠々と馬足を緩めていたヨウと合流する。

「いい陽動だった」

「恐れ入ります」

 まったく恐れ入っていない様子で応える相手に鼻を鳴らしてみせて、改めて敵集団を見やる。


 一度ならず二度まで不覚をとった相手方は、どうやらその怒りが心頭に達した様子だった。散開した全員が全員、はっきりとした敵意をこちらに向けてきている。“適正な敵意”という意味では明らかに度を越してしまっていたが、クリスは笑みを浮かべた。それこそが、彼女の狙った通りだからだった。

 さて、と軽く息を吐いて、

「これからもっと無茶をすることになるが」

 ――ついてこれるか?と言外に訊ねた彼女に向かって、ヨウは冷ややかなまでの無表情で素っ気なく、

「命令ですから」

 その一言に、クリスは薄く笑ってみせた。

「では、付き合ってもらおう。文句はあとで自分の主人に言うといい――“あなたの見込みは間違っていました”とな!」

 乗り馬を走らせる。

 やれやれと言いたげな表情でヨウが続く。その前方では、二人に向かって数倍する殺意が殺到しようとしていた。



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