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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
戦人の奏功旗
45/46

20

 ――抜けた。


 悟った瞬間、クリスは伏せていた頭を跳ね上げた。衝撃に備えた彼女の表情は青ざめ、ひどく歪んでいる。食いしばった歯から、興奮とも恐怖ともつかない息が漏れ出た。ぞっとした寒気が全身を駆け巡り、一瞬後、それに倍する感情が体内で荒れ狂う。相反する嵐を抑え込もうとして、さらに顔面が突っ張った。


 表情を取り繕う暇もなく背後を振り返る。紙半重のところですれ違い、唖然とこちらを見送る東軍の騎者達の表情が視界に入った。それに対して不敵な笑みを浮かべてみせるような余裕は持ち合わせてはいない。むしろ、自分の方がよほどひどい表情を見せているだろうなという確信を抱きながら、逆側を振り返った。


 駆け抜け様に打ち倒した東軍の騎者が一人。それに巻き込まれて、落伍する後続の東軍勢が一人も出ていないことはさすがだった。直前まで、自分の後ろをひたりとついてきていたはずのヨウの姿は視界の限りに見当たらない。ほとんど自殺行為にも近しい、無茶苦茶な行いにまで付き合う義理はないということだろう。それは当然のことだと思えたので彼女は特に気には留めず、またそんなことを気にしている暇もなかった。


 限界を強いていた馬足を弱めながら、敵方の状況を確認する。西軍右翼に対して、二手に分かれて包み込もうとするように機動をとっていた東軍の左翼集団は、その一方が掻き乱され、もう一方の集団は味方の向こう側にあってその様子はわからない。包囲挟撃という目論見をひとまず邪魔できたことは間違いなかったが、それも一時しのぎのことだと彼女は理解していた。先頭を駆ける味方を倒され、動揺のないはずがないはずの敵集団は、その統一性にほとんど乱れをみせていない。別の誰かがすぐさまに指揮を引き継いだのだろう。感嘆するしかない練度の高さだが、しかしその彼らにしたところで、まったく動揺がないはずがなかった。現に、彼らの生き足は明らかに遅くなっている。速度を落としてでもまずは万全のまとまりを整えようという意図に違いなかった。

 程なく彼らは集団としてのわずかな解れを直すだろう。そうして再び、西軍右翼を包囲しようとするに違いない。


 とするならば、やるべきことは明らかだった。彼らは、いわば鋭い上顎と下顎で獲物を噛み千切ろうとする狼だ。対する自分はどうあるべきか? ――その目前で飛び回る蜂となることだ。

 せいぜい、彼らの耳元でけたたましく羽音を打ち鳴らしてくれようと心に決めながら、彼女は改めて乗り馬を疾駆させた。



 ……呆れたな。


 馬の勢いを緩め、無謀な行いをやや遠巻きに見届けたヨウは、その結末を目にして思わず胸の裡で呟いた。

 彼が護衛しろとの命を受けた相手がとってみせた行動は、にわかに信じ難かった。密集する敵騎馬集団に向かって突進し、その間隙を駆け抜ける――言葉にすれば容易いが人間業ではない。というより、人間がやろうとしていい代物ではない。


 彼の位置から見たところ、集団に生じた隙間は二馬身もなかった。後続が飛び込んでくるまでの時間は一秒にも満たない。そのほんの刹那の間を駆け抜けようなどと、普通は思いつきもしないだろう。ましてやそこに実際に飛び込んでみせるなど。

 周囲には無責任な歓声が沸き起こっている。先ほど東軍のジル・イベスタ・スムクライがやってみせた敵前での大回頭に続き、またしても曲芸じみた出来事が起こったことに素直に狂喜乱舞している様子だったが、ヨウの心境は冷ややかだった。


 東西二人の女性が、張り合うようにそれぞれ奇跡的な行いをしてみせたことは確かだが、そのどちらも目撃していたヨウにしてみれば、両者の意味するものはまったく異なっていた。前者は卓越した腕と、それに対する圧倒的な自負があってこそ成し得た、正真正銘の技術。後者は――確かに技術も必要だが、それ以上に心胆こそが重要となる。十中八九、自ら死にに行くようなものなのだから、気狂いの類でもなければ成し得ないものだった。


 あるいはそれが武人の本懐という奴か?と唾棄するように吐き捨てる。苛立ちに近い感情を覚えている自身に気づいて、ヨウは表情を歪めた。まったく気に食わない。受けた命令も気に食わなければ、そんな状況に置かれて他にどうしようもできない自らの立場も呪わしかった。だが、それでも最善を尽くさねばならないだろうことも同時に自覚はしている。

 そして恐らくは、こんな自分だからこそ主人は厄介な命令を与えたのだろう――それ以上の余計な思考や感情を噛み殺し、手綱を引きかけたヨウの耳元に別の歓声が届いた。ちらと横目で窺えば、そこでは容易にありえない光景が繰り広げられている。



 周囲の風を巻き込むような横薙ぎの一撃が払われた。


 槍の如く振るわれたそれは実際には巨大な陣旗でしかなかったが、圧倒的な速度で打ち込まれれば人一人を薙ぎ倒すには十分な凶器には違わない。異常なのは、重心も歪ならば重量も桁外れの代物をとりまわしてみせる膂力に他ならず、あまつさえそれを片腕でやってみせるケッセルトの表情は涼しげだった。馬上にあって軽々と振り回してみせる、その一撃を掻い潜るようにジル・イベスタ・スムクライが先の鋳つぶされた曲刀を払い上げる。槍の手元でそれを弾き、その隙を狙って男の背後に回ろうとする彼女へと石突が伸びた。それを曲刀の腹で受けて、さすがにその重さまでは堪えきれずによろめいた。追撃を打たれる前に、女性は乗り馬の腹を締めて素早く体勢を立て直し、距離をとる。


 演武じみた一幕が終局したと悟って、観客勢から怒涛のような歓声が沸いた。


 両者の位置は円形に広がる競技場のまさに中央。観客の注目を一身に集めてすこぶる機嫌よさそうに、巨大な陣旗を肩に乗せたケッセルトが笑みを浮かべた。

「やあ、怖え怖え。さっきから、殺意が溢れすぎじゃあないかね。いくら模擬刀とはいえ、そんな勢いで当たりどころが悪ければポックリ逝っちまいそうだが」

「当り前だ。殺す気でやっている」

 応える声は冷ややかだが、その底に激怒の感情が煮滾っていた。武器でさえない代物を相手に、それを打倒できないでいるのだからその怒りは至極真っ当だったが、そのジル・イベスタ・スムクライが表情に浮かべているのは、先日の物追い狩りでクリスティナ・アルスタを相手にしていた時と同じものだった。肉食獣の如く口角を吊り上げて、東軍の総大将でもある女性は静かに宣言してみせる。


「貴様は今日、この場で殺しておく」

「物騒なこって」

 肩をすくめてみせたケッセルトが、からかうような視線を相手に投げかけた。

「だが、弓矢もなしにそんなことが出来るとは思えんがね」

「……試してみろ」

 馬腹を締め、ジル・イベスタ・スムクライが乗り馬を駆けさせる。その背後に数体の騎馬の姿が見えた。

「ジル様――ッ」

 西軍の中央先陣部隊をいいように翻弄していた騎者達が、彼らの総大将の危機に味方しようとやってきていた。それを一顧だにしようともせず、黒髪の女傑は鋭い眼差しをケッセルトに見据えている。

「ふむ。多勢に無勢ってわけだ」

「恨むなら弱兵の味方を恨むがいい」

「まさか。あんなモン、恨むにも値しねえよ」

 あっさりと言ってのけ、ケッセルトはにやりと笑うと、

「――というわけで、こうさせてもらおうかな」

 迫り来る猛者達を前にくるりと馬体を翻し、男はそのまま明後日の方へと駆け出した。


 舌打ちを一つ、その背後を黒髪の女傑が追いかける。さらにその後ろを数名の騎者達も追走し、舞踏じみた見世物で観客を沸かせた中央局面では、西軍旗を背負った男とそれを追いかける敵方の総大将という奇妙な逃走劇が開始された。


 ◆


 模擬戦が始まってわずかな時間で、すでに戦局は大きく動いていた。


 総大将による一騎駆けという前代未聞の開幕から始まった中央戦端は、偏にジル・イベスタ・スムクライという個人の才によって東軍が圧倒的な優勢を築きあげた。そのまま左右両翼ともに圧倒され、勝負が決まってもおかしくない状況だったが、西軍右翼ではクリスティナ・アルスタの活躍によってなんとか踏みとどまり、一方の左翼でも互角の戦いが繰り広げられている。はっきりと勝敗のつきつつあった中央でも、本来は総大将と本陣にあるべき大陣旗を背負って現れたケッセルト・カザロとジル・イベスタ・スムクライの一騎打ちという珍妙極まる事態が巻き起こっていた。


 全体としては東軍の優勢は揺るがず、左右両翼のどちらかが瓦解、あるいは中央で陣旗を背負って逃げにかかったケッセルト・カザロが補足、打倒された時点で東軍の勝利は決定的となる。

 劣勢に立たされた西軍に残された手は限りなく少なかった。一刻も早く東西どちらかの戦局で勝利を掴み、以って敵本陣へと踏み込んでの逆転を狙う。あるいは、奇妙な事態が起こっている中央への救援という手も考えられたが、それ以前に中央戦局が決着してしまう可能性の方がはるかに高く、いずれにせよ勝ち筋としてはあまりに薄い。


 無論、そうした全体における状況を実際に相争う騎者達が正確に把握することは不可能だった。それは観客達も同様、彼らは目の前の出来事に歓声と悲鳴を上げるだけで何一つ状況など理解していない。戦場に見立てられた競技場内は熱狂と混乱の坩堝にあり、水陸各国から選抜された若騎者達は狂気の大炎に翻弄されながら自分のなすべきことを為そうと懸命だった。


 徐々に混迷を迎えつつある戦局は、あるいはそのまま終焉してしまうかとも思われた。戦場において一度ついた優勢というのはそれほどに容易には覆しにくく、その事実は多くの軍史が証明している。だからこそ、奇跡の勝利などという代物は伝説的な逸話となって人々の間に語り継がれ、燦々たる称賛を後代まで受けるのだった。


 今回の模擬戦は、水陸史にあって、歴史の果てにまで語り継がれるという類のものではない。所詮は学生同士のままごとに過ぎず、大国の趨勢が決定づけられた大会戦などではなかった。

 しかしながら、後代の歴史を紐解いた時、そこに名を残す数名を評しようとして話題に用いられる程度のことはあった。つまり、彼らがその才能の片鱗を見せ、輝かしい未来を予感させる類の。


 その一人、武門の名家として有名なアルスタ家の若き令嬢は、土と埃にまみれて美貌を汚しながら、懸命に乗り馬を走らせていた。その眼差しには強い勝利への意思が輝いて、断固とした決意の程が窺える。そして、それを実際に証明するように、次なる戦局の変化は西軍右翼から始まるのだった。



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