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水陸各国の選抜者が東西に分かれた両軍は同じ騎馬兵種ではあるが、その意味するところの差は歴然としている。
ツヴァイを中核とする西軍陣営は、そのツヴァイがそうであるように、重装を基本としていた。全身を隙なく覆う鎧甲に、乗り馬にまで防具をつける者も少なくない。西軍のなかにも軽装を好む選抜者はいたが、集団戦という定義から見ればいずれにしろ速度は遅い方に合わせるしかなく、それ故に、この日の為に不慣れな防具を着込んできた者までいたほどだった。
一方の東軍は、その大多数を占める四十名のボノクスが志向するのが軽装様式だった。彼らのなかに鉄製の防具を身に着けた者は存在せず、革や麻による防服に身を包んでいた。他国の選抜者の極少数が、自国の騎馬運用に倣った重装備をしている者もいたが、そうした相手は予備兵力扱いで本陣に回されていた。無論、迅速な行軍と連携練度の維持を目的としたものだった。
つまり、この水陸を代表する二大国がそれぞれ主導する今回の模擬戦は、重騎馬と軽騎馬、ひいてはそれぞれを志向するツヴァイとボノクスの騎馬運用戦術の優劣を競う機会でもあるのだった。あくまで余興という形ではあるが、軍事に覚えのある者としては興味深い模擬内容だった。
無論、両軍ともに遠距離武装の使用を禁じられているため、実戦模擬としての意味合いはやや薄い。特に、適度な距離をとりつつ敵勢に攻撃を加えることを本位とする弓騎兵にとって、その禁止は致命的だろうと思われた。
得意の戦法を封じられ、代わりに四十名というほぼ全軍を自国の選抜者で固めることに成功した東軍側が、突撃衝力では水陸随一とされるツヴァイ重騎馬に対してどのような戦いを挑むか――それが今度の模擬戦の見どころだろうというのが大方の見方だったが、実際の展開は誰もが驚くものだった。
横一列の並びが左右に分かれた東軍から突出した、わずか数頭の軽騎馬。その先頭をゆくジル・イベスタ・スムクライは豊かな黒髪を馬上に激しくなびかせ、西軍中央先陣に疾駆する。さながら、自身を弓矢とするかのような勢いだった。
わずかな供を連れてのこととはいえ、大将自らが先掛けを行うなど通常ありえない。それが如何に常識外れであるか、少しでも軍事に厚い者はたちまちに目を剥いたし、まったく疎い者でもそれが奇怪であることは容易に察した。競技場をぐるりと取り囲んだ観客席から、戸惑うようなざわめきが生まれる。
人々は、この模擬戦が開かれるにあたって様々な噂を耳にしていた。東軍、西軍にそれぞれ武芸達者な女性が一人ずつ選抜されていることを彼らは知っている。あれこそはその一人、東の大国ボノクスを主導する四氏族が一つ、“鮮血”のスムクライ――ジル・イベスタ・スムクライ! 観客の一人が叫ぶと、感嘆の細波が各所で湧き、続いて怒号の歓声に変化した。この場に集まったツヴァイ人は多くが熱狂的な自国愛者であると共に寛容な見物人でもあった。彼らは、その蛮勇に近い行為をごく自然に受け止めていた。娯楽ならではの気楽さだった。
観客にとっては驚き、あるいは意外な展開を楽しむだけで済むが、実際に対峙する者にとってはそうはいかなかった。
特に、西軍中央で先陣を預かったナトリア出身者達は、相手の行為を自分達への明確な侮辱と受け取った。確かに、相手の総大将が、自分達より少数で正面から挑みかかってくるなど、それ以外の解釈のしようがないことではあった。
怒りに燃える西軍先陣集団が密集態勢をとって突進する。板金兜の奥で獲物を見据える彼らの眼差しに込められたものは、ほとんど殺意にさえ近かった。無論、これが模擬戦であることは承知している。しかし、事故は起こるものだ。相手は軽装。正面からのぶつかりあいの末、どのような悲惨な結果が生じようとそれは相手の不測に他ならない。それが嫌ならば、大人しく鎧を着込んで本陣に籠っていればよかっただけのことだ。
西軍先陣と東軍先陣の距離がみるみるうちに縮まる。両者がいよいよ激突しようかという段階になって、先に動いたのはやはりと言うべきか、東軍だった。
大将に続いていた数頭の軽騎馬が左右に分かれる。軽騎馬が重騎馬に正面から突衝力で挑むのは無謀極まりないから、その変化はむしろ当然だった。西軍の先陣に所属する選抜者達も予想していた。軽騎馬に対して自分達が機動力で劣っていることは彼らも承知している。正面からの突進を避け、左右に迂回して隙を伺うだろう相手を、左右両翼とのあいだで少しずつ追い込み、包囲殲滅の図まで持っていくというのが西軍の基本構想だった。
目の前の敵が左右に逃れたなら、そのまま相手の横を通り過ぎるように一旦距離をとり、停止。再度の突撃方向を定めて突進する。というのが彼らの採るべき行動だった(密集して興奮状態にある騎馬は突然の停止はもちろん、急な方向転換も不可能だった)。
その彼らを戸惑わせたのは、左右に変化した相手先陣の集団のなかで、一人だけ迂回機動をとらない人物がいたからだった。――ジル・イベスタ・スムクライ。野性味あふれる美女はその口元に不敵な笑みを浮かべ、まっすぐに彼らに向かっている。
「……猪口才な!」
その表情をまごうことなき挑発と受け取って、西軍先陣の面々は自分達の目標を彼女に定めた。左右に逃れた他の面々は無視して、ただ一人の相手に向かって突進する。模擬戦の規定上、大将の脱落が即、陣営の敗北に直結するわけではないが、三つの重要な採点対象の一つではある為、その選択も決して間違いではない。むしろ当然だった。
この場合、異常と評されるのは彼らの相対したジル・イベスタ・スムクライという個人に総括されて然るべきだった。
あと一呼吸で彼らが激突しようというその瞬間。彼女は跨った馬から飛び降りるような動きをみせた。実際には飛び降りていないが、馬の右腹にしがみつく、ほとんど曲芸じみた乗馬姿勢をとる。手にした手綱はそのまま、勢いよく両足を突っ張った。
乗り馬が悲鳴を上げる。大人一人分の体重で引っ張られた当然の結果として、彼女の馬は大きく馬首を曲げ――彼女が全体重を右にかけたことと相まって、ありえない急角度で右旋回した。
通常ならどうあっても不可能な段階での回避機動。目の前にあった獲物の姿がまるで忽然と消え去って、突進の衝撃に身構えていた西軍先陣の誰もが驚きに目を瞠った。同時に逡巡する。そのまま駆け抜けるか、それとも追いかけるか。集団としての意思に綻びが生じかけたのは、彼らの手から零れた獲物があまりに大魚でありすぎた為だった。その動揺は手綱を通して容易に彼らの乗り馬に伝わり、隊形にも伝播する。足並みが乱れた。
「止まるな! 一旦、距離をとるぞ!」
ナトリア団のマヒートが大声で指示をだした。突撃が不発に終わった以上、最善の行動は間違いなくそれだった。早急に、人馬双方の動揺を落ち着かせる必要がある。狭く密集している為、全ての行動の反応と収束に時間がかかるのは、明らかに密集陣形の弱点だった。
東軍の面々はそこを見逃さなかった。
西軍先陣の選抜者達が極度の興奮状態にある乗り馬を落ち着かせ、徐々に速度を緩めていく。そこを狙ったように、さきほど左右に散開した東軍先陣の数頭が各個に殺到した。数が少ない彼らは西軍先陣集団と違って方向転換が容易く、立ち上がりも機敏だった。
「来るぞ! 迎え撃て!」
西軍先陣の面々は慌てて剣を構える。軽騎馬とはいえ速度が乗っている分その突衝力は増しているはずだが、それでも正面同士のぶつかり合いなら望むところだった。
しかし、ボノクスの騎者が手にもっているのは剣ではなかった。彼らが握っているのは縄だった。馬身を掠らせるように疾走し、縄を投げつける。その縄は乗り手ではなく、馬の脚を狙っていた。嫌がった馬が大きく前脚を振り上げる。密集陣形の弱点がここでも出た。馬同士がぶつかり、数名が馬上から振り落とされる事態が発生した。
「なにをやっている! 落ち着け! 落ち着いて距離をとるんだ!」
先陣を指揮するマヒートが声を荒らげるが、誰より彼自身が焦っていることはその口調から明らかだった。
速度の殺された馬は脆い上に、密集陣形がさらにその混乱を助長させている。一番槍の誉れを担うべき西軍先陣部隊は、その半数にも満たないわずか数名の騎馬兵によって完全に翻弄されきっていた。
「……戦況は、どうなのだろう」
西軍本陣。その奥深くで自らの馬に騎乗した西軍大将ギルウェン・ダウムは、今まさに砂埃を巻き上げつつある戦闘の渦中を遠くに見やって、頼りのない声をあげた。温和な人柄と噂される彼は、その噂を裏切らない顔立ちを不安そうにして周囲の顔ぶれを見渡したが、返事はなかった。
溜息をつく。総大将という役柄を押しつけられた彼は、本来であればこのような催し物にでることも嫌な性分だった。生まれつき争い事を好まず、この大学で日ごと活発になりつつある派閥争いの類にも関心がない。まさにそうした立ち位置だからこそ、総大将に選ばれたのだった。ツヴァイの貴族には様々な義務がある。望まない立場を押しつけられることもその一つだった。
「あまり、芳しくはないようですなぁ」
振り返って答えたのは若い男だった。彼の知らない相手で、どこか獰猛な獣のような気配がある。ギルウェンはやや及び腰になりながら、返事をしてくれた相手がその一人だけだったので、仕方なく訊ねた。
「負けるだろうか」
「そうかもしれませんな」
そうか、と息を吐く。獣じみた雰囲気の男がそれを見て、ひょいと片方の眉を持ち上げた。
「御大将は、負けるのがお嫌でいらっしゃる?」
「それは――もちろん。嫌だ」
言ってから、ギルウェンは弱々しい笑みを浮かべた。頭を振る。
「いや、正直に言うと、勝ち負けなどどうでもよい。こういうことには昔から興味がないんだ。私は静かに暮らせていればそれでいい。……だが、そうだな。私のせいで負けたとなると、申し訳ないとは思う」
「別に御大将のせいではありますまい」
「負けた責任をとるのが、大将というものだろう? ……そうではないのか?」
不思議に思って彼が訊ねると、獣のような男は大きく声を出して笑った。
「確かに。いや、御大将は噂通りのお方でいらっしゃいますな」
「だからここでこうしているんだ」
三度、溜息をつきたくなるのをさすがに堪えながら、ギルウェンは愚痴じみた文句を零した。
くつくつとそれを笑った男が、
「なるほど。――では、大将。ひとつ、ご提案があるのですが」
「なんだ?」
「私見するところ、戦況はこちらに不利な様子。どうも、中央の連中が向こうの奇策にしてやられたようですな」
「……そうか」
「正直、自分にとっても勝敗はどうでもよいのですが――実は少し、賭けをしておりまして」
「ほう」
ギルウェンは頷いた。万事において平凡な彼だが、賭け事には目がなかった。彼にとってほとんど唯一の悪癖と言えた。
「それで、多少、盛り上げてやる必要があるのではと」
「どういうことだ?」
ギルウェンは眉をひそめる。男の口にした言葉の繋がりが理解できなかった。
「いやなに。恐らく、観客のなかにもどちらの陣営が勝つか賭けている者が大勢おりましょう」
「ああ、そうか。なるほどな」
頷く。合点がいった。
確かに、観客にとってはこれ以上の娯楽はないだろう。
「では、あっさりと勝敗がついてしまってはつまらないな」
賭けはその勝ち負けは当然、その結果に至るまでの一喜一憂にこそ娯楽としての価値があると彼は信じていた。侯爵家の御曹司が漏らした一家言に、にやりと男が笑って、
「まさに。ですから、御大将。少し盛り上げてやらねば、と思う次第です」
ギルウェンは目を瞬かせた。
「賭け事をしている観客のためにか?」
「はい」
男が頷く。
「いったいなにをしようと言うのだ」
「私にあれを預けてはいただけませんか?」
男が顎をしゃくった先にあったのは、西軍の陣旗だった。意匠をこらした赤の大旗が、風に吹かれてわずかにそよいでいる。
「旗? あれを使ってどうする」
「それは見てからのお楽しみということで。如何でしょう、少しは御大将にもお楽しみいただけるかと存じますが」
飄々とした態度で言う男を、ギルウェンはしばらく凝視した。
「……そなた、名はなんと言う」
「ケッセルトと申します、御大将」
ギルウェンはくすりと笑い、野性味あふれる男に向かって大きく頷いた。
「わかった。そなたがなにをしようと、責任は私がとる。せっかくなのだ、観客達をおおいに盛り上げてやって欲しい」
ただし、と続ける。
「条件がある」
「いったいどのような条件でありましょうや」
「私も一つ、賭けに参加したい」
ほう、とケッセルトが顎を撫でた。
「なにに賭けられます」
「西軍の勝利に、だ。今夜の酒宴の一杯を賭けよう。それでどうだ?」
楽しげに肩を揺らした男が、ギルウェンの傍らで陣旗を掲げる相手に向かって手を招く。戸惑いながら、旗手がそれを手渡して、驚愕に目を見開いた。男がその陣旗を片腕で受け取ってみせたからだった。
全長で一丈ほどもあり、当然それに見合っただけの重量がある大陣旗を軽々と右手一本で抱えて、馬首を翻す。唖然として見送る一同に向かって肩越しに振り返り、ケッセルトは颯爽と笑った。
「なかなかどうして、御大将は賭け事の名手であらせられる」