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その日、大学講堂の一つで西軍に属する人々の決起集会が行われた。
東西模擬戦に向けて選抜された若者は共に五十名。いずれも水陸各国の名誉を背負うに足る顔ぶれだが、ホストであるツヴァイからの参加は二十名と、西軍にあってはその数は群を抜いている。
西軍の大将を務めるのはダウム侯爵家の長子ギルウェンである。侯爵領として十分な湧出量を誇る水源を抱えた名門の出だが、今回この人物が選ばれたのは、家格以上にその人柄の無害さが好まれたからだった。
ツヴァイは水陸随一の大国である。その結果、内部には様々な派閥が存在する。それは各地にある水源、あるいはその水源同士を結ぶ河川水路などの繋がりを縁に成り立ち、彼らは時に協調し、また反目し合っていた。強大な帝国を治めるツヴァイ皇帝の、そのもっとも重要であり、日常的でもある業務とはこうした派閥同士の調整や牽制でもあった。
そうした派閥の雄はいずれも帝国内で高名な大貴族家であるが、現在のところ、その全ての家に連なる誰かが大学に籍を置いているわけではない。有名処では、トマス水源を抱えるベラウスギ公爵家などは十にも満たないという年若い公女を大学に通わせていなかった。しかし、トマスの公爵令嬢は幼いながら、どうやら大学に参加するらしい――まだ大学が準備段階にあった頃にそうした噂が流れたことも過去にはあったのである。
以前から帝都ヴァルガードとトマスの関係性はひどく懸案される事柄である。四つの河川水路と繋がり、水陸経済の中心とさえ言われるトマス水源。そこを領するベラウスギ家は帝国成立以来の重臣であり、その開祖ジュスター・ベラウスギはツヴァイ帝国初代皇帝アスリ・スキラシュタの無二の親友でもあった。
広大な砂海を割って水源同士を結ぶ“河川”を発案したジュスターは後の帝国の隆興を決定づけた人物だったが、その彼が残したトマスという街と土地は、同時にそれ以降、常に帝国内における最大の潜在的問題となったのである。
ベラウスギ公爵家こそはツヴァイにおける最大の派閥勢力であり、各代皇帝もその扱いには慎重に(もちろん、決してそうした態度を他者に見せるわけにはいかなかったが)成らざるを得なかった。その勢力を少しでも削ごうとする試みが行われたことも一度や二度ではない。現在、帝室とベラウスギ家の関係は決して悪いものではなかったが、かといってお互いの開祖が有していたような無上の友誼など望むべくもない。小康状態と言うところだった。
帝都において「大学」なる機関が設けられることが布告された際、そこに出向いた自分達の子女達が人質としての役を負わされるのではないか、という思いがまったく頭に過らなかった貴族は少なかった。陰謀渦巻く貴族社交にあっては、当然のように考えられる懸念だった。
ベラウスギ家が大学に人を寄越すかどうかが高貴な人々のあいだで注目されたのも以上の理由による。令嬢が幼いことはその参加を辞退する正当な理由に成り得たが、そこに果たして二心がないかどうかという火種は残るからだった。どのような大災も些細な小火から始まることを熟知しているベラウスギ公爵は、だからこそ、幼い令嬢を大学に出向かせるのではないか――件の噂はそうしたものだった。
実際には、大学を提唱した帝国宰相ナイル・クライストフによる「年少者はまず父母から己が家風を身につけることが大切だと思われる」という迂遠な一言によって、その噂は立ち消えになった。
もしもベラウスギ家が年少の令嬢を帝都に向かわせた場合、同じ理由から子女の大学参加を辞退した他の貴族もそれに倣わないわけにはいかず、ともすれば不毛な人質合戦が始まっていた恐れすらある。それに対して宰相ナイルが先手を打った形だが、だからといって彼が人情味に溢れた好人物であるということにはならない。ナイルが大学を開設した理由は自国の人材教育や学者の保護、そして他国を文化的に主導することなどが知られているが、そうした主な目的以外に、副次的な産物として無数の企みがあったとしておかしくないからだった。たとえばそれは、“ベラウスギ公爵家の社交的孤立”のように。
現在の大学社交において、ツヴァイでもっとも勢力を誇るのは言うまでもなく皇女アンヘリタ・スキラシュタであり、次点がナトリア公女クーヴァリィン・ナトリアである。
帝国西方、広大なナトリア領からは大学に参加している人員も多く、彼らは「ナトリア団」と称して徒党を組んで学内を闊歩していた。今回の模擬戦においても、ツヴァイ選抜二十名のうち実に六名がナトリア出身者の人々だった。関わりが深い、という括りになるとその数はさらに倍程にもなる。
彼らとしては自分達の数を背景に西軍全体を主導し、その勝利と名誉の双方を手中に収めたいところだったが、そうした思惑に周囲は反発の色を深めた。特に皇帝直参の家系やその派閥でそうした意見が噴出したのは、一つにはナトリア領が近年ツヴァイに属国化したいわゆる外様であることも要因に強い。
ナトリア団の台頭に不満を露わにする人々も、かといって代わりに自分達が担ぎ上げるべき人材を見いだせてはいなかった。まとめ役の不在も大きい。これはニクラスが思索した通り、国内の有力な派閥の代表者の子女が存在しない、あるいはいずれも女性に限ることによる局地的な人材不足と言うべきかもしれなかった。先日、学内に流れた皇女アンヘリタの「噂」はそうしたまとめ役の立場をニクラス・クライストフに押し付けようとしたものと思われるが、その真意は定かではない。
大小様々な派閥に関わる人々が、互いの顔色を読みながら慎重に事の推移を見計らっている。先日の顔合わせの場でクリスが堂々と意見を述べたのは、まさにそうした不穏な雰囲気の最中のことだった。
無論、彼女は西軍を勝利に導くためにこそ発言したのではあるが、後日、ブライが苦笑まじりに評したとおり、そのやり方はいかにもアルスタだった。彼女が無視され、それでもへこたれずに独自の行動をとっていた頃も、その他の人々は彼らのやり方での折衝を続けていた。その結果がどうにか形となったのはつい先日のことである。
もともと西軍大将にはギルウェン・ダウムの名前が挙がっていたが、これはダウム家が如何なる派閥とも適当に距離を置いた家柄であり、その当主も子息にも、人の好さ以外になんら才覚の輝きが見えない人物だからこそだった。軍人としての素養にも乏しく、お飾りの将と言える。その彼の下という名目で、実際に図られた西軍の戦術は次のようなものだった。
まず全体を四隊に分ける。先陣と両翼、そして本陣の四つである。
今度の模擬戦で勝敗に関わる要素は三つがある。旗と人、そして陣だった。これらを相手に奪われるとそれぞれ失点となる。どちらかの本陣が失われた時点で試合は終了となり、その時点で軍旗を所持しているか、大将は健在か、自陣を確保しているかの採点が行われる。本陣を水源とみなし、その奪取を最上の位置におくのはこの惑星における戦争の習慣そのものだった。必然、大将は軍旗と共に本陣に在り、本隊がこれを護るのが基本となる。先陣と両翼はそれぞれ敵陣に突出、相互に連携をとりながら敵を追い詰める。
まったく無難な、そう言って悪ければ手堅い作戦案だった。
とはいえ、これは仕方のないことではあった。数も同数、場所も平坦な砂原と決まっている。加えて武装の類も厳しく制限されているとなれば、奇策の類が介在する余地はほとんどない。であるからして、今回の模擬戦において重要視されたのは戦術ではなく、むしろ人員の配置だった。
栄えある先陣を務めるのは十五名。これはナトリア出身者六名を含め、ナトリアと関わりの深い他国の選抜者も合わせたものである。一番槍は戦場の誉れであり、それは模擬戦であっても同じと言える。それを成しえるとあれば、ナトリア団の人々にとってはまず満足できる内容だった。
右翼、左翼はそれぞれ十二名ずつから成る。右翼を水陸北方出身者で固め、左翼には逆に南方出が多く割合を占める結果となっている。
西軍の構成の特徴として、ボノクスからの選抜者が実に四十名からなる東軍より多くの国から人が集った結果、馬の品種から得意とする武装までその種類が多岐に渡っていることが挙げられる。そうした不揃いさを解消するため、少しでも近隣の出身者で固めるというのは、単純な手法ながら有効だった。地方によって共通する部分は大きい。たとえば馬の品種などがそれだった。
残りの十一名が本陣に控える。大将本人も含まれるため、実際の人数としては十名として考えた方がよかった。これには予備戦力としての意味合いもあるが、本陣を空けるわけにもいかない彼らが打って出る可能性は少なかった。
以上の作戦骨子が発表された際、一同からは特になんの言葉もなかった。模擬戦に選ばれるだけあって、ほとんどの選抜者が軍事的な知識や常識を有していたから、“奇跡的な作戦”などというものを期待していなかった。仮にそのような作戦案があったところで、それを成しえる練度が備わらなければ全くの無意味であるからだった。
今回の場合、“奇策”の類を用いてくるなら、それは東軍の方にこそ可能性が強いと見るべきだった。なにしろ四十名がボノクスからの選抜者である。他国の十名を本陣に残せば、残り全員がボノクスの騎馬兵ということにもなりかねない。意思疎通の取れた練度の高い四十名であればどのような機動も、柔軟な作戦運用も可能であろうと思われた。
そういった懸念はいずれの参加者にもあった。今日の会合でも、そちらの対策や懸案についての話し合いが行われるべきだった。
「東軍、ボノクスから武装についての確認があったと聞いたが」
南方小国家群の一つ、ディクタルのイバンターグが口を開いた。やや癖の強い帝国言語だった。
今現在、水陸で特に係争が絶えない地方が水陸南方である。ディクタルはそこに拠点を置いた小規模の遊牧国家であり、人々は騎馬の巧みさで知られていた。イバンターグはその中でも特に将来を嘱望されており、まだ十七と若いがすでに実戦の経験も持っている。南方小国家群では、他にナウガラのセフェリノなどが有名を得ているが、彼らの個人的武威をどうやって上手く用いるかが西軍の肝になるだろうと言われていた。
よく日に焼けた肌に、中天の日星を仰ぐような厳しい眼差しを持ったイバンターグからの質問に答えたのは、ナトリアの中堅貴族の若者だった。決起会の進行役を務めている人物で、名をマヒート・メイジャンと言う。
「はい。今度の模擬戦において投げ縄を武器として用いることは可能か、という申し出があったそうです」
「投げ縄か。なるほど」
納得の言ったように頬を歪める若者に、貴公子然としたツヴァイの若者が訊ねた。
「イバンターグ殿にはなにか得心になられましたか?」
「なに、如何にもボノクスらしい巧妙な申し出と思ったまでのこと。今度の模擬戦では投擲武器の類は禁じられているが、縄の片方を持っていれば投擲には至らない――大方、そのような話になったのだろうな」
「確かに、その通りです。縄の長さは二丈(約六メートル)まで。縄の一方は必ず手中にあること。完全に手から離れた時点で反則とみなす、という取り決めです」
「遊牧民が獲物をとる時に使う手段だ。二丈とはやや短いが、それでもボノクスが使えば十分に脅威と見るが、それについてはどのようにお考えか?」
試すような物言いに、ツヴァイの若者は余裕のある態度を崩さなかった。
「むしろそちらについてはイバンターグ殿の方がお詳しいのではありませんか。よい対策があれば、是非ともご教示いただきたいものですが」
遜った台詞だが、根底には豊かな水源や河川を抱き、水場を求めて砂海を流離う立場を揶揄するような響きがある。隠そうとしている本性が滲み出ているようだった。
それを感じとった周囲で一瞬、不快な雰囲気が生まれかける。口元の笑みを歪めたイバンターグが口を開いた。
「なに、ご存知のようであれば特に申し上げることもない。お互い、馬の脚を取られて無様を見せないように気をつけなければならないな」
「確かに。くれぐれも注意しましょう」
それだけでよいのか。クリスは内心で思った。
今日の話し合いの場において、彼女は一度も発言を求めていない。先日の一件を顧みて自重したからだが、そうするようブライから遠回しの忠告を受けていなければ口を開いていたかもしれなかった。
弓を使えないボノクスがわざわざ申し出をしたからには、それに代わる主力武装と見るべきだろう。ツヴァイが今までに争ってきた国には、確かに投げ縄を武装として用いる遊牧民も存在した。しかし、実際にそれを体験したことがないのなら、まず実物がどのようなものかを確かめるべきではないのか。イバンターグの発言はそういった意図こそのものであろうに――進行役の相手の、察しの悪さに彼女は苛としたものを覚えたが、自分が先日に見せた醜態を思えばそれを公言するわけにもいかなかった。
臍を噛むしかない彼女の内心を慮ったように、口を開いたのはやや離れた席に位置しているブライだった。のんびりとした口調で、
「しかし、投げ縄というのは面白いですね。遊牧民の方々はよく使われるとのことですが、私などにはどういった扱われ方をするのか見当もつかない。出来ることなら、一度この目で見てみたいものですよ」
すかさずセフェリノが乗る。
「それは大変に宜しいお考えと思う。一度、見たことがあるのとないのでは、それだけで当日の動き方も変わってくるかもしれない」
確かに、と控えめな賛同があちこちから生じた。ツヴァイの選抜者からもそうした反応があったことに、マヒートはやや不満そうながら頷いてみせた。
「成程。では、そのような機会を設けることにしましょう。イバンターグ殿、是非とも貴殿に実演していただければと思うが宜しいでしょうか」
話を向けられたイバンターグは、なにやら言いたげな表情で相手を見据えてから、ややあって肩をすくめてみせた。
「お望みとあらば」
「それではこの後、場所を移して腕前を披露していただくことにしましょう。他になにか、ご意見やご懸念があればどうぞ」
マヒートの問いかけに、ちらほらと確認や質問が上がり始める。
それらを聞きながら、クリスはブライやセフェリノの場を壊さないよう注意した提言の手法に内心で感心していた。成程、穏便に話を持っていくのにはああいう風にするのか、と思っていると、横合いから囁きが響く。
「勉強になるなぁ。お前さんも十日程前にああしてりゃ、ちったあ立場も違ったかもしれんがな」
からかうような台詞は完全に無視することに決めて、クリスは注意深く集会の推移を見守った。ふとあることを思い出して、隣に黙して控える相手に小さく声をかける。
「ヨウ。そう言えば、イシク先生から顔を出すよう言われているのですが、なにか聞いていますか?」
「いえ。特に」
「そうですか。では、後で伺ってみようかと思います」
「ご随意に」
「イシク? 誰だそりゃ。面白そうな話なら聞かせろよ」
後ろを振り返ることもせず、クリスは冷ややかに応えた。
「ケッセルト様。別に貴方には関係のあることでも、面白そうな話でもありません」
「冷てえなあ。いいだろ、教えてくれよ」
「……大学の先生ですよ。工房地区で、炉を扱っておられます」
「――へえ。炉をね」
一瞬、男の口調に変化があったように思われて、クリスは肩越しに背後を振り返った。軽薄な表情の男がなにか思案するようにしている。彼女の視線に気づくと、にやりと唇を歪めて、
「面白そうだが、まあついていくのは止めとこうか。暑ぃだろうしな。汗に塗れてあられもない恰好の美女がわんさかいるってんなら、喜んでお供するが」
「始めから連れていくなどとは言っていません」
切り捨てて、クリスは再び意識を前方の会合に集中させた。集中しようとするが、どうしても背後が気にかかってしまう。退屈に欠伸の音を隠そうともしない不遜な輩に対して、自分がこうも気に触る理由が単に生理的なものか、あるいはもっと別のなにかがあるのか、彼女にもわからなかった。